IF STORY〜ウサギさんとキツネさん〜

IF STORY〜ウサギさんとキツネさんバージョン〜


『やっぱり美味しそう』
『美味しくなんかないもんっ』

 ピョンコピョココンと短いがフワフワとした毛に覆われた長い耳が、歩みにつれて揺れ動く。
「アンジェリーク!」
「ウキャッ!?」
 後ろから飛びつかれた栗色のウサギが素っ頓狂な声を上げて飛び上がった。
「レイチェルゥゥゥゥゥ」
「ゴッメェン」
 ケタケタと笑いながら、栗色のウサギに謝るのは金色のシカである。
「何か用なの?」
 ウサギの《アンジェリーク》が首を傾げると、シカの《レイチェル》はいまだ笑ったまま答える。
「見かけたから挨拶しようと思っただけよ」
「普通の挨拶にして」
「そんなことしたら反応が楽しめないじゃない」
「・・・・・」
 シカさんに無意味に胸を張って答えられ、がっくりと脱力するウサギさんである。
「あのさ」
 脱力ウサギさんは放っておいて、辺りを見回したシカさんはワクワクとした目で問いかけた。
「あんたさ、セイラン様のことどう思う?」
「はぁ!?」
 純粋に意味が掴めなかったアンジェリークが再び首を傾げると、レイチェルは興味津々の様子で更に言う。
「この頃セイラン様ったらあんたにかまいまくってるじゃない?」
 クスクスと笑うゴシップ好きの友人に対して、ウサギさんの大きな瞳はとっても険悪である。
「ホント、あんたが可愛くて仕方ないみたいじゃないの」
「何処がよ!?」
「およ?」
 ブルーグリーンの瞳を険悪につり上げ握り拳のアンジェリークは、シカさんが驚いて後ずさったのも見えていない様子で続ける。
「私は毎日イジメられてるのっ!!」
 盛大に怒りを発散させまくる友人の姿に、内心レイチェルは呟く。
『だからなんだけどなぁ』
 意地悪で天の邪鬼なキツネの《セイラン》の性格を考えると、『好きな子程いぢめる』型に思えるからだ。
「セイラン様の馬鹿ぁ!!」
 最後の一際大きく叫んだアンジェリークの肩をポンポンッと軽く叩いて宥めてやるレイチェルである。

 と、そこへ響く涼しくも冷たい声

「誰が馬鹿だって?」

「「っ!?」」

 ザァッと一気に青ざめた少女達は、顔を見合わせるところまでは鏡に映したように同じだったのだが、
「セ、セイラン様」
 一人はどもりながらも振り返ったが、

「・・・・・」
 もう一人はものも言わずに遁走した。

「早い」
 まさしく脱兎状態で逃げ去ったウサギさんのどんどん小さくなる後ろ姿を、呆気にとられて二人は見送る。
「流石はウサギね」
「そうだね」
 群青の瞳のキツネさんは菫色の瞳のシカさんの言葉に頷く。
「それにしても」
 チロリと軽く睨んでレイチェルが言った。
「あんまりいぢめてると、嫌われちゃいますよ」
 冗談めかした声と、笑う菫が忠告する。
「・・・・・」
 それに対してキツネさんは、何も応えず、ただニヤリと笑った。

『美味しそう』
 初めてウサギさんとキツネさんが会ったのは、森の湖でのこと。
 開口一番の台詞に、あんまりにも綺麗なキツネさんにちょっと驚いていたウサギさんは今度は別の意味で驚くと後ずさって言った。
『お、美味しくなんかないもん』
 焦っている姿もなかなか可愛いウサギさんである。
『そうかな?』
 あくまで懐疑的に首を傾げる姿も優雅な獣は、楽しそうに続ける。
『すごく美味しそうだけど』
『美味しくないったらぁ』
 近くの木に張り付いて、ウサギは必死に首を振る。
『ま、そういうことにしておこう。僕はセイラン、君は?』
 楽しそうな口調はそのままに、友好的に伸ばされた手をしばらく見つめたウサギさんは少し躊躇い、だが、笑ってその手を握る。
『私はアンジェリーク』

 そんなやりとりのあった森の湖は相変わらず平和そうにそこにある。
「るん♪」
 やって来たアンジェリークは笑顔で通い慣れた道を歩いていたのだが、思わず脇の茂みに隠れた。
「どうしよ?」
 湖の辺に、ウサギさんがこの頃苦手とする意地悪キツネさんがいたりするのだ。
「むぅ」
 腕組みをしてウサギは思案する。無視して帰るという選択が目の前で陽気に踊っているのだが、別に−確かに苦手ではあるが−嫌っているわけでない相手に、それもなんだか、で・・・・・

「セイラン様」
 最終的にチョコチョコと近づいて声をかける。
 しかし、辺で丸くなっているキツネの返事はない。珍しくうたた寝しているらしい。
「わぁ」
 間近で見るキツネさんの寝顔は本当に綺麗で、ウサギさんは感嘆の吐息を零す。初めて会った時から思っていたが、その顔は思いっきりドキドキしてしまう程に綺麗で綺麗で、いつまでも見ていたい気がしてしまう。
 ちょっとした誘惑が浮かぶ。寝ているキツネさんのその頬を、ちょっとだけつっついてみたい。
「やっちゃえ」
 クスクスと笑ってウサギはキツネの頬に人差し指を当てる。
「?」
 感じ取ったソレを確かめる為、もう一度キツネさんに手を伸ばす。今度は、額に。
「ヤダ、熱がある!?」
 驚いてアンジェリークは立ち上がると周りを見回す。
「いたいたっ!」
 運よく目当ての人物を見つけたウサギさんは、盛大に手を振った。
「ヴィクトール様!」

「いいの、一人でも?」
 クマの《ヴィクトール》に手伝ってもらい、セイランを家まで運ぶ途中で出会ったレイチェルの問いに、アンジェリークはにっこり笑って答えた。
「うん。大丈夫」
「ならいいけど、気をつけてね」
「うん」
 『何』を『気をつけて』なのか分からないが、一応頷く。
「じゃ、お大事にな」
「明日また来るね」
「バイバイ」
 明るく手を振るウサギさんからそれなりに離れた場所で、クマさんがボソリと言った。
「本当によかったと思うか?」
「何か、狼の前に子羊を置いた気分ですよね」
 二人、沈黙。
「食べられないと、いいけど」
「そうだな」

 『ピチャン』
 子羊と言われているとは露とも知らないウサギさんは、狼と言われている熱の高いキツネさんの熱を少しでも冷ましてあげようと、こまめに額の布を変えてやる。
「・・・・・ん・・・・・」
「起きちゃいました?」
 大変珍しくボケボケとした表情のセイランは、声をたどるようにアンジェリークの方を見た。
「びっくりしたんですからね、熱出して倒れてるから」
「うん」
 異常に珍しく素直に頷くセイランに、少し目を見張ったアンジェリークではあったが、すぐに安心させるような優しい笑顔で額に触れる。
 冷たい水で布を浸し、それを水をきる為に適度に絞っているうちにすっかり冷えてしまった手が、気持ちいい。
 『チョイチョイ』と、誘うように揺れるセイランの手に、首を傾げてアンジェリークが近づく。

 『ぺろっ』

「・・・・・」

 『ぺろり』

「っ!?」

 いきなり頬を嘗められ、完全に思考回路がショートした少女の頬を、再び軽くセイランが嘗める。
「有り難う」
 聞き取りにくい掠れた声に気がついて、狼狽えまくっていたアンジェリークはやっとわけが分かった。ようするに、感謝の念を表したものらしい。可成驚くし、恥ずかしいが、意味が分かればまだマシになる。
「どういたしまして」
 悪戯に笑って、今度はアンジェリークの唇が青年の頬に触れる。

 『ちゅっ』

「良い子にして、今日は寝て下さいね」
 笑ってベッド脇に置いた椅子に座り直そうとしたアンジェリークだが、その腕をセイランに掴まれる。
「何か?」
 唇が動いてはいるのだがその言葉が聞き辛く、アンジェリークは腰を折ってセイランの方へと身体を近づける。
「・・・・、・・・そう」
「だから、もう少しはっきり言ってくれないと」
 眉をしかめて彼女は言い、その言葉に青年の腕が伸びて少女を引き寄せた。
「ちょっ、ちょっと」
 間近で見るセイランの容貌は本人の意志とは別に心臓に早鐘を打たせるには十分すぎ、困ったようにアンジェリークは離れようとするのだが、細いわりにしっかりとした指が離してくれない。
「用があるのなら早く言って下さいよ」
 熱に潤んだ瞳は深い深い夜の海の色 その瞳に底はないようで、見ていると吸い込まれそうになる。

 艶めいて輝く深紅の唇が、笑みを刻んで動く。

「やっぱり美味しそう」

「・・・・・」

「逃げられると思ってるの?」
 クスクスと楽しそうに笑って、青年は少女を腕のなかに引き寄せる。
「やぁだぁ」
 ジタバタと手足をばたつかせて逃げようにも、完全に腕のなかに閉じ込められた後である。どうにも逃げられそうにない。
「イヤァッ!!」
 あごの下、首にかかる熱い息に、少女の叫びが迸った。

 小鳥のさえずるいい朝である。
 『コンコンッ』
「はい?」
「おっはようございます」
「無事か?」
 やはり帰った後も気になったのは二人共であったらしい。示し合わせたわけではないのだが、レイチェルとヴィクトールは朝も早い時間に熱でブッ倒れたセイランの家を訪れたのだ。
「お蔭様で、この通り」
 頬にかかる瑠璃色の髪をかき上げる仕草も変わらず、セイランは涼しい声で答える。昨日倒れる程の熱を出したとは思えないしっかりとした姿だ。
「アンジェリークは?もう帰っちゃってますか?」
 軽く首を傾げてシカさんが友人のことを問う。
「・・・・・疲れたらしくてまだ寝てる」
 妙な間をおいてから言うキツネさんである。
「「・・・・・」」
 思わず顔を見合わせ、クマさんとシカさんはお互いに同じことを考えていることを知ると、特大のため息をついた。
「寝ているのを起こすのは可哀想だからね、取り次ぎはしないよ」
 涼しい顔で付け加えるのは勿論キツネさんだ。
「・・・・・そうか」
「あ、これ、お見舞いです。どうぞ」
「ご丁寧にどうも」
 全然感情の篭らない声でバスケットを受け取るキツネさんに、シカさんとクマさんは諦めたように再びため息をつく。
「じゃ、帰る」
「アンジェリークによろしく」
「はいはい」
 変わらないキツネさんの態度に疲れた様子で二人は連れだって踵を返し、キツネさんに聞こえない程度の声で言った。
「食われたな」
「食べられましたね」

「アンジェリーク、そろそろ起きたら?」
 確かにさっき『寝ているのを起こすのは可哀想だからね』と言った筈のキツネさんの台詞である。
「ぅにゅう」
 惚けた声をあげて寝返りを打つウサギさん
「・・・・・」
 しばらくその寝顔を見たキツネさんはにっこり笑って言い放った。

「やっぱり美味しそう」

「美味しくなんかないもんっ」

 見事に跳び起きるウサギさんである。

「はい、オハヨウ」
 軽くウサギさんの額にキスをするキツネさん
「・・・・・たいへん眺めがいいんだけど、寒くない?」
 クスリと笑って言われたウサギさんは自分の身体を見下ろし、
「っ!?」
 悲鳴にならない悲鳴をあげるとシーツを引き上げる。
「・・・・・」
 肩を震わせて押し殺した笑いを低く漏らすセイランである。・・・・・酷いもんだ。
「レイチェル達が来ていてね、お見舞いだそうだ」
 バスケットのなかから少女の好きな木苺を手に取ると、それを自分を睨みつけているアンジェリークの口に放り込む。
「あ、美味しい」
 ムグムグと口を動かすアンジェリークに、小さく笑ってセイランはバスケットごと渡してやる。
「美味しいぃ」
 幸せそうな笑顔でウサギさんは苺を頬張る。その姿に警戒心はない。・・・・・ウサギさんの気をどうすれば逸らせられるのか、完全に把握しきっている。
「僕には」
 一つ摘まんで口にしたセイランが言う。

「君の方が美味しかったけど」

 ・・・・・
「・・・・・!?」
「声になってないよ」
「セイラン様っ!!」
「何?」
 涼しい顔で切り返すセイランに、アンジェリークは真っ赤な顔で叫ぶ。
「美味しかったって、いったいどういう意味です!?」

 その答えたるや、
「そのままだけど」
 であった。

「答えになってないぃっ」
 すでに涙目のウサギさんである。
「言ってもいいけど、耐えられるの?」
「・・・・・」
「僕はいいけどね」
 ・・・・・ウサギさん、可哀想・・・・・
 『ぺろっ』
「きゃう」
 くすぐったさに眉をしかめるアンジェリークの姿に、セイランは艶やかに笑う。
「やっぱり美味しい」
「・・・・・」
 もはや、何の言葉も出てこないアンジェリークであった。

「・・・・・別にノロケんのもいいけど、他人の迷惑考えて欲しいわね」
 ぽつりとシカさんが呟いた。
「離してぇっ」
「ヤだよ」
 対岸でキツネさんに捕まってジタバタしているウサギさんがいる。
「あれから毎日毎日、よく飽きないものよね」
 呆れ果てた声である。それも、ま、連日本人達の自覚のないノロケを聞かされれば、当然ではあるのだが。

 後ろから抱き締められたアンジェリークはあくまで逃げようとジタバタしているが、力強い腕に阻まれてただ体力を消費するだけの行為となっている。
「いやぁん」
「どうしてそこまで嫌がるわけ?」
「だってぇ」
 長い耳を伏せぎみにしてウサギさんは口ごもる。その姿は犯罪的に可愛い。
「セイラン様いぢめるんだもん」
「酷いな、こんなに可愛がっているのに」
「うっそだぁ」
「本当だよ」
 そう言って、アンジェリークを抱き直すと唇を軽く塞ぐ。

「好きだよ、僕のウサギさん」

「・・・・・本当に?」
「本当に」
 ぎゅうっとばかりに一際強く抱き締められたウサギさんは、その言葉に顔を上げると再度問う。
「本当の本当に?」
「この手の言葉を使う冗談を言う趣味はないね」
 再度の確認に呆れたように答えるキツネさんの反応に、やっとウサギさんが見上げた顔に笑みを浮かべた。

 本当はずっと前から言いたかった言葉があった。それを、ウサギさんはうっすらと顔を薄紅に染めて口にする。

「・・・・・私も、好き」


END