IF STORY〜メイドさんとご主人様バージョンその後編〜

IF STORY〜メイドさんとご主人様バージョンその後編〜


 その後の一幕

 まろやかな呼び鈴の音に少女が玄関へと走っていく。
「はい?」
「どうもぉ」
 重厚な扉の先には愛想のいい笑みを浮かべた妙に怪しい青年の姿があり、少女はにっこり笑って言った。
「押し売りは間に合ってます」
 『ぱたん』
「あぁ!ちゃうんや、ここセイランの家やろう!?」
 盛大に扉を叩く音と一緒に届いた言葉に、再び少女がドアを開く。ただし、全開にはしない。
「セイラン様に御用の方?」
「そうや。で、あの人おるんか?」
 癖のある口調に目をぱちくりさせながらも少女が頷き、用件を問おうと口を開いた瞬間に涼しい声がそれを遮った。
「入れてやっていいよ」
 振り返り、吹き抜けの階段の上から見下ろしている青年を見つけ、少女はドアの前から退いた。

「しっかし、よかったよかった。あんさん時々ふらぁっとどっか行く聞ぃといたから、おらへんかったらどないしよ思うたわ」
 そんなことを言いながら座っている客人に、メイドさん《アンジェリーク》が紅茶を差し出す。
「いやぁ、有り難うな。なぁなぁ、あんさん名前何言うん?」
 ナンパに走る青年に、ジロリと睨んでこの屋敷の主であり少女の雇い主である青年《セイラン》が言う。
「人の名前を聞くなら自分が先に名乗れば?」
「相変わらずな人やなぁ」
「人のこと言えるのかい?」
 さらりと受け流すセイランに、深い緑の髪の青年が苦笑する。
「俺は《チャーリー》言うねん。よろしゅうな」
「私はアンジェリークと申します」
 青翠の勝ち気そうな涼しい目元を和ませ、少女はそう言って茶目っ気あふれる仕草で礼をする。
「名前もかぁえぇな。どや、よかったら今度ウチの店に遊びにきぃへん?」
「コラ」
「いいや、いっそここよかえぇ待遇するさかい、ウチで働かへんか?」
「ナンパに来たのならとっとと帰れ」
「えぇやん、こないかわえぇお嬢ちゃんをあんさんだけが独り占めするなんてあんまりやんか」
 唖然として少女が、絶妙に息の合ったやりとりに吹き出す。
「わ、私、これで失礼致しますね」
 大笑いしたいのを必死に押さえているメイドさんに、ご主人様は不機嫌そうな態度で横柄に呼びつける。
「何ですか?」
「この距離はいったい何?」
「ご自分の胸に手を当ててお考え下さい」
 絶対にご主人様の手の届かない範囲までしか近づこうとしないメイドさんである。
「あんさん、メイドさんに手ぇだしたらあかんわ」
「・・・・・」
 ゲラゲラ笑いながら言う相手に、冷たい一瞥が与えられる。
「御用がないのでしたら、失礼致します」
 微笑しながら少女は、不機嫌極まりない姿の青年にそう言い置いて、扉を閉めた。
「しっかし、ホンマかぁえぇ子やな」
 少女を見送り、青年に向かわせた笑いは微妙に違う。そのことに勿論気がついた青年の柳眉が微かに動く。
「本当に何しに来たわけだい?わざわざ社長自ら来る程の用件なんだろうね?」
「別に俺やのうてもかまへんただの商談なんやけどな、今までよう頑張ってくれた十七人目の担当が『辞めさせてくれ』言うさかい、とうとう俺にお鉢が回って来たんや」
「成程」
 『そうか、あれは十七人目だったんだ』と呟く青年に、お得意様は再び苦笑した。

 門扉の辺りを掃除していた少女が振り返る。
「お帰りですか?」
「はいな」
「帰るんならとっとと帰れ」
「セイラン様」
 たしなめる声に動じるような主人ではないと知っていても、彼女は言わずにはいられない。相手かまわず毒舌を使う青年のフォローが何時の間にか身についていた。
「あんさんさぁ、あんな人に仕えるの苦労するやろ?どや、給金はマジでここの二倍、いんや、三倍出してもえぇんやけど?」
「・・・・・『いい加減にしろ』って言われて、水をかけられたいのかい?」
「セイラン様」
「ほら、あんなこと言うような人やさかい、気苦労も多いやろ?俺ならそんな心配あらへんで?」
「いい度胸してるじゃないか」
「セイラン様もチャーリー様も、いい加減になさって下さい」
 お誘いと一緒にそれとなく自分の肩に置かれた手から逃れて、ホウキを自分と平行に持ち身体を心持ち前屈みにした少女が片手を腰に当てて二人を睨む。
「セイラン様はもう少しお言葉遣いを柔らかになさいませ。チャーリー様のお申し出はきっぱりお断り致します」
「なんでぇ?」
 不満そうにブーブー言うお客さんに、メイドさんは当然のことを言う口調で答える。
「この職場が気に入っているからです」
「だってさ」
 勝ち誇ったように言うのは勿論ご主人様である。
「ちぇっ、まぁえぇわ。また来た時にも口説くさかい」
 それでもメゲない社長さんの態度に、無表情にセイランが言った。
「アンジェリーク、バケツ何処?」
「セイラン様っ!!」
「んじゃ、またな、アンジェリーク」
 大声を張り上げる少女にだけ手を振って帰るお得意先に、青年が苛立たしい視線を叩きつけた。

 きちんと家中の鍵がしまっているか確かめていた少女は首を傾げる。
「まだ起きてらっしゃるのかしら?」
 光の漏れる部屋は主人の部屋で、夕食後に『すぐに寝る』と言って部屋に篭った筈なのに、
「目が覚めてしまったのかもしれないわね」
 ありそうなことを呟いた少女は、再び家中の見回りの続きを行った。

 『ココンッ』
「何?」
 控えめなノックに応えると、両手に湯気の立ったカップと燭台の乗ったトレイを下げた少女が入ってくる。
「カモミールティーにブランデーを入れた物です。お飲みになられますか?」
 ナイトキャップティーにとわざわざ容れたのだろうカップを彼は受け取り、チラリと少女の顔を見る。
「あいつが言ってたの、本気だよ」
「は?」
 目をパチクリさせるメイドさんから視線を外して、彼は続ける。
「チャーリーの言ってたことさ。あれは本気の時の口調だったからね」
「あれでですか?」
「あれで、だよ。で、どうする?」
「何がですか?」
「僕みたいな気まぐれで皮肉屋なんかのところで働くより、いいと思うんだけど?」
「本気ですか?」
「・・・・・」
 静かな声で問う少女に、耐えきれないように青年は背後のテーブルにカップを置くふりをして背を向ける。
「私はお断りした筈です。ここが私は気に入っていますから」
 『お下げします』と言って空のティーカップに少女は手を伸ばすと、それを来た時同様に乗せ、
「セイラン様?」
 後ろから抱き締められて、彼女は困惑して主人の名前を呼ぶ。
「君が好きだよ」
 囁かれる言葉に、少女の眉がつり上がる。
「そんなこと知っています」

 半年程前に、二人の関係に変化が生じた。

 惹かれる心を隠して働いていた少女
 惹かれる心から目を逸らしていた青年

 その心が結ばれ、『ご主人様とメイドさん』という関係と共に『恋人同士』という関係が結ばれていた。

「わざわざ私をからかうくらいなら、朝きちんと起きる為にも寝て下さい」
 寝起きの異常に悪い主人に毎日毎日手を煩わされまくっているメイドさんは、それと同じように自分をからかうご主人様の腕を邪険に払う。
「明日は何時も通りでしたね?」
 にこりと何時もの笑顔で少女が起床時間の確認をすると、青年は答えず少女からトレイを取ると傍らのテーブルに置く。
「あの?」
 ユラユラと揺らめく炎が瑠璃の息に吹き消される。
「ご主人様?」

 『どうなさいました?』と問う声の答えは、抱擁で返された。

「な、何を?」
 驚いた様子でバタバタと少女が暴れるが、力強い腕がそれを阻む。半年前からこの手のからかいを毎日受けて、そのせいで随分慣れたと思っていたのだが、様子の違うご主人様にメイドさんは脅えている。
「愛してる」
 強く少女を抱き締めて、初めてのように熱っぽく囁く声が零れた。

「だ、だから、そういうからかいはいい加減止め、キャッ」

 真っ赤になって逃れようとする細い身体が、広い寝台に投げられた。

 可成危ない位置まで上がってしまったスカートの裾を慌てて押さえる少女の白い足を覆う靴下が青年の手で脱がされる。
「何をす、ゃんっ」
 足の甲に唇の暖かさを感じて少女が顔を背けた。
「止めてっ!嫌っ!!」
 上へと昇る暖かさに、彼女は悲鳴をあげる。
「どうしてこんなことするんですかっ!?」
 半分泣きながら少女が叫ぶと、やっと暖かさが離れて、答えを返してくれた。

「誰かに君を盗られるなんて、嫌だっ」

 血を吐くように切ない声で低く叫んだ人が、少女を抱いて寝台に倒れ込む。
「止めてっ」
「何時だって君は、僕がどんな想いで君を抱くのか、分かってはいないんだ」
 泣きそうな群青の瞳に、彼女が息を飲む。

「本当は、あの時からずっと君の一番近くにいたかったのに、僕は君から一番遠い」

 拗ねたように言いながら、彼は頬を寄せた胸から響く心臓の鼓動に目を細めた。

 早鐘を打つその鼓動は、彼女の心の動揺を映したが故に
 その音を聞くうちに、静かになっていくのは自分の心

「・・・・・」
 きつく唇を噛んだ青年は少女から身体を引き剥がすように離れる。キングサイズのベッドだ。二人が寝転んでも窮屈な印象もない。
「セイラン様?」
 しばらくしてやっと青年が自分から離れたことに気がつき、起き上がって寝台に正座をした少女が名前を呼ぶ。
「アイツがあんなこと言うからだ」
 責任の幾つかを旧知の青年に押しつけて、彼は目を閉じる。
「言い訳と言われても仕方ないけど」
 二年もの間ずっと『雇い主とメイド』という関係を続け、それは今やすっかり骨にまで染みているのは彼とて同様で、昼間の客の神経逆撫でしまくりの発言がなければこんなことをする気はなかった。
 もっと時間をかけて、

「君が僕を敬称抜きで呼んでくれるようになるまで、待つつもりだったんだ」

「だけど待てなかったわけですね?」
 容赦ないツッコみにふて腐れた青年は背中を向け、その姿に緩められたエプロンを外した少女がクスクス笑う。
「笑わなくてもいいだろう?」
 ムキになればムキになるだけ子供のようになる青年に、少女は大笑いしたいのを何とか堪える。お陰で、目の端に大きな涙の滴が浮かんだが。
「セイラン様」
 柔らかな声に、彼は視線を向ける。
「私がセイラン様を呼ぶ時に、敬称を忘れることはきっとありません。だって、初めてお会いしてからずっとそう呼んでいるんですもの、無理ですよ」
 言葉を選ぶように視線をさ迷わせる少女を見上げて、彼は切なさに目を伏せて呟いた。
「早く言いたいことを言うといい。僕がまた狼になる前にね」
「・・・・・」
 言葉が出て来ない様子でその台詞を聞いた少女は、桜色の唇を引き結ぶ。

「っ!?」

 驚いて群青の瞳が見開かる。

 桜の花びらのような唇が、自分のそれに触れている!?

「お返しです」
 ベェッと舌を出してそっぽを向く少女に、彼は自分の理性を総動員させるはめに陥る。
「僕を狼にしたいわけ?」
「半年前に関係を壊したのはセイラン様です。なら、きちんと責任取って下さいよね」
「・・・・・都合のいいように、解釈するよ?」
「ご自由に」
 半身を起こして少女の顔をうかがうと、その冷静な答えとは裏腹にひどく緊張した顔で窓の外を見ている。
「取り消し無効だよ」
 抱き締めた途端に逃げようとする反応に笑いながら、彼は栗色の髪から覗く形のいい耳に唇を寄せた・・・・・

 ぼうっとした視線が窓の外に向けられる。
「あ、閉め忘れてる」
 惚けた声に、低い笑い声が続く。
「セイラン」
 『様?』と疑問符つきで言う筈だった言葉が薔薇の花に吸い込まれる。
「何度注意しても直らないね」
 十分柔らかな唇を堪能した青年の言葉は更に続き、
「ま、お陰で僕はキスをする口実が出来たけど」
「・・・・・待って下さい。まさか・・・・・」
 いやぁな予感に、少女の顔が青い。
「直るまで何度でもキスするからね」
「止めて下さいぃ」
「君が敬称をつける前に注意してくれって言ったんじゃないか」
 『確かに言ったけどぉ』と頭を抱える少女に、彼はケラケラ笑ってキスをした。

「まった来ったでぇ!」
「帰れ」
「いきなりそれか?」
 庭でイレブンジィズティーをしていた青年にツッコみが入る。
「いらっしゃいませ、チャーリー様」
「やぁ、今日もえらいかぁえぇなアンジェリーク」
「水も出す必要ないからね」
 冷たく言いきって青年は画布に向かう。
「・・・・・アンジェリーク、マジにこんなとこ止めて俺んとこで働かへんか?」
 ため息を一つついてすぐにメイドさんにちょっかいをかける社長さんであったが、
「アンジェリークは僕のだよ」
 後ろを見もせずに言い放ったのは、無論のこと芸術家である。
「あのなぁ、人を所有物扱いしたらあかんで」
「確かにそうだね。アンジェリークはアンジェリーク自身のものだ」
 一応は肯定するが、視線は手元に向けられたままである。
「だから、アンジェリークはここを辞めないよ」
「えろぉ自信があるんやな?」
「聞いてみたらいいだろう?」
「やて、どうや?ここよか絶対えぇ待遇させてもらうで?」
 客の分のお茶を容れていたメイドは自分に話を向けられて驚いたように目をパチクリさせ、ふわりと微笑む。
「お断りした筈です」
「何でやねん」
「この方以上に好きになれるご主人様はきっといませんから」
「・・・・・」
「分かったら用件言えば?」
「いやな、俺、アンジェリークのスカウトに来たんやけど・・・・・」
「なら帰れ」
「セイラン様っ!」
 冷たい言葉に悄気てノの字を書くあんまりにも情けない姿のチャーリーを足元に、メイドさんが怒る。
「その言い方はお直し下さい、セイラン」

「あ」

「そっちも直すように」

「・・・・・そういうことかい?」
「そういうこと」
 真っ赤になっているメイドさんを腕に、ご主人様がお得意様の言葉に答える。
「仕方あらへんな。馬に蹴られて死ぬのはまだ惜しいし」
 ため息をついて立ち上がった青年は、ヒョイッと小意気に描きかけの絵を親指で示すと言った。
「な、あれは俺がこうてえぇか?」
「幾らで?」
「二度とあんさんとこのメイドさんにはちょっかいかけへん、てのはどうや?」
「商談成立」

「仲がいいのか、悪いのか」
 これは、ご主人様の腕から逃れ、二人を眺めたメイドさんの台詞

 そしてもう一人
 描きかけの画布の中で、笑顔で花束を抱いている栗色の少女もその光景を見ていた。


END