モデル・レッスン
気持ちよく晴れ上がった空である。その蒼天の下、栗色の髪の少女が小走りに走っていた。 一つの扉の前に辿り着くと一度深呼吸をしてその扉を叩く。 コン、コンコン。 「どうぞ」 中から滑らかなテノールの声が聞こえ、少女はノブに手を掛けた。 「やあ、君か。今日は何の用?」 蒼の髪、シアンブルーの瞳、冷たく整った美貌。感性の教官セイランである。 「おはようございます、セイラン様。今日は学習ではないんです」 「そう?じゃあ・・・」 「お話しでもありません」 先回りされた言葉に青年の眉が顰められる。先回りされた事ではなく、その言葉自体に。 「学習でもない、話をするでもない、その君は何故ここに来たわけ?」 不機嫌そうな声に怯むことなく、少女はにっこりと笑った。 すたすたと青年の前まで歩くと青年の白い手を取り、その手に一つの包みを乗せる。 「?」 手の中の包みと少女を見比べる青年に、少女はニコニコと笑ったまま一つの言葉を紡ぎ出した。 「お誕生日、おめでとうございます、セイラン様!」 「・・・誕生日?」 「はい、今日はセイラン様のお誕生日だと伺いました。それはプレゼントです。気に入らなければ捨ててもかまいませんけど、私の見えないところでお願いしますね」 立て板に水とばかりに一気にしゃべった少女はペコンッと頭を下げる。 「それじゃ、失礼します。今日はこれだけが用でしたから」 とっとと少女が執務室を出た後。 「・・・本当に予想もしない行動をとる子だね。この僕が、せっかくのアンジェリークからのプレゼントを捨てるはずがないだろう?」 呆れたなかにも楽しそうな声が静かになった空間に響いた。 アルフォンシアに会いにいき、育成をすませて寮に帰って来た少女はキョトンとする。 「セイラン様?どうしてここにいるんですか?」 心底不思議そうな声に青年は苦笑するしかない。 「随分なご挨拶だね。今朝、あんなにいいプレゼントを貰ったっていうのに、お礼を言わない程僕は薄情じゃないつもりだよ」 「はあ・・・でしたら、明日でも良かったんですけど」 あげたプレゼントが捨てられず、しかも気に入ってくれたことは嬉しいが、わざわざ待ってまでお礼を言うような性格ではなかったはずだが。 「まったく君って子は・・・。優しいんだか冷たいんだか分からないね」 「は?」 それはそっくりそのままお返ししたいんですけど、と少女は内心で呟いた。他人からそんな評価を下されたのは初めてである。 「とにかく、今日の用事は全部済んでいるんだろ?だったら、今から僕と出掛けても支障はないよね?」 強引にさえ聞こえる質問にとまどったまま、少女は「是」と答えた。途端に、青年の冷たい美貌が柔らかく綻ぶ。 「じゃあ、今から僕に付き合ってくれるかい?せっかくプレゼントしてくれたんだ、これを使って君を描きたいんだけど」 少女がプレゼントしたスケッチ用具を掲げて青年は言う。少女の意向を聞く態度を取ってはいるが、少女の腕を取り、外へ連れ出そうとしている行動は強引である。 そして、強く断る理由もないことから少女は青年に腕を取られたまま、寮の外へと連れ出されたのだった。 夕暮れまでにはまだ少し時間がある庭園にはまばらとはいえ、人がそこここに点在している。だが、庭園の隅に建っている四阿には誰もおらず、少女の肩を抱いた−何時の間にか青年の腕は少女の肩を抱いていた−青年はそこに入ると、少女に石で出来たベンチに座るよう指示して自分は真向かいに座り、抱えていたスケッチブックを開いた。 「好きに座っていて。それを描いていくから」 「はい」 素直に頷いたものの、このままじっと座っているのも退屈である。しばらく考えた少女は一緒に持ってきていた教材を取り出し、膝の上に広げた。 「・・・何、こんな所で学習するのかい?僕は課外授業をするつもりはないけどね」 「単なる自習です。気にせず続けて下さい」 「駄目だね、僕は気になる。それはやめるんだ」 かなり我が侭な注文に少女の眉が寄せられる。 「でも、じっとしているのもつまらないんですよ。だいたい、セイラン様が好きにしていろっておっしゃったんじゃないですか」 「確かに言ったけど、でも学習は駄目だ」 少女の前に立った青年の白い指がひょいっと少女の膝の上から教材を取り上げる。 「ちょ・・・セイラン様!返して下さい!」 取られた教材を取り返そうとして顔を上げた少女は、至近距離に端麗な美貌があるのに気づいて思わず後ろに下がった。 「アンジェリーク?」 更に近づく青年に、顔を引きつらせ気味の少女が片手を前に出して青年の接近を阻む。 「ちょっと、そんなに近づかないで下さいってば」 「どうして?」 悪戯っぽい笑みを浮かべて問う青年を、少女は軽く睨む。どうして少女がこういう反応をするのか知っているのだ、青年は。 「・・・分かっているくせに」 「だから、何がさ、アンジェリーク?」 また近づこうとする青年に、少女の体は仰け反る体を支えようと片手を後ろについて、また少し下がる。 「だから、セイラン様の顔を至近距離で見るのに慣れていないんですってば。学習中はいい加減慣れましたけど、この体勢は・・・きゃんっ」 ずるずると下がっていくうちに、ベンチの端に到達していたらしい。急に手の支えがなくなり、少女は後ろへ倒れ込んだ。 「いったぁーい」 背中をしたたかに打ち付け、頭を仰け反らせた体勢で少女は呻いた。頭を硬い床にぶつけなかったのは、不幸中の幸いであろう。 「まったく、何をやっているんだか」 「誰のせいだと思っているんですかぁ」 恨みがましい声で文句を言った少女は目を開け、再びぎょっとした。 「セ、セイラン様」 「何?」 「私の上からどいて欲しいんですけど」 「嫌だね。こんなチャンス、滅多にないだろう?」 「何のチャンスですか、何の!」 自分の両脇に手をつき、顔を近づけてくる青年に少女は喚くが、どちらにせよこの体勢で逃げられるはずはなかった。 「セイラン様、ここ、庭・・・んんっ」 問答無用で重なってきた唇に少女は目を見開き、次の瞬間、硬く握り締められた拳が青年に向かって突き出される。しかし、青年の手はその攻撃をあっさりと受け流し、思う存分少女の唇を味わった。 「んっ・・・セ、イラン様、スケッチはどうなったんですか」 睨む少女を腕の中に閉じ込めた青年はくすくす笑いながら髪に唇を埋めた。 「スケッチはいつでも出来るさ。僕は出来ればもう一つ、プレゼントが欲しいんだけどね」 思わずじとぉっと青年を睨んだ少女の視線に気づき、苦笑しながら頬に軽くキスをする。 「そんなに睨まなくても、もう、これ以上はしないよ。・・・今日は」 「今日は?」 ひっかかった言葉を鸚鵡返しに呟く少女を抱き締めたまま、青年は栗色の髪を梳き、その手触りを楽しんでいる。 「・・・アンジェリーク。僕はもう一つ、欲しいものがあるんだ」 きょとん、と自分を見上げる少女のどこかあどけない顔。 勝ち気に自分を睨み、ポンポンと言いたい事を言うかと思えば思ってもみなかった行動を取り、そうかと思えば今のように無垢な顔を見せる少女。 万華鏡のようにくるくると変わる少女の表情は見ていて飽きず、素直さ故の正直な行動と無垢さ故の輝く魂は青年を引きつける。 どうしようもないくらいに、側に引き止めたいと思うくらいに。 「ねぇ、アンジェリーク。僕が冗談でこんなことをすると思う?」 ほんの一瞬、唇を触れ合わす行為に少女は目を見開き、次いで眉を顰める。 「・・・しませんよねぇ、確かに」 そこまでヒントを貰いながらもまだ、意味に気づいていない少女に青年は諦めのため息をつき、細い顎を取ると自分と視線を合わせた。 「・・・よく、聞いて」 真剣な眼差しに思わず息をつめ、少女はコクリと頷く。 「・・・好きだよ、アンジェリーク。僕は君が好きだよ」 顎から栗色の髪に移った手はさらさらとそれを梳いていく。 「ずっと見ていた。何時の間にか君は僕の中に居座って、その存在を主張していて・・・気がつけば女王にしたくないほど、好きになっていた」 髪に口付けを落とす。 「アンジェリーク、愛しているよ」 「セイラン様・・・」 「女王になんて、させない。僕だけのアンジェリークだ。僕がそう、決めた」 瞬間、サファイアの瞳がギッと青年を睨む。 「そういう言い方、私が嫌いなのを知っていて、言うんですか?」 以前、少女は言っていたのだ。自分の意志を無視する言葉も行動も大嫌いだと。 その少女の言葉に青年は鮮やかに笑った。 「じゃあ、アンジェリークはどうしたい?僕は僕の気持ちをちゃんと言ったよ?」 わざとさっきの言葉を言ったのだと匂わせる台詞に少女は目を吊り上げかけ・・・ふうっとため息をついた。 「・・・降参です。そこまで言われたら、私も言わないわけにはいきませんね」 抱き締められたまま、苦笑を顔に浮かべた少女は青年の望む言葉を告げる。 「セイラン様が好きです。女王なんてどうでもいいくらいに、セイラン様が好きです」 望んだ言葉に青年は満足そうに笑い、また、キスを落とす。 「最高のプレゼントだね」 君を、手に入れることが出来た。 嬉しそうに囁く青年の言葉に、少女もまた、嬉しそうに笑った。 END |