KISS

KISS


 一目惚れだとか、恋愛話の始まりは幾つもあるけれど
 キスから始まる恋だって良い

 濃厚なキスシーンを偶然目撃した人物の反応は実に様々あるだろうが、ここでは金の髪と翠の瞳の花も蕾の十六才《 女王候補アンジェリーク》 を取り上げよう。
「・・・・・」
 唖然呆然立ち尽くす。
 気配に気がついたらしい男が視線だけアンジェリークに向ける。
 その視線が真っ向からぶつかる。
「っ!」
 一気に首筋まで赤く染めるのと踵を返すのはほぼ同時、脱兎のごとく逃げ出した。
 ・・・・・実に、見られた方に気まずい雰囲気を叩きつける反応である。
「しまったぁ」
 《 森の湖》 別名を《 恋人達の湖》 という閑静な場所で、馴染みの女性とかなり濃厚なキスシーンを演じていた守護聖一のプレイボーイ《 炎の守護聖オスカー》 は、自分の失敗を悟った。
「あら?あれ、アンジェリークじゃなかったかしら?」
「知っているのか?」
「ウチの店の働いてるコなら皆知ってるわよ。よく公園だとかで会うから」
 『どんな冗談にも素直に反応するもんだから皆のお気に入りなの』と、妖艶な肢体に似合いの仕草で青年に体重を移す女性は、飛空都市の片隅にある『春を売る店』の売れっ子である。
「そうか」
 何時もの自信にあふれた青年でないことからあることを察した女は、口元に皮肉な笑みを刻んで言った。
「成程ねぇ、あの子の為に私達との関係清算してるんだ」
 『バレた』と内心思うオスカーであった。
 あくまで遊びの延長、遊びの恋、決して本気の愛ではない。双方それを前提とした、それでもその時々はある程度の感情があったが故の行為、寝物語。元来この手の女性は仕事は仕事として嫉妬することはあまりないが、それでもバレて楽しい結果が待っている訳があるまい。
 ・・・・・の筈だったのだが、
「あの子なら良いわ。皆も反対しないと思うし」
 予想外の反応だ。
 『簡単に諦めるには良い男過ぎるけどね』と、女は笑って言った。本気にならないのが掟の筈だが、時々本気になりたくなる程の『良い男』だっている。深紅の髪とタンザナイトの瞳のこの男だとか。だけど、あの子なら、
「あれだけ完全に逆なタイプでしょ?諦めもつくわよ。あんな子には逆立ちしたってなれないもの」
「すまない」
「止めてくれません?そういうの。私達はそれが仕事、貴方はお客様。極上のお客様がいなくなるのは悲しいですけど」
 『最後のキスをくれません?』 甘える声に、オスカーは唇を寄せた。
 唯一人を定めてしまったからこそ、過去の恋に対する決別のキスを。

 『避けられている』とは、何の被害妄想でもなく真実である。自分が悪いのだが。
 よろしくしていた女性達と手を切って、晴れて『フリーになってから』と思っていた少女を口説きにかかろうとした途端である。如何に百戦錬磨の色事師でも、避けられては口説けない。
 『金糸の髪と緑柱石の瞳の天使様』、それが彼の想い人である。唯一無二の。
 例のキスシーンからこっち、流石に無邪気な少女も彼に対して警戒心を持ったのか一人で彼の執務室を訪れることがなくなった。訪れる時は彼が苦手とする人物のオマケ付きである為に、口説くことなど夢のまた夢である。
「ちくしょう」
 思わずそんな言葉が唇を突いて出てしまう。会えても保護者同伴、一人の時を見つけてもすぐに逃げられる。こんな状態が続けば仕方ないといえよう。
 だからといって、諦めることが出来る程簡単な恋ではない。
 年上の近所のお姉さんに初めて恋した時のことを決して忘れることはない。今の恋が、鮮やかで華やかで、だからこそそれ以上に艶やかに散った恋とは違う点といえばそこだろう。大切にその心を守って、暖めて、やっと蕾をつけたこの恋を、忘れることは出来ないだろう。上手くいっても、壊れても。もっとも、壊す気なんて、かけら一つないのだが。

 『避けられてるなら、避けられない状況を作ってしまえ!』とばかりに、彼は少女に断る理由がほぼない時を選んで声をかけた。平日は『育成がある』と言われては無理強い出来ない。日の曜日は『約束がある』と言われれば引き下がるしかない。では、一体何時かといえば、
「よぉ、お嬢ちゃん」
「今日和、オスカー様」
「大陸の様子はどうだった?」
 土の曜日の恒例『大陸巡り』の終わった後である。
「やっと半分ぐらいですから、まだまだこれからです」
 愛らしい笑顔と隠された強い心をかいまみせた強い声に、オスカーは薄く笑みを浮かべる。相変わらず真っ直ぐな心の少女が愛しくて仕方ない。
「お嬢ちゃん、少し時間はあるか?まだお嬢ちゃんも見たことのない筈の場所を案内したい」
「でも、部屋に帰って資料を読まないと」
「何も今すぐじゃなけりゃいけないわけじゃないだろ?」
「えぇ」
「なら決まりだ。行こう」
 強引に決めつけ、少女の肩に手を回すとオスカーは少女が仮に住まう特別寮とは全く別な場所を目指したのである。

「今日は有り難うございました」
「いや、気に入ってもらえたかな?」
「はい。飛空都市にもあんな花畑があるだなんて知りませんでした」
 少々興奮気味に少女は瞳を輝かせて頷いた。公園の花壇と違った自然の野の花の咲く花畑はアンジェリークの好むもので、たまってきていた慣れない生活の疲れも完全に吹き飛んだ感じすらする程だ。ついでに、オスカーに対する警戒心もだが。
「また今度一緒に行こう」
「はい!楽しみにしてます」
 煌く瞳に浮かぶ純粋な好意は心地良くて、青年は目を細める。
「じゃぁな」
 軽く言って、少女の額に挨拶のキスをしようとして、止めた。

 永遠の刹那  もしくは  刹那の永遠

 理性の楔は外れ、少女を求める
 触れるだけでは飽き足らず、小さな唇を割って進入する
 深く、より深く・・・・・貪って、分け合う

『バシンッ』
 威勢の良い音が特別寮の金の髪の女王候補の部屋の前の廊下で響いた。
 弱い子供のように泣き出すかと思われた少女は、だけれど燃えるような瞳で青年を睨みつけた。『自分』というものを無視した行為を、少女は決して許すようなことが出来ず、またその怒りは正当である。
『バタンッ』
 怒り具合を知らせるように、扉が音を立てて閉じられた。
 廊下に立ち尽くす青年は、能面のような顔をしていた。少女を傷つけた自分に対する怒りとそれと同じだけの口づけの満足感がぶつかり合い、反発し、溶け合い、彼の顔に感情が外に現れることはなかった。

 柔らかに濃紺の髪を結い、煌く紫紺の瞳の美女に近しい美少女が何処となく不機嫌そうにチャイムを鳴らした。
「はい?」
「私よ、開けて」
 傲然と言い放つその口調には、『自分の意志が通らぬ訳がないのだ』との自信にあふれている。その態度は本来あまり良いものとは言い難いが、それが不快と思わせない何かが彼女にはあった。大人びていながら、まだ少女でしかない甘さの残る雰囲気のせいかもしれない。
「あんた、この頃どうしたの?」
「何が?」
「しらばっくれないで。ちゃんと分かってんだから」
「だから、何?」
 椅子に深く腰掛け、腕を組み、『ツン』とあごを反らせ気味に彼女、少女と同じく試験を受ける《女王候補ロザリア・デ・カタルヘナ》 は言った。
「オスカー様のことよ。この頃ずっと避けてるでしょ?そろそろエリューシオンにも炎の強さが必要な筈なのに、近づきすらしてないじゃない。・・・・・何かあったの?」
 炎の守護聖の名を聞いた途端に身体を震わせた少女の様子に、ロザリアは眉を寄せて問いかけた。
「何があったの?」
 人懐こい少女の性格と嘘がつけない体質を知り尽くしているからこその問いかけの形。無防備すぎて放っておけないこのライバルのことで、ロザリアの分からないことはその反対に比べて極端に少ない。
「何があったの?」
 『ぽろぽろ』と真珠のような涙を零す少女の様子に、幾分柔らかな口調で彼女は問いかけた。母親が子供を宥める時のように、柔らかな髪を優しく撫でる。
「『ローズ』姉さん」
 アンジェリーク同様ロザリアもまた賑やかな公園へ足を運ぶことが多々あり、そこで知り合った女性の源氏名に首を傾げる。
 透ける金の髪に薄茶の瞳  雪色の肌
 源氏名『ローズ』の示す通りに誇らし気に咲く大輪の冬の薔薇のような人
 職業に関してはあまり良い感情を持てないけれど、彼女を含める徒花のような『花々』のその誇りには一目置いている。己自身だけを頼みとして、磨きをかけ、更に艶やかに輝き、それを持って何人もの男達を惹きつけて止まない魅力としていることに気がついたからだ。気がついたのは、目の前のこの少女のお陰だ。
「『ローズ』さん、がどうかしたの?」
 彼女は『花園』の『花々』のなかで最もアンジェリークを可愛がっていた人の筈だ。それは確かなこと、記憶違いなどでは決してない。
「オスカー様と森の湖にいたの」
 別段おかしくはない。『美しい女性を見つけたら声をかけるのは男の使命』とまで言い切るようなプレイボーイのオスカーだ、『ローズ』を口説いていたとしても、驚くことはない。
「で?」
「キスしてたの」
「で?」
「この間の土の曜日に、私もされたの」
 マ・サ・カ?
「まだ、誰ともだったのに・・・・・」
「一つ良いかしら?」
「何?」
「挨拶のキス以上だったの?」
 翠の瞳に異様な光を宿して、少女は言った。
「以上なんて可愛いものじゃなかったわ」
「・・・・・」
 『こういう目を俗に『座っている』というのだろうか?』と思ってしまうような、硝子の瞳である。マジ、怖い・・・・・
 その迫力に顔を引きつらせたロザリアであったが、
「あんたはどうだったの?」
「え?」
「オスカー様にキスされて、どうだった?」
 突然の問いかけに『きょとん』とする幼い親友に、ずっとずっと何倍も大人びた少女は問いかける。何時ものあどけない子供のような表情のアンジェリークの姿に、心は平静を取り戻した。
「そんなに怒るのってさ、あんたがオスカー様のことを本気で好きだからじゃないのかしら?」
 赤い唇に指先を当て、考える仕草、首を傾げる。『人のことを言える程に恋愛経験があるのか?』と言われれば、全然そんなことないのだけれど・・・・・
「本気だから、そんなに怒ってんじゃないの?」
「・・・・・違うわよ」
「別に、私はあんたがどんな道を選ぼうが関係ないけど」
 続けて、不機嫌そうに顔を背けて少女は言う。
「後悔だけはするんじゃないわよ」
「ロザリア?」
 照れ隠しに少女は更にあさっての方向に顔を向けた。

 『ばしゃんっ』  水の跳ねる音
 『ばしゃんっ』  滴が落ちる音
「違うもん」
 『ポツリ』と頬を膨らませて少女は呟く。
「違うもん」
 『キリッ』と唇を噛んで少女は言う。
 脳裏に浮かぶ、深紅の炎を振り払うように何度も幾度も首を振る。振る度に、炎は強さを増していく。
「オスカー様なんて嫌いだもん」

「オスカー様なんて嫌いだもん」
 突然聞こえた声に、心臓を掴まれたような気がした。もしくは、割られたガラスの破片で裂かれたような気がした。
 『かさり』と微かな葉擦れの音がして、初めて手近の木の枝を握っていたことに気がついた。少女には音が届かなかったのか、あどけない子供のように湖に足の先を浸して遊んでいる。

 煌く湖面の輝きを受けて、夢の存在のようにそこにいる少女、最愛の・・・・・

 『自分だけをその瞳に映して欲しい』と願っても、きっと少女は逃げ出すだけ。
 想いは届かないのか。どれ程自分が想っていようとも、彼女に届くことはないのか?
 ・・・・・いっそ、いっそ何処かに攫おうか?誰も知らない場所に連れ去ろうか?それとも、どんな抗いも拒絶も受け付けず、華奢な身体に所有の刻印を刻み、自分を刻み付け、二度と俺から離れられないように?
 出来る訳がない、か。攫えば、二度とあの笑顔は見られない。輝く笑顔、かいま見るだけでもあれ程の幸福感を与えてくれる笑顔が、二度と少女から失われるだろうに、分かっていながら出来る訳がない。なら、後者は?・・・・・やはり無理だ、出来はしない。怒りに燃えた翠の至宝は、それは美しかったけれど、あんな少女を見たくない。あんな顔は優しい少女には似合わない。
 笑っていて欲しい。誰よりも愛らしいその笑顔が見たかった。だが、もうどうすれば笑いかけてくれるのかも分からない。何人もの女性を抱いた腕も身体も、少女の嫌がるだろう愛情表現しか出来なくなってしまったのだろうか?
 この苦しみから逃れる最も簡単な方法は想いを断ち切ることだ。・・・・・想い、切れるだろうか?否、断じて否!それこそ出来ぬこと。
 その心を得る為ならば、死すら厭わぬ程、愛している。

 拗ねた子供のようにがむしゃらに足をバタつかせ、少女は何時も静かな湖水を騒がす。
「嫌いよ、オスカー様なんて!」
 一際大きく湖水を揺らせ、少女はため息をついた。
「・・・・・オスカー様」
 切なく漏れた吐息が湖面を滑り、今までの言葉全てを裏切った。

「・・・・・オスカー様」
 小さな唇から漏れた吐息の切なさに、心臓の鼓動が早くなる。
『・・・・・タイ』
 欲望  だけれど、抗えぬ魔力を持った声は誘う。
『コノテノウチニテニイレタイ』
 胸の奥から聞こえる声、自分のだ。
『テニイレロ』
 頷いたのもまた、他でもない自分だった。

「さぁて、帰ろっと!」
 奮起するように少女は声高く言うと脱いでいた靴下や靴を履いて立ち上がる。ふわふわした髪が動きに合わせて動く。愛らしい少女には似合いの可愛い感じの制服のスカートもまたそれに倣う。
「?」
 振り向いた途端に、壁に激突しそうになった。こんなところにそんな物がある筈ないのだが?
「よぉ、お嬢ちゃん」
 『ぴしっ』と少女は凍りつく。会いたくない人に、どうして会いたくない場所で、こんな風に出会わなくてはいけないのか・・・・・
「こ、今日和、オスカー様」
 引きつった笑顔と上ずった声が精一杯だ。
 逃げ出すように出口に行こうとする少女、その腕が掴まれる。
「離して下さい」
 嫌がる子供のように腕を振る少女であったが、鍛え上げられた大の男の手から逃れることなど出来はしない。二の腕を掴まれて、身動き出来ない。

 覆いかぶさるように、唇が寄せられた。
 触れ合うだけでいながら、本気のキスだった。
 それが、分かった。

 頭の中が真っ白にフラッシュバックする。
 染み一つない真白の脳裏
 まるで翠の硝子のような瞳に映るのは誰?
 乾いた砂に染み込む水のように流れ込む感情、想い

 貴方、誰?
  あなた、だれ?
   アナタ、ダレ?
    貴方、誰?
     あなた、だれ?
      アナタ、ダレ?

 永遠に続くようなその声

『愛している』

 ウソツキ、ホカノヒトガスキナノニ・・・・・

『君が好きだ』

 ウソツキナヒト。

 スキダケド、ダレヨリモニクイヒト・・・・・
 ダレヨリモイトシイヒト・・・・・

「ヤッ」
 振り払うように少女は青年から離れる。身体中の力を振り絞るようにして数歩分離れた少女は、『ガクガク』と震える身体をきつく宥めるように抱き締めた。
「アンジェリーク」
 『ビクリ』と少女の身体の震えが一際強くなる。
「おいで」
 甘く響く声には、無条件に従いたくなる何かがあった。誰より愛しい人の呼びかけは、最高の魔力を秘めた言魂の宿った言葉だ。逆らうことなど考えることも出来ない程の。だけれど、従うことなど出来はしない。自分だけを見て欲しいのに、してはくれないだろう人に、これ以上惹きつけられれば、きっと気が狂ってしまう。想う心が強すぎる。
「おいで」
 『ぷるぷる』と首を横に振る少女の愛らしい動作にオスカーは口元に愛しむ笑みを刻んで少女の数歩の距離をほぼ一歩で縮めると、少女に抗う暇を与えず自分の胸の中に抱き込んだ。
「あのっ!」
 振り仰いだ少女の赤い唇に自分のそれを重ね、深いキスを貪る。貪欲なまでに、長く深く、か弱い抗いなどものともせずに。抵抗する力も貪り尽くし、それでも飽くことなどなくて、更に続ける。
 やっと離された瞬間に、咳き込むような粗い息を少女は零した。
 そんな様子を心底楽し気に見つめながら、オスカーは少女の首筋から逆撫でるように指を滑らせた。嫌がるように逃げようとする少女を、腕一本で支えて。

「愛してる、アンジェリーク」

「嘘つき」
 感情を欠いた声に、苦笑する。間髪入れずのその台詞は、けっこうきついものがあったが、それを悟らせることない笑みを浮かべたまま耳元で囁く。幾度も、幾度も、呪文のように、逃げようとする身体を押さえて。
「愛してる」
 『信じられない』と、そう頑なに主張する瞳のすぐ下、目元に唇を当てる。
「愛している、アンジェリーク」
 言葉で、視線で、少女の心を搦め取る。
「私は独占欲が強いんです。私だけを見つめてくれる方でなくては、きっと駄目になってしまう」
 『だから』と続けて拒絶する言葉を呟こうとする唇を塞ぐ。軽く一瞬だけ触れ合わせ。
「アンジェリークだけを愛してる」
 真っ直ぐに自分を見上げる翠の瞳に、笑いかける。
「君だけに永遠の愛を誓おう。アンジェリーク。俺のレディ」
 唇をきつく噛んで、涙を堪える少女の頬を両手で包み込む。大切なモノを守るように、優しく包み込む。
「何人の方にそう言ったんですか?」
「信じて欲しい。誓うのは、君だけだ。愛している。俺だけの天使」
 真摯な光を宿した瞳に見つめられ、少女は絡まった視線を逸らすことも出来ずに立ち尽くす。

 『信じたい』『信じられない』
 『だけど、信じたい』『だけれど、信じられない』
 錯綜する二つの声を作り出した感情は同じもの。互いに妥協せず、一つの地位を争うように心を埋め尽くす。
 精神的に追い詰められた小さな少女の選んだのは・・・・・

 エメラルドを濡らす海の滴は、小さなクリスタルとなって足元に落ちる。

「オスカー様」
 応える声に、初めてのようにあどけないキスをした。

 また唇を触れ合わせる。慣れない少女は、それだけで頬を染める。
「あの、オスカー様。日が高いですよ。それに何時人が来るか」
 何時の間にやら、すっかり押し倒された体勢で少女は言う。瑞々しい若葉の香りにむせるように。
「すぐに日は暮れる。それと、ここは《恋人達の湖》だぜ?」
 応えはそれ。当然のように少女の首筋に顔を埋めて、片手で少女の抗いをいとも容易く押え込み、
「っ!」
 声をあげることも出来ずに少女はのけ反った。短めの赤いスカートから伸びた細く白い足の上を、男の大きな手のひらが滑る。
「や、ぁ」
 涙を浮かべた翠の瞳の少女が絞り出すように声をあげる。
「アンジェリーク」
 耳元で密やかに囁く。言葉と吐息と想いを混ぜて。もとより抵抗するだけの力は深いキスに貪りとられた後、最後に残ったそれも、霧散した。
「あ、ん」
 甘い声が漏れ、それに気をよくしたのか、少女の抵抗がなくなるとすぐに外したブラウスの下の肌に唇を寄せる。唇を当てたまま滑らせ、少女の反応を確かめるように時折視線だけが少女の顔を見上げた。
 金色の髪が乱れる。男の些細な動き一つで身を震わせ、何ともいえない艶めいた声が漏れる。
「オスカー様」
 震える声が名を紡ぐ。拒絶の意はなく、さりとてこの先を望むが故でなく、理由なく唇から言葉が突いて出ただけ。
 不規則な呼吸を繰り返す少女の唇に自分のそれを重ねることで応えとした青年の指は、丹念に少女の快感の呼び鈴を鳴らし続ける。柔らかで華奢な身体が自分の下で反射的に動くのを感じ取りながら、更にそれを誘引する愛撫を繰り返す。粗い息の熱さに唇だけ歪めて笑みを作り、青年は少女の唇を奪うと深いキスをまた貪った。
「あぁ・・・・・」

「時と場所を考えたらどうだ?」
「「っ!」」
「何処のネェチャン口説き落としたか知らねぇけどよぉ、ジュリアスに見つかったらヤベェんじゃねぇか?」
「てめぇ・・・・・」
 地を這うような声が響く。
「いきなり人のお楽しみの邪魔してんじゃねぇよ!」
「何だよ、人が折角金髪の鬼が来るから他でやれって教えてやったのに」
 鋼色の髪の少年がふて腐れたように言う。
「何?」
「だから、ジュリアスの奴が視察に回ってんだよ。お前、そういう時のアイツに、そういうことしてる時に会いたいか?」
「・・・・・絶対嫌だ・・・・・」
 敬愛する光の守護聖に見つかろうものなら・・・・・想像するだに恐ろしい。
 少女を胸に抱き込み、鋼の守護聖から見えないような形で起き上がった青年は顔だけ年下の同僚に向ける。
「助かった」
「ところ構わずだけは止めろよな。今度からはせめて部屋でやれよ。見つけたこっちまで恥ずかしくならぁ」
 呆れ口調の少年に、青年は苦笑する。『たしかに反省がなかったかな?』と。
「そうしよう」
 深く深く頷く。
「そうしろ。んじゃ俺は行くわ」
「何しに来たんだ、お前?」
「新作のラジコンの様子を見ようと思ったんだ。そしたらお前がここでイチャついてたんだよ」
「そりゃぁ、悪かったな」
「全くだ。気をつけろよな」
 喧嘩ばかりしている兄弟のように、ちょっとばかりツンケンした言い方ながらも少年守護聖はそう言って片手を振りながら去って行った。
「なんだか、まるで兄弟みたいですね」
 青年の腕の中で少女は笑みを多分に含んだ声で言った。
「そうか?」
「えぇ」
 下着を−何時の間に外されていたのか訝しみながら−直し、ブラウスのボタンをきちんとつけ直しながら少女は頷く。
「さ、ジュリアス様がいらっしゃる前に逃げましょう」
 悪戯っぽく笑いながら少女は誘う。白い腕を青年の焼けた小麦色の腕に巻き付けて。
「そうだな、続きはお嬢ちゃんの部屋にしよう」
「一人で帰りますね」
 『キッパリ』と言い切り、少女は足早に一人で森の湖の出口に向かう。
「まぁまぁ」
 笑って青年が後ろから少女を抱き寄せる。体勢の崩れた少女を腕の中に納め、慌てる少女の赤く染まった頬に唇を当てる。
「愛してるよ、アンジェリーク」

END