月の誓い


 恋した人は月でした。


 軽い音がして、その人がいなくなる。
 少女は重いため息をついた。
 「どうして好きな方の側にいると時が一番ドキドキするのかな」
 穏やかな瞳の少女はペタンと広い学習机に懐いてつぶやく。
 「ドキドキしすぎて、疲れちゃった」

 清冽な月のように在る<感性の教官セイラン>
 その人こそが彼女<女王候補生アンジェリーク>の想い人

 冷たい皮肉な口調の泣きそうになりながらも、女王試験という大事の為にその資質を磨くべく通っていた少女は、少しずつ青年に心惹かれていった。
 他者を気にしない傲慢なまでに強い意思や、皮肉や冷たい態度に紛れて見失ってしまいそうな程微かな、だけど確かにある優しさに。

 「まだかな?」
 『新しい教材を持ってくるよ』と言い置いて出て言った人を待つ少女は、想う心故に眠れなかった時が、一人になったこの時にゆっくりと近づいてくるのに気がつけなかった。

 『カチャッ』
 「ごめん、遅くなった」
 猫のような柔軟なイメージの強い青年は、片手に大判の画集を持って、苦笑した 。
 私室から帰る途中にちょうど彼を探していた侍従から宮殿からの伝言を聞いたりと、すぐに帰ってくるつもりが多少手間取って戻ってくれば、そこでは待ちくたびれた少女が安らかに眠っているではないか。
 「まったく、何しにきているんだい?」
 常の冷たい口調で、しかし瞳は笑い、細い指が近づいて少女の頬をつつく。
 「んーっ」
 刺激に眉をしかめる少女は、しかし起き出しはしなかった。
 「完璧熟睡だね。自己管理も女王候補の必須だと僕は思うんだけど」
 ちょっとくらいで起きないのならとツンツンと調子にのってつついてみる、のだ が、これが全然起きない。
 「仕方ないなぁ」
 苦笑しながら彼は、今度は起こさないようにそっと少女を抱き上げると、隣室の ドアを開けた。

 仮眠用のシングルベッドに少女を横たえると、起こさないように気をつけながら 風邪をひかないようにきちんと肩までシーツをかけてやる。
 「眠り姫を守る茨の代わりにでもなろうか」
 甘い線を描く頬に口づけを一つ 『おやすみ』と囁くと、少女が嬉しそうに微笑 んだ気がした。
 「悪くないね、こういうのも」


 今宵満月
 月の光が精霊の姿で舞い降りる


 「ん」
 厳しく涼しい、寒い場所に凛と咲く花の香りが、する。本当は優しいのに、あん まりにも厳しくて、冷たくて、分かりにくいけれど、でも、優しい香り。大好き。
 「・・・・・?」
 少々寝起きが悪いのか、ぼんやりとした瞳が起き上がって周囲を見回す。
 「ここ、何処?」
 ある意味かなりとぼけたことを言って、アンジェリークは肩までかけられていたシーツを心 細そうに口元まで引き上げた。生来争い事を好まず内気で繊細な少女には、自分の いる場所がわからないという事態はかなり怖い部類に入ってしまうらしい。まぁ、 たいていの人間なら心細く思って当然だが、特にこの少女はその傾向が強いらしい 。
 「っ」
 満月の見える窓の側に、誰かがいる。
 怯えた少女はそれに気がつくと緊張で身体を強ばらせ、その正体に気がついて安 堵のため息をこぼした。
 「セイラン様」
 大切な名前を安堵と共に囁き、彼女はそっとベッドから下りる。
 立ち上がって−多分寝やすいようにだろう−セイランが脱がせてくれたのだろう 上着を羽織ると、スカートの寝皺を少しでも小さく少なくしようと簡単に身支度を 整えた。好きな人の前だ、少しでも綺麗でいたいのは、きっと恋する女の子なら誰 だって一緒。
 「セイラン様?寝ていらっしゃるんですか?」
 細い声で、影になって表情の見えない青年に優しく微笑んで、彼女はぺたんと床 に座り込んだまま青年をずっと見上げて見つめ続ける。

 女性でも滅多にいないような美しい顔立ち 『綺麗』と言えばきっととても怒る だろうけれど、嘘はつけない。つきたくない。心が感じたその美しさを、言葉だけ でも裏切りたくなかった。
 その端正な容貌に、窓から差し込む月が、薄く濃く影を作る。
 元々孤高の人であり、その身にまとう空気は人と一線を置く神秘的なもので、だ から神秘の象徴として挙げられる月の、その光が彼を彩る様は息を飲む程美しい。

 「月の精霊って、きっとセイラン様みたいなんだろうなぁ」
 うっとりと少女がつぶやくと、思いがけず返事が返った。

 「僕には君が月の天使に見えるよ」

 「セ、セイラン様!?お、おき、起きてらしたんですか!?」
 「まるで起きていてはいけないような台詞だね」
 切れ長の瞳を開き、彼はクスクスと笑って少女にそう言ってのけた。
 「そんなことないですっ」
 思いっきり力を込めて少女が反論すると、耐えきれなくなったように彼は吹き出 した。
 「そんなに力いっぱい言わなくても、君のことなら分かっているよ」
 ほんの少しだけ、意味深な口調
 「?」
 よく分からなくて首を傾げる少女に、彼はソファから離れると手を差し出す。
 「おいで」
 囁きは呪文 逆らうだなんて出来ない。
 操られるように差し出された手に指で触れ、彼女は立ち上がる。

 「ぁっ」

 腕を引かれ、月華の下に二人の影が重なる。

 「あ、あの」
 驚いて、ドキドキと高鳴る鼓動
 「何で僕が君のことなら分かるか、不思議?」
 ちょうど少女の耳元に青年の唇があたる位置にくる。囁く声は直接響くよう。
 「・・・・・はい」
 鼓動が、死んでしまうかもしれないくらい、早くて、強い。でも、想う気持ちは 止まらない。止まれない。止めたくない。
 「簡単だよ、ずっと見てきたから」
 ため息みたいな切ない声が、ため息と一緒に耳朶を打つ。
 「え?」
 期待なんてしてはいけない。だって、私は女王候補生なんだから、セイラン様は 教官だから、恋なんて・・・・・

 「好きな子をずっと見ているのって当り前だろう」

 細い指が苦しい程強く少女を抱きしめる。
 「何時からだろうね、君を好きなったのは。気がつけば君のことならきっと 君より分かるくらい、見ていたよ」
 白い指先が離れて、ただ自分を見上げる少女の唇に触れる。
 「君を見ていた」
 頬を撫でる指が、優しい強要

 「アンジェリーク、君が好きだ」

 唇が重なる
 ささいな行為
 泣きたい程の幸福感

 「私も、セイラン様が好きです」

 唇を重ねる
 想いを重ねる

 そんなとてもささいなことが
 なんて幸せなんだろう

 「セイラン様に、ずっとついて行ってもいいですか?」

 内気で優しすぎる少女の初めて欲、もしくは願い事

 『貴方の側にいたいから』
 『ずっとずっといたいから』

 触れたばかりの唇が紡ぐ言葉に、彼は唇を歪めて笑った。
 「ついてこなくてもいいよ」
 傷ついた瞳に優しい唇をあてる。

 「だって、僕がさらって連れていくもの」

 指先を絡める
 月の精霊と月の天使は誓い合う
 満ちては欠け 欠けては満ちる月に


 『ずっとアナタの側にいる
  ずっとアナタを愛してる』

END