雪幻〜雪の幻〜
雪が降る 雪が降る 「セイラン様、雪ですよ、雪っ」 感性の授業を受けていた少女はふと、眺めた窓の外で純白の結晶が降っていることに気づき、喜びの声を上げた。 「・・・今、授業中だってことを理解しているのかい、アンジェリーク?」 「あら、綺麗なものに感動する事も感性には必要なことではありません?」 ケロッとした顔で反論する少女に青年は一瞬目を丸くし・・・次いで、クツクツと含み笑いを零す。 「確かに、その通りだ。では、アンジェリーク、教材をその雪に変更しようか」 「この雪で、ですか?」 サラリ、と栗色の髪を揺らしながら首を傾げる少女に極々、まじめな顔で青年は頷いた。ただし、シアンブルーの瞳は面白そうな輝きを宿していたが。 「君が特別に寒がりでなければ、外へ出てみようと思うのだけど?」 『さぁ、どうする?』と後に続きそうな雰囲気の感性の教官に少女は満面の笑顔を浮かべて首肯する。その態度は溢れるばかりの好意と信頼が現れていた。 「はいっ、連れて行って下さい」 意志の強さと素直さが違和感なく同居している少女の笑顔に青年はそっと笑うと手を差し出す。白銀の世界へと少女を連れ出すために。 「では、君の感性がどのような広がりを僕に示すのか、見てみようか」 「うっ・・・そんな言い方をしないでくださいよぉ」 コートに手を通しながら膨れっ面をする少女は気づかなかった。文句を唱えながらも嬉しそうな笑顔を浮かべている少女を見つめ、青年が切なそうな笑顔を浮かべた事を。冷たいと評されているシアンブルーの瞳に浮かんだ、ひどく甘やかな光を。 気づかず、少女は身支度を終え、好奇心一杯の顔で青年を見上げ、青年は天使の名を持つ少女の手を取り、外へと導いて行った。 「うわぁ、すっごぉい」 キャラキャラと子供のような、歓声とも感嘆とも判別のつかない声をあげた少女は掌を差し出し、そっと天を見上げる。 別名<恋人達の湖>とも呼ばれるこの場所は格好のデートスポットであるのだが、時間故か寒さ故か辺り構わずイチャイチャしているカップルは見当たらない。寒ければそれを理由にカップルは引っ付いていたりするのだが・・・ それはさておき、そんなカップルは1組もおらず、<恋人達の湖>を独占状態にしている少女と青年はもちろん、恋人ではないのでそれぞれが思うように行動していた。少女は森を白く染めていく雪を見つめつづけ、青年はそんな少女を見つめるというように。 差し出していた掌に氷の結晶が落ちると少女はそれをまじまじと見つめる。 「こんなに大きなぼたん雪、初めて見る」 次第に降る量を増やし続ける雪に少女の姿が一瞬、霞むように歪んだ。 「!?」 少女を見つめていた青年の息がその瞬間、止まった。 「セイラン様?」 人の気配というか、心の動きに敏感な少女が感性の教官が僅かに息を呑んだその音で異変を察し、振り返る。 降り積もる雪が幻を見せる 鮮やかなその姿を霞ませ、そしてその背にある純白の翼を鮮やかに浮きだたせる アンジェリーク その意味は・・・・・天の御使い 「あの・・・セイラン様・・・」 とまどった声が胸元から聞こえ、その時初めて青年は少女を無意識に抱き締めていた事に気づいた。 だが、気づいたからと言って、少女を離せるわけがない。 気づいたのだ。 気づいてしまったのだ。 この、宝石のような時間は永遠ではないということを。 掌の上に落ちた氷の結晶のように、儚く溶けてしまうような瞬きの限られた時間しかないということを。 「セイラン様?」 青年の雰囲気から何かを感じ取ったのだろう。少女の声が労わるような響きを帯びる。 少女を見なくても分かる。輝くサファイアの瞳には純粋に青年を労わる色が浮かんでいるだろうことが。純粋で無垢で絶対的な信頼と不屈の好意を青年に示し続けていた少女。だが、今はそれが胸に痛い。この時間の永遠を望んでいる青年には。 「アンジェリーク」 「はい」 名前を呼べは返事が返ってくる。その声を、温もりを、失いたくはないと、青年は切実に願った。失わないその方法も、青年は知っている。 「アンジェリーク」 「はい」 腕の中の温もりに頬を寄せる。 愛しい、と心から思った。手放せないと思った。 ならば、そのことを伝えるべきだ。言葉にしなければ、何も伝わらないのだから。 拒絶されることを恐れ、離れて後悔するよりかはずっと、健康的なはずだ。 「・・・セイラン様、あったかいですね」 ふいに、少女はそっと呟いた。何故か、満足そうな吐息を漏らして。 「ずっと、こうしていたいな」 「・・・それは、本当?」 無邪気な少女の言葉は青年の心を打った。どこか、臆病に踏みとどまっていた感情を動かすほどに。 「ええ。セイラン様の側は安心できて・・・ほっとします」 ふわり、と微笑んだ少女の頬に手を添え、青年は小さな額に口付けた。 「僕でよければ、何時でも暖めてあげるよ。・・・いいや、その役目を僕以外にさせちゃ、いけない」 願いであるはずなのに、どこか命令調になるのが青年らしかった。 「君が寒かったらいくらでも、暖めてあげる。ずっと、側にいてあげる。だから・・・だから、アンジェリーク」 額に口付けた唇がそっと、雪に濡れた唇を塞いだ。 「僕の側にいて欲しい」 唇に触れた温もりは頬を滑り、寒さでか、それともそれ以外の理由でか、紅く染まった耳に辿り着くと1つの言葉を囁いた。 「愛している・・・・・アンジェリーク」 少女は何も言わなかった。だが、輝くような笑顔を見せると青年の首に腕を巻き付け、普段は皮肉・毒舌を雨あられと吐き出す唇に自分のを重ねる。 軽く触れて離れただけの、可愛い口付けの後、少女は青年にとって何よりも幸せな言葉を紡いだ。 『私も、セイラン様が好きです』 雪が見せた幻は純白の天使 真白く穢れなき天の御使い だが無垢なる天使はその翼を置き地上に留まった ただ1つの愛故に 自分が欲した恋故に 自分を求められた心故に 雪の幻は消え去り、現実が青年と少女の腕の中にあった。 END |