少女は瞳を見開いた。
 今、自分の身に何が起こっているのか。
 感覚として感じていても理解が追いつかない。
「・・・、っっ」
 塞がれた唇から零れる吐息が自分のものとは思えないほど色めいている。
(や、やめ、て・・・)
「逃がさないよ」
 動揺に震える手を相手の胸に当て、押しのけようとしながら顔を背けるが、有無を言わさず引き戻される。
(どう、して・・・)
「あんたが考えることは何もない」
 仮面に隠され、相対する少年の表情は窺えない。
 それでも、自分とほぼ変わらない背丈の少年からは戦闘とは違った威圧感が感じられた。
 壁に押し付けられ、身動き出来ない状態。
 それでも、あまり切羽詰まった気持ちにならないのは命の危機を感じられないからだろう。別の危機を感じてしまうが、この妙に色めいた雰囲気では致し方ない。
(はな、して・・・)
「逃がさないと言ったはずだよ」
 あえかな抵抗をしていた両手を纏めて片手で押さえ付けられ、少年であっても彼が戦う者なのだと少女に如実に知らしめていた。
 両手を拘束している手とは逆の手が少女の小さな顎を捕らえる。
 少年と真っ向から向き合うことを余儀なくされた少女の唇が小さく戦慄いた。
「訳が分からないという顔をしているね」
 何故だろう、何時もの皮肉気な声色なのに篭もる感情が何時もとは違う気がする。
(どう、した、の・・・?)
 病気で声帯を失い、声を無くした少女は他人の心の動きに敏感だった。
「ホント、あんたは危機感がないよ」
 少女の瞳に浮かんだ心配そうな色に少年は呆れた溜め息をついた。
「だいたい、人の心配をしている場合かい?自分の身が危ないっていうのに」
(でも・・・)
「だから・・・付け込まれるんだよ」
 少年の瞳に浮かんだ危険な煌めきに少女が息を飲んだその時、再び少女の唇が塞がれた。
 既に壁に押し付けられ、更には両手を拘束され。
 そんな状態で身動きなど出来るはずもなく。
 少年が与える深く濃厚な口付けはウブな少女にはあまりにも強烈だった。
 強く甘く貪られ、頭がくらくらしてくる。
 すぅっと体から力が抜け落ち、気が遠くなった一瞬。
 パラリ、と首の手術後を隠している幅広のチョーカーを外された。
 はっと意識が戻った時、首に濡れた感触と小さな痛みが走る。
 ぞくりと背筋を何かが通り、少女の肩が小さく震えた。
「何?感じているの?」
 少女の反応にくつりと笑みを零し、唇を寄せていた首筋から少年は顔を上げた。
 自分に触れていた少年の唇が濡れていることに気付いた少女の頬が赤く染まる。
「だから言っただろ。あんたのそんな態度が付け込まれるんだよってね」
 ペロリと少女の唇を舐め、唇に触れたまま喋る少年は妙に色気を放っていた。
(あ、あなた、私より年下じゃなかった!?どうして、そんな色気を持てるの!?)
 少女の頬が更に赤く染まったその時。
「おい、無事か!?」
 部屋の入り口と思われる方向から聞き覚えのある声が飛んでくるが、即座に焦った声色に変わる。
「おまっ、シンク、何してやがる!?」
 短くなっても燃え上がる炎のような印象を与える赤い髪の青年が自分の髪に負けない程顔を真っ赤にさせ、少女を押さえ込む少年に向かって叫んだ。
 続けて現れた他の仲間達も純情な者は少女と少年の態勢を見た瞬間、顔を赤くしている。
「・・・あーあ、時間切れか」
 ちらりと背後に視線を流し、少年は残念そうに呟いた。
「今日はあんた達とやりあう気はないんだ。今回はこれで引き上げることにするよ」
 唇の端を上げた皮肉気な笑みを浮かべ、少年はもう一度少女の唇を奪うと素早く姿を消した。
 少年から解放された少女はその場にへなへなと座り込む。
 その顔は完熟トマトに負けない程真っ赤だった。
「えっと・・・災難だったわね」
 マロンシルバーの髪の少女が頬を赤くしたまま、座り込んだ少女へ手を差し出す。
(あ、有り難う・・・)
 軍人とは思えない細い指にどぎまぎしながら自分の手を預け、立ち上がるのを手伝ってもらった少女はやたらと視線を感じる方向へ目を向けた。
 自分をじっと見ていた赤い瞳と視線が合い、少女はコクリと首を傾げる。
「で、何をされたんですか?」
(た、大佐?)
 顔はにこやかな笑みを浮かべているが、赤い瞳は全く笑っていない。
 背筋に冷や汗を流し、思わず後退りしかけた少女の顎を取ると彼は少年が残した跡を視界に収めた。
「烈風のシンク・・・いい度胸ですね。私の娘に手を出すとは」
「旦那、旦那。いつからこの子は旦那の娘になったんだ?」
 少女とはこの旅で初めて顔を合わせただろうと金髪の青年が思わず突っ込むと、にこやかな笑みのまま食えない軍人はさらりと言い放った。
「私が保護者になりますと言った時からです」
「最初からかよ・・・」
 赤い髪の青年の呟きはしっかりと軍人さんに聞かれ、笑わない赤い瞳が青年へ突き刺さった。
「何か言いましたか、ルーク」
「い、いや、別に」
 凍える赤い瞳に青年は思わず後退りして首を振り、それを見ていたツインテールの少女がポツリと零す。
「大佐がお父さんだと本当に色々と大変になりそう」
「まず、確実にこの子にまとわりつく虫達は叩き落とされますわね」
 確信に満ちた口調で王女様が断言すると金髪の青年がうんうんと同意の頷きを返し、『私の娘』宣言された少女の頭にぽんと手を置いた。
(因みに、青年の体質である女性恐怖症は少女が無駄に発揮する妹気質の為か、彼女に対してだけ発現しなかった)
「まあ、色々と大変だろうが・・・頑張れ」
(いえ、頑張れって言われても)
 眉根を下げた微妙に情けない表情で金髪の青年を見上げれば、同情している顔で更に少女の頭を数回叩く。
「旦那がお前さんを気に入っていることは確かだし、『娘』と思っているのもかなり本気だ」
 それは彼の態度から薄々感じていたことではある。
 だが、しかし。
(嬉しいのは確かだけれど、素直に喜べない・・・)
 少女の顔に浮かぶ複雑な表情に周囲にいた人物達はやはり、複雑な表情で笑う。
 あれだけはっきりと少女に恋着を示した少年が素直に諦めるとは思えず、かといって今回『私の娘』宣言した軍人が大人しく渡すとも思えず。
「頑固親父と片思い少年の争奪戦?」
「そんな可愛らしいもので済むとは思いませんわ」
「ジェイドだしな」
「そうね・・・確実に」
「修羅場だな」
(これから先が思いやられる・・・)
 戦闘とは別の争いが勃発するだろう事を思い、それぞれが溜め息をついた。

 彼等の予想が正にドンピシャだった事は後に証明されたのだが、この時はただただ、これからの騒動を憂いるだけであったのだった。



「試し書き・アビス夢(パターン1)」
※アビス未プレイです(笑)他サイト様の夢創作の知識のみですので、矛盾があってもご容赦を。