アヴェンチュリンの王子が呪いで深い眠りに陥った。
 その呪いを解く為に選ばれたのは二人のリプル(王宮魔術師)の卵。
 協力者として6つの国の王子達。
 そして、一人の女性もまた、協力者として王子の部屋に立っていた。

「俺の友人だ。女の身だがすこぶる武の腕が立つ。信用はリプルの俺が保証する」
 王子の呪いを解こうとして逆にアヒルの姿にされてしまった男の紹介を受け、女性はゆるりと頭を下げた。
 下げていた頭を上げ、彼女が浮かべた微笑みは紹介した男が言うような、武を扱う者とは思えないほど優し穏やかなものであった。

 城内の廊下を小走りに走っていたリプルの卵の少女は反対側から歩いてくるほっそりとした姿を認め、ぱっと顔を輝かせた。
「こんにちは!」
「こんにちは、クリム。これから修練ですか?」
「はい!」
 穏やかに微笑む女性に少女は満面の笑顔で頷く。
 初めて顔を会わせた時からこの女性は穏やかな微笑みを崩す事がなかった。
 不思議な落ち着きと外見の割に老成している瞳は少女に安心感を与え、あっという間に少女は女性に懐いた。
 少女の笑顔を微笑んで見つめていた女性だったが、ふと何かに気付いたように細い指先を伸ばす。
「クリム?顔色が悪いようですが」
 少女の顎に指を絡め、女性は顔を覗き込んだ。反対側の手で目の下から目尻へとそっと撫でる。
「え?あ、大丈夫です。その、夕べ、魔法書を読んでいたら夜更かしをしちゃっただけなんです」
「そう、ですか?」
 それだけではないだろうとは思ったが、深く聞くことはせず顎に触れていた指を少女の柔らかな髪に置いた。
「ならば、いいのですが。無理はしないで下さいね?頑張る事はいい事です。けれども、それが無理に繋がる事は誉められた事ではありません。分かりますね?」
「はい」
 素直に頷く少女の頭を何度か撫で、女性は優しく微笑んだ。
「では、いつまでも引き止めてはいけませんね」
 何度か撫でた手を下ろすと少女は女性へ笑顔を向け、ぺこりと頭を下げた。
「はい、では、また」
 微笑みながら少女を見送った女性だったが、少女の背中が見えなくなるとスッと微笑みを消した。
 静かに一人の名前を呟く。
「迦陵頻伽」
『お呼びですか、主様』
 玲瓏たる美声が響き、純銀の髪と真紅の瞳の絶世の美女がふわりと現れた。
「クリムに気付かれないようにユノを呼んできて下さい」
『賜りましたわ』
 優雅に頷き、美女が姿を消すと女性はそのまま廊下に佇み、外を眺める。それ程時を置かず、美女が小さな妖精を伴って女性の元に戻ってきた。
「ああ、ユノ。呼び立ててごめんなさい」
「ううん、それはいいんだけど、クリムに内緒で呼ぶって事はさ、もしかして・・・」
 やたらと元気なところが目立つが、リプルである男が愛弟子の為に付けた妖精だ。色々と細かい事に気付くし、察しもいい。女性が自分を呼んだ理由も十分に気付いていた。
「ええ、クリムの事です。先程、クリムは大丈夫だと言いましたが、とてもそうは思えないのです。差し支えなければ最近のクリムの行動を教えて欲しいのですが」
「うん、あたしもクラウディに相談しなきゃなって思っていたところだから」
 女性の心配を当然だと頷いた妖精はここ数日のリプルの卵の少女の行動を説明する。
 それを聞いた女性は思わず額に手を置いて溜め息をついた。
「クリムも素直と言うか、生真面目と言うか」
『主様・・・この場合は両方と言うべきではありませんか?』
「修練の成果がなかなか出なかった事も原因だと思うけどさ」
 この数日、少女は午前は各国の王子達の元へ、午後は修練、そして夜は魔術書で勉強という生活パターンである。
 だが、王子達が希望すれば笑顔で話相手を務め、修練では日が暮れるまでほとんど休みを取らず何度も訓練を繰り返し、修練の後は夜遅くまで魔術書で勉強をしているという。
「王子達も余計な事を言ってくれたものです」
 ある王子からは修行は大切だと説かれ、また別の王子からは知識を深める事は必要だと言われ、各王子達から期待している、頑張れ等と言われれば。
「自分ではプレッシャーを感じていなくても、必要以上に頑張っちゃうよねぇ」
「けれども、クリムの行動は確実に『頑張る』を通り越して『無理』の域になっています」
『主様。クリム様は聡明ですが、幼いと言ってもいいほど若い方です。自分が無理をしていると気付いていらっしゃらないのではありませんか』
「あ、それ、有り得るよ。クリムってホント、真っ直ぐだもん」
 真っ直ぐだからこそ、王子達に言われた事に真面目に取り組んでいるのだろう。
 うんうんと頷く妖精に視線を向け、女性は至極真面目な顔で確認した。
「ユノ。これはもう、師匠の出番ですね?」
「うん、間違いなくね」
「分かりました。ならば、私がクラウディをクリムの所へ行かせます。・・・どんな手を使っても」
「う、うん、お願いね」
 最後に付け加えられた台詞と笑顔に妖精はやや引きつった顔で頷いた。
 ・・・台詞と笑顔からもの凄い圧迫感を感じたと、妖精が語ったのはかなり後の事である。

「クラウディ?入ってもいいですか?」
「おう、いいぜ。入れよ」
 扉をノックし、入室の許可を得た女性は遠慮なく室内へ足を踏み入れた。
「クラウディ、何か手掛かりを見つけられましたか?」
「あー、さっぱりだ。俺達リプルでさえ御伽噺だと思っていた程、昔の事だからなぁ。資料自体がなかなか見つからない」
 王子にかかった眠りの呪いを解こうとして、逆にアヒルの姿にされてしまった男の言葉に女性の眉間に微かな皺が寄った。
「あ、悪い、一番上の棚の緑の表紙の本を取ってくれないか。銀で周囲を装飾している奴」
 男の頼みに指定の本を取り、女性はそっと執務机の上に置く。
「ところでクラウディ。最近、クリムに会いましたか?」
「クリム?そういえば、最近顔を見ていないな。まさか、あいつ等と何かあったのか?」
「それこそまさかです。はっきり言って、クリムの人気は物凄いですよ。あれほど真っ直ぐで、とことん素直な子を嫌いになる人はいないでしょう」
 男が言う『あいつ等』が各国の王子達の事だと察した女性が即座に否定すると男は自慢気に頷く。
「ああ、クリムは俺の自慢の愛弟子だ」
 男の言葉に女性は内心で溜め息をついた。
 これでは少女が頼ろうとしても頼り難いだろう。
 少女が必要以上に頑張る原因の一つが自分にあるとは思っていない男はすでに本の内容へ意識を向けている。
 少し考えた後、女性はツカツカと男の側に寄った。
「クラウディ」
「ん?何だ?・・・って、おいっ!?」
「ちょっと師匠をしてらっしゃい!」
 女性はアヒルと化した男の首を鷲掴み、有無を言わさず大きく開いていた窓から外へ放り出した。
「のわああああぁぁっ!?」
                「きゃああぁっ!?師匠ーっ!?」
 男の悲鳴に重なるように、彼の愛弟子の悲鳴も辺りに響いた。
 アヒル姿の男が少女の腕の中に無事にキャッチされた事を見届けた女性が満足そうに頷く。
「これでいいですね」
『主様。少々強引・・・いえ、乱暴ではありませんか?』
 玲瓏たる美声に呆れた響きを滲ませ、斬魄刀の化身である絶世の美女が現れた。
「あれぐらいしなければ、クラウディは動きませんよ」
 愛弟子への信頼からだろうが、数日顔を見せなくても心配などしていなかった男の姿を思い出し、美女も口を噤んで窓の外・・・師匠と愛弟子へ視線を向けた。
 そこでは愛弟子の魔術を見ている男の姿があった。
『確かにこれでクリム様が落ち着かれるのでしたら、手段などどうでもよろしいですわね』
 ・・・何だかんだ言いつつも、主と似たような判断基準を持っている美女であった。

「きゃうっ」
 可愛らしい悲鳴を上げ、リプルの卵の少女はペタンと尻餅をついた。
 目の前では失敗した魔術の名残である煙がすぅっと消えているところで。
 またもや魔術を失敗した事に少女は溜め息をつく。
「こんなのでは駄目なのに。レグラント様を助けなきゃいけないのに」
 自覚はないが、少女は見事に煮詰まっていた。
「王子様達にも頼まれているし、師匠も懸命に手掛かりを探しているんだもの。これぐらいで音を上げちゃ駄目よね」
 うん、と気合いを入れて立ち上がったその時。
 少女の耳に尊敬してやまない師匠の叫び声が届いた。
「のわああああぁぁっ!?」
 視線を上げれば綺麗な放物線を描いて飛んでくる白いアヒルの姿。
「きゃああぁっ!?師匠ーっ!?」
 思わず釣られて悲鳴を上げながらも、とっさに両手を広げて何とかアヒルを受け止めた。
「し、師匠、大丈夫ですか?」
「ああ・・・何とか、な。お前のお陰で助かった。有難うな」
「それは良かったです。でも、どうしてこんな事になったんですか?」
 腕に抱いていたアヒルの師匠を地面に降ろしながら少女が首を傾げると、男も理解不能といった溜め息をついた。
「俺にも何が何だか・・・いきなり放り出されたからな」
「えっと、誰にですか?」
 例えアヒルの姿に変えられようともリプルの彼を放り出すとは随分思いきった事をしたものだと少女が首を傾げて尋ねると男は視線を自分の執務室の窓へと向けた。
 窓際に立つほっそりとした姿に少女の瞳が見開かれる。
「え?ど、どうして?」
「それが分かれば・・・ん?」
 不意に男の声が途切れ、愛弟子の顔をしばらく見つめる。そうして、深い溜め息をついた。
「成る程、そういう事か」
 手があれば、ガリガリと頭を掻きそうな雰囲気に少女はコクリと首を傾げる。
「師匠?」
「ああ、何でもない。それより、この際だ。修行を見てやるよ」
「でも、師匠。レグラント様の手掛かりを探すのに、大変なのでは」
「気にするな。と言うか、悪かったな」
 突然の謝罪に少女は思わず瞳を瞬かせた。
「師匠?」
「ずっとお前を放り出していた上に、俺は手当たり次第に資料を漁っていたからな。何かを相談したくても相談しにくかっただろう」
「いえ、そんな事は・・・」
 ふるふると首を横に振る少女を苦笑の混じった声で男が止めた。
「まあ、どちらにせよ、今から部屋に帰るのも骨だしな。籠もっているのも気が滅入る。だから、気にするな」
 男の変わらない口調に少女の表情が徐々に明るく輝いていく。
「さ、お前が煮詰まっているところはどこだ?アドバイスぐらいは出来るぞ」
「はい、師匠!」

 そんな師弟の光景を男の執務室の窓から女性は見つめていた。
「ねぇ、迦陵頻伽」
『はい、主様』
「平和、ですねぇ」
『そうですわね。この国の王子が呪いにかかるという事件がありますが、だからといって暗殺者がはびこる訳でもありませんし、周辺の国が攻め込む事もありません』
「それに、この世界はモンスターの類も多くないですし」
 美女も窓から外を眺めた。
 アヒルになった男のアドバイスを聞いているのだろう、少女が真剣に頷き、両手を構えている。
『主様の言う通りですわね。本当に平和ですわ』
 仲睦まじい師弟の姿を微笑ましく眺める、こちらも気の合った主従であった。



「試し書き・リプルの卵夢」
※修練で何度も失敗した時、思わず「師匠ーっ!助けろーっ!!」と思ったことが切っ掛けだったり(笑)