AFTER

AFTER


恋が実ってからだって 恋人になってからだって
物語りは続く・・・・・

「ふに」
 寝惚けた声が漏れる桜の唇
「おはよう」
 柔らかに響く声は薔薇色の唇から
「あ、おはようございます」
 寝惚けた眼を何度も擦りながら少女は寝台に半身を起こす。寒そうにシーツを引き上げる仕草が子供のようにあどけない。
「ほら、早く。シャワーを浴びるんだろう?」
 少女を見ていた青年が大きなシャツを放り投げて言う。
「はい」
 年頃らしい絶妙のアンバランスな雰囲気  清潔な白いシャツに幻のように光を浴びて現れるシルエットとあどけない寝惚けた顔が醸し出す、大人に成り切れないまだ少女の薫るような雰囲気に、うっすらと青年が優しく笑って目を和ませる。
「とっとと、行く」
 背伸びをする時少し顔をしかめる少女の額を軽く押し、青年は悪戯に笑った。

 幸せそうに朝食を食べている栗色の髪と青翠の瞳の少女を《元女王候補生アンジェリーク》と言い、そんな少女の隣に座している瑠璃の髪と群青の瞳の青年は《感性の教官セイラン》と呼ばれている。

 前回の女王試験によって虚無となった空間に生まれた《宇宙の卵》とその意志の具現である《聖獣》
 それに選ばれし者が二人。少女と今では別宇宙の女王となることが決定している《女王候補生レイチェル》である。彼女達はそれぞれ自分を選んだ聖獣をアンジェリークは《アルフォンシア》、レイチェルは《ルーティス》と名付け、ここ女王のお膝下聖地で育成に励み、友情をも育んだのである。
 時が過ぎ、宇宙の卵が孵ることで彼女達は試験の第二段階に入り、宇宙そのものを育成すると同時に自分を磨くことも要請された。宇宙を支え得ることは、彼女達にはまだ荷が重かったからである。
 片や別宇宙の女王候補、片やその女王候補を導く教官、二人はそうして出会った。
 そして、そんな出会いをした二人であったが、如何なる運命の導きによるものか、二人の間に特別と言っていいだろう感情が芽生える。
 少女を女王とすべく導きながら、青年のうちには募りこそすれ沈むことなき少女への想いがあった。少女は女王となるべく自分を高めていきながら、それ以上に青年への想いに悩んでいた。
 それが破綻したのは少女が至高の座を目前とした頃であった。離れることが出来ないだろう恋に、二人は互いの手を取り、少女は女王候補を辞退する。
 そして現在、少女の親友が宇宙を育て上げ戴冠する日まで、教官としての青年の力が必要ということで、二人は共に聖地に住んでいるのである。

「さてと、食器返して来ますね」
 手早く二人分の食器を重ね、少女は隣に座る青年に言う。
「ん。・・・・・と、ついてるよ」
 クスクス笑って青年は自分の頬を示す。
「え!?」
 慌てた少女はハンカチを取り出そうとして、頬に優しい感触を知覚した。
「セイラン様!!」
「取って上げたのにどうして怒られなくちゃいけないんだい?」
 眉をしかめていながら、青年の群青の瞳は笑っている。
 フルフルと震える白い拳を、意志の力で何とか下ろす。どう言ったって、どうせ止めるような人ではないのだと。自分が慣れるべきなのだ、と。それでも、多大な意志の力が必要であったが。
「・・・・・いってきます」
 トレイを持って、少女は部屋を出る。背中に青年の声が投げられた。
「早く帰っておいでよ」

「おはようございます、アンジェリーク」
「おはようございます、ティムカ様」
 薄墨色の髪と墨色の瞳の《品位の教官ティムカ》に、食堂の隣の厨房にトレイを返した少女は丁寧に挨拶をする。少女の方が年上なのだが、教官であったティムカ相手に女王候補を辞めたからと言って今更同等もしくは年上ぶった言い方が出来るわけがなく、二人ともそれに違和感を感じるわけではないのでスムーズに会話は成立していく。
「相変わらず、ご苦労様ですね」
「あはは」
 ごまかし笑いを浮かべるアンジェリークの頭を、大きな手が軽く包む。
「よう、アンジェリーク」
 赤みがかった黒髪と鳶色の瞳の《精神の教官ヴィクトール》である。
「あ、おはようございます、ヴィクトール様」
「おはようございます、ヴィクトールさん」
 父親並に年の差のあるティムカも、それ程ではないがおおらかな雰囲気が父親とダブりがちな少女も、ヴィクトールに懐いている。
「セイランの奴、自分で自分の使った物ぐらい片付ければいいだろうに」
「そうですよね」
 ヴィクトールとティムカの台詞である。
「いいんですよ、私が先に片付けて持って来ちゃうんですから」
 にっこり笑ってフォローする少女の姿に、何かと細かいところにまで気の向く品位の教官は、やっと感じていた違和感の源を察した。
「リボン、どうしたんですか?」
「え?」
「そういや、胸のリボンがないな」
「あっ!」
 胸元に視線をやって、少女は声を上げる。
「私、ちゃんとつけたんですけ、ど・・・・・」
 しばらく三人揃って口を噤む、脳裏に天の邪鬼な青金石の青年を浮かべて。
「・・・・・セイランさんでしょうね」
「また子供みたいなことを」
「今日はこのまま部屋に帰ろうと思っていたのに」
 がっくりと頭を垂れる少女である。
「ホント、苦労するな」
「いいです、もう慣れましたから」
 道場も露な声にそんなことを言いながら、困った笑顔が言葉を裏切っていた。

 内心怒りながら少女は入室許可の言葉を受けてからその部屋に入った。
「おかえり」
 大きな机の端に軽く体重を預けている青年の指には、赤いリボンタイが軽く絡まり揺らめいている。
「セイラン様」
 プゥッと膨れて少女が青年の指からリボンタイを取り返そうと手を伸ばして、反対に青年の腕に捕らわれる。
「ちょっと、セイラン様!」
 リボンの絡まった手とは逆の腕で少女の腰を攫った青年は、栗色の髪からまだ濃く薫る爽やかな草原の香りにも似たグリーンハーブ系のすっきりとした少女の香りを楽しんでいる。
「もう!リボン返して下さいよ」
 睨むブルーグリーン 白い手が青年の指のリボンタイを取り返そうと伸ばされる。
「はいはい」
 軽い声音で彼はリボンを返す。
「子供みたいな悪戯しないで下さいよ」
 『メッ』とでもいうような瞳で睨む少女の顔立ちは勝ち気な者特有のきつさがあるが、豊かな感情を垣間見せる瞳の光とそれ以上に豊かな表情がそれを和らげている。
 キラキラと光る緑青の瞳に魅入られるように、青年が前のめりに身体を預ける。
「ちょっ、ヤ」
 ぎょっとなった少女は逃げようとしたが、遅い。
「んん」
 嫌がって抗議の声が漏れるが、そのうち途切れる。
「は、あ」
 青年の胸の奥深くに抱き締められた少女が、ため息を零す。栗色の髪が肩から滑り落ちて、顔を隠す。
「どうしたの?」
「いきなりは、ルール違反ですったら」
 それは楽しそうに笑って問う声に、少女は怒った声で答える。
「ルールなんて、決めてはいないよ」
「・・・・・」
「今日はどうする?」
 甘い声音に少女は冷然と答えを返す。
「今日はレイチェルが学習に来る日ですよ」
「・・・・・そうだっけ?」
「そうですよ。私は部屋に戻りますからね」
「一緒に学習すればいいじゃないか。他の学習はしているのに」
 不満そうな声である。今では親友であるレイチェルが学習する時には精神や品位の勉強を−女王候補を降りた以上する必要はないのだが−一緒にしているというのに、どういうわけか感性の授業だけは彼女は受けない。それが彼にはとっても不満である。
「そんなこと言われても、する必要がないんですもの」
 知らないことを知ることは、好奇心旺盛な少女にとっては可成魅力的なことで、友人に便乗する形でそれを満足させているのだが、
「わざわざ勉強しなくったって、私の感性は十分磨かれています」
「そう?」
 懐疑的な声に、腕を回して自分から抱き着く形で、少女は言う。
「感性を導く人がこんなに側にいるんですもの、当然ではありませんか?」
 他人に干渉することもされることも大嫌いな青年は、反面この少女だけは例外として可成甘やかす素振りがあるのだが、甘やかされるようなことは苦手で、素直な愛情表現に一瞬戸惑う。
 机の端に軽く腰掛けるような形の青年の、それでも自分よりは高い位置にある顔を見上げて、
「ん」
 少女の唇が軽く青年の唇を塞ぐ。
「!?」
 驚いて少女の唇が離れた瞬間に自分の手で口元を覆う青年の姿に、今までのお返しと言わんばかりに笑った少女は笑みの残る唇を、今度は頬に掠めさせる。
「じゃ、頑張って下さいね」
 『bye−bye』と手を振り少女が扉を閉める音が、広い青年のアトリエに奇妙に大きく響く。

「・・・・・って、ちょっと、アンジェリーク!?」
 ハッと気がつけば少女はとっくにいない状況である。何時もはクールな青年も、そんな態度をそこらへんに放り投げ、扉を開く音も高らかに部屋を飛び出した。

 『ずだだだだ・・・・・』
 猛烈なスピードで目の前を過ぎる、青金石と雪原の白大理石で造られたが如くまるで一個の芸術作品のような同僚に目をやっていた薄墨の少年教官が、手の中のストップウォッチをシャストタイムで止める。
「どうだ?」
 光を透かすと更に赤く見える黒髪の壮年教官に問われ、ティムカは答える。
「セイランさんも新記録ですね」
 実は、二人のいる場所は階段を降りたところからだいたい100メートルの位置に当たる。面白い程規則正しいコースで走り抜けていくセイランの姿に、ちょっとした茶目っ気から測定を始めたヴィクトール達であったが、笑えることに、あの恋人達の記録は−アンジェリークはセイラン程規則正しいコースを走っているわけではないので疑問が残るが−伸びる一方であるのだ。
「人間必要に迫られると、驚く程のスピードで成長するな」
「えぇ、まったくです」
 精神の教官の言葉に妙に深々と頷き、呆れきった視線を爆走する恋人達の−もはや影も形もない−後ろ姿に向ける品位の教官であった。

 太陽の光を浴びその光を反射して、木々の緑に染まったかのような印象を受ける道を歩いていた少女は首を傾げる。何処か遠くから名前を呼ばれたような気がした。
「レイチェール!」
「ん?」
 ブンブンと手を振って自己主張をしながら走って来る栗色の親友に、金色の髪と菫の瞳の別宇宙初代女王就任予定者は笑って同じように手を高らかに上げる。
 『ぱぁん!』
 晴れ渡った蒼天に小気味のいい音が響く。
「よろしくぅ!」
「まっかせといて!」
 ノリのいい菫の少女はそのままの勢いで走り抜けて行く緑青の友人の後ろ姿に、ピッと親指を立てた小粋な仕草と声を投げ、
「アンジェリーク!」
 元気いっぱい叫んで聖地内部を暴走する人物が駆けて来るのを見て取ると、十分にタイミングを測る。
「はい、そこまで」
「うわっ」
 あまりのナイスタイミングで腕を捕まれ、群青の青年がバランスを崩す。
「レイチェル、邪魔を」
            「人の恋路を邪魔する奴は馬に蹴られて死んで当然ですけど、私はアンジェリークに頼まれてやってるんです」
 アンジェリークよりも一つ年下である少女は年のわりに豊かな胸を見せつけるように、無意味に胸を張って見事にコケた−というか、彼女がそうさせたのだが−セイランを睨みつける。
「私だって感性の学習は週に一度という風に、ちゃあんと恋路に協力してるんですからね。そっちも授業をして下さいよ」
 少々高飛車な言い方だが、青年自身もそうであるし、生まれつきのものを変えるのは並大抵の努力では出来ないことも分かっており、そのことについては不問とされている。
「・・・・・ったく」
 ブスッとした不機嫌な顔で青年は立ち上がる。不承不承、不機嫌極まりない姿である。
「どうせ、今夜もアンジェリークを独り占めするんでしょう?」
 『情けない顔しないで欲しい』と言いた気な菫の瞳の少女に、群青の瞳の青年は『何を当然なことを聞くんだい?』と言いた気な顔で言い放つ。
「昼間と夜じゃ、意識のある時間に決定的な差がある」
「・・・・・負担になる恋愛してると、破綻も早いですよ」
 ボソッと呟く声に、彼は応える。
「破綻するならね」
 『絶対そんなことにはならない』  そんな自信がふんだんに浸され、ちょいとつつけばボタボタ垂れそうな声である。
「ご立派です」
 もう、そう言う以外ないレイチェルである。勿論、そんな彼女の内心に『勝手にして』以外の言葉があろう筈もなかった・・・・・

「じゃ、有り難うございました」
 アンジェリークが女王候補を辞めたからとはいえ、彼女を女王候補にせしめた宇宙の意志の具現である《聖獣アルフォンシア》との絆が断ち切れたわけではない。彼女の友が即位するまで、アルフォンシアは別宇宙にいるし、彼女との意思疎通は相変わらずだ。王立研究院の方でもより多くの資料が欲しいということで、アンジェリークは暇を見てはアルフォンシアのところに遊びに行っている。
「ご苦労様です」
「いいえ」
 すっかり顔馴染みの研究員に声をかけられ、気軽に少女は笑って手を振る。
 夕暮れになりかかった空を見上げた彼女が向かうのは、学芸館の方である。どうせ部屋に戻っても青年がレイチェルを送りがてら−正確にはこちらが本命だが−迎えに来るのだろう。場所が何処であろうが時間が何時であろうが、ほとんどおかまいなしの青年と一緒に部屋から学芸館の二階にある青年の部屋まで行くのは、勘弁してもらいたいというのが少女の正直な気持ちである。朝逃げられた−レイチェルによると授業中は意識を切り替えているらしく全然そんな素振りはないとのことだが−不機嫌もあって、人目もはばからない行動に出ることがほとんどだ。入らない可能性はというと、この瞬間に世界が壊れる可能性よりも低いというから、笑えない。
 王立研究院から学芸館に向かうオーソドックスな道は、女王候補生寮から一度公園を抜けて向かうというものである。女王候補生寮と学芸館を結ぶ道もあるのだが、その道よりも広い公園を抜けるルートを少女は使用している。
「あの、アンジェリークさん」
「?」
 公園を散策するように歩いていた少女は振り返る。
「何?」
 勝ち気な少女は、勿論年上に対する礼儀は持っているけれど、同じ年の男性陣には基本的に同等の対応をする。例外は品位の教官くらいなものだ。
「あの、ですね」
 言葉を濁して逡巡する態度に、少女の眉がしかめられる。はっきりとした態度を取らない者は、男女問わず、あまり彼女は好きではない。内心『変なのに引っ掛かったな』などと考えながら、少年のあまりに思い詰めた態度に口を噤む。
「その、セイラン様のことなんですが」
「あ、セイラン様が何かしたんですか?」
 口の悪い皮肉屋の恋人は、分かっていながらわざと相手の癇に障るような言い方をして騒動を起こす。
「いえ、そうじゃなくてですね」
 慌てて少年は両手を振る。振って、一大決心を固めるべく俯き、
「俺、否、僕はあ」

          「アンジェリークは僕のだよ」

 冷ややかな声が投げ付けられる。
 見れば、何時の間に来たものか、セイランとレイチェルまでもがいるではないか。
 唖然とする少年を射殺すつもりなのか、たいへんなご立腹状態の青年が後ろから抱き締める形で少女を腕に納めて、尚も言う。
「アンジェリークは僕のものだよ」
「私は私のものですってば」
 呆れたように少女が反論する。その声には、呆れに混ざって紛れもない怒りがあった。勝ち気な少女にしてみれば、自分を所有物扱いするなど、たとえ最愛の恋人である青年でも許せるものではない、というわけだ。
 ベタベタとセイランが所有物扱いをして、アンジェリークがそのうち本気で怒り出すという、べったべたな恋人達の自覚のないノロケに、今しも少女に告白しようとしていた少年の失恋決定である。
「・・・・・アンタさぁ、噂知ってるでしょ?」
 こそこそと菫の少女が少年を引っ張って、少し二人から離れた場所で言う。
「・・・・・やっぱり。知ってるなら他にいい人見つけなさいよ。アンジェリークの方は気がついてないみたいだから、止めるんなら今のうち。もっとも、これ以上言い寄ろうものなら、
確実に、セイラン様に殺されるけど、いいの?」
 『その告白しようとした勇気は凄いけどね』と、慰めだか何だか分からないが、そんなことを言うレイチェルに、素直に少年は頷いて退場する。
「ホント、端迷惑よね」
 トボトボ帰る、何とも哀れを誘う後ろ姿を見送るレイチェルの台詞だ。
 チラリと流し目をやれば、10センチ以上背の高い青年の腕の中で、青年を見上げて文句を言っている、ノロケ真っ最中の友人がいる。
「勘弁してよ」
 思わずため息を零さずにはいられないレイチェルであった。
 自覚のないノロケ程、始末に負えないものはないのである・・・・・

「きゃうん」
「犬科なのかい、君は?」
「いえ、そういうわけでは」
 犬の耳とシッポが見えるようないとけない姿で少女は目を伏せぎみに彼を見る。
「こら、逃げない」
 怒られて、少女は泣き声めいた声を吐き出す。
「ふにぃ」
「そんなに嫌がることかい?」
「出来れば、私はそのまま寝かしていただけるとたいへん嬉しいのですけど」
 妙に勝ち気な少女らしくない低姿勢である。仕方ないけれど。
「ヤだね」
「・・・・・」
 あごの下、喉元から響く声に、少女は目を閉じる。
「んっ」
 反射で逃げる身体を押さえ付け、青年の指が動く。知っている、よく知っている少女の身体の敏感な部分に触れる為に。
「やだぁ」
 泣き声に、口づけが降る。
ん」
 随分慣らされたが、完全に慣れることが出来ない類いの口づけに、少女の眉が寄せられる。

 ・・・・・噂とは、往々にして人の口を通過する度に巨大化していくものなのだが、この二人の噂に関しては、巨大化した部分もが真実である。『二人が付き合っている』というものが、そのうち青年の少女に対する態度から『砂糖を吐きたくなる程溺愛している』というのに変わったのは、まだ可愛かった。他愛もない噂はそのうち、過敏な方面に変化したのだ。けれど、それはまた真実を射てしまっていたのである。

 健やかに眠っていた少女の意識が、寝返りを打った拍子に覚醒する。
「ん

 目を擦って近くの窓を見れば、満天の星空である。
「起きたの?」
 艶めいた声にビクッと肩を震わせ、恐る恐る振り返ると、
「ん?」
 群青色の瞳に自分を映している青年が、やっぱり起きている。
「ほとんど、時間経ってないよ」
 身体はまだ横にしたまま、顔だけを自分の方に向けている少女の栗色の髪を撫でながら彼は言う。
「・・・・・もしかして、ずっと見てたんですか?」
 恥ずかしそうに顔を赤くした少女が問う。
「勿論」
 速答である。まさしく、髪の毛一筋入れる間もない。
「やん」
 首の後ろを指が掠めると素直過ぎる程の反応が返る。
 笑いながら青年の身体が少女を覆う。ほっそりとした印象のある青年だがこれで着痩せするタイプらしく、少女にとっては壁と変わらない。もっとも、現在の体勢では触れた部分から感じる暖かさと本来よりは軽い重みだけしか分からないが。
「セイラン様、ヤッ」
 言葉を如実に裏切るような熱い吐息
「セイラン様の馬鹿ぁ」
「失礼な」
 プンッと怒った声で反論すると、栗色の髪から覗く耳に唇が寄せられる。
「っ!セイランさまのえっち」
「・・・・・子供か、君は?」
 幼子のような口調に、セイランは苦笑する。
「はいはい、こっち向いて」
「やぁだぁ」
 子供をあやすような声に、反対に少女はシーツをきつく掴んで抵抗する。
「意地を張ると、後が辛いよ」
 すっきりとした背筋に、指をあてがい、焦らすようにゆっくりと下へと下ろす。
「・・・・・ホントに知らないからね」
 青年の口調が変わり、本気になった時だけに聞く声に、少女の顔色が劇的に変わった。
「ちょっと、まっ」
「知らない」
 問答無用に言い切り、青年は彼女の身体に自分の全体重を預ける。
「っ」
 快感と少し乱暴な仕草による痛みとが混ざって、声もあげられない。
「どうしたの?」
 掠れた声は耳元で
「何時もこれだけ素直だといいんだけど、ね」
 笑う吐息がかかる・・・・・

「セイラン様のいぢめっこ」
「どうして君はこう、ことの後は子供になるんだい?」
「知りません」
 ポンポンと宥める手を邪険に振り払う。
「こら」
「セイラン様のいぢめっこ」
 苦笑するしかない、何とも幼い表情の少女である。何時もの勝ち気さ気丈さ、大人っぽさは何処へ行ったのやら、などと思いながら懲りずに振り払われた手を伸ばして少女を抱き締めると、今度は大人しくしている。
「男の人って、こんなものなんですか?」
 初恋が実って青年との恋愛関係を築いている少女には、そこらへんが全然分からなかった。比べたくても比べるものが存在しないのだ。
「そうだな、僕も君じゃなければこれ程はしない。君は特別だから」
 大人しいのをいいことに、今日咲かせた薔薇や残っている昨日のものに唇を寄せる青年は、過去にあった恋愛を絶対に少女に言わない。過去がどうあれ、現在の自分が彼女だけを愛しているのは絶対の事実で、彼女を『特別』と言い換えられる程愛しているのも、彼にとっての真実である。今更、過去の恋など振り返る気は起きない。振り返って、どんなメリットがあるというのか?
「君は?」
「え?」
「僕以外に触られても平気?」
「絶対に嫌です」
 速答である。
「セイラン様以外だなんて、絶対に嫌です」
 比較すべき恋愛がない為、どうしたって青年が一番である。その一番と、どうしてその他大勢を比べなくてはならないというのか?
「よろしい」
「だから、そんなに子供じゃないですってば」
 不満そうな唇は、当然のように青年の唇に塞がれた。

 次の日である。
 『ずだだだだ・・・・・』
「新記録」
「そうか」
 何時ものコースを走るセイランを見送り、二人は呆れて言う。
「相も変わらず飽きがこないのか、あの二人?」
「今日も逃げられるでしょうか?」
「無理じゃないですか」
 ひょっこりと現れた菫の瞳の女王候補が言う。
「今日、公園に繋がる道って、舗装工事してますから」

「捕まえた」
「えーん」
「泣く程のものかい?」
「だって、身体が痛いんですもん」
「だから僕の部屋で休んでいけばいいって言ったのに」
「・・・・・いたって退屈なんですもの」
「そう?ちゃんとお相手しているつもりだけど?」
「嘘。アトリエにいる時はほとんど私のこと忘れてるじゃないですか」
「君の負担にならないように、かまいたいところを我慢しているんだよ」
 上手い具合にギャラリーのいない道の真ん中で、ベタベタと二人はすっかり自分達の世界に突入している。

 聖なる大地で、恋人達の物語りは続く・・・・・

END