それは遠い遠い彼方の過去の約束
栗色に染められた絹で出来た髪は肩程で綺麗に揃えられている。
「こんな子いたっけ?」
雪のように白い整った容貌の青年が後ろを振り返って問いかけると、椅子に座った少女の頭を撫でて深い緑の髪の青年が答えた。
「この子はついさっき出したんや。どや、かぁえぇやろ?」
「珍しくいい子だね」
「相変わらず一言余計やな」
そんなことをいいながらお茶を出す骨董品店の店主に、一応の礼として軽く頭を動かした青年が続ける。
「ここって君の趣味の産物だろ?採算度外視の」
「えぇやん。人間なんか趣味もってないといかん思わへんか?」
「あんまり力入れてると、社員が暴動起こすよ」
売れない骨董品店の店主でありダントツトップに上げられる多角経営の社長である青年《チャーリー・ウォン》に、馴染みの青年はツッコみを無造作に入れてやる。
「だぁいじょうぶ、副業の方は全然問題あらへん」
「主副が逆だって、たいていの人間は断言するだろうね」
胸を張ったうえVサインまでして言い切る姿に、流石に苦笑しながら高名な芸術家として世に知られている青年《セイラン》はツッコんでやり、珍しく素直に少女を見つめる。
「本当にいい子だ。・・・・・けど、何かが足りないような気もするね」
「何が足りへんて?」
「何か、と言われても困るよ。何となく、何かが足りない、それだけが分かるんだ」
じっと見つめる先で硝子ケースの中に納められていく人形を見ながら彼は言い、
「・・・・・」
古めかしい衣装を着せられた美しい人形は、目を伏せて両手を膝の上に重ね、自分を見る者の言葉と視線を受ける。
ただ、無言のまま・・・・・
『君は誰?』
柔らかな朝日を浴びて、影となった誰かが首を傾げる。
『君は、誰?』
影となったその表情は分からない。なのに、窓から差し込む光のように柔らかに微笑んでいることだけは分かる。
『君は僕を知っているの?』
顔の輪郭を影に消す髪が揺れる。
『君は誰なんだい?』
「何や、えらい珍しいな」
元々息抜きがてらやってくる青年ではあったが、それはせいぜい一週間に一度程度だったのだが、今日で連続三日である。
「この子が気になってね」
今は硝子のケースに入れられた少女は大人しく自分を見つめる視線を受け止める。
「・・・・・あんさん、えらい変わった趣味持ってたんやな」
「何が言いたい」
ボソリと低くセイランが冴えた群青の瞳で睨みつける。
「だってあんさん今まではここに来てもなぁんも興味示さへんかったやん。それがここ三日連続で来るは、来たらその子をずっと日が暮れるまで見てくはで、えらい変わりようやんか」
「・・・・・」
自覚があるだけに、青年は反論出来ずに少女に近い椅子に座る。
軽く足を組んでただ冷たい群青の眼差しを栗色の髪の少女に向ける青年に、埃を払う為の羽箒を片手にした青年が誰にも聞こえないような小さな言葉を唇の上に転がした。
「まるで恋でもしとるようやな」
『君は誰なんだ?』
夢という自覚を持って青年は問う。見たこともない何処かの部屋の窓辺に佇みながら。
『君は誰なんだ?』
夜毎夢で会う人影に、彼は問いかける。夢である筈なのに、胸が苦しくなる程の親近感を覚えながら。
『・・・・・』
返事はないと、分かっていながら、
『君は誰なんだい?』
問いかけることが止められない。
『君は』
問いかける先の少女のブルーグリーンの瞳も彼を見つめる。
『君の名前は?』
「何色やろな?」
まるで相対するように今日も椅子に座って少女を見つめ続けていた青年は首を傾げる。
「この子の目の色のことや」
「あぁ」
目を伏せて、何物も移さない少女
「青翠じゃないかな」
「セイスイて?」
「樹木の翠を映した湖みたいな、綺麗な緑青だよ」
ふと、涼しい目を伏せて彼はそう言い、口元に甘い笑みを刻む。
「・・・・・マジで恋でもしてるようやな」
初めてこの孤高の芸術家が微笑むのを見たやり手社長が呟き、やっと視線を少女から外した彼は不思議そうに旧知の青年を見やって、囁くように応えた。
「そうかも、ね」
窓枠に腰掛けるようにしている小さな少女の影が白い床に伸びる。
『・・・・・』
少し、髪が揺れる。首を傾げたらしい。
『・・・・・』
その髪に触れたくて、彼は腕を伸ばす。
『・・・・・』
サラサラとした髪が彼の指から零れる。
『君の名前は、なんて言うの?』
知りたくて、返事が返らぬことを知っていながら問う。
『何?』
小さな唇が動く。
『?』
何かを訴える瞳が彼を見つめる。
『何を言っているんだい?』
「あんさんさぁ、そんなにこの子気に入ったんか?」
「ん」
言葉を発する暇すら惜しんで少女に意識を集中させている青年の様子に、チャーリーはため息をつく。
「ホンマ、ヤバいんちゃうか?」
「僕もそう思うよ」
さらりとセイランは答え、そして視線は少女に向けたまま続ける。
「この子、誰に造られたか、分かる?」
「調べよ思うたら簡単やけど?」
「じゃ、調べて」
命令口調で彼はそう言い放つ。
「えぇけど。何で?」
「この子のオリジナルが、知りたい」
「オリジナル?この子にモデルがおるとは限らへんで」
「いるよ」
きっぱりと彼は言いきった。
「絶対にいる」
問いかけることは止めた。答える術を持たない少女に、それは酷なことなのだから。
ふわりと風が部屋に舞い込む。
ここは彼女の世界そのもの
彼女はここと、そして窓から見える範囲以外の世界を知らない
ふと、横顔が嬉しそうにほころぶ。
『・・・・・』
その理由を知っている。
彼女には想い人がいる
窓の外の先 無限に広がるその先に
今の自分は彼女には見えていない。白い牢獄のような部屋の寝台に横たわった少女が外を見ている時は、彼女に自分の存在は認識されない。
悲しいけれど、彼女は僕を知らない・・・・・
『僕はここにいるのに』
「何だって?」
日参している芸術家に恐る恐る店主は続けた。
「この子を買ういう人が現れたんや」
「・・・・・」
氷の眼差しが向けられる。
「最初は対で買う言うとったんやけど」
「・・・・・この子は一人じゃないのかい?」
「対はあんさんのことや。あんさんずぅっとここに朝から晩までほとんど動かへんから人形と間違われとったらしいわ」
「・・・・・」
「それでそのこと言うたんやけどな、それならこの子だけでもえぇ言うねん」
しばらく無言で睨んでいた青年が口を開く。
「売るの?」
「決めかねてんねんな。なんせ相手は副業の得意先なんや」
肩を竦める青年に興味を失ったように彼は視線を逸らす。
「この子の素性、分かった?」
「まだ」
「そう・・・・・」
無風の硝子ケースの中で、少女は無言を通す。
「君は何処にいるの?」
『僕はここにいる』
窓の外を見つめる彼女には言葉は届かない。
『僕はここにいる』
見つめて囁いて、だけど、彼女は気づいてはくれない。
『・・・・・』
己の朽ちる時の訪れが近いことを知っている少女は、ただ無言で、ただ静かに、窓の外を、自らの焦がれる広い世界とそこにいる片恋の相手を見つめ続ける。
ふと、青年の足が動く。少女の傍ら、窓の外へと視線を向ける為に。
そして、彼は見つける。彼女の想い人のその姿を。
『あれは』
「分かったで」
「何が?」
「・・・・・自分で言うといて、それかい?」
店のドアを開けた途端の言葉にサラリと問うと、苦笑しながら店主がツッコんだ。
「あの子の素性や」
小粋に少女を示され、彼は一つ頷く。
「で?」
短い催促の言葉
「うんとな、あの子が造られたのは今から大体百年ぐらい前なんやて。名前は分からへんかったんやけど確かにモデルがおってな、その子は随分若いうちに死んでしもて、その子を偲んだ恋人か誰かが造ったんやと」
手元のレボートを読みながらの言葉を聞きながら、彼は近視感に襲われる。
古い洋館
見上げる窓
栗色の影
「きっとえらい好きやったんやろなぁ。ほんま、今にも動きだしそうやもん」
言えなかった言葉 伝えられなかった心
有りったけの愛情を注いで造られていくのは
もはや触れることも会うことも出来ない想い人との
約束の証し
『・・・・・から』
「・・・・・ク」
「何や?何か言うたか?」
零れ落ちた言葉の端を掴まえて問うと、指定席に座った青年は不思議そうに振り返って首を横に振る。
「いや?」
「空耳かいな」
ポリポリと鼻の頭をかく青年から視線を移した年若い芸術家は、慈しむ眼差しを向ける人形に何かのもどかしさを覚えて呟いた。
「君は誰?」
白く細い指を握り締める。
『ヤクソク』
小さな唇がゆっくりと動き、言葉にならない言葉を見る者に教える。
『うん』
頷きを返すのは、自分ではない者。意識することなく、それが分かる。今の自分は彼女の想い人の視点から彼女を見ている筈だ。
『だから、待っていて』
消えていく命の炎 最期を迎える彼女の最後の願い故に、やっと触れ合うことの出来る場所にいる。
澄んだ青翠の瞳いっぱいに涙を浮かべた少女は頷き、最後の言葉を残す。
『待っているから、きっと私を迎えに来て』
そして、夢は途切れた
「珍しい」
通い慣れた町角で古めかしい骨董品店から出ていく人影を見咎めたセイランは、そんなことを呟きながら足を進める。
「客が来ていたみたいだね」
ドアを開いた途端に届く声に、チャーリーは言いかけた出身地方独特のイントネーションの『いらっしゃぁい』という言葉を飲み込んで答える。
「例の客や。断りきれんで、この子を泣く泣く嫁に出すことにしたんや」
ケースから出した少女の栗色の髪を丁寧に梳かしながらの言葉に、一瞬青年の瞳が曇った。
「・・・・・落とし物?」
足元の落とし物に気がついて、青年はそれを摘まむ。
「あぁ、娘さん連れて来てたから、その子が落としていったんやな」
向日葵色の鮮やかなリボンが、繊細な指の間でヒラヒラと揺れる。
「・・・・・」
何かが心を揺らせる。
記憶の底辺をそれが揺るがす。
「何するんや?」
手にしていたリボンを軽く唇でくわえて青年の手からブラシを奪ったセイランは、少女の髪を梳いて柔らかく結わえると、リボンをキュッと結ぶ。
「これでいい」
「人の落しモンでしたらあかへん違うか?」
満足そうに少女を見つめる青年に彼はそうツッコんでやったのだが、黙殺された。
「・・・・ぁんさぁ、ひとぉつ、頼まれてくれへん?」
ついでとばかりにフワフワとした胸のリボンやらの形を直してやりながら、指定席でその様を見詰めている青年に恐る恐る彼は言い出す。
「この子をな、連れて行ってくれへんか?」
「自分で行けばいいじゃないか」
何が楽しくて『お気に入りの少女の嫁入り』を手伝わなくてはいけないというのか。
「副業が忙しゅうてな、行かれへんのや」
「・・・・・」
「な、頼むわ」
拝み倒す勢いで手を合わせる青年を冷たく一瞥し、彼は答えた。
「分かったよ」
感じるデシャ・ヴュ 教えられた屋敷に少女の人形を伴ってやって来た青年は、白い花を枝いっぱいに咲かせた木の植えられた庭から、その屋敷を見上げて、それを感じた。
「届けに着た者だけど」
玄関で短く説明すると、すぐに中へと通される。
「こちらにどうぞ」
よくしつけられていると思われる落ち着いたメイドに案内されたのは、その館の二階である。
「ここは?」
「お嬢様の部屋です。それは旦那様がお嬢様にとお求めになられたものですから」
多分この人形を置く為にだろう趣味のいい部屋に合わせられた椅子の一つに栗色の髪の少女を置き、すぐに踵を返して帰ろうとするセイラン。
そこへ、
『カタン』
ドアを開けて、一人の少女が入って来た。
「・・・・・・ク?」
大きな瞳を見開いて青年を見ていた少女が、零れた言葉に反応する。
震える唇を気丈に引き締め、呆然と立っている彼に近づく。
そして・・・・・
『ばっちっん!』
手加減なしに横っ面を張っ倒した・・・・・
「馬鹿っ!!」
勝ち気な顔立ちの少女は高飛車に怒鳴りつける。
「今まで何してたのよっ!?ずっと待ってたのに。貴方がここで待っていろって言ったから、だから、本当は探しに行きたかったのに我慢して、待ってたのに!!」
「《アンジェリーク》?」
たった一つの名前に、彼女の瞳から涙が零れる。
「今もそう呼ばれているわ。たくさん願ったから、神様が叶えてくれたのかもね」
グイッと涙を拭った少女は続ける。
「あの時みたいに、ただ遠くから貴方を見つめ続けるだけなんて嫌だったから、本当は探したかった。だけど約束を破ってすれ違うのが怖かったから、待ってたのに。貴方は何をしていたのっ!!」
『馬鹿馬鹿っ』と延々と続けられそうな少女の言葉は、しっかりとした腕のなかで途切れる。
「ごめん」
ヒックと少女の肩が震える。
「馬鹿。自分で言ったくせに」
『ここで待っていて。きっと迎えに来るから。たとえば生まれ変わっても』
「遅くなったね」
腕のなかで泣き続ける少女の言葉に、彼は愛し気な眼差しを向ける。
「だからその分、側にいる」
「約束してくれる?」
「するよ」
過去の約束の証しが見守るなか
そして約束は結ばれた
END
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