いざよい


 十六夜が、何故『いざよい』と呼ばれるか、知っているかい?

「ヤだっ」
 突然少女が青年の腕の中で抗う。
「アンジェリーク?」
 呼びかける声に、彼女はイヤイヤとばかりに首を横に振るばかり。
「何が気にいらないんだい?」
 細い指先で肩をきつく抱きしめ、彼女は許しを請うように瞳を伏せる。
「お願い、止めて」
 突然の変心を訝しりながらも彼は少女の願いを叶える為に身を起こし、小さく震える少女に目をやって小さな震えにため息を零した。

 上半身を冷たい空気にさらしたままの状態で、彼≪感性の教官セイラン≫は広い寝台から下りると開かれたままの窓辺に寄る。冷たい夜の清冽な空気が流れ込む窓辺に腰掛け、彼は脅えたように震える少女の白い背中を見つめた。
「何を躊躇うんだい?」
 『今更』と付け加えられた言葉に、彼女の背が再び震える。
 だけれど言葉はない。
「・・・・・強情な子だね」
 沈黙に吐息を一つ落とし、彼は空を見上げる。
 満月と見えるが満月でない月を、その冴えた瞳に映した青年は、今度は得心したようなため息をついた。
「セイラン様?」
 薄いシーツを掴んだ指先を胸元で組んだ少女が、月を見上げる青年を見上げる。
 再び視線を戻して、薄いシーツ越しに透ける豊かな少女の肢体を一通り確かめるように見つめた。そこに在ることを確かめるような眼差しは深い海の底の色で、優しく凪いでいる。

 横たわる沈黙
 それが怖くて彼女は青年の名を呼ぶ。
「セイラン様」
 と。

 長い指先がそっと唇を割る。
「ん」
 優しい力でこじ開けた少女の唇に、自分のそれを重ねる。
 ゆっくりと、しかし強引に少女の唇を割って続けられる口づけは、少しずつ少女を翻弄していく。
「やぁ」
 指先の移動に添って痺れるような感覚が、彼女を翻弄する波を高くする。
 それを嫌がって少女が暴れるが、青年は徹底的に無視を通して愛撫の手は止まらない。
「くっ、んっ」
 涙に潤んだ瞳が、侵入に堅く閉じられる。端から大きな滴がゆっくりと落ちた。
「あ、あぁ、ぃやぁっ」
 唇だけが嫌がって拒絶しながら、華奢な腕が青年の背に爪を立てる。

「いざよいか」

 白い高みに上りきる寸前、彼女はそんな声を聞いた。

 そして、後は白い

闇、闇、闇・・・・・

 形のいい指が優しく髪を梳いているのに気がついて、アンジェリークはともすれば重く意志に反しようとするまぶたをゆっくりと押し上げた。
「セイラン、さま?」
 何処かあどけない口調
 うっすらと微笑みを浮かべた青年が、応える。
「何?」
 ほのかに青味がかって見える程白い青年の頬に、艶やかな瑠璃色の髪が妖しくかかる。その姿は息を飲む程美しく、ブレーキをかける声がなければ、自分でも持て余す程の勝ち気さが生来のものでなければ、『愛して欲しい』と懇願することも悪くないと、そう思える程だった。
 無論、そう思うだけだが。
「・・・・・って、嫌って、言ったのに」
 悔しさに涙が浮かぶ。口の悪さはともかく、尊敬して、思いが高じて好きになって、心から愛している人だけれど、自分の意志を無視するやり方には、自分に対して情けなくて悔しい気持ちが広がることを押さえることが出来ない。
 どんなに頑張っても自分は、この人にとって、苦もなく押し倒して抱く程度の、折り合う余地もない程気にかけてもらえない相手なのかと、そう思えて。思考が悪い方向へと流れていくのを止められない。
「『嫌』っていうのが本心なら止めたけどね」
 必死に泣くまいとする少女の目元に口づけて、皮肉屋で通っている彼としては珍しくふんわりとした柔らかな微笑みを浮かべて言ってのけた。

「本心とはまるで逆のことを言っているのに、なんでわざわざ真に受けて止めなければいけないんだい?」

 穏やかな微笑みと自信に溢れた言葉のギャップに、少女は顔を引きつらせる。
「私、嘘なんて言っていません」
「言ったよ」
 クスクスと、今度は彼女にとって見慣れた笑みを浮かべて彼は自分を睨む少女のいたるところにキスをする。くすぐったさが先立つようなキスに少女が身をよじるのを軽々と抱きとめて、笑みを湛えて彼は続けた。

「月は女を支配する」

「?」
 脈絡の全くない言葉に瞬きすると、青年が白い指を窓へ向ける。
「見えるよね、月」
「はい」
 押し倒された格好で、顔ごと視線を窓へ向けた少女が応えると、彼は片腕だけで少女から身体を離すと同じように月を見る。
「今夜は十六夜。十六夜が『いざよい』って言われるのは、知っている?」
「えっと、確か、何処かの星での呼び方でしたよね」
 主星育ちの少女は、自信なさそうに答える。
「そう。では、その意味は?」
「?」
「流石に知らないか」
 自分を見上げる無垢な光を宿す青翠の瞳に笑いかけ、彼は自分のなかにある知識のかけらを取り上げた。

「十六夜は十五夜よりも月の出が遅い。それを月が躊躇っていると考えて、いざよいと呼ぶんだ。『いざよい』っていうのはね、『躊躇い』という意味なんだよ」

 初めて聞くことに驚いたような瞳に、彼は不意打ちのようにキスをする。
 正真正銘驚いて目をぱちくりさせる少女の唇に自分のそれを深く合わせ、少女の華奢な指がすがるように自分の腕をたどたどしい力で握る程長く続ける。
「『月は女を支配する』。月と女性の関係は、男性のそれより密だ。何故と問われても答える要素までは僕は持ってはいないけれどね、事実だと思っていい」
 力を抜いて、少女の身体を覆う。柔らかく弾力性に富んだ少女の身体の奥、心臓の鼓動が高くなるのを、触れ合った肌越しに感じた。
「今夜はいざよい。躊躇いの月。・・・・・君って意外と周りを気にするからね」
「・・・・・」
「元々君はずっと思っていたんだろう?『自分は女王候補だから、こんなことしていてはいけない』って」
「・・・・・」
 無言で、小さく少女は頷く。
「抱いて愛して、君を満たしているつもりだったのに、少し、寂しいかな」
 苦笑する声にまぶたを閉じる。

 抱いて愛されて満たされていると思うけれど、確かにそう思うけれど、彼も自分に『愛している』と言ってくれるけれど、こんなに月が綺麗な夜は、心の片隅までも月の光に照らされて、考えまいとしていることも、逃げ場を失ってしまう。

「だって、試験が終わるまでじゃないですか」

「試験が終わったら、私が女王になってもなれなくても、別れるのに、分かっていて、こんなに一緒にいたら、辛くなりすぎる」
 言って、もう引き返せない程彼を愛している事実にぶつかる。悔しい程、自分は彼を愛している。

 そう、

「私は我がままだから、もっと一緒にいたら、きっと試験が終わってもずっといたいって、そう思う。セイラン様は束縛を嫌うのに、きっと、嫌われるくらい側にいたいって、そう思ってしまう」

           嫌われる行為を考えるのも怖い程に。

 ため息吐息 ほんの少しの腹立たしさ
「それはつまり、僕が何時か君を手放すということを前提とした話だろう?冗談じゃない、僕が君を手放すわけないじゃないか?」
 意思疎通の難しさは知っていたけれど、こうまで見事にすれ違っていたとは、と、青年はため息をつく。
「君は僕の物だよ。僕が君の物であるように」

「新宇宙のアルフォンシアより、僕の方が君を愛してる」

 闇夜にも鮮やかな姿とそれ以上に鮮やかな意志

「私のこの先の人生、責任持ってくれるんですか?」
「君の人生は君の物だよ」
 サラリと言って、彼は軽い口付けを交わす。
「だけど、君は僕の物だからね。一応、考えてはあげるよ」

 クスクスと笑い声が満ちる。
 欠けていた筈の月が満ちる。

 長い長いキスをして、指先が遊ぶ。
 白い丘の桜を使って遊んでは、甘い吐息を奪う。
「ん、んふ、んん」
 唇を結んで必死に耐えようとする少女に、ニヤリと人の悪い笑みを浮かべた青年が、一際快楽を誘う。
「っ!!」
 強すぎる快感はまだ重ねることに慣れたとは言い難いアンジェリークにとって、身体を苛む凶器でもあって、
「ゃぁ」
 泣きそうな声が濡れた音の間に微かににじむ。
「おねが、やめっ」
 眉がしかめられる程の快楽に襲われ、彼女は顔を背ける。
「何時も君はそう言うね。身体の感じることを、心も早く受け入れればいいのに」
 舌先で丁寧に桜の堅い蕾を愛でていたセイランは、上気した甘い吐息を荒く繰り返す少女を艶やかな眼差しで見上げる。

 敏感な身体と、それを受け入れるにはまだ何処か幼い心
 教えるのは自分だけだ
 他の誰にも譲らない自分だけの権利だ

 唇を汗ばんだ肌に合わせたまま移動すると、小刻みに少女の身体が震える。
 上手く反応を返すには絶対的に経験の足りない少女は堪えきれない蜜のように甘い吐息と意味のない言葉を繰り返すしかない。
 そんな少女を時々見上げながら、彼は躊躇なく細い少女の右脚を手に取ると、内側にキスをして焦らすように不自然な程ゆっくりと今度は上へと移動する。
「ぃやっ」
 今度こそ恐怖に少女が顔を強ばらせて弛緩させられた身体を堅く閉じようとした。
「駄目だよ、力を抜いて。後で辛いのは君だよ?」
 左脚も取ると、嫌がる少女を無視して開かせる。

「心にもないことを言って、僕を拒んだ罰だよ」

 クスクスと笑いながら少女が嫌がることを知っていながらそこに端正な美貌を埋める。
「っっ!?」
 同じ濡れた音なのに、何時もの何倍もそれは彼女を追い詰める。
「陰陽で牡丹の華の示すのがこれだっけ?」
 濡れた唇をぞっとする程凄絶な笑みを浮かべて嘗めると、彼はその笑みを一層凄ませて彼女に向ける。

「くせになりそうだね、甘くて」

 ブンブンと必死に首を振って、言葉を紡ぐことすら困難な程に翻弄され続ける少女が懇願する。
「何?もう駄目?」
 少女が懇願するものが何であるのか知っていながら、意識的に彼は無視する。そうして無邪気とは決して言えない悪戯な笑みを浮かべ、彼は少女の唇に口づけられる程顔を寄せた。

「もう少しおしおきしたいところだけど、今は許してあげるよ」

 少女が気絶する程愛して、随分機嫌を直した青年は半身を半分起こすように軽く枕に背を預けると、胸の上で眠る少女の頬をつついてみた。
「んーっ」
 嫌そうな声で少女は夢から立ち戻った抗議を無意識にする。
「セイラン様?」
 ボゥッと寝惚けた瞳で見上げて、彼女は不意に大輪の笑顔で青年に抱き着いた。
「アンジェリーク?」
 クスクスと上機嫌なことを示すような笑い声に、彼は首を傾げる。

「月を見つけたんです。綺麗な綺麗な青い満月」

 言葉に、青年はクスリと笑った。
 理解の要素は確かに彼のなかにある。
「そう」
「その青い月なら、支配されてもいいなぁって、思うんです」
 ぎゅぅっと抱き締めて、彼女は無邪気で悪戯な笑顔で続ける。
「もっとも、その満月はまんまるではなくて、刺がいっぱいついているみたいなんですけどね」
 ・・・・・多分、セイランの口の悪さのことを言っているのだろう。
「そういうことを言うのはこの口かい?」
 かるぅく少女の頬を掴んで青年が言うと、少女がばたばた暴れて嫌がる。
「ぷぅっ」
 つねられた頬を押さえて少女が拗ねた瞳で青年を見上げると、細い指がクイッいあごを掴んだ。
「月に支配されてもいいと、君は言ったね?」
 ふわりと、冷たく厳しいような香りが掠める。
「月は女を支配する。同じように、女も月を支配する」

「だから、君も時には月を支配してみせてごらん?」

 挑発するような言葉に、にっこりと少女は笑ってみせる。
「勿論です」

 誓うようなキスをして、二人は互いを支配する者であり、己が支配する者を見る。

世界よりきっと愛してる
誰よりずっと愛してる

「さて、さっきの悪口の分も含めて、お仕置きしようか」
「え!?」
「逃げられやしないよ、月からはね」

いざよい 躊躇い 十六夜
こうして夜は明けていく

END