眠りのある場所

眠りのある場所


「んー」
 惚けた声をあげ、群青の瞳の青年がまぶたを上げる。彼の名は《感性の教官セイラン》という。
「よくねた」
 眠り過ぎて痛む身体 彼はそう評する。
 眠ることが不得手な自分にしてはよく眠った、と。

 そして、目を点にした。

 朝日に輝く栗色の髪 日差しを受けて尚白い頬 何処までも甘く優しい少女でしかないモノが、傍らで背を丸めて眠っているではないか。
 目覚めていきなりこれでは、驚いてしまうのも無理あるまい。

「アンジェ、リーク?」

 《女王候補生アンジェリーク》 彼の教える生徒であり、新しい宇宙の女王たる資格を持つ稀有なる少女
 隣で眠っているモノは、その少女にほかならない。

 背中を冷や汗が流れるのを自覚しながら、彼は回想に耽った。

 新しい宇宙を司る女王試験
 その為に彼は呼ばれた。女王の資質の一つである《感性》を磨く教官として。
 そこで出会ったのが、二人の女王候補生 その一人がアンジェリークだった。

 最初こそ、反発すること類をみなかった。
 言いたい放題言い合って、唐突に言うことがなくなったその瞬間に、腹の底から二人は笑った。今までずっと溜めていたものを吐き出すように笑うと、涙すらその瞳の端に浮かんだ程だった。
「言うもんだね、君も」
「お互い様です」
 何時までも笑い合って、それが心地よくて、やっとお互いを認めることが出来た。

 打ち解けて、お互いという存在を認めてからのこと、『眠ることが苦手だ』と言ったら日の曜日毎に毎朝庭園で眠りを誘発しそうな物を購入しては遊びに来た。
 その頃には日の曜日毎に会うのが当たり前で、何かれと周りをうろうろされるのも、彼女だけは別にかまわなくなっていた。これが他の人間なら、『鬱陶しい』の一言で放り出しているところだが、彼女だけは何故だか別だった。
 勝ち気で大味な性格であったけれど、同時に彼女は家事がとてつもなく上手で、あれこれとお茶の準備をしては、写生がてら一緒に散策に出た。
 その日も、何時ものようにアンジェリークの作ったお茶一式と一緒に森の湖の程近く、気に入りの場所に行ったのだ。

「セイラン様」
 柔らかで甘い声で少女が名前を呼ぶと、青年は驚いたように顔を上げた。
「何?」
「舟漕いでましたよ?」
「え?」
「自覚がない程お疲れなら、帰りますか?それとも、天気もいいし、ここでお昼寝しますか?」
 自分のカップにお茶を継ぎ足しながら少女が言うと、青年は戸惑うように瞳を瞬かせたが、その群青の瞳を伏せると無造作に四肢を投げ出した。
「じゃ、枕よろしく」
「後で落とす」
 少女の膝を枕代わりに横になると、少女がジト目でそう呟き、彼はクスクスと笑いながら日差しを浴びて目を閉じた。

 降り注ぎ照る太陽の優しさ
 かぐわしく香る風の清涼

 そんなものに包まれて、眠りがどれ程心地よいものか初めて知った。

 ・・・・・で、まぁ、最初は冗談だったのだ。まさか、本気にするとは思わなくて、

『よかったから土の曜日の夜だけでも一緒に寝てくれないか?』

 冗談だった。
 掛け値なしに冗談だった。
 誓ったっていい。冗談だった。
 だが、彼女は本気にした。
 思いっきり、一片の疑いも持たずに頷いたのだ。

『えぇ、土の曜日の夜だけなら』

 で、まぁ、この状態、というわけである。

「心臓に悪かった」
 ドキドキする心臓を押さえて、彼はそう呟かずにはいられなかった。実際件のことを忘れた状態では、思わず心臓が精神の混乱を受けて狂った拍子を打ちまくっても致し方あるまい。
「人の気も知らないで」
 苦笑しながら彼は安らかに眠る少女の髪を撫でる。愛し気に、何処までも愛し気に、あくまで優しく。
「寝顔はまだ天使のままだね」
 ツンッと小さな力で優しい頬をつっつく。ほんの少しの苛立たしさは、隠して。
「起きたら、女王、なのに」

 先日、女王試験は一応の決着をみた。
 大方の予想に反して女王の座を勝ち取ったのは、『王立研究院創立以来の天才』と誉れ高いいま一人の女王候補生ではなく、アンジェリークの方だった。

 決着こそ着いたものの、いまだ女王即位の儀をするには多少新宇宙に何か波のようなものがあるということで、まだ即位式は行われていない。
 だから、彼女は来た。自分の元へ、何時ものように。

 起こさないように気をつけながら、服を着替える。流石に少女と同じ寝台を使うのに薄過ぎる夜着を使うのには違和感があって、多少薄目のシャツとゆとりのあるズボンを夜着代わりに使っていたのだが、散策くらいならばともかく、
「流石に、聖地を出て行くのにそのままの格好じゃ、あれだしね」
 袖を直した彼は、そっと眠り姫の頬に唇を寄せる。

「今まで有り難う」

 今生の、別れの言葉
 多分きっと、もう会えないから

「君が君の路を行くように、僕も僕の路を行くから」

 窓から樹を伝って出入りをしていた勝ち気な姫君は眠りの中にある。
 だから言える言葉

「大好きだったよ」
「どうか元気で」
「さようなら」

 聖地が目覚める頃
 感性の教官のいた痕跡は、朝日に溶けて消えていた。

眠ることは苦手だった
苦手だったけれど好きになった
好きになったのに痛くて仕方がない

彼女がいない

それだけで世界が変わった

「また、退屈な時間の始まりだ」
 眠ることを忘れた青年は、そう言って朝日の昇り始めた崖の縁から視線を逸らせた。
 幾度となく太陽と月が追いかけあい、雲が流れるのを、星が瞬くのを見ながら、彼の心と身体は一睡として休むことをしない。休むことを忘れてしまっていた。
 一晩明かした気に入りの、否、正確には気に入りだった場所から、彼は何の興味もないように背を向けた。
 かつて、彼はここから朝日が昇るのを見ることを、それはとても気に入っていた。適度に湿気の多い朝に見られる雲間から光が落ちるその様は、彼の心を惹きつけてやまなかったものだった。・・・・・あくまでも、かつて、過去のことだ。
 女王試験に教官として協力し、これ以上もない程甘く優しい、残酷な恋に身を委ねてから、彼の心の琴線には、何物も触れることすら叶わない。

 何にも反応しない、出来ない人形のように、ただ溶きの流れのままに在るしか出来ない、それが今の彼である。

 恋したことに、後悔はなかった。
 あまりにも甘くて、泣きたい程優しくて、そうして、死んでしまいたい程残酷な恋だったけれど、彼女を知らないまま生きて行くより、ずっといい。

 思えばいい。
 そこに在ると、夢見ればいい。
 それだけで、彼女の幻にだけでも、会えるから。

 誰よりも愛しい人の幻に会える。

 それだけでいいと、彼は思った。

 声が、聞こえる。

『セイラン様』

 涼しい声が、聞こえる。

「会いに来たんです。女王でなく、勿論女王候補生でもなく、私として、感性の教官ではなく、セイラン様に、会いに来たんです」

 幻が、勝手に動き出す。

「一世一代の決心で、女王の位は、蹴っちゃいました」

 いきいきとした鮮やかさで。

「本当は先に、言いたかったんですけどね」

 柔らかく耳に届くような優しい幻

「セイラン様が好きなんです」

 残酷な夢

「んー」
 惚けた声をあげ、群青の瞳の青年がまぶたを上げる。彼の名は《セイラン》という。
「よくねた」
 眠り過ぎて痛む身体 かれはそう評する。
 眠ることが不得手な自分にしてはよく眠った、と。

 そして、目を点にした。

 朝日に輝く栗色の髪 日差しを受けて尚白い頬 何処までも甘く優しい少女でしかないモノが、傍らで背を丸めて眠っているではないか。
 目覚めていきなりこれでは、驚いてしまうのも無理あるまい。

 無理ないが、

「よかった」

 思わず零した言葉に、ぱっちり大きな瞳がかれを見上げる。
「何が『よかった』んですか?」
 問いかけながら、少し寒いのか、細い肩にシーツを軽く巻くように抱き締める。
「君がいてよかったって、それだけだよ」
「?」
 自分が彼の側に在るということは、あまりにも当然のことで、全く意味が分からなかった。
「ね、どういう意味ですか?」
「秘密にしておくよ」
「プゥッ」
「子供みたいだよ?」
「いいんですよぉだっ」
 拗ねた子供のように、彼女はそう言って、彼に背を向ける。

 現実と夢想の狭間
 現と夢の入り交じるところ
 そこよりも

「ホントに子供だね」
 楽し気に笑いながら彼は少女を後ろから抱き締める。
「セイラン様?」
「もう一眠りしよう」
「私は起きますよ」
「駄目だよ。君がいないと僕が寝れないから」
「そんな我がままな!?」
「おやすみ」

 彼女のいる場所
 そこが彼の眠りのある場所


END