Festival Night

Festival Night


『お祭りに行きましょう』
 と、彼女は言った。

『作為を感じるね』
 と、彼は呟いた。

「お祭りに行きましょう」
「嫌」
「・・・・・」
 きっぱりと答えられて栗色の髪の少女は唖然と群青の瞳の青年の顔を見る。
「祭りだなんて、ただ喧しいだけさ」
 艶やかな瑠璃色の髪をかき上げ、ぞっとする程麗しい群青の視線を少女に向けてうっすらと微笑む、その白い美貌・・・・・
 誰もが一瞬の隙を作ってしまうだろうあまりに艶麗な微笑に、違わず惚けた少女のほっそりとした腰を黒い腕が攫うと引き寄せ、驚き体勢を崩した少女のあごを搦め捕ると唇を奪う。

 ここは《聖地》  《女王》と呼ばれる宇宙の守護者の住まう不思議の発生地
 そしてこの二人、少女の方は《補佐官アンジェリーク》と呼ばれ、青年は《補佐役セイラン》と呼ばれている、女王に次ぐ地位にある、側近中の側近である。

「ん
!」
 嫌がって小さな拳が青年を打つが、まるで意に介さず口づけは続けられる。
「はん」
 艶めいた吐息
「・・・・・」
「何?」
 意地悪そうに、楽しそうに、煌く瞳
「いきなりはなしにして下さいってば!」
「ごめんだね」
 さらりとかわす言葉に、少女の眉が険悪な角度につり上がる。
「セイラン様!」
「こればっかりは何があったって変える気はないよ。あの日から、この唇は僕の物だ」
 桜色の唇をあごを取る親指でそっと縁取り、うっとりと目を細めて彼は囁く。『たとえ君でも嫌とは言わせない』、と。
「もうっ」
 怒ったように頬を膨らませて、彼女は彼の腕のなかでそっぽを向く。が、すぐに我慢しきれなくなったように肩を震わせ、鈴を転がしたような華やいだ笑みを響かせる。

 ここは《聖地》  《女王》と呼ばれる宇宙の守護者の住まう不思議の発生地
 かつて二人は今在る場所と同じく《聖地》と呼ばれる、だが全くの別宇宙で出会った。この宇宙の初代女王を決める試験で、少女は《女王候補生アンジェリーク》として、青年は《感性の教官セイラン》として。

「ねぇ、行きましょうよ」
 大人っぽい顔立ちに何故か似合う子供のような無邪気な表情で、彼女は彼を説得しようとおねだりポーズでお願いするが、
「嫌だ」
「セイラン様ったら」
 拗ねたように少女がブルーグリーンの瞳で睨むが、
「僕は行かない」
「ぷぅっ!」
 端から見ているとただのノロケでしかない痴話喧嘩を、本人達はあくまで本気で繰り広げている。
「行かないったら、行かない」
 栗色の髪を優しく梳きながらもつれない返事を返す青年に、少女は鮮やかな青翠の瞳で睨みつける。
「分かりました」
 据わった声で少女は言うと青年の腕を振り解いて執務室と廊下を繋ぐドアに向かい、出て行こうとして、
「他の誰かを誘うからいいですよっ」
 拗ねまくった顔で『アッカンベ』をしてから、出て行った。
「あぁいうとこは、何時までも子供なんだから」
 クスクスと笑う青年の脳裏には、少女の怒った、だけれど彼にとっては可愛くてたまらない拗ねた顔があった。

 ここは《聖地》  《女王》と呼ばれる宇宙の守護者の住まう不思議の発生地
 生まれ育った宇宙とは別の女王となるべく聖地の大地を、その為に教え導く者として聖地の大地を、それぞれ踏んだ二人であったが、その相手にこそ恋をした。候補生と教官故の当然の様々な紆余曲折の果て、二人は互いの手を取り、かくて現在、別宇宙の女王より特別の拝命を受け、《補佐官》 《補佐役》として共にある。

 ふわりとしなやかな瑠璃色の髪を風に流し、バルコニーに出たセイランはふと栗色の輝きを認めて目を細めて、
「っにやってるんだ!」
 ブチ切れた。

「あ、ちょうどよかった。セ」
               『ずだだだだだっ』
「・・・・・」
 呼び止めようとした少年であったが、『凄まじい』の一言に尽きる勢いで走り抜けたセイランの姿に前髪をかき上げ、
「どうした?」
 呟いた瞬間に墨色の髪を覆う帽子に手を置かれた。
「セイランさんが凄い勢いで出て行ってしまっただけです」
「そうか」
「どうせアンジェリークのことでしょうけど、よく飽きませんよね」
 育ちのよさが如実にわかる品のよい笑みは、だが、苦笑である。
「まったくだ」
 同じように苦笑しながら鷹揚に少年に声と手をかけた男が頷いた。
 ・・・・・以上のことから、このことが至極日常的なことであることがうかがえるだろう・・・・・

 何かを楽しそうに話していた少女はよく知っている人の気配に振り返って、目を丸くして声をかける。
「いったいどうし」
         『ずだだだだだっ』
                   「人攫いぃぃぃっ!!」
 突然ものも言わずに腰を攫われ、かつぎ上げられるやそのままの勢いで連れ攫われた少女の、人聞きはたいへん悪いがもっともな叫びである。
「何していたの?」
「何って」
 恋人同様にこの聖地の中央にある通称《聖命宮》−命名初代女王−のちょっとした林程もある庭の片隅まで連れ込まれた少女は、やっと降ろしてもらった途端の台詞の冷たい迫力に気圧されながら答える。
「セイラン様が一緒に行ってくれないから、お祭りに行こうって誘ってたんです」
 ここで、『ブチッ』、という音がした。確実に。
「だからって、男を誘うわけかい?」
「別にいいじゃないですか、友人ですもん」
「・・・・・」
 『自覚がないのにも程がある』と、内心最上級の苛立ちを感じながら青年は眉をしかめる。
 生来他人に左右されるような性格ではなかった少女は、世俗の噂話をあまり気にしない為に周りの自分の評価というものを知らない。そのストイック−と言うより、本当はただの鈍感かもしれないが−な性格から生じるさっぱりとした清々しい魅力は老若男女問わずに人気がある。実際、この聖地で女王に次ぐ尊敬を集めているのがこの少女−無論比肩する者がいないわけではなく、青年もその一人だ−なのだが、本人はまるで知らない。そしてそれがまた淡白な性格を強調してしまい、今では少女に相思相愛の相手がいるのを知っていてモーションをかける者まで出る始末というから、困ったものである。更に困ったことに、少女は自分がモテるということを知らずモーションをかけられても全然分かっていない。となると、妙にその手の玄人さん達の対抗意識を煽ってくれるというのだから、青年にとってはたまったものではない。もっともこのセイラン、アンジェリークに手を出そうとした後、もしくはその意志が分かった時に、きっちりとひどい報復を−アンジェリークに分からないところで−しているが。
「そんなに行きたいの?」
「私はお祭りが大好きなんです」
 キャハッとばかりの元気で可愛い顔に、セイランはため息をつく。
「分かった、一緒に行くから、あっちは断っておいで」
 形のよい指が自分の髪を乱暴に乱す。
「どうしてですか?」
「どうしてって」
 まさか素直に理由が言えるわけもなく、言葉を濁すセイランの顔を覗き込んで少女がもう一度言った。
「どうしてですか?」
 極近い位置から見上げてくる少女の勝ち気な顔を木漏れ日が彩る。
「黙秘権行使」
 フイッと顔を逸らせる彼の瑠璃色の髪を少女が引っ張る。
「痛いって」
 顔を歪めて少女に顔を向けると、
「焦りました?」
「・・・・・」
「勝った」
「そういう問題かい?」
 得意そうに笑っている少女の額を軽く小突くと苦笑する。
「そういうものですよ」
 にっこりと笑って、

 桜色の唇が薔薇色の唇を覆う。

「な」
「ふふん」
 さぁらぁに、得意そうに笑って彼女が抱き着く。
「・・・・・もしかして、狙ってたわけ?」
「お約束ですからね」
 その言葉が答えである。
「実はですね、本当はさっきの人ちゃぁんと好きな子がいるんですよ。それで相談を受けたとこだったんです」
「好きな子って誰?」
「私のところで働いてる子です。その子も彼が気になってるみたいなんですけどね」
「そう」
 『それならいい』と彼は内心呟く。彼女の場合自分が口説かれているという状態を理解出来ないのか、はっきりきっぱり言わない限り、遠回しに言うと勝手に誤解してしまうのだが、ちゃんと相手の好きな女の名前を知っているらしいということは勘違いではないだろう、と思う。彼女相手である限り多少確実性に欠けるが。
「それで、私が彼女とかを誘って、彼も友達を誘って、皆で行こうって言ってたんですよ。そうしたらきっかけになるでしょう?」
「・・・・・一応聞いていいかい?その友達って?」
 首を傾げながら少女が答えた途端、彼はため息を零す。・・・・・自分が何度かイジメた相手達の名前だった。
「どうしたんですか?」
「何でもないよ」
「?」
 不思議そうに首を傾げる少女に彼は微笑み、優しいキスを落とした。

 ここは《聖地》  《女王》と呼ばれる宇宙の守護者の住まう不思議の発生地
 《女王》とは宇宙を守護する者、特に現在の《女王》と呼ばれる者は《宇宙を生み出せし者》とも呼ばれている。この宇宙を生み出し、この宇宙を守護する意志《聖獣》を成長させきったのが彼女だからである。《女王候補生アンジェリーク》と共に女王試験を行ったもう一人の《女王候補生》、今は一部を除いて尊称で呼ばれる気高き者の名を《女王レイチェル》と言う。

 褐色の肌の女王は、たいへん、良く言えば活発、悪く言えばお転婆な人である。女王位に昇った時点で彼女は十六才、まだその在位一年経っていないということは、まだ十七才くらいということである。それは彼女の性格に女王らしい落ち着きを与えるにはまだ足りない。よって、このお祭りも彼女の考案したものである。
 『ココンッ』
「セイラン様、行きましょう」
 それは楽しそうにアンジェリークは扉を叩く。
「はいはいっと」
 仕方なさそうな声でセイランが現れる。
「どうしたの、それ?」
「レイチェルとお揃いで作ったんです」
 『似合いますか?』と、少女はふわりと一回転する。風のように。
「まあまあ、かな?」
「どうせ素直に褒めてくれるだなんて思ってませんでしたけどね」
 ブスッとした顔で彼女はふて腐れたように頬を膨らませて睨みつける。だが睨む顔のなかで、『ちょっとは褒めて欲しい』と訴える瞳がアンバランスに可愛い。
「行くんじゃなかったのかい?」
 彼は少女の髪に指を絡めて引っ張る。
「止めて下さいよぉっ」
 『せっかく結ったのに』と今度は怒り出す少女に、耐え切れなくなったように彼は笑った。

 彼がお祭りを嫌いな理由はただ浮かれ騒ぐのが趣味ではないだけでなく、
「あの、セイラン様?」
「何?」
「そんなに嫌なのなら、帰りましょう。ごめんなさい、我が侭言って」
「謝る必要なんてないよ。かまわないからもっと楽しんで。君が楽しそうな顔をするのが見たくて僕は来たんだから」
 栗色の髪を綺麗に結い上げた少女に笑いかけながらも、感じる鬱陶しい気配に内心では眉をしかめている。
 芸術家として大成してからというもの数多の女性達が彼の周りを取り巻いたのだが大抵が彼の秀麗な美貌に気を取られるばかりで何とも面白みがなく、それ以上に失望させるような者ばかりで、彼はすっかり女性不信になっていた。
「でも」
 勿論そんな彼にも例外があり、彼女がその筆頭である。その大切な彼女の顔が曇っているのは彼にとって愉快なことではない。
「いいんだよ」
 軽く髪を撫でる白い指に少女は一瞬目を和ませるが、
「・・・・・」
 それでも彼女の顔は心配に曇ったままだ。
「信用したらどうだい?」
「だって、セイラン様はあまり人の、視線が好きじゃないでしょう?」
 ちゃんと−自分のことはともかく−知っているのだ。彼の周りにはいまだに彼を慕う女性が多いことくらい、彼女はちゃんと知っている。そして彼が女性を軽視する傾向があること、ようするに、女性嫌いの気があることぐらい。
「確かに好きじゃないし、出来るなら遠慮したいけど、君が関わるなら話しは別さ」
 『本当にそうですか?』と問う瞳に、彼は悪戯に笑いかけ、唇を重ねる。
「っ!!」
「これで十分おつりが返るよ」
「セイラン様っ」
 怒り出して持っていた巾着を振り回すアンジェリークと、その手から逃れようとするセイランであるが、はっきり断言しよう。周りの迷惑をまるで考慮していない、なんともべたべたな恋人達である。

 篝火があるからこその影に少女はいた。
「履きなれていないのにはしゃぎすぎたようだね」
「ごめんなさい」
「いいよ、役得だからね」
 楽しそうに笑う瞳に意地悪な光を見つけて彼女はちょっと睨む。浴衣に合わせて朱塗りの下駄にしていたのだが、石畳に足をとられてほんの少し足をひねったらしく脇に逸れて石段の上に座って青年に診てもらっていたのだ。
「少し休めば大丈夫です」
 ツンッとあごを反らして少女が『怒ってるんだぞ』というポーズをとる。
「はいはい。何か飲む?」
 さらりとかわしてそう言うと、途端に少女は態度を変える。
「えっと・・・・・」
 『何がいいかな?』などと考える姿は着ている明るい色を使った浴衣のせいもあってか子供っぽく、年相応の愛らしさだ。
 その姿を見ているセイランも本当はちゃんと似合っていることを認めているので、お陰で込み上げる柔らかな微笑みを隠すのにそれは苦労していた。

 彼女らしいと言えば彼女らしい行動に、彼は苦笑する。
「後ろには気をつけた方がいいわね」
 高飛車な調子で言い切り、ブルーグリーンの瞳が見下すように煌く。
「特に貴方達みたいに人の恨みを一度に百は買いそうな人は」
「アンジェリーク」
 苦笑しながらまだ幼い印象のある顔立ちに大人びた表情を浮かべた少年が名前を呼ぶ。その後ろ手に小さな子供を庇うようにして。
「小さな子供に手を出そうだなんて、大人の風上にも置けないわ」
 プンプンッとご立腹の少女はそんなことを言いながら少年に近づく。
「大丈夫ですか、ティ」
            「後ろ!」

 少年の声に振り返るのと、少女に後ろから巾着で頭を殴られた男の腕が下ろされるのとはほぼ同時で、少女の瞳は大きく見開かれ、

空気を裂く音

                   眼前で止まった拳を凝視した。

「人に言ったことは自分にも当てはまることが多々あるんだよ」
 いとも優雅に艶やかに、微笑み浮かべた人が言う。
「こういう輩は、端迷惑な自尊心というものが大きいからね」
 『気をつけるように』と、からかう群青の瞳が柔らかに輝く。あくまで、彼女だけを見つめて。
「はぁい」
 クスクス笑って少女が返事を返す。
「よろしい」
 教師気分がまだ抜けきっていないらしいセイランは軽く腕を引く。
 さして力を込めたようには見えない滑らかなその動きにつられ、少女に振り下ろされる筈だった腕は後ろに引かれ、倒れる。
 『げしっ』  そんな音が聞こえそうな程わざとらしく倒れた男の上を通って少女の隣、少年の前に来た青年が言う。
「で、君は一人で来たわけかい、ティムカ?」
「いいえ。さっきまで人と一緒だったのですが、はぐれてしまって」
 篝火を浴びて墨色の瞳が笑う。悪戯っ気を多分に含んだその笑みが、『はぐれてしまった』わけではなく、『まいた』のだと暗に言っている。
「成程」
 セイランは呟いた。彼は昼間アンジェリークが誘っていた男はこの女王試験からこっち同僚という間柄になった《元品位の教官》現在は《特別補佐官ティムカ》のところで働いている奴だったと記憶している。ということは、アンジェリーク同様お節介焼きなティムカであるから、代わりに誘ってやったりしたのかもしれない、と推測したのだ。
「それにしても相変わらずお見事ですね」
「別に護身術程度で褒められる程のものじゃないよ」
 鞭代わりに使った細いが簡単に切れない特殊な飾り紐を元通りに身を飾る物として直しながら素っ気なく青年は言い、彼が買ってきた紙のコップを受け取った少女がそれに口をつけながら言った。
「ちょっと狡いとも思いますけどね」
「失礼な」
「だって、見た目にはまるで丸腰なのに、一番お得意な物なんでしょう?やっぱり少し狡い気がする」
「助けてあげたのにそんなこと言うのはこの口かい?」
「いひゃい(痛い)」
「セイランさぁん、大人気ないですよ」
 べたべたと実はとってもノロケている同僚にティムカが苦笑しながら言うと、
「はいはい」
 楽しそうな声で少女の頬を軽く摘まんでいた指が離れる。
「いたいぃ」
「自業自得」
「ぶうっ」
「だぁかぁら、ノロケは他所でやって下さい」
 ビシィッとばかりにティムカのツッコみが入り、恋人達は首を傾げる。
「ノロケ?」
「してたっけ?」
 ・・・・・自覚ないんか、あんたら・・・・・

 大音声と共に無数の色が黒い画布に叩き付けられ、今や遅しと空を見上げていた少女の顔がまだらに染まる。

 すでに夜空を彩る火の華を見るにいい場所は取られ、それならいっそ聖命宮からの方がいいのではないかということで二人はセイランの方のベランダで二人がけの椅子に座っていたのだが、
「わぁっ!」
 思わず立ち上がった拍子に軽い椅子が揺れる。
「座ったらどうだい?」
 呆れたように青年が言うが、耳に入った様子はない。
「綺麗」
 ふわりと白い指が自然と胸元で組まれる。
 空の華よりも傍らにある華の方に瑠璃の視線が向けられる。慈しむように、包み守るように。
「セイラン様?」
 視線に気がついて少女が首を傾げる。
「見逃したら来年までないよ、ちゃんと見たら?」
「それはセイラン様も一緒でしょう?」
「僕は君を見てる方がいい」
「・・・・・」
 少女の顔が完熟林檎に負けない程真っ赤に染まる。実はけっこう言われているのだが、こういった台詞に慣れることが出来る者はそうないだろうから当然である。
 楽しそうな低い笑いが彼の喉を震わせ、知らないふりをしながら少女は流し目で睨む。

 しばらくそうして時間が過ぎ、一際大きく華やかな音が響くと、

「あ、終わっちゃった」
 待っても待っても響かない輝かない。拍子抜けしたように少女が椅子に身を投げる。
「もっとあるかと思ったのに」
 ぷっくりと頬を膨らませて少女は少し不満そうだ。
「セイラン様?」
 口元を隠していた団扇が引かれる。

 触れたという自覚が、しばらくしてやっと芽生えるような軽いキスに、今度は首筋までが赤く染まる。いっそ深いキスの方が盛大に怒れるのだが、こういった類いのキスは怒る以前に恥ずかしさから顔は真っ赤に、頭は真っ白になるのがオチであった。

 が、

「セイラン様っ!」
「煩い口は塞ぐよ」
「人に見られたらどうするんですか!?」
 頭が真っ白になっている間にすっかり押し倒された少女が叫ぶが、青年は何処吹く風とばかりに合わせられた布を緩める。
「暗くて分からないよ」
 そういう問題ではない。
「やだ、セイラン様」
 相手のあまりの強い迫り方に少女は何時も抗しきれずに負けてしまうのだが、だからといって抵抗しないわけにはいかない。
「だから煩いって」
 少女の声は青年の唇に遮られる。
「っ!」
 形のいい長い指が白い胸元に消え、少女の背が弓なりにのけ反る。

 緑青の瞳を涙が彩り、更なる透明感を与え、白い頬を滑る。

 『どっぱぁーん!!』

「作為を感じるね」
「・・・・・」
 肩で息をしている少女から身体を剥がして、彼は夜空を仇のように睨みつける。

 終わった筈の花火が、再び空で咲いている。

 ため息を一つ落として彼は立ち上がる。
「セイラン様?」
「頭を冷やしてくる。襲われたくないだろう?」
 コクコクと急いで頷く姿に触れたい自分を押さえ、彼は内心この花火の間を言い出しただろう女王相手に、本当に言ったら不敬罪ものの台詞を並べ立て、毒づいていた。
『せっかくだったのに』
 ・・・・・だから、迫る場所を考えろ・・・・・

 何時もの癖で髪を拭きながら現れたセイランは、ちょこんと寝台の端に座って彼を待っていたのだろうアンジェリークを見つけて驚いた。
「花火は終わったのかい?」
「はい」
「本当に?」
「本当ですよ。花火に文字を作るのがあるでしょう、それで、『終わり』って」
「・・・・・」
 にこにこ笑って彼女は更に報告する。
「それなのにまた文字のやつが現れたんですけど、今度は『本当に』って出て来たんですよ♪」
「・・・・・レイチェル」
 思わず女王試験中に戻って女王の御名を彼は力なく呟く。『それは僕に対する言葉なのかい?』と。
 ・・・・・多分女王もその意味でやらせたのだろう。茶目っ気と言うか、まだまだ悪戯好きな女王らしいと言えばらしすぎる。が、いいのか?女王がそんなんで・・・・・
「じゃあ、私、部屋に戻りますね」
 朗らかに言って、少女は頭でも痛いのか額を片手で覆っている青年の横を通り抜け、られなかった。
「泊まっていけばいい」
 何でもないことのように彼は言い放つ。通り抜けようとした彼女の華奢な腕を掴み、指の合間から零れる瑠璃の髪、更にその間から群青の瞳を投げかけて。

 その妖しいまでの魅了の力
 魔力にも似た他者に己が意志を強いる絶対的な力

 ゾクゾクする背中を『何か』が滑り落ちる。押す。
 『側に行け』と。『逃げろ逃げろ』と。それは彼女に囁く。

 いっそ青ざめて見える白い面を白い指が包む。ふっくらとした甘い線を描く頬を包む指が優しい力で強要する。
 近づくそれに彼女が目を閉じた。
「おいで」
 囁かれる言葉にもまた魔力が宿る。
「でも」
「でも?」
 同じ言葉を使って問う声に、少女は大きく澄み渡った瞳を彼に向ける。それがどれだけ彼を引きつけるのか、自覚もせずに。
「家に帰らないと」
「もう遅い」
「でも」
 細い肩を覆う筈の栗色の髪は優しいリボンが絡まって結い上げられている。
「でも?」
 再び同じ言葉で促しながら彼の片手が魔法のようにリボンを解き、栗色の髪が柔らかに宙を舞い染める。
「この頃仕事ばかりで家に帰っていなかったから、アルフォンシアがきっと拗ねている筈ですから」
 『帰ってかまってあげたいんです』と少女は言って、・・・・・失敗を悟った。
「尚更帰してあげない」
 きっぱり言い切る姿に、彼女は何時もながら目眩を感じる。

 現在この宇宙を守護している唯一の意志《聖獣ルーティス》と同じく宇宙の意志の具現であった精神生命体《元聖獣アルフォンシア》は、女王試験後に実体を持って人々の前に現れ、今ではアンジェリークにペットとして飼われているのだが、このアルフォンシアとセイランの相性が実に悪かった。
 元々アンジェリークを女王候補としたアルフォンシアは彼女にそれは懐いていた。今でもそれは変わらず『ご主人様だぁい好き』という何とも可愛らしさ大爆発、なのだが、アルフォンシアにとって『大好きなご主人様』はセイランにとっては『最愛の恋人』なわけで、アンジェリークとデートをしている時−だけではないが−何かと邪魔をするのだ、アルフォンシアは。無論、アルフォンシアは邪魔をしているわけではなく、ただただアンジェリークにかまって欲しくてシッポをフリフリやって来るのだが、そうなるとアンジェリークは側にいるセイランを放ってかまってあげてしまうわけで、当然セイランは面白くない。そしてアルフォンシアノ方もご主人様を独り占めしようとするセイランを好きになれる筈もなく・・・・・
 端から見ているととんでもなく情けないアンジェリークの取り合いとなるのだ。

 ズキズキと痛む頭を抱えている恋人の髪にキスをして、彼は子犬を抱き上げるような容易さで抱き上げる。
 少女が慌てる暇もなく綺麗にシーツの敷かれた寝台に降ろす。その行動にはさして乱暴なところは見受けられないが、据わりきった目が拒絶を受け入れそうにもなかった。
「好きだよ、アンジェリーク」
 瑠璃の声音はすぐさま暖かい吐息と共に彼女のなかへと落ちていく。
「ぁん」
 再び浴衣が彼女の身体をしどけなく彩る。
 幾度も身体を重ねることで知った、力を入れてしまえば折れてしまいそうな程華奢な身体を愛撫し、彼女のこの時だけの声に口元に笑みを刻む。『自分だけしか知らない』という独占欲が笑みを引き出していた。
「愛してる」
 囁く声に彼女は震える。
「セイラン様」
 桜色の唇を割って紡がれた応えは、彼の名だった。

 起きたばかりの彼女は憮然とした面持ちで、だけど心地良さでは比類のない場所で内心呟く。
『また、流されてしまった・・・・・』
「う、ん?」
 少女がカーテン越しに朝の清浄な光が満ちているのを見て取り、起きようかどうかとぐずぐずと考えていると、寝惚けた声を一つ、彼女の恋人は無意識に腕のなかの少女を更に抱き締める。
「セイラン様、そろそろ起きません?」
「もうちょっと」
 血圧が低いのか、ただ寝起きが悪いのか、判断をつけることは出来ないのだが、とにかく普段の彼からはとても想像出来ないような気怠い声で返事を返す。
 実はそういった姿が殊の外気に入っている少女は仕方なさそうでいながら、それ以上に嬉しそうな微苦笑を浮かべる。
「本当に、少しだけ、ですからね」
 そっと位置を動かし、今度は自分が最愛の人を抱き締める。
「おやすみなさい、セイラン様」
 何処までも果てのない空を駆け行く風のような優しい声は、微睡みのなかの人へだけに紡がれ、それは届いたのである。

 生まれたばかりの金色の太陽が  祭りの後の気怠い朝を染めるなか
 恋人達は安らかな微睡みのなかで寄り添っていた

END