BLUE ROSE


  『笑ってよ
  君が笑ってくれるなら
  僕は何だって出来るから』


 「砂糖は自分で入れてくれるかい?」
 ホットミルクの容れられたマグカップ 淡い色の花の描かれたオフホワイトのそれを少女の前に置く。
 「はい」
 消え入りそうに答え、少女は隣に並べられたシュガーポットから銀色のスプーンで砂糖を三杯程マグカップに移すが、そのガラスのシュガーポットを彩る色とりどりの砂糖の星に気がついた様子はなかった。
 何時もの彼女なら手を叩いて喜んだだろうに。
 そんなことを思いながら、彼は自分用のティーカップを取った。

 生来内気ながら芯の強い少女
 それが彼女<女王候補生アンジェリーク>の評価である。

 内向的すぎる面もあるが、その芯の強さが気に入って授業以外の時を共に過ごす ようになった彼<感性の教官セイラン>は、少しずつ少女の空気に馴染んでいく自分を驚きを持って受け入れた。
 温雅な笑みが時を重ねる毎に愛しくて、始めて誰かを守りたいだなんて感情が湧いた。


 『あ、セイラン様』
 潤んだ赤い瞳 ついさっきまで小さく震えていた細い肩
 『泣いていたの?』
 『ちが』
 否定しようとした途端に頬を伝う涙
 『おいで』
 『?』
 こぼれる涙を拭う度に尚あふれる涙
 『ほら』
 『!?』
 グイッと腕をとって引き寄せると、少女の小さな身体が青年の腕のなかに納まる。
 『こうしたら、誰にも君の涙は見えない』
 『・・・・・』
 『泣いてもいいんだよ』


 「あの、すみませんでした」
 やっと一息ついたのか、優しい色の瞳の少女がたどたどしく青年に謝罪する。
 「何のこと?」
 「服を汚してしまって」
 「別にいいよ」
 『それより落ち着いた?』と問うと、少女はコクン小さく頷く。瞳にまだ、哀しみを乗せて。
 「僕は理由を聞いてもいいのかい?」
 淡々とした口調に宿る優しさに、少女の唇が震えた。

 沈黙ばかりが降り積もる。

 「薔薇が好きなんです」
 「?」
 唐突な言葉に彼は首を傾げる。
 「マ、母が好きで、庭に咲かせているのをわざわざ鉢植えに移し変えて送ってくれたんです。私も好きなのを知っていたから」
 無言での促しに頷いて、少女は続ける。
 「淡いピンクの薔薇で、蕾のうちに送ってくれて、今日咲いて」
 「・・・・・」
 「とても綺麗だったんです」
 「泣いてしまう程?」
 「えぇ」

 野辺に咲くささやかに揺れる名もない、だけど優しい花の微笑み

 薔薇のように誇らかな美しさではない。
 だけれどその優しさは愛さずにはいられない。

 たとえば、冷淡と言われる彼でも。
 彼だからこそ。

 「ピンクの薔薇ね」
 彼女の涙の理由が口で言うようなものでないことなど、彼には手に取るように分かる。
 意外に芯が強い少女故、騙される者も出るかもしれないが、彼女を見つめ続けた彼が、騙される筈もない。

 優しい思い出だけのつめられた贈り物
 それに泣くことを、かつての自分は嫌悪してしていたのに。何処かまだ過去を引きずる自分ごと。

 あまりにも緩やかな変化も、重ねることで驚く程の変化で。

 「ピンクの薔薇ねぇ」


 数日後のことである。
 土の曜日午後、アンジェリークは学芸館へと急いでいた。
 「何のご用かしら?」
 わざわざ手紙による呼びだし それも彼のアトリエを重ねているプライベートルームへの。

 密かに彼を慕っているアンジェリークにとって、この誘いは嬉しくも躊躇いを感じずにはいられない。
 排他的な彼に近づける嬉しさと、極私的なプラベートエリアであるアトリエに自分が入ることで彼の邪魔にならないかという躊躇いを。

 それでも、行かずにはいられない。

 『コンコンッ』
 「セイラン様?」

 そして、扉が高なる鼓動と共に開かれた。

 「早かったね、アンジェリーク」
 少女を部屋に入れ、何処か機嫌のよさそうな青年は素早く、しかしあくまで不自然さの感じられない動作で、細い肩を抱きしめるように腕を回す。
 至極近い位置のあまりにも艶やかな微笑みと、肩に回された腕とに、耳まで少女が赤くなった。
 「あ、あの」
 「息が早いね、わざわざ走ってきてくれたのかい?」
 言葉を制するように覗き込むようにして群青の瞳に見つめられ、一際高くなる鼓動と無意識にズレる歩み
 「危ないよ」
 しっかりとした腕に抱きとめられ、アンジェリークは頬を染めた。
 男性でしかない青年の力強さに、今更ながら異性であることを感じずにはいられない。
 クスクスと笑いながら強く抱きとめた力を少しだけ緩めて、少女を促す。

 「あの、ご用って、何ですか?」
 肩に回された腕がひどく気にかかる様子で、しかし言い出すことも出来ない少女が細く呼び出した理由を問うた。
 「これの為だよ」
 大切そうに窓辺の椅子に座らせると、気取った芝居がかった仕草でヴェールを外した。

 「っ!?」

 驚いた瞳に満足そうに微笑んで、彼はそれを手にする。
 「気に入った?」
 楽し気に笑いをこぼしながら、彼はそれに口づけた。

 世に有り得ざる蒼い薔薇を手に青年が笑った。

 「私、蒼い薔薇って初めて見ました」
 自然には有り得ないのに調和した美に、彼女は感嘆の吐息をつく。
 「そうだね。これ、元々は白だし」
 「え?」
 手近な布で薔薇の茎を拭うと、白かったそれが淡く染まる。空色に。
 「水の循環を利用して染めたんだ」
 きょとんとした瞳に瑠璃色の青年が映っている。
 「自然のままでも綺麗だけどね、染めたかったんだ」
 薔薇が少女の髪を彩る。

 「僕の色に」

 暖かな唇が重なる。

 呆然とされるがままに身体を委ねる少女を壊れ物を扱うような優しさで抱き締める。
 椅子に座ったアンジェリークに合わせるように腰を屈め、わななく唇を優しい力で開かせて、酔わせる口づけ 火酒みたいな。
 「・・・・・ごめん、少し調子に乗りすぎた」
 火酒の強さに怯える少女の頬に額に、宥めるキス
 「泣かせたいわけじゃないんだ」
 ポロポロこぼれる甘露を唇で拭う。
 「笑ってよ。その為なら何だってするから」
 胸中深く抱き締めて、震える髪を優しく撫でる。

 「僕の側でずっと笑って」

              見上げる双の宝玉に口づけ

 「永遠を誓ってもいい」

                躊躇いながら近づく

 「愛してる、アンジェリーク」

 言葉よりも雄弁な瞳が必死にすがり、消え入りそうな声が囁く。
 心がいっぱいで、泣きそうになりながら。

 「私も」

 想いに染められた薔薇が優しく風に薫る中、恋人達は優しい想いを分かつように 抱きしめ合って、二人だけの誓いを結ぶ。
 神聖で清らかな口づけという形で。


  『君が笑ってくれるなら
  僕は何だって出来るから
  ねぇ、ずっと笑っていて』

END