桜散る夜に
ふんわり、ひらひら、花びらが舞う。 咲き誇り、舞い踊り、仄かな月明かりに幻想的な光景を見せつける。 ・・・クス、クスクス・・・フフッ・・・ 夜風に乗り、密やかな笑い声が辺りに響く。 楽しそうな、子供のような声が・・・ トン、トトンットン、トットトットンッ・・・ ステップを踏むような楽し気な足音。 静かな夜の空気の中に、それらは響く。 ザァッ・・・ 一陣の風が吹きすぎ、地面に落ちていた花びらをも巻き込んでひとときの花嵐を演出する。 「・・・ティムカ、様?」 不思議そうに、やや、驚いたように、桜の下でステップを踏んでいた栗色の髪の天使が教官の名を紡いだ。 「こんばんは、アンジェリーク。綺麗な夜ですね」 大人びてはいても、顔立ちには幼さが残る品位の教官はにっこりと笑いながら四つ年上の教え子に話しかけた。 「こ、こんばんは、ティムカ様」 慌てて礼を返しながら、ちょっとだけ首を傾げる。少年は確かに、『綺麗な夜』と言った。 天にある月のことでも、側にある桜のことでもない、この夜自体が、『綺麗』と。 疑問を顔に浮かべていたのだろう、少年はくすくすと笑い、言葉の謎解きをしてみせた。 「月も桜もそれは綺麗ですけど、この二つが揃ってこそ醸し出す美しさがあるでしょう?そして、夜の空気が更に磨きをかけて・・・全部をひっくるめて『綺麗な夜』と言ったんですよ」 『ね?』と微笑む少年に、少女も笑って頷く。 「でも、さっきの説明って、セイラン様みたいでしたね」 他意はないだろう、少女の言葉が微かに胸の痛みを呼び起こす。 この少女は感性の教官との仲がどちらかというと、良好な方だった。 ・・・微かな、本当に微かではあるけれど、これは嫉妬が呼び起こす痛み。 「そうですか?」 それでもそんな素振りを見せず、少年は首を傾げてみせる。 「ええ。ティムカ様、感性の授業も出来るんじゃないんですか?」 明るく、屈託なく少女は笑う。 その周りで桜の花びらが舞う。 少女の動きに合わせ、栗色の髪が揺れる。 月の光を受けたサファイアの瞳が、好奇心に溢れた輝きを宿す。 「それは無理ですよ。僕はセイランさんほど芸術に詳しい訳ではありませんから」 綺麗なものを綺麗といっているだけ。 この光景を綺麗と言えるのも、少女がいるからこそ。それを少女は知らない。 一幅の絵画のように幻想的なこの風景、この光景も少女がいなければ魅力は半減してしまう。 ・・・もっと、見ていたいという魅力がなくなってしまう。 「アンジェリーク、一曲踊ってくれませんか?」 「え?・・・えぇっ!?」 「さっき、踊っていたでしょう?」 「ヤ、ヤダ、見ておられたんですか?」 恥ずかしさに真っ赤になった頬を押さえ、照れている少女にくすくすと笑いながら、少年はそっとその手を取り、優雅にダンスを申し込む礼をとる。 「僕と踊ってください」 「・・・私、ステップなんて、知りませんよ?」 「ええ」 「・・・足、踏んじゃいますよ?」 「大丈夫です。僕がリードしてあげますから」 少年の自信に満ちた答えに、少女は急にどぎまぎし始め、けれども好奇心には勝てずにコクン、と頷いた。 とたんに、少年は満面の笑みを浮かべる。 「あはっ、嬉しいな、あなたと踊れるなんて。大丈夫ですよ。僕が教えてあげます」 再び少女の手を取り直した少年は少女を軽く引き寄せ、右手をその腰に回し、左手で少女の右手を取った。 「手を、僕の肩に置いて下さい」 更に間近にせまった少年の顔にますます赤くなりながら、少女は言われた通りに左手を少年の肩に置く。 「ステップは、こう・・・」 少年に教えられた通り、ごく簡単なステップを踏むだけで優雅に踊れ、そのことに少女は驚いた。 おそらく、目の前の少年のリードがあるからだろうが、それでもその体験は新鮮で少女を夢中にさせるには十分だった。 くるり、くるりと優雅なターンを描き、少女と少年は桜の下で踊る。 桜舞い散る中で踊る、一種、夢の中のような感覚は少女を夢心地に誘う。 「アンジェリーク」 うっとりと踊りの流れに身を任せていた少女の耳に、少年のやや掠れたような声が流れ込んできた。 「はい?」 我に返った少女が慌てて至近距離にある少年の顔を見ると、熱っぽい瞳をした少年が熱心に見つめていたことに気付く。 「ティムカ、様?」 何時の間にか踊りは止み、しかし腰に回された腕は外れない。それどころか、力が増して、いる? 「あ、あの・・・」 「好きです」 言葉と同時に、唇が触れた。 「あなたが、好きです」 唖然としていた少女の思考に、その言葉が浸透した途端、ぼぼっと顔に火がついたように真っ赤になった。恥ずかしさに少年の顔が真面に見れず、視線が下に向かう。 「アンジェリーク?」 サラリと髪をかき上げられ、少年の掠れた声が少女の名前を呼ぶ。 「あなたは?アンジェリーク」 頬に手を当てられ、視線が合わさる。 「・・・お願いです、答えてくれませんか?」 頬に当てられた手が、震えていることに少女は始めて気がついた。 少年が、真剣に答えを求めていることに気がついた。 「・・・私も、好きです」 頬に当てられている手に、自分の手を重ね、少女はにこりと笑った。 「ティムカ様が、好きです」 瞬間、大きな息をついた少年が少女を抱き締める。 想いが叶ったことが嬉しくて、とても嬉しくて、少女の体を力一杯抱き締めた。 「有り難う・・・」 一言呟き、少女の肩に少年は顔を埋める。 「ずっと、ずっと、あなたを大事にしますから・・・」 桜散る夜に、聖なる誓いが立てられる エイエンに トワにと 愛する人に誓いを立てる 「ずっと、一緒ですね?」 証人はこの桜の樹 花びら舞うこの夜に、誓う そして、誓いの口付けが交わされる・・・ 桜散る夜の聖なる誓い、聖なる出来事 それは、ずっと続く幸せ END |