物語りは『願い』から始まった
「綺麗ですね」
月の光を浴びて色を変えるブルーグリーンの瞳が星空から青年へと向けられ、鮮やかに微笑む。
「そうだね」
群青の瞳が少女の笑みを映して、うっすらと微笑む。
『月が綺麗だよ』
そう青年に言われて部屋を飛び出し、少女は見知っていた筈の公園の、もう一つの姿を知った。
あくまで清かな、そこは銀色の箱庭
銀の足跡が闇に残る
少女が自然と指を重ねる。
「?」
銀色の月華のなかで優美に浮き上がる栗色の髪の少女
「何をしているのさ?」
スッと長いまつげが揺れて、閉じられていた先にあった青翠の宝石が再び瞬く。
「その」
勝ち気な性格を一目で伝える涼しい目元を赤く染めて、少女は逡巡するのだが、
「言ってごらん」
促す言葉に、渋々答える。
「・・・・・その、流れ星があったから」
「少女趣味だね」
濁った先の言葉を察して、クスクスとからかう笑みを浮かべる青年である。
「何だい、アンジェリーク?」
恨みがましい視線に青年が更に笑うと、その微笑みの麗しさに、少女《女王候補生アンジェリーク》は思わず顔を赤らめる。
「何?何か言いたそうだったけど?」
「セイラン様のいぢわる」
ぼそりと呟かれた言葉に、青年《感性の教官セイラン》は破顔した。
「ふぁ」
堪えきれなかった欠伸を一つ手のひらで隠して、少女は今日も今日とて別なる宇宙の女王となるべく学習に励もうと学芸館と呼ばれる建物に向かっていた。
「ん?」
通い慣れてた道の脇、木陰に隠れるように座り込んでいる少年を見つけた少女は何の気なしに近づいた。
「おはよう」
「あ」
群青色の瞳をした少年が、大きく瞳を見開いて少女を見上げる。年の頃は十かそこらといったところ。顔立ちは将来がたいへん楽しみな程に整い、少女のような繊細さとはまた違った硝子細工のような儚い印象がある。・・・・・あくまで一目だけなら、だが。何せその涼しく通った猫のような目の、群青の瞳が脆弱な印象を拭ってあまりあるのだ。少し生意気そうな感じを受ける目である。
「朝早くから散歩?」
「う、うん」
何処となく少女に見られるのを嫌がっているような素振りがある。
「?」
その様子に少女は首を傾げ、
「セイラン様」
ポツリと呟いた。
「な、何で分かったの!?」
驚愕の声はボーイソプラノ
『何となく似ている』
そう思って思わず呟いただけだったのに、目の前の少年と昨夜の青年とが同一人物であるという意味を持った言葉に、少女は叫んだ。
「うっそぉっ!?」
「朝起きたら、こうだったんですか?」
「そう」
不機嫌そうに少年が眉をしかめて頬杖をついた。
ここは少女にあてがわれた海のような青い部屋だ。
「・・・・・」
心配からか青ざめている少女に、彼は外見年齢に似合わないが本来の彼ならば当たり前の突き放すような言い方をする。
「君がそんな顔をする必要はないさ」
「セイラン様」
「ここは女王陛下の御力の最も満ちる場所、どんな不思議が怒ったって、それは不思議とは認識されない。そういう場所だよ」
群青の瞳はあくまで冷めている。
「ま、そりゃあこのままじゃ君達に授業をしてあげられないけど」
「そんなことどうでもいいですっ!」
「アンジェリーク?」
驚き視線を上げて見つけたブルーグリーンの瞳が、今にも泣き出しそうに潤んでいる。
「アンジェリーク、何を怒って」
「私は怒っているんじゃなくて、心配しているんです!」
潤んだ瞳と言葉に、少年は気圧される。
「好きな人を心配するのって、普通でしょう?・・・・・私、セイラン様のこと好きですよ。色んなことを知っていて、私とは違った考え方を持っているから話していてもとても楽しい。一緒にいることが苦痛ではないって、セイラン様も言って下さったじゃないですか?」
訴えかけるような声に、彼はシュンと項垂れる。外見的には似合っているが、本来の彼からすれば、思わず後ずさりたくなる程似合わない・・・・・
「悪かったよ」
「いえ、すみません。私も・・・・・」
勝ち気な性格ではあるが、根はとても素直で優しい少女である。少し反省しているようだ。
そんな少女の様子を見て、少年がさっきからなかなか切り出せなかった言葉を言った。
「・・・・・アンジェリーク、悪いんだけど」
「はい?」
首を傾げる少女に、真剣な顔で沈黙を破った少年は言う。
「このこと、誰にも言わないでくれないかい?」
「誰にも、ですか?」
「うん。知ったら、思いっきりからかわれるだろうから」
「そうですね」
苦笑する少女の脳裏には幾人かの少年もしくは青年の姿があった。誰とはあえて言わないけれど(笑)
「明日になってもこのままなら、流石に言いに行かなくちゃならないけどね」
「分かりました。誰にも言いません」
少年がほっとしたように礼を言いかけた時である。
『キュルルルッ』
クスリと少女の口元に笑みが浮かぶ。
「セイラン様ったら」
「仕方ないだろう?朝そのまま部屋を逃げ出して、食べてないんだから」
真っ赤になって言う少年に、少女はクスクス笑う。
「ご飯作りますね。こう見えても私、料理が得意なんですよ」
可愛いガッツポーズをする少女に、ブスッとした表情の−だが顔はまだ赤らめたままである−少年は言った。
「そりゃあ楽しみだ」
「えぇ、任せて下さい!」
元気に請け負い、少女は栗色の髪を揺らせて簡易キッチンの方へと消えたのである。
「どうでした?」
「・・・・・まあまあだね」
「よかった」
ニコニコ笑って少女は、綺麗に平らげられた皿を重ねる。
「今日は学習に行く筈だったんだよね」
やっとそこに気がついたのか、少年はすまなそうに目を伏せる。彼女は少年が青金石の青年であることを知って驚きの声を上げた後、そのまま彼を連れてここへと帰ったのだ。
「かまいませんよ」
鮮やかに笑って少女は、ちょんっと少年の鼻先を押す。
「アンジェリーク!」
「ね、公園に遊びに行きませんか?」
「ヤだよ」
鼻を押さえて拗ねたように言う少年と、本来の彼とのギャップは果てしなく広く、堪えきれずに少女は吹き出した。
「アンジェリークッ!」
「ごめんなさい」
謝りながら、それでも笑みの漂う唇が誘う。
「なら、森の方に行きませんか?川があって、とても綺麗なんですって」
「・・・・・人、あまりいないんだろうね?」
「えぇ」
とっぷりと夜が更けた頃である。
「だから、君がそっちに寝なよ」
ソファにタオルケットと枕を置いた少女が反論する。
「駄目ですよ、セイラン様はお客様なんですから」
外見が外見なのでセイランは学芸館に戻れず、それならとアンジェリークが純粋な好意から泊まって行くよう薦め、それに−内心複雑ではあったが−従ったのだが・・・・・
「そんなこと言ったって、僕は男なんだよ。女の子である君をソファで寝らせるわけにはいかない」
「なら、今のセイラン様はお子様ですもの。大人の私がベッドで寝るわけにはいきませんよ」
「だぁれがお子様だって?」
ムッとした様子で少年が言う。どうやら現在の外見年齢が十才程度であることを忘れているらしい。
「なら、一緒に寝ますか?」
「え!?」
呆れたような少女の声にギョッとしたようにセイランが目を見開く。
「ベッド大きいから、二人でも大丈夫ですもの」
そう言って、少女はさっさとソファに置いた枕をベッドに置き直す。
「今のセイラン様なら、ですけどね」
ウィンク一つ、敬称をつけながらもお姉さんぶった調子の声である。
「幾ら今の僕の外見が子供だからって、中身までそうなわけじゃないんだけど」
疲れたように少年が言った言葉は、だけど小さく、彼女に届くことはなかった。
『心臓に悪い』
思わずそんなことを考えるセイランである。
「どうしたんですか?」
どうも警戒心を何処かに置き忘れたらしい少女が首を傾げるのを見て、絶望的なため息をつく。確かに、この外見では警戒心が空の彼方に行ってしまっても仕方ないけれど。
「セイラン様?」
「寝なよ」
「?」
わけが分からないと訴える少女の視線を感じて、少年は居心地悪そうにかけられたシーツを直す。
「ね、セイラン様。試してみますか?」
くすくすと悪戯な声が耳に届き、少年は視線を上げる。
「何を?」
「姫君の呪いを解くのが王子様のキスなら、性別は逆ですけど、やってみますか?」
呆れを含んで彼は言う。
「また、そんな突拍子もないことを言って・・・・・してくれるのなら、喜んで受けるけどね、そういう台詞、誰それかまわず」
言葉は途中で途切れた。
「おやすみなさい」
「アンシェリーク!?」
ぽふんと栗色の髪を隠す程にシーツを引き上げた少女の名を呼んで、少年が今度は引き下げるが、
「早い」
思わずがっくりと脱力してしまう程簡単に、少女は寝てしまっている。狸寝入りではない、本当にである。こうなると一種の才能だ。
「まったく」
カリカリと髪をかいて少年も布団に潜り込み、目を閉じる一瞬、少女の唇の触れた自分のそれに指を当てた。残ってはいない跡を確かめるように・・・・・
夜が明ける。暁の光が再び世界を染める。
希望と再生を、誰の目にも確かに鮮やかに焼き付けて。
「ぅん」
閉めきれていなかったカーテンの透き間から伸びる光に、眩しそうにまぶたを揺らせ、眉をしかめた少女が目覚める。
「寝坊しちゃった」
時計を見た少女は呟き、
「・・・・・」
本気で現状が掴めなくなった意識がホワイト・アウトした。
「んぁ」
寝惚けた声を漏らして、青年が起き上がる。
「あれ、ここって・・・・・あ、そうか」
自分の部屋ではない場所での目覚めに訝し気に首を傾げたのも一瞬、すぐに思い出した青年は納得したようにポンッと手を打った。
「アンジェリーク?」
自分の方を見て、茫然自失している少女に気がついた青年が、少女の緑青の瞳の前で手を左右に振る。
「大丈夫かい?」
声に反応して、少女は緩慢な動作で腕を上げ、青年を指さすと、
「・・・・・戻ってる」
「え?」
驚いた青年は自分の姿を確かめる。
昨日は少女の協力で自分の部屋から取って来た白地に青い縁取りのされた服を、本来なら首元に巻く飾り布を使って寝間着代わりとしたのだけど、当然十九の自分に合わされて作られたものだったので可成大きかった。それなのに、今はちょうどである。
「・・・・・昨日のキスが効いたのかな?」
「・・・・・」
ぽつりと漏れた青年の言葉に、ベッドの上、青年と向かい合わせに座り込んだ少女は熟れた林檎に負けない程真っ赤に染まった頬を押さえて狼狽えた。今更ながら自分のしたことの大胆さに火を吹く思いである。
「となると」
頬に手を当てて粗熱を取ろうとしている少女の反応を流し目で確かめ、彼は意地悪に笑う。
「僕はやっぱり君にお礼をするべきなのかな?」
「いいですっ」
気がつけば、何時の間にか青年が可成近い場所にいるではないか。思わず上ずった声で叫んで首をブンブンッと横に振る。逃げたいが、狭いベッドの上だ。後ずさるとすぐに壁に背が当たった。
「そう言わず」
流れるような動きで少女は青年の腕のなかに引き寄せられる。・・・・・やっている青年は、とっても楽しそうだ。
「あの、ごめんなさい!」
「いきなり、何だい?」
「多分セイラン様が子供の姿になったのって、私のせいですっ」
「え?」
「あ・・・・・」
『しまった!』という顔で少女は唇を覆う。錯乱して言ってしまった言葉は戻らないけれど、それでも失言を取り戻そうというように。
「それはどういうことなのかな?」
にこにこ笑っている顔が、本気で怖い。
「・・・・・一昨日、一緒に月見に行きましたでしょう?その時に流れ星見ながら」
渋々少女は言う。言わないと、どんなことになるのか考えたくない程本気で怖い目の青年の腕のなかである。−、言わざるを得ない。
「『昔のセイラン様を知りたい』って、その、思ったもので」
「・・・・・」
「ここが聖地だってこと、忘れていたんです。こめんなさい」
雨に打たれた子犬のような様子で少女が青年の腕のなかで項垂れる。
「どうしてそんなことを思ったわけなんだい?」
「・・・・・」
「黙秘権?」
こくんと栗色の髪が揺れる。
「まったく」
呟いて、彼は少女を抱き締める腕に力を込める。
「まったく、君が原因じゃ」
「セイラン様?」
苦笑している声に、少女の顔が上げられる。
触れる程近い位置で、見上げる青翠
見下ろす群青
『ばったぁん!』
「アンジェリーク!遊びに来たよぉ!」
すっかり身支度をし終えたここ女王候補生寮のもう一人の住人《女王候補レイチェル》が、傍若無人な態度で相手の許可も得ずに入って来る。
「「「・・・・・」」」
『ぱたん』
妙に響く、ドアの閉まる音
「あぁ!待ってレイチェル!誤解よぉ!!」
すでに遅い弁解をする少女である。
「・・・・・」
バタバタと暴れる少女を抱いていた青年が、ポンポンと落ち着けるように栗色の髪を軽く叩いた。
「こうなったら、道は二つ」
何とか落ち着いたらしい少女を前に、もっともらしく彼は言う。
「きちんと身支度をすませて、改めてレイチェルに最初から全部誤解であるということを説明するか、それとも」
「それとも?」
「誤解を本当にするか」
ブラックアウト
「・・・・・ク、アンジェリーク」
「は、はい」
ペチペチと優しく意識の覚醒を促す為に頬を叩いていた青年の腕のなかで、一瞬にして自失した少女が舞い戻る。
「あ、あの」
言葉が言葉にならない様子の少女をサラサラした髪を、彼は初めて見る優しい笑顔で梳いている。
「で、どちらにするんだい?」
柔らかに響く声
「君の好きな方にすればいいよ。どちらにしろ可成のリスクはあるけどね」
「?」
「前者なら、あのレイチェル相手に誤解を解くというなかなかにたいへんな苦労をしなくちゃならない。後者なら、君は女王候補を止めることになる」
甘く輝く瞳
「どちらにするんだい?」
「どっちと言われても」
「君らしくないね」
からかう声に、少女の勝ち気な性格が、カチン、と音を立てた。
「本当に私が決めていいんですか!?」
「いいよ」
「後者はセイラン様にも関係があるんですよ!?」
「だから、いいったら。君が決めたことならね」
段々と語気が粗くなっているのだが、青年は軽くあしらう。
「どうしてそんなに簡単に言えるんですかっ!?」
「そんなの」
軽やかに彼は言ってのけた。
「君が好きだからに決まってるじゃないか」
「嘘」
「嘘なわけないだろう?」
呆れたように彼は言い、少女を胸の奥深くに抱き締める。
「君が好きだよ。・・・・・だから、君に任せる。君が僕を特別に好きなわけじゃないなら、前者を選べばいい」
「セイラン様」
自分を抱く腕が微かに震えていることに気がついて、少女は青年の顔を見上げる。
「君はどちらを選ぶ?・・・・・君は、僕が好き?」
「いいえ」
一瞬泣きそうに歪んだ顔が、生来の性格から唇を噛んでキッときつく鋭くなる。
「そう」
冷たい声が薔薇色の唇から漏れ、更に続けられる。
「なら」
「愛しています」
「な、に?」
驚いた瞳が大きく見開かれる。
「好きじゃ足りません。セイラン様を、愛しています」
華奢な腕がセイランの背に回る。
「もう一度」
「愛しています」
「もう一度」
「愛しています」
請う声に答える度に、細い腕が青年を抱き締める力を強くする。
「アンジェリーク、いいの?」
「セイラン様だから、いいです」
ギュッと抱き着いて来る少女を、彼もまた抱き締める。
「僕も、愛してる」
しばらくそうして抱き合っていた片方が、クスリと笑った。
「セイラン様?」
「君は誤解を本当にすることを選んだけど、さて、問題がある」
「?」
「何処まで本当にするかってことさ」
「・・・・・」
「逃げない」
「離して下さぁい」
ジタバタと身の危険を感じて逃げ出そうとする少女を抱き締めて止める青年の顔は、フラれると思って逆にフる台詞を言おうとした先程とは、180度方向転換している。
「場所は悪くないんだけど、ね」
蕩けそうな程甘い顔で、そんなことを言う。
「セイラン様ぁ」
「時間と雰囲気が、ね」
クスクス、悪戯な笑い声が少女の耳をくすぐる。
「だから、今夜を楽しみにしよう」
・・・・・
「セイラン様っ」
真っ赤になって少女が怒鳴るが、
「好きだよ、アンジェリーク」
少女が驚く間もなく唇が奪われる。
「セイラン様・・・・・」
「アンジェリークが好きだよ。君だけを、愛してる」
「・・・・・」
「ねぇ、いい?」
あごに当てられ、上向かせる白い指
「人のファーストキスを奪っておいて・・・・・」
「君のファーストキスって、昨日もらった筈だけど?」
「あ」
「忘れてた?」
クスクス
「ふにぃ」
「答えは?」
「・・・・・」
「ないなら、勝手にするよ」
「え、あ、ちょ」
溶けるような口づけ
「・・・・・ね、教えて下さいね、ちゃんと。セイラン様のことなら、私、全部知りたいんですから」
『好きだから、知りたい』 そう言っている瞳に映る青金石の影が頷く。
「アンジェリークも教えてくれるならね」
「えぇ」
にこっと、向日葵の笑顔が咲いて、
「アンジェリーク!?」
「お返しです」
澄まして少女は狼狽える青年にもう一度『お返し』をする。
「セイラン様、好き」
触れるだけのキス
「ん、僕も好きだよ」
ふわりと氷の美貌が花開く。
「ねぇ、ずっと僕だけを好きだって、誓える?」
「セイラン様も誓えますか?」
「当たり前だよ」
「なら、私の答えだって分かるでしょう?」
薔薇色の唇と桃色の唇が重なり誓う。
物語りは、 『願い』から始まり
『誓い』で終わり
『幸せ』へと続いた
END
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