PROMISE

PROMISE


 それは《誓い》、もしくは《約束》

「もういいよ」
 涼しい声の一瞬後、心からの安堵の吐息が密やかに部屋に波紋を呼ぶ。
「そんなに疲れた?」
 クスクスと笑う声はからかいに優しい労りが微妙にブレンドされている。もっとも、青年をよく知った者でなければ分からない程に微妙な配合だが。
「動けないのって、一種の拷問です」
 『うーんっ』と白い指を頭の上で組んで背を反らす動作をしながら少女は答える。
「確かにそうかもね。特に君みたいなお転婆な子には」
「あ、ひっどぉい」
 青翠の瞳で美人系の顔立ちの筈なのに何処か可愛らしい睨みをする少女は《女王補佐官アンジェリーク》と言う。
「自覚がないのも困ったもんだね」
 絵の道具を片付けながら澄ました顔でかわす青年は《女王補佐役セイラン》である。
「それってどういう意味ですか?」
 お転婆と言われたことの否定を否定するだけではなく、他にも何か言われた気がする少女は栗色の髪を揺らせて問いかける。
「君は周りの評価なんて全く気にしないんだから」
「だって、気にしたって意味ないじゃないですか。悪いことなら直しますけどね。私は私ですもん」
「そうだね。君は君だ」
「そうですよ」
 輝く緑青の宝石が青年を映して至極当然なことと頷く。
「だけど」
 先の言葉を裏返す言葉を群青の瞳の青年は紡ぎ出す。
「少しは周りを気にして欲しいね。でないと僕はそのうち嫉妬で君を部屋に閉じ込めなくちゃならなくなる」
「はぁ!?」
 思いっきり『何を言ってるのか分かりません』という意味を含んだ言葉を零す少女の姿にこそ、彼はため息を零す。
「僕の天使は自分がどれだけの男を引っかけているのか分かっちゃいないんだ」
「な、何ですかそれは!?私が何時そんなことをしたって言うんです!?」
「本当に君って子は」
 再びため息をついた青年は白い裾を蹴って少女に近づき、挑むような瞳で自分を見据える愛しい恋人を風のような抱擁で包み込むと囁く。
「君の背にある翼が誰をも振り返させる。誰もが振り返られずにはいられない。君みたいな子、何処を探したっていやしない。だから誰もが君を欲しがる」
 暖かなクリームイエローの柔らかな服に幾つものひだが刻まれる。青年の繊細な白い指が幾つもの深いそれを刻み付ける。
「だから、僕は何時までも安心なんて出来ない」
 力なく少女の肩に額を当て、彼は弱音を吐く。
 相手が自分だからこそ弱音を吐くのだと知っている少女は励ますように優しく自分を抱く青年の背を何度か叩いてやり、そして、
「殴られたいですか?」
 冷たい声に猛烈な怒りを宿し吐き捨てるように言い放つ。
「失礼にも程があります。私が貴方以外の誰に言い寄られてふらつくって言うんです!?セイラン様以外の誰を愛せと言うんです!?」
 『許さない』と瞳が燃える。鮮やかに、艶やかに、怒りという鮮烈な美しさで自分を彩りながら、彼女は続ける。
「好きなのにそれを疑われて、そんな侮辱、冗談じゃない」
 『貴方以外なんていらないのに』と、少女が眉をつり上げ盛大に怒りを爆発させる。
「他でもない貴方が、セイラン様がそんなことを言うのなら、私は出て行きます。二度と会いません」
「いきなりそんな極端に走るもんじゃないよ」
 慌てて青年は口を挟む。止めなければ、きっと少女は本気で出て行こうと、二度と会わないようにしてしまうだろうと分かったからだ。
「思いっきり極端に走る子だね、君は」
「それはセイラン様もでしょう?」
 逃げられないようにと少女を抱く腕を戒めとして青年が囁けば、少女はすぐさま言葉を返す。
「他の人が私をどう思おうと、私がセイラン様を好きなら不安になる要素にはなり得ないのに、そうなるってことは、極端な想像をしたってことじゃないですか」
 ビシィッとばかりにツッコみを入れ、ツーンッとあごを反らせて『怒ってるんだぞ』という態度を貫く少女の言葉に、彼は完全降伏する。
「悪かった」
 小さな声に、素直な光を持ったブルーグリーンの瞳が群青の瞳を見上げる。
「・・・・・約束が必要なら、誓うことでセイラン様が安心出来るなら、幾らでもします。だから、疑ったりなんて、しないで。私、本当にセイラン様が好きなんですから」

「愛しています」

 約束と誓いと告白とを混ぜた言葉に、彼は目眩を覚える。・・・・・幸せだった。この上ない程に、少女が愛しくてたまらなくて、目眩がした。

「うん。僕も、愛してる」

 約束は一つの行為によって誓いとなり、誓い故に告白は口づけという形で応ぜられた。

だけど、不安は何時だって心から出ていってはくれない

 しなやかな栗色の髪を颯爽となびかせながら、彼女は吹き抜けの廊下を女王の執務室に向かって歩いていた。きびきびとした足取りが彼女の性格をうかがわせる。
 ふと、足元の影の色濃さに足を止め、今日も眩しい程輝く太陽を片手で影を作りながら彼女は見上げる。

 太陽は大地に生きる全てのモノの心の母である女王にたとえられる。
 それが彼女には実感出来る。
 彼女の仕える一つ年下の親友でもある《女王レイチェル》は快活な真夏の太陽のように明るい少女なのだから。

 今日もいい天気の空を眺めていた少女は瑠璃色の影を見つけた。決して間違えることのない、それは彼女の恋人の姿だ。
「セ」
 思わず声をかけようとして、彼女は唇を真一文字に引き締める。瑠璃の人の隣にも、人がいて・・・・・
 一瞬だけ、何とも形容出来ない表情をした少女はフイッと顔を背けると廊下を足早に駆け出した。

 『トトンッ』
「いるよ」
 軽く応えると、ひょっこり現れたのは部屋の主最愛の恋人である少女だ。
「どうかしたのかい?」
「別に用事があるわけじゃないんですけど」
 言葉を濁しながら入って来る少女の姿に何かの違和感を感じながら、彼は何時ものように彼女に近づき、
「そ?」
 首を傾げて白い顔を覗き込むと、居心地悪そうに彼女は身じろぎをして顔を背ける。
「何?香水でもつけたの?」
 鼻先を掠めた甘い香りに青年が眉根を寄せて問うと、アンジェリークはグランドピアノの側に置かれたソファベッドに腰掛けながら逆に問うた。
「変ですか?」
「いいや、悪くはないよ」
 グランドピアノの前に置かれた椅子に座り、閉じられていた蓋を開けながらセイランはそう答える。
「何かリクエストはあるかい?」
 恋人の首を横に振る答えに彼は軽く鍵盤に触れると、窓の外を軽く見て即興で静かな曲を奏でだす。

 月のもつ静かで清かなイメージを、音楽という形で彼は彼女に伝える。
 栗色の髪には太陽が似合うのに、それ以上に青翠の瞳に月が似合う最愛の少女へと

 一心に何かを創造する姿が好きだと思う。その姿を見れるなら、少しぐらい寂しくても忘れられることを許容出来てしまう程に。
 ジッと青年の綺麗な顔を見ていた少女は目を伏せる。

 闇に閉ざされた視界に、銀色の氷輪が見える。
 誰よりも好きな人に、誰よりも似合う真円の銀の月が

 何時終わったのか彼女には分からなかった。ブルーグリーンの瞳を巡らせると鍵盤の前に座っていた人がいない。目を閉じてその調べに見を浸していたので気がつかなかった。調べは途切れても、その音色はそこに留まっているような、その調べの雰囲気が残っているかのような気がしていたから。
 薄く開けられたままのこのアトリエの主のプライベートルームに続くドアに気がついて近づくと、扉に手をかける一瞬前に開けられ、視界が白く染められる。
「ぷはっ」
 少女が嫌がって少し熱く感じる湿ったそれから逃げ出すと、真っ白いタオルを手にした青年がその瞳に映った。
「何するんですか!?」
 怒ったように言うと、お湯で濡らしたらしいタオルを片手に青年が言う。
「君はそのままで十分だよ」
「?」
 意味が分からずきょとんとする少女の腰に腕を回して引き寄せる。
「わざわざ化粧なんてする必要ない」
 言いきって、白い手が彼女の顔を彩る化粧を拭う為に動く。
「レイチェルの趣味のよさは知っているし、実際とても似合うけど、まだ必要ないさ」
 嫌がる少女にそう言いながら拭ってやる。
「どうしてレイチェルがしたって分かったんですか?」
「君がつけている香水、以前レイチェルが一回使って止めたヤツじゃないか」
「よく覚えてましたね」
 あらかた拭われてしまったので、諦めて大人しくしている少女の問いに答えてやる。
「レイチェルには全然似合わなかったからね」
 きちんと下地もされた化粧を完全に落とすことは出来ないのだが、それでも自分の気がすむまでは拭う。
「はい。後はシャワーを浴びておいで」
 せっかく親友である−少々型破りな−女王にお願いして、それこそ生まれて初めてきちんとしたお化粧をしたというのに、どうやらセイランのお気には召さなかったらしい。
「はぁい」
 拗ねたような声で彼女は応え、青年の腕から離れた。

 シルクのシャツだけを羽織って大きな鏡に触れる。冷たくひんやりとした銀面に指先が触れると暖められて、ゆっくりとだが目に見える早さで曇っていく。
 そこに映るのは、栗色の髪と緑青の瞳の『少女』で・・・・・
「・・・・・」
 ため息が、桜色の唇から零れた。

 『カラン・・・・・』
「セイラン様」
「ん?」
 頬にかかる髪を長い指でかき上げながら彼が薄く笑う。
「何飲んでいるんですか?」
 少女の問いに彼がかざしたタンブラーと呼ばれるライムの落とされたグラスのなかで、無色透明の液体に幾つもの小さな泡が弾けている。
「ジントニックだけど、君も飲む?」
「いりませんよ」
 ストンと青年の隣に座りながらアルコールを天敵にしている少女は舌を出してやる。
「そう?」
 クスクスと楽しそうに笑って飲み干すと、涼しい音を立ててグラスに大きな氷の塊がぶつかる。
 白い指がいっそ優雅な程の動きで低い位置にあるテーブルにタンブラーを置くと、流れるように華奢な肩を抱き、少女がそのことに気がついたのはシャツ越しに青年の暖かさを感じた時である。
「・・・・・セイラン様、酔ってるでしょう?」
 自分の髪に頬を埋めて懐いている青年に言ってやると、青年は少女をうでのなかに閉じ込めて答える。
「別に中程度のジントニックで酔ったりなんてしないよ」
 そんなことを言いながらも、栗色のシルクをかき分けて現れた白い額にそっと唇を寄せたり、目元や鼻先にキスをしたりするのだ、彼女が信じていない目で見上げるのも仕方なてだろう。
「僕が酔ってるとしたら、君のせいだ」
「何ですか、それ?」
「僕を酔わせられるのは」
 形のいい指がチェリーピンクの唇に触れる。
「この唇だけだってこと」

 桜の唇に薔薇色のそれが触れる。

「ん」

 しなやかな髪が宙を舞う。

 ソファに押し倒した少女の耳元で、彼は囁く。
「で、君はどうして突然香水をつけたり、化粧をしたりしたんだい?」
 押し倒された少女は青年を押しのけようとしながら顔を背ける。
「別に、いいじゃないですか」
 『それよりどいて下さい』と睨む瞳が彼女らしい。
 そんな彼女らしい態度に、彼はにっこりと盛大に笑顔を咲かせる。
「言わないと」
 悪戯な光が群青の瞳に宿り、瑠璃の髪が少女の首筋に触れる。
「あ」
 反応して、彼女は身体を反らせる。
「セイラン様、や」
 ギュッと目を閉じてアンジェリークが言いかけるのだが、
「だったらお言い」
 楽しそうな声が返ってくるばかり。
「ほら、早く」
 何処までも楽しそうな声の一瞬後、

 盛大な笑い声が空気を震わせた。

「言いますから止めて下さいぃ」
 元々過敏な体質である少女だ。笑いすぎてすでに体力が可成ダウンしてしまっている。
「まったく手間をかけさせるね」
 たいへん楽しそうにイジめていた青年の台詞である。鍵盤の代わりに彼女の身体で遊んだのだが、あくまでそれは答えを得る為の手段だという態度である。
「で、どうして?」
 促す言葉に、上目遣いに青年を見上げながら、彼女は昼間見た中庭のシーンを言う。
「その子は僕のところで働いている子で、ちょうど指示をだしてたところだよ」
 青年はそう言い、後一歩で口づけが出来る位置まで顔を近づけ、彼女に言葉を落とす。
「ところで、それって、ヤキモチを焼いてくれたわけ?」
「そんなんじゃないですよ。そうじゃなくて、その」
 唇を噛んで、アンジェリークは言葉を濁す。
「その人って、私よりセイラン様の隣にいても全然おかしくないような大人で、逆に私はセイラン様の隣にいるにはすっごく子供っぽく映るんじゃないだろうかって、思って」
「それで、ちょっとでも大人に見えるように?」
 呆れたように彼が言うと、コクンと彼女は頷く。
 二つの年の差は、彼女には無限に広がる海のように果てが見えない。いまだに恋人から子供扱いをされることから、彼女にはそう思えてならなく、それが彼女のコンプレックスなのだ。
「わざわざそんなことしなくったって、十分だよ」
 苦笑しながら彼は身を起こすと立ち上がる。
「セイラン様?」
 ソファに座り直して彼女は首を傾げる。
「僕の天使はどうやら何も分かってないらしい」
 白い指が部屋の明かりを消し去る。
 だが、晧晧と輝く月がそれを補ってあまりある。

「教えてあげるよ。・・・・・僕がどれだけ君を愛してるのか」

 しなやかな身体を覆う絹のシャツが白い指によって開かれる。
「はぁ、ん」
 白い面の桜色の唇から言葉が漏れる。
「セイラン様、嫌」
 薄く紅に染まった腕が抗って青年の身体を押す。
「どうして?」
 笑いながらされるがままに身体を離した青年が首を傾げる。
 その群青の艶めいた視線に耐え切れなくなったように、少女はうつ伏せに身体を連れて来られた寝台に横にすると、細い指を月へと向ける。
「カーテン」
 ポソッと彼女が呟き、言いたいことに気がついた青年が少女の上に身を横たえる。
「綺麗だろう?」
「それは、そうですけど」
 『そうじゃなくて』と続けようとした少女は、背中に青年の唇を感じて言葉を途切れさせる。
「見ていたいんだよ、月も、君も」
 滑らかな背中に唇を当てて呟き、少女のまとうシャツを奪う。
「セイラン様ぁ」
 泣きそうな声で自分の名を呼びながら肩越しに泣きそうな顔を向けてくる少女に、笑って彼は言う。
「こんなに綺麗なモノ、見ないてはないさ」
 囁きはそのまま少女のうちに落ち、触れる指先が快楽の扉を押す。
「セイラン様」
 耐え切れない吐息が唇をついて漏れる。
「あ、ぁん」
 口づけに濡れた唇から、恋の焔を宿した熱い吐息が、零れた・・・・・

「君はそのままでいいんだ」
 何時までも触れていたいしなやかな髪を撫でながら、彼は言う。日頃から思っていた。
「セイラン様?」
「せっかくの大人とも子供とも言えない、本当に瞬く程の時間しかない刻なんだから、無理に大人にならなくてもいいんだ」
 力の入らない様子の最愛を抱き締めて、彼は続ける。
「僕は、君がこの腕のなかで少しずつ大人になっていくのを見たい。だから、そんなに急いでなろうとする必要はないよ」
「ホントに?」
 身体をずらして青年の腕のなかに抱き締められながら少女が問う。

 唇が触れる。

『少しずつ、なればいいんだ』

 触れた唇越しに感じる言葉と想い

『何時か僕がそうするんだから、今はそのままで十分だよ』

 幸せそうに少女は目を伏せ、青年の腕のなかで微睡む。
「約束したからには、守って下さいね」
「勿論」
 笑って青年が少女を抱き締める。

 そして約束は、再び口づけという形で結ばれた・・・・・


END