My sister


 初めて兄さんと会ったのは五歳の時。
 お互いの親の再婚の為、どこかのレストランで食事をした時のことだ。
 兄さんの人形みたいに綺麗に整った顔を見て、ぼーっとしていた私は母さんの
「ほら、アンジェリーク、新しい家族に挨拶しなさい」
 と、いう促しに
「はじめまして、お父さん、お姉ちゃん」
 と言ったのだった。

「キャハハハハハ!」
 日当たりの良い中庭の芝生の上で、お弁当を食べながら栗色の髪とサファイアの瞳の少女の話を聞いた途端、ウェーブのかかった金の髪と菫色の瞳の少女は思いっきり笑い飛ばした。
「なに、あんたってば、セイラン先輩の事、『お姉ちゃん』って言った訳ぇ?」
 笑い過ぎて涙まで浮かべている親友に向かい、サファイアの瞳の少女はふくれっつらをする。
「そこまで笑い飛ばす?だって、あの時の兄さんってば、本当に美少女みたいに綺麗だったんだもの。そりゃ、今でも綺麗だけどさ、あれはちゃんと男性としての綺麗さでしょ」
「そうなんだ。ワタシも見てみたかったな、その頃のセイラン先輩。で、さ、その後どうなったの?あんたが思いっきり間違えた後」
「父さんも、母さんも、今のレイチェルみたいに思いっきり爆笑したわよ」
 むーっ、と更にふくれる少女に、好奇心の赴くまま菫色の瞳の少女は身を乗り出して訊ねた。
「で、肝心のセイラン先輩は?」
「・・・一ヶ月程、まともに口を利いてくれなかった」
「そりゃ、そうだわ」
 またもや爆笑する少女の頭を小突き、食べ終えたお弁当箱を片付け、サファイアの瞳の少女は立ち上がる。
「いったいわねぇ。あれ?どこへ行くの?」
 たいして痛くはなかったが、大仰に頭を押さえた菫色の瞳の少女は、自他共に認めるブラ・コンの親友を見上げた。
「兄さんのところ。今日、ちょっと遅くなりそうだから、家の鍵を渡してくる」
「お姉様方に殺されないように、気を付けてね」
「心するわ」
 とんでもなく人気の高い兄の元へ向かう親友に、激励に似た言葉を贈る菫色の瞳の少女。その親友に軽く頷き、栗色の髪を揺らしながら少女は校舎へと向かった。
「でも、まぁ、セイラン先輩がアンジェリークを溺愛しているのは、周知の事実だしなぁ」
 下手すりゃ近親相姦だよ、とかなり危ない発言はすでに校舎に消えた少女は勿論の事、周囲にも聞く者はいなかった。
「ま、血は繋がっていないから、問題はないけれどね」
 更に危ない発言もやっぱり、聞く者はいなかったのだった。

 現在、アンジェリークとセイランの両親は二年程前から外国へ行っている。父親の転勤で母親もついて行ったのだ。
 当時中学二年と高校一年だった子供達をどうするべきか、かなり悩んだらしい。だが、通学している学校が中高一貫の私立校である事、兄妹そろって自立心旺盛で年相応どころかそれ以上にしっかり者である事などから二人だけの生活でも大丈夫だろうと兄妹の両親は判断。そしてその判断は正解で、最初の一年程は夕食だけ作ってくれる家政婦が来たものの、その後は子供達だけでも十分、生活する事ができたのだった。

「あれ?」
 兄のいる教室を覗いた少女は首を傾げ、その動きにあわせて栗色の髪が揺れた。
 教室の中には十人程度の生徒がいたが、その中に自分の兄はいない。
「どこ、行ったんだろ」
「よ、お嬢ちゃん」
 しきりに首を捻っている少女の肩を叩き、声をかけた者がいた。振り返れば赤い髪と青紫の瞳の長身の男子生徒が立っている。
「あ、こんにちは、オスカー先輩」
「セイランに用なのか?」
 中学時代から兄と親友関係を築いている青年にこくこく頷き、返答する。
「今日、少し遅くなりそうだから兄さんに家の鍵を渡そうと思っていたんですけど」
「セイランなら図書室に用事があるとか言っていたぜ。なんなら、そこまでエスコートしようか?」
 青年の申し出に少女は苦笑して首を横に振った。
 いつも思うのだが女性嫌いの気のあるあの兄と、女性を口説くのはマッハ並みというプレイボーイのこの先輩がよくも親友関係を続けられるものだ。この学校でも七不思議の一つに数えられるとかいないとかの噂を聞くから、他人から見てもやはり、不思議なんだろう。
「アンジェリーク?何をしているんだい?」
 滑らかなテノールの声に名前を呼ばれ、顔を上げると蒼い髪とシアンブルーの瞳の男子生徒が真っ直ぐに少女を見つめていた。
「兄さん」
「なんだ、帰って来たのか。お嬢ちゃんがお前に用事があるって言うから、エスコートしようかと思っていたんだがな」
 人間関係において、自分とはまったく正反対の親友の言葉にぴくり、と眉を動かすが後は完全なポーカーフェイスで妹を見る。
「で、用事って?」
「うん、今日ね、少し遅くなりそうなの。だから家の鍵を渡しておくね。」
「ああ、そう。わかったよ」
 頷く兄の側に寄り、家の鍵を渡した少女はそれじゃ、と兄の親友にも頭を下げ、その場を駆け去って行った。
 少女の姿が見えなくなったところで、渡された鍵をしまっているセイランにオスカーが話し掛ける。
「珍しいな、お前がお嬢ちゃんの遅くなる理由を聞かないなんて。心配じゃないのか?」
「別に。あの子の行動パターンはだいたいわかっているからね。それよりもオスカー、僕は言ったはずだよ。アンジェリークに手をだすなって」
「いいじゃないか、少しぐらい貸してくれても。お前のガードが堅すぎて、お嬢ちゃんに近づけない男は山のようにいるんだぜ?このままじゃお嬢ちゃん、ずっと彼氏なしだ」
「一番危ない男が何言っているんだか」
 冷たく言い捨てるセイランに、これ以上の話は無理だと判断したオスカーは話題を変える。
「ところでさ、お嬢ちゃんが遅くなる理由ってなんだ?」
 あからさまな話題転換だったが、今度はすらすらと返事をするセイランである。
「本屋だよ。アンジェリークがいつも買っている雑誌の発売日が今日だから」
「へぇ。因みに、何を買うんだ?」
「オレ○ジペー○」
「・・・」
 思わず沈黙。
 セイランが料理雑誌の名前を知っている事に驚くべきか、そこまで妹の事を把握している事に呆れるべきか、オスカーは数瞬、悩んだのだった。

 アンジェリークという妹ができたのは、僕が七歳の時。
 初めて会った妹は、サファイアのような輝きをした大きな瞳が印象的な、可愛い女の子だった。
 こんな子が妹になるんだと思ったら少し嬉しくて、ひたすら彼女を見つめていたのだけれどあろうことか、妹となるその女の子は僕の事を『お姉ちゃん』と呼んだのだ。
 確かにあの頃の僕はよく女の子と間違えられていたけれど、可愛い女の子からまで言われればさすがに怒る。
 実際、一ヶ月程まともに口を利かなかったのだけど、何故かあの妹は僕の後をついて回ったのだった。
 その妹の見方をガラリと変えた出来事があった。
 新しい母さんに頼まれて近所の公園へアンジェリークを迎えに行くと、数人の男の子とアンジェリークは口喧嘩の真っ最中で、とりあえず様子を見れば内容はどうやら僕の事らしい。
『兄ちゃん、兄ちゃんって言ったって、本当の兄ちゃんじゃないだろ』
『本当じゃなくったって、セイランお兄ちゃんは私のお兄ちゃんだもん』
『本当かぁ?お前、しゃべってもらってないじゃないか』
『だって、悪いのは私だもの。お姉ちゃんと間違えたら、怒って当たり前だよ』
 正直言って、舌を巻いた。相手はアンジェリークよりも少し上、僕と同じぐらいだったから多少大人ぶった事も言えるだろう。だけど、まだ五歳のアンジェリークが自分が悪いのだから相手が怒って当然、という思考が出来るとは思わなかった。
『だったら、嫌われているんじゃないか、お前』
『別にいいの。お兄ちゃんが私の事嫌いでも、私はお兄ちゃんが大好きだもん』
 これで、完璧に参った。これだけ純粋に好意を示されれば、可愛くない訳がない。
 この時から、アンジェリークは僕の大事な、可愛い妹。

 HRが終わり、自分の靴箱を開けたサファイアの瞳の少女は不審そうに首を傾げた。
「なに、これ?」
 遠慮がちに靴の上に乗っている白い封筒。
 靴箱の前でしきりに首を捻っているアンジェリークの後ろから、金髪の親友が顔を出す。
「どうしたの?あれ?」
 菫色の瞳も白い封筒を捕らえ、思わず周囲を見回して誰もいない事を確認したレイチェルは封筒を手にとっている親友にこっそり訊ねる。
「それって、ラブレターだよね、どうみても」
「そうかな?果たし状かもよ」
「・・・あのね、夢も希望もない事、言うんじゃないわよ。誰よ、差出人は」
 金髪の親友の質問に首を傾げながらアンジェリークは一人の名前を告げた。
「ってぇと、あれ?以前、あんたがぶつかってばらまいた書類を、お詫びに手伝って片づけたっていう」
 アンジェリークから肯定の返事を貰い、レイチェルはふむ、と顎に手をやる。
「なんか、ありがちなパターン。しっかし、随分アナログな手を使ったもんだね。今時ラブレター、しかも靴箱に入れるって人、いないよ」
 で、どうする?というレイチェルにアンジェリークは肩をすくめて答えた。
「どうするって言ったって、私、この人の事ぜんぜん知らないもの。どちらにせよ、返事はちゃんとするつもりだけど」
「ま、それが礼儀というもんだわね」
 親友の言葉に頷きながらふと、レイチェルはその兄の事に思考を向ける。
(セイラン先輩がこの事を知ったら、どんな反応をするんだろ。なんか、すっごく恐い事になりそうだなぁ)

 お風呂から上がった少女は、洗った髪を乾かしながら机の上の封筒を見てたため息をついた。
 手紙はやっぱりラブレターという代物で、平たく言えば交際の申し込み。だが、少女にとって知らないも同然の人との交際は考えられず、断るにしてもどうすればいいのかわからない。
「やっぱり、兄さんに相談しようかな」
 甘えているな、と自分でも思うがラブレターを貰った事など初めてなのだ。女性嫌いの割にもてまくっている兄なら、何かいいアドバイスをしてもらえるかもしれない。
 もう一人、人のあしらいの上手い兄の親友の顔も浮かんだが、あんまり親密にすると何故か兄の機嫌が悪くなるので、ここはやはり兄に相談するのがいいだろう。
「よし、そうと決めたら、兄さんのところへ行こうっと」
 机の上の封筒を取った少女は兄の部屋へ向かい、自分の部屋を出た。

 コン、コンコン。
「兄さん、いる?話があるんだけど・・・あれ?」
 扉を開け、中を覗くが部屋の中はもぬけのから。どうやら、入浴しに行ったようである。どう切り出そうか悩んでいた少女は少し拍子抜け、兄の机の上に封筒を放り投げるとベッドの上に腰掛け、ポテッとそのまま横になる。
「兄さんに、なんて言えばいいのかなぁ・・・」
 ベッドからはグリーンハーブの爽やかな香り。その香りに包まれ、次第に少女は眠りに引き込まれていった。

「アンジェリーク?」
 青年が自分の部屋に戻って来た時、そこには自分のベッドで無防備に眠っている妹の姿があった。
「やれやれ。そう、無防備になられちゃ、こちらとしても複雑なんだけどね」
 苦笑する青年のシアンブルーの瞳が机の上にある白い封筒を捕らえる。それを手に取った青年の瞳がキリリと吊り上った。
「何時の間に・・・よく、僕の目を盗めた事だ」
 低い呟きに怒りが篭る。
 アンジェリークに彼氏が出来ないのは、ひとえにこの兄の存在故だ。妹に近づく男達を片っ端から撥ね付け、蹴散らし、決して近づけなかったのだが、その隙をついた者がいたという訳である。
「アンジェリークは渡さない」
 すやすやと平和に、自分のベッドで眠る妹を見つめ、青年は手を伸ばして顔にかかっていた栗色の髪を払ってやった。
 わかっている。すでに自分の心は兄としてではない事など。一人の男性として、この少女を見つめている事など、とうに自覚していた。
 おそらく、十年前の公園で妹が言ったあの言葉から、すでに自分は魅せられていたのだろう。
 ギシッ。
 小さな顔の両脇に手をつくと、ベッドのスプリングが軋む音をたてた。
「ん・・・兄、さん?」
 ベッドの揺れで目を覚ましたらしい少女がぼーっとした瞳で、至近距離にいる兄の顔を見上げた。
 ふにゃらっと笑う顔にはひとかけらの警戒心もない。
「よかったぁ。あのね、相談したい事が・・・」
「つきあうつもりなのかい?」
 言いかける言葉を遮った兄に、少女はキョトン、とする。
「え?な、なに?えっと・・・?」
 起き抜けの頭はうまく回転してくれなくて、少女は目を白黒させる。
 そんな妹に覆い被さり、青年は有無を言わせず唇を重ねた。
「!?」
 今度こそ、はっきりきっぱり眠気の吹っ飛んだ少女は反射的に自分の上にのしかかる体を押し返そうとした。しかし。
「兄さん!?何するの!?」
 両手を頭の上で戒められ、更にパジャマのボタンを外していく兄に、少女は本気で暴れ出した。
「や、やだ、やだ、やめて、兄さん、兄さん!」
「やめない」
 妹の哀願に一言返し、青年はパジャマの前を寛げ、表れた白い胸に唇を寄せた。
「兄さん!やだぁ!」
 突然の兄の変貌に、恐くて恐くて少女のサファイアの瞳から涙が零れ落ちる。決して、力では敵わない事を思い知らされるように、押さえ付けられた両手はびくともしない。
「や・・・め、て・・・」
 拒否の声が次第に弱くなり、代わりに言葉にならない声が紅い唇から漏れはじめる。
「や、ん・・・あ、あぁ・・・」
 だんだんと甘さを増してくる声に煽られるように、青年の動きが激しくなり、少女の意識も霞んできた頃。
 細く、高い悲鳴が部屋に響いた。

 ずきずきとした痛みに、少女は目を覚ました。
「痛・・・」
 両手を見ると、くっきりと手形が残っている。
「どうして・・・」
 突然の兄の行動はまだ、信じられない。だが、夢ではない証拠に全身に咲き誇っている赤い華と、体の痛みとが現実を少女に教えていた。
 手首に残る跡を見つめている少女の体に白い手が絡み付き、背中に体温が灯る。
「兄さん?」
「ああ、跡が残ってしまったね」
 そう言って癒すかのように口付ける兄の手から、少女はいそいで自分の手をもぎ取った。
「アンジェリーク?」
「どうして?どうして、兄さん、こんな事をしたの?」
 誰がみたって、これは強姦だ。それも、血が繋がっていないとはいえ、兄が妹を襲うなんて。
 信頼する兄の裏切りとも言える行動に、しかし少女は傷ついた色ではなく、燃えるような怒りを瞳に宿している。
「・・・わからない、か。そうだね、君にとっては突然だったかもしれない。だけど、僕はずっと見てきていた。君だけがずっと好きだった。わかるね?妹としてではないよ。一人の女の子としてだ」
「・・・ずっと?」
 兄の告白に、瞳が揺れる。
「でも、それじゃ、どうして突然あんな事を・・・」
「これ、だよ」
 白い封筒を見て少女は思い出した。そもそも、自分はこの手紙の事を兄に相談しようとしていたのだと。
「アンジェリークを取られるかもしれないと思った。そう、思った瞬間に理性なんて吹き飛んだ。アンジェリークは誰にも渡さない。そう、思ったんだ」
 兄の腕の中で静かな、しかし激しい告白を聞いた少女はため息をつき、体の向きを変えると兄の顔を見上げた。
「あのね、兄さん、知っている?私ね、すっごいブラ・コンなのよ。それなのに、こんな事になっちゃったら私、一生兄離れなんて出来ないじゃない。責任、取ってくれるの?」
 妹の言葉を反芻するうちに、意味を飲み込んだ青年は腕の中にいる顔を見つめ、笑顔を見せる。
「もちろん、一生、責任を取るよ」
「じゃあ、ずっと、一緒ね」
 約束よ、と笑う妹に誓いのキスを贈る。
「兄さん、大好き」
 昔から言っていた言葉の意味が変わる。
 見つめる瞳の意味も変わる。
 そして、これからは変わらない。

「ずっと、離さないよ、僕の妹。僕だけの、アンジェリーク」

END