言わなくちゃ、伝わらない
濃淡薔薇の花びらが白い肌に映える。
サラサラとした栗色の髪が深紅の薔薇の花びらの上にかかる。
しっとりと潤んだ緑青の瞳が伏せられる。
赤い唇が言葉を漏らす。
「セイラン様」
傍らで眠る人の頬に水晶が落ちる。
「セイラン、様」
白い指が顔を覆う。
「・・・・・私は、貴方にとって何なのですか?」
ストレートの栗色の髪がふわりと風に膨らむ。
「え?」
瑠璃色の髪が風に揺れる。
「モデルを頼みたいんだ」
「私にですか?モデルにはレイチェルの方が何倍も描きがいがありません?」
ダークブロンドとブルーグリーンアイの《女王候補アンジェリーク》は、純粋な金のブロンドと薄いパープルアイの《女王候補レイチェル》の名を上げる。
今ではすっかり仲良しさんのレイチェルは、自慢するだけあって長い金色の髪と褐色の肌が映えて可成のナイスバディを引き立て、モデルのしがいは自分の何倍もであると彼女は思う。
「レイチェルにはもう頼んだよ。レイチェルが昼太陽で、君は夜月という風にイメージが湧いてね」
「私なんかでいいんですか?」
「勿論」
即答に、彼女は人差し指を口元に当てる。
「これから何か用事、ある?」
「いいえ」
「なら、引き受けてくれるよね?」
麗美な美貌の青年瑠璃の髪に群青の瞳の《感性の教官セイラン》はそれとなく追い詰めるような口調で言う。
「・・・・・分かりました」
しばらくの沈黙の果て、彼女はそう答えた。
「じゃ、二階に行こう。アトリエは二階に私室との続きにしてもらっているんだ」
帰り際の少女を呼び止めた青年は執務机の端に座るような形から勢いをつけて少女の方へと向かう。
「そうなんですか?」
「教官の誘いを受けてすぐに部屋を好きにしていいと言われたから、アトリエも作ってもらったんだ。僕にとって芸術とは息をするのと同じことだからね」
「セイラン様らしいですね」
クスクス笑って少女は青年の後について行く。
もしも、もしもこの後にあることを知っていたら、笑うことなど出来なかっただろう。否、ついて行くことなど、誘いを受けることなど、しなかっただろう。
だけど、全ては、意味もない仮説、現実にはなり得ない想像でしかない・・・・・
純白のローブデコルテ
「ちょっと恥ずかしいですね」
胸元や背中が大胆にくられた袖のないドレス
「そう?」
着替えて来た少女に軽く答えて、彼は天井の硝子から漏れる月の光を確かめながら椅子を置く。
「ここ座って。最初だからね、今日はそこに座ってくれるだけでいいよ」
「はい」
瀟洒な椅子にちょこんと座って少女は青年の方に視線を向ける。何時だって相手の瞳を見つめる少女には、いっそ青年の顔を見つめる方がよかったのだ。
時間の流れを忘れる空間
藍青の瞳と緑青の瞳がぶつかる。
『カタリ・・・・・』
「セイラン様?」
筆を置く音に少女が首を傾げる。
「どうしたんですか?」
滑らかな動きで青年が立ち上がり、少女の側へと短い道を歩く。
「あの?」
影が落ちる・・・・・
KISS
「ん」
眉をしかめて少女の腕が青年を押しのけようと動くが、その前にその青年の腕に捕らわれる。
「ハ、ァ」
息苦しい口づけから解放されて、抗議よりも先に安堵の吐息が漏れる。
「ッ!」
キッと向けられる少女の瞳を先触れとして抗議の言葉が漏れる前に、またも青年がそれを封じる。
『ふわり』 少女の身体が浮く。
白い繊手が少女の身体を軽々と抱き上げ、たゆむことのない歩みが故の規則正しい足音が隣の部屋へと吸い込まれる。
口づけられたまま寝台に降ろされる。
「んんっ!」
乱暴な素振りはまるでないのに、寝台に押し付ける指の力に抗することが出来ない。
「離してっ!」
青年の唇が離れた瞬間に少女の叫びが木霊する。教官に対する礼儀なんて、もう何処にもなかった。
「イ・ヤ・ダ」
返答にアンジェリークは射殺さんばかりの眼差しを向ける。
気丈なブルーグリーンの瞳に、群青の瞳が笑う。
深淵の微笑み
深遠の、微笑
ローブデコルテの大きくとられた襟ぐりに深紅の薔薇が咲く。
「っ」
悲鳴を押し殺したのは、彼女のプライド
「離して」
出来得る限り静かな声であろうとして、だが、震えは押さえ切れない。
「怖い?」
笑いを含んだ声が囁く。
細く長い指が胸の隆起を、たどる。
「ゃぅっ」
過剰な程反応する身体に、艶の細面が、笑う。
止むことのない愛撫に、
「ぅあ」
涼しい声音が、
「い、」
最後の堤を破る。
「いやぁっ!」
残った矜持も全てが壊れる。
魂も壊れるような悲痛な叫びは、ただ叫んだ本人と、それを引き出した者だけが耳にした
愕然と、目覚めた少女は項垂れる。
「・・・・・」
声は嗄れ果て、何の言葉も出て来ない。
涙の泉は尚もあふれ、緑と青の二つの色を持って落ちる。
残った力を必死に集め、少女の姿は朝日に溶けた。
聖なる少女は絶望の淵に
早朝とはいえ、奇跡的に誰の目にも触れず、少女は自分に与えられた海の部屋に飛び込み、力なくそのまま床に座り込む。
「いや」
やっと少女の喉が言葉を漏らす。
「いや」
何時までも涸れない涙が頬を濡らす。
「酷い」
顔を覆う白い指も、涙に濡れていく。
「どうして?」
答えの返らない問いかけが零れる。
「・・・・・だったのに」
更に泣きたい言葉が続く。
「好きだったのに」
何もかもを壊す行為に、少女は何時までも泣いていた・・・・・
太陽は悲しみを知らない
「アンジェリーク、いるんでしょう?」
「レイチェル」
「いれてよ、お茶しよ?」
手土産のケーキの入った箱を見せて菫の瞳を瞬かせるよく似た性格の親友に、少女は少し笑って道を開ける。
「どしたの、元気ないわね?」
「そうかしら?」
「ははぁん、さては育成が上手くいかなくて悩んでるな」
「ほっといて」
見当外れな台詞にわざと引っ掛かったふりをする。
「キャハハ、図星なんだぁ」
これで意外と素直なレイチェルは、けっこうあっさり騙されて陽気に笑う。
「あ、ねぇ、アンジェリーク、セイラン様から聞いた?」
お茶を容れようとキッチンに行っていた少女は思わず反応してしまったがそれは見咎められず、声だけが何時ものように紡ぎ出された。
「セイラン様がどうかしたの?」
「あんたの絵を描きたいんだって」
「私?レイチェルじゃないの?」
「私はもうモデルやったもぉん」
レイチェルの好きなお茶を容れて帰って来ると、金髪の少女は嬉しそうに笑う。何処までも鮮やかな太陽のように。
「そうなんだ」
「もっとも、どうせ私はダシなんだろうけどね」
「え?」
「やっだぁっ、信じらんなぁい!アンタ気がついてないのぉ!?」
盛大に騒ぎ立てる友に、アンジェリークは驚く。
「あんだけアンタのことばっか見てるのに、本人が気がついてないわけぇ!?」
「何、それ?」
「だぁかぁらぁ、セイラン様はアンタが好きなの。だからアンタを描きたい、その口実に私と対の絵を描くだなんて言ったのよ」
「セイラン様がそう言ってたの?」
「ふふん、この天才美少女レイチェルにかかれば、それっくらい簡単に分かるわよ」
豊かな胸を見せつけるように反らす友人の姿に苦笑しながら、少女は首を振る。
「私は受けないわよ」
「何で?アンタ、セイラン様嫌いなの?」
率直すぎる質問に、出来る限り平静を保ちながら彼女は答える。・・・・・でないと、あの夜の狂乱が戻ってきそうで怖かった。
「私が嫌なのは、モデルをすることよ」
突然の艶事で、砕けてしまった恋心 その残滓が痛むから、まだ嫌いになれていないから、だからこんな答えが精一杯
「勿体なぁい。どうせ女王には私がなるんだもの、他に目を向けたら?」
「まだ負けてないもん」
プゥッと膨れてみせると、彼女は太陽の眩しさを振り撒く。
何も知らないから・・・・・
しばらくのこと、セイランと二人っきりで会うのが怖くて少女は学芸館に近寄りもしないでいたのだが、そのうち学芸館に学習に行かなくてはいけない状況に陥った。彼女は女王試験が宇宙の卵が孵化し、第二段階に入った当初から一気に安定度を高めては育成をするというパターンを作っており、件の夜は安定度を高めた後であったのでしばらくの間はそれでもよかったのだが、すぐにそのうち惑星と安定度との間が埋まってしまったのだ。こうなっては、幾らなんでも学習をしないわけにはいかない。
「あ、よかった。一緒に行こう」
「いいよ」
部屋を出るところの太陽みたいに鮮やかな友人を取っ捕まえ、少女は同じ勉強をしようと誘いをかける。
「で、レイチェルは何の学習に行くの?」
「品位は昨日学習したばっかだから、精神と感性よ」
「・・・・・」
「ついでだからぁ、仲、取り持って上げようか?」
「いらなぁい」
少女にとっては、それこそ余計なお世話であった。
午前中は精神の、午後は感性の授業を受けると決めた少女達は、順に揃って扉を叩く。もうすっかり顔馴染みである教官達は快く授業をしてくれたのだが・・・・・
『パンッ』
手を打ち鳴らす音に少女達は扉を背にした感性の教官に視線を向ける。
「あんまりにも勉強熱心だから声をかけそびれたんだけど、もう夜だよ」
感性の教官の執務室の窓はステンドグラスである。見えにくいけれど、入って来る光は月のもの、星も輝いているようで。
「いっけない」
「すみません、何時までもご迷惑を」
レイチェルを精神安定剤の代わりにしたアンジェリークは、何とかセイランを相手に笑うことが出来る。少しぎこちないけれど。
「・・・・・危ないかもしれないから馬車を頼んであるよ。さっき準備が出来たって言いに来てくれたから、今日の授業はここまでにして、お帰り」
滑らかに耳に届く声は淀みがなく、涼しい容貌の青年に似合いだ。
「「はい」」
声を揃えて返事をし、慌てて教科書を鞄に詰めるとバタバタと慌てた風情で執務室を出ようとする。
「待った、アンジェリークは残るんだ」
「は、い?」
ぎくりと身体を震わせ、今しもその眼前を通り過ぎようとしていた栗色の少女は恐る恐る青年を見上げて、薄く笑っている群青の瞳とぶつかると青翠の瞳を逸らす。
「あ!アンジェリークをモデルにするんでしょう?確かアンジェリークは月のイメージだって言ってましたもんね」
「うん」
「分っかりました!私、一人で帰りますね」
「ちょっと、レイチェル!」
さっきまでとは別な意味で慌てるアンジェリークを、無情にも置き去りにしようとするレイチェルである。
「置いてかないでよぉ」
「バイバイ」
「レイチェルゥゥゥゥゥ!」
陽気に手を振る友人を追いかけようと足を踏み出した瞬間、黒い布に包まれた腕がその動きを止める。
「・・・・・この間から、僕を避けてるのかな?」
魅惑的な声が問いかける。
「それに、この間は何も言わずに帰ってしまうし」
その声は硬直している少女の耳にのみ辛うじて届く程の大きさで、どうしてもその声を彼女は脳裏から振り払うことが出来ない。届くか届かないかの瀬戸際の声は気になってしようがなく、無意識に聞き耳を立ててしまうのだ。
「おいで、今日は立っている姿を描きたいな」
何時ぞやの夜のことなど知らないと言いた気な声に、少女は俯いて唇を噛む。強烈なトラウマになった場所だ、近づきたくもない。なのに、
「おいで」
誘う言葉に逆らえなかった。
そして、同じことは繰り返される。
幾度も、幾度も・・・・・
青年に見つかっては彼のプライベートルームに連れて行かれ、行為は重ねられていく。
「ふ、んん」
何時ものように、もう慣れてしまった暖かさの中で目覚めた少女は涙を流す。
「んっ」
恋心の残滓は何時までも心に残って、彼女は彼を嫌うことが出来ないでいた。いっそ嫌えたら、どんなことをしたって突っぱねて、逃げ出すことが出来るのに。嫌いになりきれない現実では、結局どんなに嫌がっても青年の思うままになってしまう。
せめて青年が目覚める前に帰ってしまうことを決めている少女は涙を拭きながら身を起こす。
健やかな寝顔に、殺意が芽生えるのは何度目だろう?
そんなことを考えながら綺麗な寝顔に視線を落としていると、
「あ」
寝惚けた顔で青年が少女を見上げる。
「・・・・・たんだ」
「え?」
「そこに、いたんだ」
心底ほっとしたような声が、形のよい唇から零れる。迷子の子供がやっと探していた人を見つけた時のように、柔らかい笑みが口元を彩っている。
「行かないで」
腕が少女を捕らえる。
「あ、あの」
狼狽える彼女の耳に届く、規則正しい寝息
「・・・・・完全に寝惚けてたんですね」
疲れたようにため息をつく。
・・・・・嫌えそうに、なかった。
理不尽な行為が重ねられていく度に好意は砕かれ、嫌えるようになれると思ったのに、たった一度の笑顔が全てを元へと戻した。・・・・・違う。本当は、まだ好きだったのだろう。無理に嫌おうとして、それが破綻しただけ。自分自身も把握仕切れない心の深い奥底で、まだ彼を嫌えないでいたのではなく、まだ好きだったのだ。
「・・・・・何も、言って下さらないのだもの」
公園を育成帰りに歩きながら、少女は呟いた。勘違いを起こした原因を。
『セイラン様はアンタが好きよ』
折りある度にそう言っていたレイチェル
だけど、彼女自身は彼自身から一度だって言われていないのだ。一度だって、好意を示してもらっていない。信じることが出来ない。
不安定な少女を映して、少女の《聖獣アルフォンシア》はこの頃元気がない。
・・・・・言わずにはいられない。
「セイラン様の馬鹿」
「誰が馬鹿だって」
約束の木と呼ばれる大樹に体重を預けるように寄り掛かっていた青年が問う。
「っ!?」
昨日の今日であろうとおかまいなしに少女を見つけると周囲には『モデルを頼んでるんだ』と言って−嘘ではないがそれだけが目的なわけではない−私室に繋がるアトリエに少女を連れ込む青年との、鬼の変わらないかくれんぼをしていることをすっかり失念していた少女は立ち止まる。
群青の艶めいた視線で少女を搦め捕り、彼は少女の腰に腕を回すと引き寄せる。
堂々真っ昼間の庭園である。
「セイラン様!」
「静かにしておいで」
悪戯な仕草で唇に人差し指を当てて言葉を封じると、大樹の木陰へと移動する。流石に人の目が気になるらしい。ここの木陰は、誰かがいるようなら見ないふりをするのが礼儀となっている。
「何時も思うんだけど、どうして僕が寝ている間に帰るんだい?ちゃんと送るのに」
ぴったりと身体を抱き寄せ、彼は囁く。
「・・・・・」
「聞こえてるだろう、アンジェリーク?」
「・・・・・」
「アンジェリーク」
「・・・・・」
叱り付けるような声音にも沈黙を守る少女に、彼は困惑する。
「どうしてなんだい、アンジェリーク?」
耳元で囁くと、肩が少し揺れる。だが、それだけだ。
「強情だね」
困ったように呟き、こめかみにキスをする。・・・・・やっぱり、あまり人目は気にしていないかもしれない。
「行こう」
ローブデコルテ 彼が描く少女は何時も純白の天使の姿
椅子には座らず床に座って、物憂げに椅子に身体を預けるポーズは、何処か艶めいて見える筈だが、豊かな感情を垣間見せる素直な瞳がそんな雰囲気を払拭する。
多分、彼女は知らない。自分がどれだけ切ない目で彼を見ているのか。元は勝ち気に睨むような眼差しであったのが、日毎に柔らかく、切なくなっていることを。それがどれだけ青年を惹きつけるかを。息をすることのように当たり前にしていた芸術活動が出来なくなる程、力の限り抱き締めたいと思わせる程、自分が彼を惹きつけていることを、知らない。
『カタリ』
押さえ切れない恋情が、彼を動かす。
人が一番知らないモノ
それは自分自身
濃淡薔薇の花びらが白い肌に映える。
サラサラとした栗色の髪が深紅の薔薇の花びらの上にかかる。
しっとりと潤んだ緑青の瞳が伏せられる。
赤い唇が言葉を漏らす。
「セイラン様」
傍らで眠る人の頬に水晶が落ちる。
「セイラン、様」
白い指が顔を覆う。
「・・・・・私は、貴方にとって何なのですか?」
ポタリ、ポタリ
銀色の滴が落ちる。
「ぅ、ん?」
ため息に似た声が漏れる。
涙に濡れた瞳を覆う指が離れ、青年の姿を映す。
「アンジェリーク?帰るの?」
猫のように伸びをすると、切なく瑠璃のため息
艶やかな色めいた群青の瞳が少女を映す。
「・・・・・泣いて?」
白い指が濡れた頬に触れる。
「どうしたんだい?」
「私、」
耐え切れない鳴咽が漏れる。
「セイラン様にとって、何なんですか?」
「アンジェリーク?」
「私、何も、分からない」
顔中涙で濡らした少女は俯き、顔を覆う。
唖然としたように青年は目を見開くと、勢いよく跳び起きる。
「何って、分かってないのかい!?」
呆れたような声で彼は少女の腕を掴んで引き寄せる。
その力に負けて少女はバランスを崩すと青年の胸に転がり込む。
「・・・・・だって、何も言ってくれてないじゃないですか!?」
「アンジェリーク?」
困惑の声音に、少女は涙の合間に言葉を紡ぐ。
「レイチェルは、セイラン様、が、私のこ、とを、見、ていると、言いました。でも、私は知らな、い。知らないんです。言って、くれないと、分からない・・・・・」
抱き締められると切なくて
肌を重ねる度に怖かった
『ワタシノコトヲドウオモッテイルノデスカ?』
答え如何では、きっと自分は狂ってしまう。
心の奥底で、それでも好きだった。
決して愉快なことではないけれど、それをも許してしまう程に好きな人・・・・・
その人にこの想いが通じなければ、きっと自分は狂ってしまう。
細い指が小さな拳の形に握られると、弱い力が意外な程広い胸に幾度となく打ち付けられる。
子供が癇癪を起こしたような姿に、恐る恐る青年が少女を抱き締める。
「気がついていると、思ってた」
胸の奥深く抱き締めると、嫌がって少女は身をよじる。
「知りません」
「・・・・・あのね、普通ここまで執着する理由なんて、一つじゃないかい?」
「分かりません」
泣きながら首を振る。幾度も・・・・・
「まったく、君はどうしてそんなに・・・・・僕本人の意志とは関係なく、女性が僕の周りに絶えないのは、知ってるだろう?僕にとっては鬱陶しい限りだけれどね。そうなれば、言い方が悪いけど、より取りみどりというものなのに、君一人にだけ、こんなにも執着している。・・・・・分からない?」
『こくん』
言葉はない。疲れたように、もう指先すら動かすことが出来ないように、だけど、青年の腕の中で泣き続ける。
最低でも自分の気持ちぐらい察しているのだと思っていた。
何時も嫌がって悲鳴を上げていた
何時も嫌がって泣いていた
最初自分が意志も確かめず強引に捕らえたから、その後もどうしても優しくしてあげることが出来なかったから、だからそれが嫌なのだと、どんなに嫌がっても最後は自分の腕の中で眠る寝顔から勝手に彼女だって自分を想ってくれているのだと、そう思ってた。
そう、何もかも、全然何にも、自分は言っていない。責められても仕方ない。
『馬鹿だな』
こんなに不安にさせて、こんなに切なく泣く姿なんて想像したことなんてなかった。
大切なのに、最愛なのに、誰よりも一番、なのに・・・・・
「・・・・・ちゃんと聞くんだよ」
グスグスと泣いている少女に、そう前置きする。
泣く姿は変わらないけれど、ちゃんと聞くつもりはあるらしい。腕の中で身じろぎをするところから察する。
「僕は、君のサラサラした栗色の髪も」
青年は腕の中の少女の髪に口づける。
「勝ち気な瞳も」
まぶたにキス
「柔らかい唇も」
KISS
「何処もかしこも好きだよ」
長い永いキス
「本当に?」
「勿論」
耳にちょっと口づける。
「私のことが?」
「好きだよ。否、愛してる。アンジェリークを愛してる」
鼻の頭に軽いキス
「ゃん」
少女は眉をしかめる。涸れることのないようだった涙は何時の間にか止まっている。
「アンジェリークは?」
「え?」
くすぐったさにしかめられた眉根にキスをしながら彼は言う。
「アンジェリークは、僕を好き?」
「えっと、そのぉ・・・・・はい」
「『はい』じゃ分からないよ。ちゃんと言うんだ」
首筋に唇の暖かさを感じながら少女は狼狽える。相手にばかり答えを求めていたのだけれど、答えを得てしまえば当然今度は答えを求められるということを忘れていた。
「ぁんっ」
「答えになってないよ」
「ゃぁんっ」
「だから」
「そう言うんだったら、止めて下さい」
当然の権利だと言うように、ほっそりとした華奢な身体を好きに愛撫していた青年は悪戯を見咎められた子供のような仕草で舌を出す。
「もぉ」
ぷっくりと膨れた頬を笑ってつつく。しっかり腰に巻かれた腕が二人の身体をぴったりとくっつけ、ベタベタに甘い。
「ね、言ってよ。多分答えを僕は知ってる。だけど、君の口から知りたい」
『答えを』と輝く瞳に後押しされる。
「・・・・・好き?」
「はい」
「どれだけ?」
「・・・・・」
言い淀み、ぽふんと青年に抱き着く。
「いちばんすき」
「聞こえないよ」
聞こえているくせに意地悪に聞き返す声に真っ赤になった顔を青年の胸に埋めると、ぽつりともう一度。
「一番好き」
「よろしい」
クスクス
「・・・・・いい?」
「え?」
「・・・・・君が欲しい」
「ふにゃ!?」
押し倒された格好で少女は慌てる。
「ヤですよ」
ジタバタと往生際の悪さを発揮する少女に、小さな笑いを零す青年は口づけを降ろす。
「今までに比べたら、抵抗とは言えないね」
「・・・・・それ、けっこう墓穴ですよ」
ジト目で少女は青年を睨む。本気で嫌がっていると分かっていて、抱いていたことをバラす言葉であった。
「アハハ」
「笑ってごまかさないで下さい」
「煩いよ」
ごまかされてくれない少女に問答無用で深いキス
「ハァ、ん」
艶っぽい声に、動く。
「セイラン、様」
「好きだよ、アンジェリーク」
「あ、あ」
「愛してる」
身体の奥でくすぶっていた炎が燃える。内側から焼かれるような快感に、少女の抵抗が絶える。
「・・・・・すき」
「うん?」
「セイラン様が、好き」
「・・・・・僕もだよ」
白い少女の腕が麗しい幸せそうな笑みを湛える青年の、その首に絡む。
「愛しています」
「ん。僕も愛してるよ」
溶けるような、蕩けるような、キスを、する。
「あ、いや、セイラン様」
「ダメ」
「セイラン様、止めて」
「止めない」
濡れた唇を舌でたどり、唇を重ねる。
「っっっ!」
衝撃に弓なりに背中が反らされる。
「セイラン様」
熱に濡れた瞳が映すのは、一人だけ
「セイラン様」
喘ぐ声音に、彼の瞳が笑う。
「ここにいるんだ。ずっと、僕の側に」
腕の中に閉じ込めて、さらさらした栗色の髪を梳く。
「います。ずっと側にいます」
それだけを答えて、彼女の意識は闇に溶けた。
何かの感触に、少女の意識が浮上する。
「セイラン様?」
「あ、おはよう」
「また、何してるんですか?」
「分からない?」
『ペロリ』
「やんっ」
感じやすい場所を嘗められ、少女から一段高い声が漏れる。
「セイラン様!」
「今度からこの手で起こそう」
「・・・・・こんな起こし方、嫌です」
二人、笑う。
「女王補佐官様を通して、女王陛下に御報告しよう」
「何をですか?」
「『僕はアンジェリークを女王にすることが出来ません』」
真白の額に唇が触れる、羽根のように。
「なら、私も報告しないと」
「何て?」
さっきの自分のように問いかける言葉に、少女はぎゅっと抱き着くと幸せな笑顔を見せる。
「『女王にはなれません』」
背伸びをして、自分の上にいる人の唇に自分のそれを重ねる。
「合格」
一人は笑い、一人は微笑み、
口づけが交わされる。
しばらくぬくぬくとした暖かな青年の腕の中でうとうとしていた少女は、青年の台詞に目をぱちくりさせた。
「え?」
大きなブルーグリーンの瞳を瞬かせる姿が可愛くてたまらない青年は、少女にしか見せないだろう柔らかな微笑みを浮かべてもう一度言った。
「だから、僕の部屋に引っ越しておいで」
さらさらした髪を梳いている手は止まらない。
「何せ、君は女王候補を辞めるんだから、当然女王候補生寮にはいられないだろう?多分僕自身は、レイチェルが女王即位出来るまではここで教官を続けなくちゃならないと思う。今から新しい教官を探すのは面倒だからね。さてここで問題が一つ、女王候補生寮にいられない君が何処に住むかということ。答え、一つしかないと思うんだけど?」
「・・・・・」
それとなく青年から離れようとする少女に気がついて、彼は苦笑する。
「大丈夫、もう君に負担になるような愛し方はしないつもりだよ」
「つもりだけじゃないですよね?」
念押しすると、青年はスッ惚けた。
「セイラン様ぁ」
「分かった。君の体調も考えて、僕は時々縫いぐるみになろう」
片手を挙げて、まるで怪しい神父さんのように彼は誓う。・・・・・何だか、信用しきれない。
「お約束ですよ」
「僕の理性が持つまでは」
「セイラン様!」
「仕方ないだろう?こんなに好きなのに、手だし厳禁なんて無理だよ」
『男っていうのはね、好きな女性が自分のことを好きだと分かったら、我慢出来ないんだから』と、彼は言う。言いながら、逃げた少女を引き寄せる。
がっくりと力の抜けるのを自覚する少女であった。
ローブデコルテの上のブルーのサテンが胸元と首筋を隠す。アクセントはセイランがつけている物と同じ意匠のブローチだ。無論、それを作ったのはセイランである。
「レイチェル、おはよう」
親友の挨拶に、クスクス笑って菫の瞳の女王候補は言う。
「もうお昼だよ。今日和、アンジェリーク、セイラン様」
「女王候補、降りちゃった」
子供のように舌を出す仕草に、レイチェルは太陽みたいに笑う。
「やぁっぱり」
「アンジェリークは僕の部屋に移すから、君は戴冠が整うまで集中してしっかり勉強するんだよ」
栗色の少女を後ろから抱き締める形で青年が少女の頭越しに言う。
「えぇー!そぉんなぁ!」
盛大にレイチェルが叫ぶ。
「ひっどぉい、独り占めですかぁ!?ちょっとはこっちにも貸して下さいよぉ」
「何で?」
「からかって遊ぶんです」
「レイチェル!」
真顔で言い切る一人にとっては親友であり一人にとっては生徒である少女を相手に、アンジェリークは怒り、セイランは高らかに笑った。
「アハハハハハッ」
「セイラン様までひっどぉい!」
さっきまで青年に支えてもらわないと満足に立つことも出来なかった少女が、青年の腕を振り払い、きりきりと眉と目を吊り上げ仁王立ちで二人を睨む。
「もう立てるの?」
「え?」
きょとんとした瞬間
「あ」
「何してんの?」
「た、立てないの、忘れてた」
呆れ顔のレイチェルに、アンジェリークはごまかすような笑いを浮かべる。突っ込まれて問われた場合、ハッキリ答えることなど出来ない・・・・・
「ほら、掴まって」
「全然立てなくなっちゃいましたぁ」
「仕方のない子だね」
デロデロに甘い顔でセイランは少女の腕と膝の下に腕を通して、お姫様ダッコである。
「恥ずかしいですから、降ろして下さい」
「立てないんだろう?」
「・・・・・やるかなぁとは思ったけど、ホントにするんですね」
苦笑を押さえ切れないレイチェルである。
「せっかくのチャンスだからね」
悪びれもしない態度は、いっそ天晴だ。
「ちょっ、セイラ」
言葉が途中で途切れる。
「・・・・・」
それとなく視線を逸らしたレイチェルは、しばらくして言った。
「溺愛どころの話じゃないですね」
「そう?」
「ここ、何処だか分かってますか?道の真ん中ですよ」
「あぁ、そうだったね」
艶麗な微笑を浮かべるセイランである。・・・・・本当に、天晴・・・・・
「じゃ、私育成がありますから」
「教官職はそのままになったから、そのうちおいで」
「えぇ、出来るだけお邪魔にならないように、最低限だけお願いしますね」
「そうしてくれると嬉しいよ」
「・・・・・」
勝手に会話を成立させる二人、腕の中の少女だけが無言である。
「じゃぁね、アンジェリーク」
挨拶に手を軽く振ると、『bye!』と元気に少女は手を振って二人とは逆の方向へと歩いて行った。
「さて、以前聞いたんだけどね、森の湖の上流に更に大きな滝があるそうだよ。そこでモデルを頼むよ」
「はぁい」
片手で危なっかしくバランスを取りながら、片手を挙げて『良い子のお返事』をする少女である。
「よろしい」
満足そうに笑って青年が言う。
「ん」
滝の飛沫を浴びる程に近い場所で、寄り添う二人の唇が触れる。
何時かの夜のように 押し付けるわけでなく
お互いに言わなかった分を取り戻すように
「愛してるよ、アンジェリーク」
「好き。セイラン様が好き」
呟くように 囁くように
想いの言の葉を紡ぎ出す
「愛してる。君だけが好きだよ」
END
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