How about you liquor?
『お酒は如何?』 かつて女王試験と言われるものが行われた。以前はその空間にいながらも、その寿命故に新女王即位の力を利用して別なる場所に移動した宇宙で。 虚無となった空間に芽生えた新しい宇宙の卵は二つの意志を持っていた。優しいピンクと涼しいブルーの姿をした幼い聖なる獣はそれぞれ一人の少女を選ぶ。 選ばれたのは、後に女王となる《女王候補生レイチェル》と《女王候補生アンジェリーク》と呼ばれる少女である。 結果から言えば、女王となったのはレイチェルであったのだが、その決着は意外なものであった。自他共に認めるレイチェルと同じ程の能力を示しながら、いま一人の女王候補生は一人の少女としての幸せを選んだのである。つまりは、恋を選び、故に女王候補生の任を降りたのである。 誰もが驚いたのは、何より彼女の恋した人が彼女を−正確には彼女だけでなくレイチェルもだが−教え導く者として訪れていた《感性の教官セイラン》であったことだ。 だが、二人の選択はより幸せになる為のもの。よって、女王試験を定めた宇宙の女王自ら二人を祝福し、女王試験は誰も予想しなかった形で終わりを告げ、 戴冠式を行う女王の両隣に、腹心の《補佐官》《補佐役》として人々は二人の姿を見つけたのである。 「アンジェリーク♪」 「なぁに、レイチェル?」 『弾んだ声には気をつけろ』という警鐘が響くなか、《女王補佐官アンジェリーク》は、女王試験を通して友情を暖め信頼する親友となった《女王レイチェル》に首を傾げてみせる。この女王、年若いこととちょっと生意気に映りそうな程快活な性格から、自分の補佐官をからかうことを日課にしているのであるが、 「今日さ、エルンストが戻って来るんだって」 「あら、調査終わったの?」 「そうらしいんだ」 うきうきとした声の原因に、アンジェリークはほっと胸を撫で下ろした。 生まれ育った宇宙で『王立研究院始まって以来の天才』と誉れ高かったレイチェルは、女王即位してからもそちらの方面に関する好奇心をいささかも減じていない。しかし、だからと言って女王自らが新宇宙調査団に紛れ込むわけにもいかず、女王候補に選ばれる以前からの知り合いであり、こちらに来る時に引き抜いた《王立研究院最高責任者エルンスト》に資料を見せてもらえるように言っておいたらしい。当然彼女はその報告書をとても楽しみにしている。・・・・・自分の補佐官をからかうのと同じくらいに。 軽くドアを叩く音がする。 「いるわよ」 気軽く金と琥珀の女王は応える。 「失礼」 「失礼します」 軽く目礼をして入って来たのが《女王補佐役セイラン》で、礼儀正しく腰を折る礼をしたのが《特別補佐官ティムカ》である。 《元感性の教官セイラン》 《元品位の教官ティムカ》 彼等はかつての試験で教え導いたレイチェルたっての願いでこちらの宇宙に越して来たのである。もっとも、王位を継ぐべき王太子であるティムカはあくまで一時的なものとしてではあるが−因みにその期間は彼が二十才になるまでである−。 「・・・・・何です、その嫌そうな顔は」 憮然とした面持ちで群青の眼差しを険悪にするセイランに、女王は反射で肩を竦めた。 実はアンジェリークとセイランの二人は《聖地》中央にあるここ《聖命宮》で特に女王の執務室に仕える者達から、『飴と鞭カップル』と呼ばれている。女王の仕事の進み具合は特に補佐官と補佐役がいる時がひじょうにいいからである。ようするに、アンジェリークの時はからかって遊んでストレスを発散させ、セイランの時は監視と鋭い毒舌にイジメられながら仕事をしているということだ。 「ったく、とっとと机に向かう」 ビシッとばかりにチェックを入れる青金石の青年の斜め後ろでティムカが必死に笑いを堪えるお陰で涙のにじみそうな目元に手をやっている。 「頑張ってね、レイチェル」 こちらは隠さずクスクス笑っている栗色の髪の女王補佐官の台詞である。 「あぁ!行っちゃわないでよ、アンジェリークッ!」 「駄目ですよ、レイチェル。貴女はアンジェリークがいると仕事をサボろうとする傾向がありますからね」 墨色の元教官の言葉は試験期間中の気安いものである。レイチェルがそれを強く望んだが故に。 「お仕事頑張ってね」 無情にも再び同じようなことを言って笑顔で手を振るアンジェリークに懇願の眼差しを向ける女王様であるが、そんな眼差しにほだされることもなくなった−以前はほだされていたわけである−補佐官はテケテケと補佐役の側に寄る。 「頑張って下さいね」 「はいはい」 笑顔に磨きをかけて彼女が言えば、軽く応える青年の顔にも笑みがある。 「「・・・・・」」 『やってられない』とばかりに視線を逸らせる女王と特別補佐官は、各々自らのすべきことをすべく机を整理したり、持って来た書類を提示して、『我関せず』を決め込んだ。 ・・・・・この二人のこういった時の行動パターンは何時も一緒だからである。 「ん」 背伸びをした少女がそっと青年の頬に与え、 「ん」 心持ち屈んだ青年が支えてやる必要すらない簡単なキスを少女の唇に落とす。 ・・・・・世の人々が朝出会った知り合いに『おはよう』と挨拶して、『おはよう』と返すように、ふたりにとっては至極普通の挨拶であり行動である。であるのだが、周りにとっては目のやり場に困るただの端迷惑な恋人達のノロケである。 「ティムカ様も頑張って下さいね」 勝ち気な印象が強い顔立ちに似合う元気な表情で手を振って彼女は退出する。 「さて」 少女が扉の向こうに消えて数瞬、甘い笑みのかけらも残っていない青年が振り返る。その態度の変化を表すのに『豹変』という言葉以外あろうか? 「頑張りましょうね」 『お互いに』との言葉だけは内心で呟く少年に、深く少女王は頷いたのである。 「今日和、ヴィクトール様」 「よう」 実質的に聖地警備軍を統括しているというのに、女王自らによる特別な拝命によって人とは違った時を生きる存在となったというのに、《将軍》という地位だけは決して受け取らない《元精神の教官ヴィクトール》である。 「この頃見かけませんでしたけど?」 「警備軍の方にかかりっきりでな」 「そうですか。よかったら後でレイチェルのところへ顔を出してやって下さいね」 「・・・・・セイラン、いるんだろ?」 「えぇ」 『にこにこにこにこにこ・・・・・』 何処までも明るい笑顔の元教え子である。 「近づくのも怖いな」 ボソッと呟いた男は自らの銅のかかった黒髪をガシガシと引っ掻き回す。 「どうしてですか?」 朗らかにそんなことを言う補佐官に男はチラリと流し目をやって、面白がっている緑青の瞳を見つけて苦笑する。 「分かってるだろうに」 女王相手に容赦のかけらもない毒舌使いまくりの青年が、ビシバシとばかりにツッコみを入れながら仕事をしているだろう部屋に、誰が行きたがるものか。 クスクス笑って楽しそうに彼女は両手を打ち合わせた。 「そう言えば聞いて下さいよ。セイラン様ったらここしばらくアトリエにいたもんだから仕事をためちゃって、セイラン様つきの皆が泣き落とそうとしたんですけどね」 「駄目だったか」 様子が目に浮かぶヴィクトールは更に苦笑しながら言い、尚更楽しそうに頷いた彼女は笑って続ける。 「そうなんですよ。で、お陰で私にお鉢が回って来ちゃって」 「だろうな」 笑う男には、それも目に浮かぶようだった。 夜である。突然だろうが何だろうが、夜である。 「ひゃあっ、やぁっぱ美味しい」 ケラケラ笑う金髪の少女の手のなかで金色の液体がキラキラと輝く。 「レイチェルは笑い上戸の気でもあるようですね」 一分の隙もなく鈍いブルーの髪をまとめた青年が言う。 「いいじゃないか、暗くなったりするより」 「確かにそうだ」 同じようにアルコールを口にしているセイランとヴィクトールの台詞と同意である。 「アンジェリークゥ、飲んでるぅ?」 「飲んでないわよ」 紅茶のカップを両手で包むように持ったアンジェリークがケタケタ笑っているレイチェルの言葉に答える。 「ティムカはぁ?」 「僕も飲んでませんよ」 お茶うけのクッキーに手を伸ばしながらティムカが答える。 「これなら飲めると思うんだけど、どう?」 「・・・・・」 差し出された華奢なデザインのグラスに半分程注がれた液体を、難しそうに睨む補佐官に補佐役は言う。 「大丈夫だって、軽いやつだから」 溺愛ぶりが察せられる甘い声に、 「セイラァン、酔わせて変なことしちゃ駄目だよぉ」 女王がツッコみを入れた。たいへん人聞きが悪い・・・・・ 「陛下っ!!」 真っ赤になってアンジェリークが叫ぶ。 「わざわざ酔わせる必要なんてないけど」 サラリとそんなことを言ってのけたのは勿論セイランである。 「セイラン様ぁ」 「だってそうじゃないか」 「セイラン様っ!!」 首筋まで綺麗に紅に染めて少女が隣の青年相手に、痴話喧嘩を始めた。 「・・・・・もしかして、何時もこうですか?」 聖地の真新しい王立研究院にいるよりも、研究団に混ざってそこらへんを飛び回って研究している時間が圧倒的に多かったので、ベタベタ甘々の恋人達の存在は知っていてもどれだけのものか知らなかったエルンストが首を傾げる。 「えぇ、まぁ」 「こっちにいるのなら、早く慣れる方がいいぞ」 言葉を濁すティムカと疲れたような顔で忠告するヴィクトールが答えの全てだろう。 「あまぁい」 どうやら言いくるめられたらしくほんの少し、舌先でちょっとだけ味見をした少女がブルーグリーンの瞳を輝かせてそう言った。 「今まで飲んだことない?」 「お酒飲むのって今日が初めてなんです」 チビチビと味わって飲んでいる少女の答えに瑠璃の青年は一つ頷いて言う。 「なら、後一杯だけにしておくんだね」 「えぇ!?」 ちょっとだけ不満そうに少女は上目遣いに青年を見上げる。 「いきなりだと明日が辛くなる」 「セイラン様も二日酔いになったことあるんですか?」 「最初はペースが分からなかったからな」 うっすらと紅の入り出した青年は珍しく素直に答える。少し酔い始めているのかもしれない。 白い指が頬に張り付く瑠璃色の髪を剥がすのを、最も近い位置の少女が二杯目のグラスを傾けながら大きな潤んだ瞳でジッと見つめる。 「「「「・・・・・」」」」 すでに存在を忘れ去られた四人がチラリと二人に視線を向け、あからさまなため息をつくと視線を逸らした。 『やってられない』 四人の内心はこの一言で埋め尽くされていた。 「ね、セイラン様が飲んでいるのを少しくださいな」 どうやらお酒に対する好奇心が沸いてきたらしい栗色の恋人に、瑠璃色の恋人はつれない返事を返す。 「駄目」 「どうしてですか?」 「初心者にはきつい」 「やぁだぁ」 ブンブンッと首を勢いよく振る。その動きにつられてしなやかな栗色の髪が宙を舞う。 「我が侭言わない」 「いやぁん」 「「「「・・・・・」」」」 耳を塞ぎたい周りである。 「駄目だよ」 「セイラン様だけ狡い」 「狡いって、そういう問題かい?」 ため息をつきながら自分のグラスを口元に持っていく。カラリと音をたててグラスと氷がぶつかり合う。 「・・・・・」 恨みがましそうに彼を見ていた少女が座っているソファに手をつく。 「!?」 ギョッと目を見開くセイラン 「ありゃりゃ」 「う、嘘」 「っ!!」 「・・・・・」 唖然と目にした光景が信じられないレイチェル、ティムカ、ヴィクトール、エルンスト 「ひゃっく」 「アンジェリークッ」 「ほぇ?」 ポケポケした声で少女は首を傾げる。 「何考えてるんだい?」 「だって飲みたかったんですもん」 「だからって」 酔ったのとは別種の赤に染まったセイランは怒ろうとして、言葉が続かなかった。 何も何時も何時もセイランばかりがアンジェリークに迫っているわけではない。アンジェリークからセイランにキスする時だってある。圧倒的にセイランがする方が多く、何より少女は人目を気にするので人前では−挨拶は別として−キスをしたりしないだけである。だが、まさかそんな緑青の少女が身内しかいないとはいえ−否、人をからかうのが大好きな親友がいることを考えれば言い触らされることは 確実なのだが−、面前でかぁなぁり濃厚なキスシーンを演じる日が来ようとは、だぁれも想像していなかった・・・・・ 「セイランが押されているわね」 レイチェルがボソリと言うと、出来る限り恋人達を視界のなかに入れないようにしながらティムカが首を傾げる。 「もしかして、完全に酔っ払ってるんじゃ?」 最初アンジェリークが飲んだアルコール度の可成低い瓶を手元に引き寄せたヴィクトールが懐疑的に首を傾げる。 「・・・・・これを二杯だろう?」 エルンストがその瓶のラベルに記載されたアルコール度を見て呆れた声で言う。 「弱いにも程がないですか?」 「あら、アンジェリークなら有り得るわ」 「そんな力説しなくても」 ボソボソと肩を寄せ合い、聖地どころかこの宇宙全体の行く末を見定め示す聖命宮の上層部陣とはとても思えない会話をする一同だ。 「こら、アンジェリーク」 わたわたとした、初めて聞くような狼狽えまくったセイランの声に思わずそちらを見てしまったその一同は、すぐに後悔した。 「人が見てるって」 ・・・・・何時もはアンジェリークの台詞である。 「セイラン様の馬鹿ぁ」 「いきなりなんだい?」 「ずっとアトリエにいて、出て来なくて、ずっとずっと、寂しかったんですからね」 「うっ」 言葉に詰まるセイランに抱き着くうちに、何時の間にか青年の膝の上に移行していた少女は抱き着いたまま広い背中をポカポカと叩き続ける。 「誰か何とかしてよぉ」 「絡み酒かぁ?」 「泣き上戸もありますね」 「端迷惑な」 『ピーピー』とばかりに泣いている少女とどうすればいいのか分からず狼狽えている青年を横目で見て、一同揃ってため息をつく。 「クスン」 「すみません、退出していいですか?」 「いいわよ、連れてっちゃって」 「すみません」 妙に腰が低いセイランである。 「あ、そうそう、アンジェリーク、明日は仕事なしね。その分だと二日酔いになるかもしれないから」 何だかんだ言っても一つ年上の親友を大切にしている菫の女王の言葉に頷くことで返事とし、群青の補佐役は青翠の補佐官を両腕に抱き上げる。 「ほら、ちゃんと掴まって」 「ぅにゅぅ」 「寝るのは自分の部屋に戻ってからにするっ。途中で落ちても知らないからね」 「セイラン様はそんなことしないもぉん」 「・・・・・」 ぎゅっと首に抱き着く栗色の少女を腕に、ため息だけをその部屋に残して瑠璃の青年が退出する。 残されたのは、当てられるだけ当てられて、『えぇ加減にしなさい』としか思えない上司と同僚達であった。 『何かの音がする』 認識した瞬間に、今度はそれに答える声が紡がれる。 『あれは鳥の声。新しい日を告げる歌声』 「ふぁ」 眠くて怠い身体を起こして背伸びをする。その動きで肩まで引き上げられていたシーツが落ちたが、気にすることはない。 「何?身体中痛いだなんて」 どうにも力の入らない自分の身体に眉をしかめながら彼女は、窓越しに聞こえる鳥の優しい歌声以外の、とても幸せそうな規則正しい寝息を認めた。 「はい?」 視線を向けると、よく知っている人が安眠を貪っている。 「ここ、私の部屋よね?」 ここが聖命宮に泊まり込む時用の自分の部屋であることを左右を見回して確認し、彼女は困惑の海に突き落とされる。ただの一度だって、自分の部屋にこの人が泊まっていったことは−その逆は数える気が起きない程多いが−なかったし、何より、昨日の記憶がひどく曖昧だからである。 「んあ?起きたの?」 考え込んでいる少女の耳朶を打つ涼しい声に、反射的に彼女は向き直ると頭を下げる。 「おはようございます、セイラン様」 「おはよう」 起きたばかりの青年は、ひどく物憂い気で人を惹きつける目をする。普段の冷たい青年も勿論好きだが、彼女はこの時だけ見られる恋人のこの目もとても好きだ。 「・・・・・随分といい眺めだけど?」 微睡みが遠のき、本来の皮肉な光を宿し出した群青の瞳が楽しそうに細められる。 「?」 寝台の上にちょこんと座っている少女は首を傾げて青年の瞳を覗き込み、何を言っているのかを知った。 「!!」 シーツを慌てて口元まで引き寄せる。 「え、え、何で、どうして!?」 気丈で通っている少女らしくない慌てぶりに、青年は顔を香りのよい枯れ草の入れられているのだろう枕に埋めて笑い転げる。 「セイラン様ぁ」 原因を知っているだろう人に声をかけると、彼は笑いすぎて涙の浮かんだ目を彼女に向けた。 「覚えてない?」 「覚えていたら聞きません」 確かにその通りだ。 「酷いな」 『覚えていないだなんて』とまだ笑いの残滓の色濃く残る唇が紡ぎ、白い手が『おいでおいで』とばかりに揺れる。 素直に少女は片手でシーツを押さえたまま片手を青藍の青年のすぐ側に置いて、栗色の真っ直ぐな髪が秀麗な青年の頬に触れそうな程の位置で首を傾げたのだが、 「だぁかぁら、前から言ってるじゃないか、君は隙が多いって」 それは楽しそうに彼は腕のなかに抱き込んだ少女に言ってのける。 「そのうえ、時々自覚なしに誘う時があるし」 「私が何時そんな」 真っ赤になって彼女が言おうとした台詞を遮り、彼は一言言った。 「昨日」 「・・・・・」 『暑いぃ』 そんなことを言いながら首元をアンジェリークは緩める。 『ほら、手を離して』 『むぅ』 少女を寝台に降ろして彼はとっとと出て行こうとするのだが、 『・・・・・離してくれないかい、アンジェリーク』 『いやん』 『・・・・・』 裾の長い服の端を握って離す気配もない少女に、額を押さえて彼は『止して欲しい』と本気で考えた。 相手は最愛の恋人だ、何度も肌を重ねたことがある。そんな相手にじっと見つめられた日には、手出ししたくなるのが男の悲しい性というもので、だけれど、相手は同時に酔っ払いでもあるのだ。手出ししたくても、それを押さえざるを得ない。 『酔っ払いは大人しく寝るんだよ』 額を軽く押すと、グラリとバランスを崩して寝台に仰向けに少女が倒れる。それでも掴んだ服を離そうとしないお陰でセイランまでもが倒れかけたりしたが、彼の方は何とか踏み止まった。 『眠いんだろう?』 『寝ておしまい』と言う声に、起き上がった少女が首を振る。 『置いてっちゃ、嫌』 『あのねぇ・・・・・』 冷静に話し合おうにも、相手はやっぱり酔っ払いである。無理だ。こうなったら有無を言わさず出て行こうと決めて、セイランはアンジェリークの指から自分の服の裾を引き剥がす。 『オヤスミ』 泣きそうな目で自分を見ている子供のような恋人にそう言って、甘い線を描く頬に唇を当てる。 すぐさま踵を返して出て行こうとする青年に、聞き捨てならない泣き声が向けられる。 『ヤだ。置いてっちゃヤだ。一人は嫌』 切ない声に躊躇って、肩越しに後ろを振り返ると、帰り道を忘れた子供のように泣いている少女がいて、『見るべきではなかった』と後悔した。 その姿を見てしまっては、どうして放っておくことが出来る? 『どうしてそんなに』 何時もの勝ち気さは決して彼女にこんな姿を許さない。気丈にあろうとする意志が、どんな時だって彼女を貶めない。 原因が分からず困惑しながら近寄るセイランの形のいい耳に、その一言が滑り込む。 『寂しいのは嫌』 クスンと肩を震わせて、彼女は彼を見上げる。 思わず痛んだのは、恋心と良心の二つだろう。愛しい少女がこんな姿であること、その原因が自分にあること、に気がつかされたからだ。 『ゴメン』 触れることに躊躇う青年に、アンジェリークは抱き着く。 『一人にしないで』 ・・・・・それを人は殺し文句と言う・・・・・ 「う、うそ」 「嘘は言ってないよ」 自分が何を言っただとか、何をしただとか、つぶさに−あくまでセイランの記憶からである以上実際との差はあるだろうが−聞かされた少女は、頭が真っ白である。 「だれかうそだといって」 「誰も言わないと思うけど」 「あぅぅぅぅぅ」 「本気で覚えてないんだ」 呆れたように言った群青の瞳が、輝く。 「ッ」 「身体は覚えてるみたいなのに、ね」 「ゃ、あ」 彼女の背がのけ反る。 白い指が栗色の髪を絡めて頬に触れる。しなやかな髪は細い首筋へとたどるうちに解かれ、胸元の跡に触れる時には一筋も残らない。 「仕事があるっていうのに」 肩を震わせながら、日頃の勝ち気さを取り戻した少女は上目遣いに青年を睨む。 「今日は休みだよ。レイチェルが言ってた」 「私は知りません」 「覚えてないだけだろう?」 反論出来ないだけに、悔しさ倍増である。 「セイラン様のイジメっ子」 心底悔しそうに言う少女に、彼は再び笑い転げた。 数日後である。誰が何と言おうが数日後である。 「何してんの?」 「宴会」 ケタケタ笑っている友人の姿に目眩を感じる補佐官 「アンジェリークも飲まない?」 あくまで陽気に誘う女王様だったが、 「絶対にごめんよ!」 盛大に叫ぶ己が補佐官を指さして女王は笑い転げ、男共も笑い出す。人事と割り切っているらしいが、酷いものである。 「そう言わずに」 「ぜぇったいに二度とごめんよっ!」 次の瞬間、盛大な笑い声が聖地聖命宮に響いたのは、言うまでもないことであろう。 END |