王子様のKISS
物語りは『願い』から始まった 勝ち気な横顔が、月に照らされて優しく浮かび上がる。 ただ見つめ続けるだけなんて、柄じゃないのは分かっていた。だけど、惚れてしまえばこんなものなのかもしれないとも思う。見つめるだけでこんなに幸せに想えるだなんて、不思議な気分だ。 「どうしたんですか?」 「いいや?」 否定と問いかけを兼ねた言葉に、目の前の少女が言う。 「ずっとこっちばかり見て、何かありますか?」 「何もないよ。君がいるだけ、君を見てただけ」 「・・・・・」 大人っぽい顔立ちの筈なのに、首を傾げる仕草やこんな風に呆気にとられた顔はひどく子供っぽく映る。そんなちょっとした仕草や表情が、こんなにも愛おしく想える日が来るだなんて、想像もしていなかった。 「ホント、時々すっごく恥ずかしいこと言いますね」 「そう?」 「そうですよ」 強気で勝ち気、それが彼女の基本的な性格だけど、こんな風に無邪気に笑う姿が、多分彼女の本質だ。生来のものとして勝ち気な性格はあったのだろうけれど、察するにそのほとんどは人格形成期に形成された後天的なものなのだろう。思わぬところで出て来る素直な感情から、そう思った。 「・・・・・さて、冷えて来たね。帰ろうか?」 「はい」 突然の訪問に驚いて、だけど好奇心からついて来た少女が頷く。 出来る限り自然になるように気をつけながら、その彼女に手を差し伸べた。 彼女の勝ち気さが後天的なものなら、それが形成される以前の彼女というのは、いったいどんな子供だったんだろう? 『コンコンッ』 「アンジェリーク、いるんだろう?」 それこそ昨日の夜に庭園でデートしたのだが、ちょうど暇であったこともあって、翌日の日の曜日にまでセイランは少女を誘いに来たのだが、 『コンコンッ』 「アンジェリーク、まだ寝ているのかい?」 呆れたような中にも、元々あまり気の長い方ではない青年は苛立たし気な響きの宿る声で言う。 「アンジェリーク」 『かちゃ』 「起きたようだね、アンジェリー、ク?」 ほんの少しだけ開けられた扉にからかう口調で声をかけた青年は首を傾げる。透き間から自分を見上げるブルーグリーンの瞳の位置が可成下なのである。 「アンジェリーク?」 『キィッ』 「ア、アンジェリーク!?」 『嘘だぁ!!』というような叫びが、女王候補生寮の廊下に響いた・・・・・ 小さな女の子である。栗色の髪の少し大人びた愛らしさのある、年の頃、どう見積もっても十を過ぎてはいないだろう少女である。 「朝起きたらこうだったんですぅ」 『ぴぃっ』とばかりに少女が机に泣き伏す。 「ほとんど、漫画だね」 呆れたように緑青の瞳の女王候補の部屋の椅子に座った青年が言う。 「で、他に変わったところはあるのかい?アンジェリーク?」 「ないです」 グジグジと涙目を擦る少女アンジェリークが答える。 普通なら信じられないことだが、そこは魔法と科学の混在した世界であり、その中心である聖地である。この程度の不思議、不思議のうちにも入らないのかもしれないが、不思議の起こってしまった本人にしてみれば、冗談ではない。 「困ったね」 「不幸中の幸いは、今日が日の曜日で育成だとかがないことですよね」 「言えてるけど、明日もそのままなら、不幸中の不幸になるよね」 「・・・・・」 『ダァーッ』とばかりに再び泣き伏すアンジェリークである。 「・・・・・」 今の少女と比べれば随分と大きな手が頭を無言で撫でる。 「クスン」 「御機嫌はなおったかい?」 コクンと愛らしい仕草で頷く少女に、 『かっわいい』 珍しく、本当に珍しくそんなことを考えるセイランである。普段の彼なら決してそんなことを考えるようなことがないのだが、惚れればこんなものというわけだ。 「・・・・・コホン」 何もせずにジッと自分を見ているセイランを、『どうしたんだろう?』と言う目で見ていることに気がついた青年はごまかすように視線を逸らす。 「そうそう、僕は君を誘いに来たんだけど、何処かに行かないかい?」 「見世物なんてごめんです」 プンッと子供そのものの愛らしさでそっぽを向く少女の頭を、年上の余裕でポンポンッと軽く叩く。 「誰も君がアンジェリークだなんて気がつかないよ」 「でもぉ」 「第一、このままここにいて、レイチェルが来た時、どうするのさ」 クスクスと笑う群青の瞳に年に似合わない憮然とした少女が映る。そんな顔も、可成アンバランスで可愛い。 「さ、どうする?」 「・・・・・いぢわる」 ぷっくりとまんまるに頬を膨らませて言った少女のあまりの愛らしさに、高らかに青年の笑いが弾けた。 その日一日中セイランに−多分意識してだろう−人気の多いところを中心に連れ回された少女は、最終的にセイラン達教官の住んでいる学芸館と呼ばれる建物のセイランの私的な部屋に連れて来られた。 「本当にお邪魔してもいいんですか?」 「かまわないって言っただろう?それとも、そんなに見世物になりたいのかい?」 「そりゃ、なりたくないですけど」 あまり人に関わるのが苦手な青年相手であるので遠慮がちになっている少女に、そこらへん分かっているだろうに青年はわざと呆れたように言う。 「ならここにいるのが一番安全だろうに。どうせ僕は知っているんだから」 グシャグシャと髪を撫でる手に不服そうに少女は唇を尖らせる。 「御機嫌斜めだね」 「あったりまえです」 ・・・・・端から見ていると仲のいい兄弟のジャレ合いにも見える構図である。 クルクルと表情が変わる。 何時も素直に感情に従って表情を変える少女ではあったけど、何時もよりもずっと鮮やかに笑う。怒る。そうして笑う。 見ているのが楽しいと、ずっと見ていたいと思った。 出来るなら、本来の彼女でも、と。 「ほらほら、風邪をひくからちゃんと肩までかける」 「うぅっ」 「うなってシーツを咬もうなんてしない。野良犬か君は?」 徹夜するつもりならともかくいい加減寝なくては明日に差し支える時間になってきた、というわけで、この会話である。 「あのねぇ」 呆れきった声でセイランは言う。 「本来の君なら、君が考えている危険性について考えるなとは言えないけど、外見十才以下の子に手を出すわけないだろう?出したらそれは変態だよ」 「・・・・・」 一人部屋にベツドが二つもあるわけがなく、同じ場所に横になっている少女に不愉快気に彼はそう言った。 「そんなに信用がないわけ?失礼じゃないかい、それって?」 「・・・・・」 「良い子だからは約寝る」 「はぁい」 諦めたように少女はそう言うと小さな手足を伸ばす。眠そうに目を擦る仕草は外見に似合った愛らしいものである。 「セイラン様」 「何?」 軽く目を伏せていた青年が細く自分を呼ぶ声に目を開ける。 「何しているの?」 「音を聞いているんです」 「・・・・・」 唖然としたように彼はあごの下にある小さな頭を見る。名前を呼ばれて油断した隙に、腕のなかに潜り込んで来た小さな頭を。 「小さな頃から、こうやって人の心臓の音を聞いていたから、安心するんです」 至極普通の家庭で、愛情をもって育てられた少女はそう言う。『怖い夢を見たりした時は両親のベッドに潜り込んだ』と。 「そう」 何時だって強気に相手を睨む少女の意外な程弱気な姿に驚きながら、少しの優越感を感じる。こんな少女を知るのは、きっと自分だけだ、と。 「もっと小さな頃は、泣いていると慰めのキスをもらって、抱かれて寝ました。寝ている両親を叩き起こして、『先に寝ちゃ駄目』とか無茶なことを言って」 クスクスと密やかに笑う青翠の声に、低く抑えられた瑠璃の笑い声が重なる。 「本当は、セイラン様がいらっしゃるまで怖くて泣いていたんです」 寝なくてはいけないと分かっていたけれど、寝ることが出来ずに規則正しい心臓の音を聞きながらそんなことを言う。 「ずっと長いこと、自分で何だって出来るんだって思っていたから、こんな風に突然自分じゃどうしようもない状態になって、怖かったんです」 胸の辺りを握り締められ、青年の夜着に使っているシャツに幾つもの筋が刻まれる。 「僕がこうしていると、大丈夫になる?」 「少しだけ」 健気に笑う小さな子供を、純粋に子供を慈しむ心からか、彼女を想うからか、彼は抱き締める。 「・・・・・何だかお父さんみたい」 ちょうど青年のシャツを借りたお陰でお揃いのパジャマの少女が、真っ白なシャツに子猫が甘えるような仕草で顔を擦りつける。 「僕はまだ子持ちじゃない」 憮然と言うと、少女が楽しそうに笑う。 「せめて王子様と言って欲しいものだね」 「セイラン様ったら」 わざと子供っぽく言うセイランにアンジェリークは微笑する。 「さ、今度こそおやすみ。寝れないようなら、魔法をかけてあげるから」 「?」 きょとんとした顔で見上げる瞳に、瑠璃の青年は艶やかに微笑む。 唇に優しい暖かさ 「セイラン様!?」 「慰めのキスをもらって、そしたら寝れるんだろう?」 もう一度、今度は額に軽く暖かい唇が触れ、唖然として少女はブルーグリーンの瞳で青年を映す。楽しそうに笑ってはいるけれど、それは何時ものような意地の悪いからかいとは別で、くすぐったい暖かさがあって、安心する。 「おやすみなさい」 向日葵の笑顔でそう言うと、少女は今度こそ目を閉じる。 「おやすみ」 優しく耳元で囁かれた声が、彼女のその日最後の記憶だった。 「んんん」 寝返りを打った拍子に寝惚けた青年は爽やかなグリーンハーブでありながら甘いフローラル系の香りもある何かを感じて、視線を向け、 「・・・・・っ!?」 涼しい目を極限まで丸くした。 「ぁふ」 欠伸をして少女が極近い位置にある暖かなモノに擦り寄り、『ぅにゃぁ』だとか、はっきり言って意味のない言葉を呟きながら目を擦る。 「ア、アンジェリーク?」 「ほぇ?」 名前を呼ばれて、ブルーグリーンの瞳が顔を埋めていた青年の顔を見上げる。 「セイラン様?」 「そうだけど」 「・・・・・ぐぅ」 「現実逃避に寝るんじゃない」 青年の顔を見上げて名を呼び、返事が返ると寝直そうとする少女にセイランのツッコみが入った。 「あぅぅぅ」 『何で私ここにいるの?』と言うような目で自分を見上げる少女に、彼はため息をつきながら教えてやる。 「昨日の朝君を誘いに行ったら君がお子様になっていて、それをレイチェル達に知られるのが嫌だって言うから僕の部屋に泊まっただろう」 「あ、そう言えばそうでしたね」 ポンッと安易に手を打って、少女はやっと安心したように笑う。 「あのね、君、今の自分の格好、分かってる?」 「は?」 「僕としては役得だけど」 今度は『何を言っているのか分かりません』と言うような目で自分を見上げる彼女に、彼は『自分の姿を見てごらん』と言う。 「っ!?」 「・・・・・他の人が見たら、絶対に誤解するよね」 一部に力を込めて言う青年である。 「な、なん、何で、こんな・・・・・」 パニックに陥っている少女の姿は、可成、ヤバい。何せ昨夜青年に借りた白いシャツから、すらりとした手足が隠しようもなく出ているのである。 無論、これが昨日のお子様バージョンであればこんなにまでも少女も−お子様のままであることを嘆きはしても−パニックにならなかっただろう。だが、如何なる理由があってか今現在の彼女は本来の、十七才の身体に戻っているのである。 それで十九才の青年の腕のなかにいたのでは、起きた青年が驚きに声がなかったのも、少女がパニックになるのも仕方あるまい。 そうして、狼狽えまくっている少女から慎重に視線を逸らしながら、彼は更なる爆弾発言をした。 「ボタン、ちゃんと留めたら」 「っ!!」 思わずあげそうになった突拍子もない悲鳴を押さえて、彼女は胸元を隠す。 「はいはい、落ち着いて落ち着いて」 「落ち着けますかっ!!」 「誰か来たらどうするんだい?」 「・・・・・」 正論なので反論出来ず恨みがましい目で自分を見ている女王候補生に、生来の余裕を取り戻し出した感性の教官が薄く笑う。 「昨日の魔法が効いたかな」 途端に真っ赤になる少女である。 「どうして戻ったの?」 「戻らなかった方がいいのかな?」 「・・・・・」 今度はプウッと膨れる少女である。この状態ではどちらに軍配があがるかは、可成微妙である。 「意外と君って表情が豊かだったんだね」 「どういう意味です?」 つっけんどんに少女が問う。 「だって、何時も君って人を睨むように見ていたからね。僕も今の君の方がいいな。勿論今までの君も好きだけど」 「・・・・・何言ってるんですか」 真っ赤になって少女が呟く。あまりにも恥ずかしい台詞に耳まで赤い。 「君って、ホント可愛いよ」 「もうっ、そんなにからかって!」 「本当だってば」 ケラケラと笑って言っては信用度は可成低い。少女もジト目で青年を睨んでいる。 「本当だよ」 「信じられませんっ」 プンッと何処か愛らしい仕草で大人びた少女はそっぽを向く。 その仕草と雰囲気のアンバランスさが魅力になっているが、当然本人は気がつかない。だがそれに極近い位置にいる青年が気がつかないわけがない。 「そんなに信じられない?」 「あったりまえですっ」 シャツだけを借りていた少女はシーツをしっかりと掴んでそう言った。 少女のは無意識の動作であるが、青年はニヤリと笑ってシーツをそれとなく引く。 「僕は本当に可愛いと思ってるんだけど、ね」 「も、もうっ、知りませんっ」 シーツを引っ張り返し、更には枕を抱えると背を向ける。ここが自分の部屋ではないということは、多分彼女の頭にはもうないだろう。 「本当だってば」 あくまで笑いながら、だけどその声に一滴の本気を混ぜて、彼は言葉を続けた。 「僕には君が一番可愛い」 「だ、だから、そういうこと言わないで下さい」 「どうして?」 後ろから抱き締めて、栗色の髪の間から見える耳に囁く。 「ど、どうしてって、その」 口ごもって口元まで引き上げたシーツを咬む。 「犬じゃないんだから」 苦笑してそれを止めさせ、そのままあごを捕らえると、のけ反らせた。 「セイラン様?」 「好きだよ、アンジェリーク」 唇を重ねる 「好きだよ」 「あ」 二人の両手が絡む。 「ねぇ、君は僕が好き?」 群青の瞳が緑青の瞳を射抜く。ほんの微かな揺れだって見逃さないように。 「・・・・・」 唖然とすることで真っ赤に染まっていた頬が落ち着きだし、だが再びうっすらと朱に染まって、いっそ艶めいて見える少女が顔ごと視線を逸らす。 「言ってよ」 栗色の髪の散ったそのすぐ両脇に二人の手が絡んで沈んでいる。 「私は」 伏せられた緑青の瞳が恐る恐る端正な青年を見上げる。 「言って」 囁く声は遥かな彼方から 夢より遠い場所から 「世界で一番、セイラン様が好き」 夢ならば答えられる・・・・・ 「セイラン様が好き」 「ゃっ」 「ごめん」 『でも』と言葉を濁して、彼は少女を抱き締める。 「重いですよぉ」 不満そうに唇を尖らせて言い募りながら、彼女は笑っている。 「アンジェリークが好きだよ。アンジェリークを愛してる」 くすぐったく耳元を掠める声に彼女は目を細める。 「セイラン様が好き。セイラン様を愛しています」 普段の大人っぽさとは違った少し幼い口調の言葉に、彼は甘い頬にキスをする。 「ぁん」 「やっぱり、小さな君も可愛かったけど、今の君の方がずっと可愛い」 「セイラン様、褒めてくれるのなら、女の子は『可愛い』よりも『綺麗』と言ってもらう方がいいです」 「そんな子供みたいな顔で言われたら、やっぱり『可愛い』だと思うよ」 「むうっ」 むくれる少女の頬にもう一度、キス 「・・・・・怒らない?」 「何がですか?」 「先に約束してくれないかい?」 「・・・・・出来ません」 「どうしても?」 「当たり前です。内容も分からずそんな約束出来ません」 子供のようなジャレ合いにも似たキスをしていた青年は、少女の肩に顔を埋めて、懺悔した。 「君が子供になったのって、僕が子供の君を見てみたかったせいかも・・・・・」 ・・・・・ 「セイラン様っ!!」 バリバリに怒り出すアンジェリークである。当然だ。 「感性の教官になれる程のサクリアを持っている人が不思議の始まりの地である聖地でそんなこと考えたらなるかもしれないって、どうして考えなかったんですか!?」 「・・・・・ごめん」 「どうしてそんなこと考えたんです?」 珍しく下手に出たセイランの言葉に、ブスッとした声で彼女は再度問う。 「君が好きだから。君が好きだから、僕が知らない君がいるのが嫌だった」 「・・・・・人のこと言えないくらい子供じゃないですか」 呆れたような口調で彼女は言い、続ける。 「責任取って、ずっと一緒にいて下さいね。こんなことがなかったら、私、女王試験を続けてたんですからね」 「女王候補、降りるの?」 「セイラン様は、私が女王になる方がいいですか?」 ブルーグリーンの瞳がからかうように瞬く。 「絶対に嫌だ」 真顔で彼は言い切り、彼女は抱き着く。 「なら、許してあげます」 口づけを交わす。 幸せな笑い声が続く。 「セイラン様、好き」 「僕も好きだよ」 子供みたいな、ささやかな誓い 「ずっと側にいていいんですよね」 「当然だろう?」 「よかったぁ」 薔薇色の唇と桃色の唇が重なり誓う。 物語りは、 『願い』から始まり 『誓い』で終わり 『幸せ』へと続いた END |