In The Morning
「…ん……」 何かが頬をくすぐる心地よい刺激に、アンジェリークはそうっとまぶたを開いた。 まだ昇ったばかりの朝日が、薄水色のカーテン越しに部屋の中を柔らかく照らしている。 カーテンが風に揺られるたび、金色の光がほろほろと枕元にこぼれた。 (窓、ちゃんと閉まってなかったのね……) 閉めなおそうと上を見上げて、少女は頬をくすぐっていたものの正体に気づいた。 (セイランさま……) すぐ隣で眠っている青年の、サラサラした蒼い髪が風に吹かれて、それが少女の頬を くすぐっていたのだった。 アンジェリークは新宇宙の女王候補、セイランはその女王候補を教え導く感性の教官として聖地に召喚され、そこで二人は出会った。 おとなしくて控えめ、ガラス細工のように繊細な少女、アンジェリーク。 秀麗な顔立ちから想像もつかないほど辛辣な物言いをする、若き天才芸術家、セイラン。 外見も性格も全くの正反対な二人が、まさか結ばれるだなんて、周りの人間はもちろん、当の本人達でさえ思っても見なかった。 けれど、少女は新宇宙の女王の座を辞退し、彼と共に生きていく道を選 んだのである。 そっと手を伸ばしてアンジェリークは、顔を覆ってしまったセイランの髪を掻き上げた。 時に女性的と言われるほどの秀麗な美貌があらわになる。 冷たく整いすぎた印象さえ受ける顔立ちの青年だが、ぐっすりと眠っているその寝顔は、なんだか自分より年下の少年のように見えて、アンジェリークはふわりと微笑を浮かべた。 起こさないように気をつけながら、静かに蒼色の髪をなでてみる。 触れるたび、心の中に広がっていくのは、彼への愛おしさ。 かすかな吐息が、ゆっくりとした鼓動が聞こえる。 世界で一番……ううん、宇宙で一番大切な、大好きな人。 (セイラン様……) 深く眠って目覚める様子のない彼に、アンジェリークは少し背伸びをして…… そっと、彼の額に口づけた。 少女らしい、羽のような優しいキス。 ほんの一瞬の後、耳まで真っ赤に染めたアンジェリークは、すっぽりとベッドの中に潜り込み、襲ってきた恥ずかしさをこらえるようにきゅっと目をつぶった。 「…何……?」 何かやわらかいものが額に触れた気がして、セイランはゆっくりと切れ長のまぶたを 開いた。 こぼれ落ちる朝日のまぶしさに目を細めつつ、あまり寝起きの良くないセイランは、しっかりと目を覚ますために何度かまばたきを繰り返して――――群青色の瞳を、大きく見開いた。 吐息が触れそうなほどすぐそばに、ほんのりと頬を染めた少女の寝顔。 確かめるように額に手をやり、残ったぬくもりから事の次第を推測したセイランは、瞬間、陶器のような白い肌を紅に染めた。 大人しい、最愛の少女の思いがけない大胆な行動に、鼓動が跳ね上がる。 どうにか胸に手を当てて動悸を押さえてから、セイランはあらためて、こちらを向いたまま瞳を閉じた、少女の寝顔を見つめた。 「眠っているの?」 至近距離でささやいても、アンジェリークは目覚めない。 頬にかかった髪を掻き上げ、そのまま彼女の髪をなでながら、セイランは愛らしい 寝顔を、目を細めて眺めた。 陽に透けてしまいそうな、細い栗色の髪。 薄桃色に染まった、ふくよかな頬。 桜色の小さな口唇から、ひそやかに吐息がこぼれている。 触れた髪はまるでシルクのように触り心地が良くて、手が離せない。 そうして、優しい手つきで髪をなでつづけていると、ふと、こらえきれなくなったかのように、少女の細い眉がぴくりと動いた。 それを見つけて、優しげな色から一転、セイランの瞳に悪戯めいた光が浮かび上がる。 彼は髪から手を離し、その優美な白い指を彼女の顔に近づけて……… 「ん〜〜〜〜〜っっ!!」 突然襲ってきた息苦しさにアンジェリークは驚いて跳ね起き、大きく見開いた瞳の先に心底楽しそうな彼の顔を見つけて、きょん、と小首をかしげた。 くつくつと、悪戯が成功した子供のような顔で、セイランが笑っている。 「やっぱり、起きてた」 「ほえ?」 「さっきから起きてたんだろう?」 「ふぁい……って、はにゃしてくだはい〜〜〜〜」 涙目で訴える少女に、セイランはくすくす笑って手を離し、ほんの少し赤くなってしまったその鼻先にこつんとキスをした。 「セイランさま!?」 「さっき君がくれたキスの御礼だよ」 「さっき…って、お、起きてたんですか!?」 「君がキスしてくれたからね」 あっさりと返されて、アンジェリークはカァァァァッと頬を染めてうつむいてしまう。 恥ずかしくて、彼の顔が見られない。 真っ赤に染まった顔を見られるのさえ恥ずかしくて、両手を頬に当てて小さくなってしまった少女に、セイランは彼女の前髪をかき分けて額に優しく口付けを落とした。 驚いて彼を見上げると、今度はこめかみにキスが降りてくる。 セイランは、彼女にしか見せない極上の微笑を浮かべると、少女の髪に手を差し入れ、香りを楽しむようにゆっくりと梳いた。 初めて会った頃よりも少し伸びて背中に届きそうな栗色の髪は、それでも絡まることなくさらさらと指の間をくすぐっていく。 何度も、髪の間を通り抜けて行く、彼の指。 それがとても気持ち良くて、アンジェリークはうっとりと瞳を閉じ、彼の胸に頬をすり寄せ――――次の瞬間、おびえたようにパッと離れてしまった。 「アンジェリーク?」 驚いてのぞきこむと、不安の色いっぱいに潤んだ瞳が自分を見上げている。 「…こわいの……」 「こわい?どうして?」 優しく問い返すと、消え入りそうなほどか細い声で答えが返った。 「…だって、幸せで、幸せ過ぎて、夢みたいで…… 目がさめたら、消えてしまいそうなんですもの……」 この幸せが信じられないと言う、あまりにも少女らしい返答に苦笑しつつ、セイランは人差し指でアンジェリークの頬をツンッとつついた。 「セイラン様っ…」 「アンジェリーク。君にとって、僕はそんなに存在感が薄いのかい?」 「そんなことっ…」 「違うの?」 「それは……」 容赦無い追求に、アンジェリークは言葉に詰まってしまう。 セイランは、そんな彼女の首筋を引き寄せ、その耳元に甘くささやいた。 「…だったら、信じさせてあげるよ……」 驚いたアンジェリークがわれに帰るよりも早く、セイランは彼女の小さな唇に自分の それを激しく重ねた。 息つぐ間もないほど激しく長いキス。 やがて、名残惜しむように少女の唇を開放したセイランは、密着した体を少しだけ離し、彼女の左手をすくい上げて、その薬指にそっと口づけた。 「僕のすべてをかけて誓うよ。…アンジェリーク、君は僕が一生守る。 絶対に離さないから…」 「セイラン様……」 キスと言葉が、そして何よりもはっきりと言いきった彼のまなざしが、ずっと離れなかった不安を吹き飛ばしてくれた。 アンジェリークは口づけられた手を彼の左手に重ねると、最上の笑顔でしっかりと うなずいた。 「はい。ずっと、あなたのそばにいます……」 幸せそうに瞳を閉じた二人の左手で、お互いの薬指にはまった細い銀の指輪が、朝の光をはじいて、宝石のように輝いていた…… fin. |