気持ちいいこと、してあげる
軽く頬に触れる唇
あったかくて 優しくて
気持ちいい
「アンジェリーク」
大きな扉の前に小さな少女
「待ってたの?」
桜色が似合う愛らしい微笑みを浮かべ、栗色の少女は瑠璃の青年を見上げてゆるゆると首を傾けて、細い声で彼の名を呼んだ。
「あ、あぁ、ごめん」
彼らしかぬぼんやりとした様子に曇った彼女の表情は、彼が微笑んでみせても曇ったまま。
「待たせたお詫びにお茶でも容れてあげるよ。僕は食べないけど、君の好きそうな甘いお菓子もあるしね」
『おいで』と手を差し伸べると、少女は躊躇いつつも指を重ねた。
学芸館の二階 教官達のプライベートな空間
そこに初めて足を踏み入れた少女は、おっかなびっくり青年の後をついて行く。
「どうぞ」
内気な気質を伝える態度で、恐る恐る少女《女王候補生アンジェリーク》は青年《感性の教官セイラン》に肩を抱かれるようにその部屋に入った。
「悪いけどアトリエの方しかテーブルと椅子がないんだ。私室にはベッドくらいしか置いてなくてね」
そんなことを言いながら優雅とも言える手つきで彼は少女にティーカップを差し出す。
礼を言って青年の好みから多少薄めの紅茶に口をつける。
「え?そ、そう」
素直に『美味しい』と言われ、日頃の冷たいポーカーフェイスが一瞬崩れる。相好がらしくもなく崩れそうで、慌てて顔をそらす。
しばらくそのまま少女の他愛もない、だけど優しい話がアトリエを満たし、その話の一瞬の途切れに青年が口を開いた。
「ねぇ、モデルをしてくれない?」
無垢な緑青の瞳が見開かれる。
「大丈夫、ここに座るだけでいいから」
『私には無理です』とばかりにプルプルと首を横に振る少女に、安心させるように大きなクッションを置いて笑う。
「してくれないと、授業をしてあげないよ?」
悪戯っぽく青年がクスクスと笑いながら言うと、少女は戸惑う瞳で彼を見上げて真意を問うた。
「描きたいんだ」
思いがけずあっさりと言葉が出て、内心驚きながらもセイランは再び手を差し伸べる。
「君を描きたいんだ」
艶やかな栗色の髪
無垢な青翠の瞳
『危なっかしくて』
歌うように心で紡いでいく言葉
『目が離せなくて』
小さな吐息 幸せな
『何時こんなに好きになったんだろうね?』
「眠ったの?」
サラサラと脆く崩れるビーズの山を内包した大きなクッションに身を沈め、穏やかな息を繰り返す少女から返事は返らない。
「仕方のない子だね」
苦笑に目を伏せ、夕闇のアトリエの主は子猫に近づく。
「・・・・・キスしちゃうよ?」
そっと耳元で密やかに囁いても、栗色子猫は目覚めない。
「・・・・・」
栗色の髪越しにのぞく白い額に口づける。
「自覚して欲しいものだね。自分がどれだけ人を惹きつけるのか」
切なく笑って口づけを繰り返す。
「早く起きてくれないかい?」
触れる度に帰したくなくなる。触れることを止めることすら出来なくなっていく。
形状し難い恐れ故に緩慢に唇が触れた
吐息が重なった唇から零れる。
パッチリと目覚めた先にある端麗な美貌のかけらを、彼女は不思議に思って見つめる。
「起きたね」
涼しい声が耳元で紡がれる。
その吐息のくすぐったさに、少女の唇からクスクスと小さな笑い声が零れる。何だか、そのくすぐったさが気持ちよかった。
「そろそろお帰り。送っていってあげるから」
何時までも笑っている少女に床に座った青年は苦笑してそう言う。どうやらキスしていたことは許してもらえたようだが、普通怒っても笑うことではないだろうに、と。
『はい』と素直に頷いて、少女は青年よりも先に立ち上がる。
そして・・・・・
「アンジェリーク!?」
チョコンと額に触れられ、セイランは目を白黒させる。
「え?・・・・・『気持ちよかった』から?」
更にとんでもないことを言われた青年は、ザァッと青ざめた。
このままにしておくと、同姓はもとより異性にまで、この少女は無邪気にキスをするだろう。『気持ちがいいから』だとか言って。
物凄く、ヤバい。ヤバいが、チャンスかもしれない。
内心焦りつつも、ちゃっかりそんなことを考えた。
不思議そうに自分を見下ろしている少女をチラリと仰ぎ見て、彼も立ち上がる。
「アンジェリーク、僕以外にキスをしたりしたら駄目だよ」
きょとんとした表情の少女の頬に唇をあてる。
「気持ちいい」
こくんと少女は頷く。
「それは『僕』だからだよ。他の人もそうだとは限らない。だから僕以外から受けてはいけない」
『分かった?』と問われ、思わず頷くアンジェリーク
「同じように、君からのキスも僕にはいいけど、他の人までそうとは限らないから、しちゃいけない」
再び頷くアンジェリーク
・・・・・完全にセイランの術中にはまっている。
「またモデルをしてくれたらキスしてあげるよ」
軽く耳にキスされた少女は、嬉しそうに笑った。
大好きな君だから
気持ちのいいことしてあげる
「ん」
軽いキス
「にゃ」
優しいキス
「あ」
くすぐったいキス
「子猫かい、君は?」
クスクス笑いながらキスが降る。
額の触れた跡に、少女の細い指先が重なる。
あどけない仕草が愛しくて、思わず笑みが零れる。
『可愛いね、本当に』
大きな瞳で自分を見つめる少女に、内心そんなことを囁く。言葉にするには、自分は素直ではないけれど、代わりにキスをする。
「気持ちいい?」
こくんと少女は頷く。ふわふわとした微笑みを添えて、無邪気に無垢に、思わず手折りたくなる程純粋に。
愛しい君だから
もっと気持ちのいいことしてあげる
びくんっと肩が震える。
小さな唇から疑問符が零れる。
「気持ちいい?」
クスリと青年は笑う。
土の曜日、聖獣と会った帰りに感性の教官のアトリエに寄るのが少女の今の日課。
今日もアトリエを訪れ、クッションに座ってモデルをするうち何時ものように眠ってしまい、何時ものようにキスで起こされ、首筋に唇を受けた。
ほんの少し触れただけなのに、拍子の狂った鼓動に戸惑い、少女はオドオドとした瞳で青年を見上げる。
「気持ちよかった?」
そっと頬に唇をあてて囁くと、少女は思わず頷いてしまう。
「そう、よかった」
クスクス笑って再び彼は少女の首筋に唇を埋める。
弾力性に富んだクッションに細い身体を埋め、青年に押し倒された少女は驚いて身を捩る。
わけの分からない不安
知っている人が知らない人のようで
「逃げるの?」
必死な様子で身を捩る少女の耳に囁くと、少女はビクビクと脅えた瞳を向けて震える。
「ん?だって、僕はただ気持ちよくしてあげようとしているだけなのに、誰が見たって君が逃げようとしているように見えるよ」
か細く『逃げようとしているわけではない』との意を口にすれば、妙に説得力のある声で彼はそう反論した。
「ふぅん」
それでも何とか体勢を変えようとする少女を突き放すように、セイランは身体を起こすと自分を抱き締めるように震える少女に冴えた視線と言葉を投げつける。
「逃げるならもうキスはしてあげない」
その言葉に、途端に青翠の瞳がウルウルと潤む。
捨てられそうな子猫が懇願するように、縋るような瞳で青年を見上げる。
潤んだ大きな瞳の光に、満足そうに彼は微笑む。
「いい子だね」
軽く唇を塞ぐと、少女のまぶたが下ろされた。
ゆっくりとブラウスの前が開かれ、白い指先が入ってくる。
ピクンッと少女の肩が震え、だが必死にそれを抑えようとしているのが分かって、彼はクスリと笑みを零した。
「嫌?」
『応』と答えれば再び『キスもしてあげない』と言われるだろうことを察した少女は、プルプルと首を横に振る。
「・・・・・いい子だね」
そっとご褒美のようにキスをして、彼は少女の服を脱がせていく。どうしても抑えきれない震えを愛し気に見つめて。
「嫌なら言うんだよ?止めてあげるから」
『ただし』 人の悪い笑みに、少女が脅えたように胸の前にクロスさせた腕にぎゅっと地からを込める。
「もうキスもしてあげないけどね」
反射的に少女はフルフルと首を横に振る。
暖かくて気持ちのいいキスが大好きだから、止めて欲しくは絶対になかった。
「まぁ、今まで僕がしてあげたキスの代償だと思えばいい」
胸を隠す腕を外しながらセイランはそう言って、内心苦笑した。
『これって、詐欺だ』
青年の内心など知る筈もない少女は、続けられた言葉に頷く。
「僕と君は教官と生徒だけど、人としてはフィフティだからね。君だけじゃなく、僕がもらってもいい筈だよね?」
少女が小さく頷くのを見、彼は細い首筋に顔を埋める。
ピッタリと触れ合う肌越しに、心臓の鼓動を確かめる。とても早いけれど、不快じゃない。
『しかし』
内心彼は首を傾げる。
『キスの代償がコレ、というのはおかしいって、何で気がつかないんだろう?』
だいたい、キスはモデルの代償に彼が支払うモノだった筈なのだから、彼の疑問も当然だ。
そして、次の瞬間、思う。
『自分が何されているのか、分かってないんじゃ』
あり得ることである。その並外れた無垢さ清浄さ故に女王候補となった少女だ。知識がない筈はない−幾らなんでも保健体育の授業に出ていない筈がないのだから、朧気なりともある筈である−が、それと自分とを結ぶことが出来ていないというのは、満更あり得ないとは言い難い。
もっとも、分かっていようがいまいが、最終的なところどうでもいいのだ。腕のなかで刻々と甘い吐息を零す少女の意思をねじ伏せても、もう帰してなどやらないのだから。
不安そうな瞳が揺れる。外見以上に幼い心を透かせて。
無条件に守りたくなると同時に、無残に散らせたくなる瞳にキスを贈る。
ふと、安らいだ吐息を少女は漏らした。
ムイシキノユウワクハ
吐息の繰り返しに震える胸
熱くて甘い濡れた唇
ムイシキノイザナイハ
無垢に揺れる瞳
アマクテキョウボウナオモイ
『ムクニミダラニサカセテアゲル』
「痛いだろうから、その時は爪を立てていいよ」
腕をとって背中に回させると、たどたどしい力が縋りついてくる。
ナンテオサナクアマイユウワク
ムイシキユエニゴクジョウノ
押さえきれない衝動が、綻んだ華を無残に握り潰す。
「くっ」
苦し気な声に重なる悲痛な悲鳴
「いい子だから」
宥めるように乱れた髪を撫で、唇を噛み締めて泣く少女のまぶたにキスをする。少しでも痛みが早く遠のけばいいと、そう思いながら。
「大丈夫」
掠れた声で、彼は言う。負担をかけ過ぎないように気をつけ、更なる高みへと動き出しながら。
「キスよりずっと気持ちよくなるよ」
長いまつげが揺れる。深いため息が零れる。
「起きた?」
自分にかけられた声だと気がついて、少女は返事の代わりに起き上がろうとして、優しく止められた。
「寝ておいで。身体が痛むだろう?」
髪を梳きながら青年が問うと、少女はそっと頷いた。
「・・・・・気持ちよかった?」
唐突な問いに、少女は一瞬の間考え、刹那赤く染まる。
「ね、よかった?」
悪戯に笑いながら再度問うと、少女が『聞かないで』というように縋るような瞳を向けた。
「ね、よかった?」
唇が触れる程近くで三度の問いに、恥じらいに頬を染めて小さく頷く。
「そう」
小さな安堵
引っ張り出したシーツに包まった青年は、黒い空に視線を向ける。夕焼けの空のうちに少女を抱いて、気がつけばすっかり夜になっていた。
「ん?」
ついっとかけられたシーツの端から出された細い指が青年のそれを軽く引いて注意を喚起する。
「え?服?」
こくこくと少女は頷く。
「寒い?」
ぷるぷると首を横に振り、彼女は言う。
「じゃあ、どうして?帰る?」
うんうんと少女は頷く。
「泊まっていけばいいじゃないか」
すでに夜中だから、というわけではない。たんに手に入れたばかりの子猫を側から離したくないだけだ。実際寝顔も愛しくて可愛くて、ずっと見ていたのだ。
「ずっと僕のところにいればいい」
シーツを握っている少女の指をとり、彼は唇を寄せる。
「大好きな君だから、気持ちのいいことしてあげる」
細く白い指に誓うようにキスをする。
「側にいる間中、ずっとしてあげる」
戸惑った瞳で少女は青年を見上げた。
無邪気な子猫が変わる転機
戸惑う瞳が問いかけてくる。
『何故?』と。
だから、たった一つの言葉を紡ぐ。
「好きだよ」
無邪気な子猫が少女の表情で紅に染まる。
「好きだよ。君のキスも君自身もね」
軽く唇を重ね、キスを交わす。
重ねた指先が強く絡む。
それが彼女の答えと分かっていながら、彼は少女に問う。
「君も僕が好き?」
恋する瞳で、少女は精一杯の勇気で頷く。生来内気で内向的な少女には、それが精一杯だ。
出来れば言葉も欲しいが、それはこの少女には酷だろう。恥じ入るように頬を染めた少女の様からそう察する。
「じゃあ、女王候補を辞められる?」
問いかけに、少女は一瞬顔を強ばらせ、しかし震えながら頷いた。
「・・・・・有り難う」
ぎゅっと抱き締めると、おずおずと少女は青年の背に腕を回す。あどけなく、幸せそうに微笑んで。
ドコマデモアドケナク
ドコマデモムクニ
守りたい? 踏みにじりたい?
ドチラモホントウデ
ピクッと少女が反応を返す。
たどたどしく名を呼ばれ、彼は悪戯っぽく笑う。
「大丈夫だよ」
ちゅっと軽く耳の下にキスをしながら、指先は二人の間にあるシーツをずらしていく。
素肌に感じるまだほんの少し幼い甘さを宿した暖かさに、指を這わせるとビクリと少女が震えた。まだ馴れる筈もなく、当然の反応。
「大丈夫だよ」
密やかに吐息を吹き込み、彼は同じ言葉を囁く。
「愛しい君だから、もっと気持ちのいいことしてあげる」
先触れの鼓動
無邪気な子猫は嬉しそうに目を閉じる。
『ダカラ、ズットイッショニイヨウ?』
笑みを刻んだ唇が何よりの答え
そして、世界で一番大好きなものが触れる。
END
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