「とりあえず、あの中でならゆっくり説明してもらえますね?」
 にっこりと、赤い瞳の男が浮かべる食えない笑顔に彼女は何度目か分からなくなった、疲れたため息をついた。

 何時ものように異世界への扉を開き、異世界へ足を踏み入れた。
 しかし、踏み入れた先に広がっていた景色といえば。
「モンスター御一行様ですか」
 思いっきり視線が合ってしまい、相手が攻撃体勢に入ったことを確認すると黒真珠のような艶を持つ髪と黒真珠の瞳を持つ女性は深い溜め息をついた。
『主様、暢気になさっている場合ではありませんわ』
「分かっていますけれど、ね」
 飛びかかってきた一匹を身軽に避けた女性は腰にはいている刀に手を掛ける。
「取り敢えず。いきますよ、迦陵頻伽」
 スラリと斬魄刀を抜き放ちながら、女性は素早く『聖歌』を歌った。
『主様、今歌われても正確な旋律を紡げませんわ。得る情報も半端なものになってしまいます』
「もちろん分かっています。けれども、戦闘中にいきなり大量の情報を流し込まれるのも避けたいのです」
 新しい世界へ足を踏み入れた時、女性はまず『聖歌』を歌う。
 『聖歌』を歌う事で降り立った世界の情報を順序よく取り入れるのだが、一定時間情報を取り入れずにいると世界が勝手に情報を提供するのだ。
 半端ではない情報量を一気に流し込まれると良くて目眩、悪ければ気絶してしまう。
 戦闘中にそんな事態が起こってしまえば当然、即、死への直行便だ。
 半端な情報でも突然の情報流入よりマシだと、女性はモンスターを切り裂きながら『聖歌』を歌った。

(預言の世界・・・音素の力・・・ユリア・・・ローレライ・・・聖なる炎・・・レプリカ・・・)

 どうしても紡ぐ旋律がブレてしまう為に入ってくる情報はやはり、切れ切れの単語のみだ。
(どういう意味・・・?)
 内心で首を傾げながらも体は的確にモンスターを倒していく。
 数々の修羅場をくぐり抜けてきた女性にとって、目の前のモンスターの群れはそれほど脅威ではない。
 だからこそ手を動かしながら思考の一部を飛ばすという事が出来るのだが、そろそろモンスターがウザくなってきた。一体どこから出てくるのかと首を傾げたくなるほど次々と湧いて出てくるのだ。
 切りがないと判断した女性はタンッと大きく跳躍し、モンスターの群れから一旦距離を取る。
『主様?』
「切りがありません。手っ取り早く始解で片付けます」
『分かりましたわ』
 斬魄刀を構え直した女性の体から圧倒的な霊力が吹き上がった。
 霊力に押されたようにモンスター達の足が2、3歩後ずさる。
「『謡え、迦陵頻伽』!!」
 手にしている刀の形が変わり、更に細身になる。
 モンスター達を見据え、女性の唇から解放の言霊が放たれた。
 刀から吹き出た霊力が見えない音波へと変化してモンスター達に襲いかかる。
 大多数のモンスターが一度に消えた事で危険を感じたのか、残っていた他のモンスターもじりじりと後ずさった。
 女性が身に纏う霊力を更に上げ、残ったモンスター達を睨みつけるとようやくその場から姿を消したのだった。
『ようやく、ですわね』
「本当にしつこかったというか。どうしてでしょうね」
『それはわたくしにも分かりませんわ』
「それもそう・・・!?『舞い踊れ、迦陵頻伽』!!」
 体の表面を微かに撫でた何かに反応した女性は、思考するより先に言霊を紡いでいた。
 柄に巻き付いている純白の布が瞬時に解けて伸び、女性の周囲を取り囲む。
 霊力を帯びた布が突如、女性へと襲いかかった、魔力を含んだ風を防御した。
『危なかったですわね』
「ええ。けれども、今のは風の魔法。つまりは」
『・・・人の仕業、ですの?』
「モンスターは先程、全て追い払ったはずですから・・・そういう事になりますね。迦陵頻伽、このまま防御を続けます」
『分かりましたわ、主様』
 純白の布の防御を解くことなく、女性は風の魔法が飛んできた方向を見つめた。
「随分、失礼ではありませんか?無防備な相手をいきなり攻撃するとは」
 女性が見つめる先で一人の男が姿を現した。
 眼鏡の奥の赤い瞳が女性の黒真珠の瞳を見返す。
「それは、失礼しました」
 にこやかな笑顔、声。しかし、赤い瞳はまったく笑っていない。
 瞬時に理解した。
 この男はなにものにも心を動かされない。
 いい意味でも、悪い意味でも、彼が感情を動かすことはないだろう。
 女性の黒真珠の瞳に何を見たのか、対峙する男の唇の端が僅かに上がった。
「ですが、判別不能の音素を放出していた本人となれば、当然の行動です」
「で、問答無用の風の魔法攻撃ですか。私が只人だったら速攻で死んでいたのですけど」
 ボソリと呟いた女性の言葉に男の瞳が意味あり気に細められる。
「魔法?私が使ったのは譜術です。それに貴女はタービュランスを完全に防御しました。その見たことのない力で」
 はっと息を飲んだ女性に男は問い掛けた。
「貴女は譜術を知らない様子。その見たことのない防御術といい、一体、何者ですか」
 僅かな動揺を見逃さず、男の赤い瞳は言い逃れを許さない強さで女性を射抜く。
『主様。どうされますか?』
「この人相手にごまかしなど効かないでしょう。仕方ありませんね」
 軽くため息をつき、女性は防御していた布を戻すと構えていた斬魄刀も鞘に戻した。
「出ていらっしゃい、迦陵頻伽」
『よろしいのですか?』
「ごまかしは効かない人だと言ったでしょう。それに、すでに推測もしているようですし。余計な隠し立ては逆に不利となります」
「理解して下さっているようで助かります。私も歳ですから余計な労力は避けたいのですよ」
 眼鏡の位置を直し、どこまでもにこやかに告げる男を女性は思わず半目で見返した。
『失礼ですが貴方様はおいくつになりますの?』
 玲瓏たる美声が響き、男の前に純銀の髪と真紅の瞳を持つ、絶世の美女が現れた。
「おや。貴女はどなたですか?」
 突然現れた絶世の美女に驚く様子もなく、逆に美女を問い返す男に問われた美女も優雅に頭を下げる。
「失礼致しました。わたくしは迦陵頻伽と申します。そうですわね・・・刀の精とでも思って下さればよろしいですわ」
「ほう、刀のですか」
 呟いて女性へ視線を向ける男に女性は無言で両手を広げてみせた。
 女性の身体のどこにも持っていた刀がないことを見てとった男はそれで理解したようだった。
「成る程。そういうことですか。それで貴女の正体は?」
「もう、貴方は確信しているのでしょう?」
「それでも本人の口からはっきりしたことを聞くまでは断定出来ません。思い込みで間違った判断をするわけにはいきませんし、万が一にもその判断で危険に陥るとなれば尚更です」
 至極、当然の意見だろうと女性も内心で頷く。
 だがしかし、と女性は首を傾げた。
 目の前の男が持つ飄々とした雰囲気に既視感を感じるのだ。
 隙のない身のこなしや思考回路、本心を伺わせない笑顔のポーカーフェイス・・・そこまで思考を巡らせ、そして次の瞬間、女性はガクリとうなだれた。
(三番隊隊長と似たようなタイプの人ですね、きっと)
 性悪銀狐と一部であだ名されていた男を思い出し、女性は眉間に指を当てると深いため息をついた。
 おそらくは仕事も似たようなことをしているのだろう。
 纏っている服や男の雰囲気を見れば、軍属の人間だろうと推測できた。
 女性の表情の変化や身振りをどこか面白そうに、食えない笑顔で見ていた男にポツリと問い掛ける。
「・・・その思考回路から軍属の方と見受けられるのですが」
「ええ、そうです」
 肯定の頷きを返すだけでそれ以上の情報を出そうとしない男に女性はまたもやため息をつく。
「本当に相手が悪いです・・・」
『主様?』
「心配しなくてもいいですよ、迦陵頻伽。ただ、どうやって説明しようかと悩んでいるだけですから」
「おや、説明するのに悩む必要があるのですか?」
「複雑なのです、事情が。そうそう短時間で済ませられるものでは・・・」
「確かにこんな場所で手短に説明を求めても難しいですね。ならば、あそこではどうですか?」
「あそこ・・・?」
 視線を流す男につられ、女性も男の背後へ視線を向けた。
 そして、視界に入ったものに思わず瞳を見開く。
 気付かなかったのが不思議なほど巨大な戦艦がそこにあった。
「とりあえず、あの中でならゆっくり説明してもらえますね?」
 にっこりと、赤い瞳の男が浮かべる食えない笑顔に彼女は何度目か分からなくなった、疲れたため息をついた。

 彼女が世界の運命に巻き込まれた瞬間だった。



「試し書き・アビス夢(別パターン)」