Wine
夜中に近い時刻。学芸館の廊下を二つの影が移動する。 「ふにゃああん」 「まったく。アルコールは初めてなのに、あんなに飲むかい?」 足取りの覚束ない栗色の髪とサファイアの瞳の少女を支えながら、蒼の髪とシアンブルーの瞳の青年は呆れたため息をついた。 「だあってぇ、美味しかったんですもん」 反論する少女の、何時もは強い意志に輝いているサファイアの瞳も、酔いの為かうるうると潤み、目元などうっすらとピンクに染まっている。 「それでも限度というものがある。いくら飲み易いワインだったからって、一本半空けるのは、いきすぎだね」 それ以前に少女は未成年。普通、未成年の飲酒は禁止されているはずだ。はず、なのだが・・・ 「まったく、あの方々も面白がって飲ますこと、ないだろうに」 自分にしがみついている少女を見やり、再び青年はため息をついた。 そもそも、宴会をしているところに少女がひょっこりと顔を出したのが、事の始まりである。すでに酔いの回っていた連中が悪乗りして少女にワインを勧めたのだ。 今まで飲んだことがないと言う少女も、好奇心の塊のようなものだったから、勧められるままに上等な部類に入るワインを口にして・・・ 「にゃあ」 ・・・完璧に酔っ払ってしまったのである。まぁ、ワインを一本半も空ければ無理はないだろうが。 『それにしてもさぁ、セイランに懐くとは思わなかったよなぁ』 プラチナの髪とルビーの瞳の少年の言葉が脳裏を横切る。 『それに、アンジェリークがあれだけ見事にオスカーを避けるのも、見物だったねぇ』 きゃらきゃらと陽気に笑い飛ばす、蜂蜜色の髪と薄紫の瞳の青年。 口当たりの良さに騙されたのか、知らず知らず杯を重ね、酔っ払った少女はなぜか感性の教官にべったりと張り付いたのである。 『セイラン様の髪、サラサラだー』 などと、普段からは考えられないような行動を起こし、また、炎の守護聖がちょっかいをかけようとすると感性の教官にしがみついて離れようとしない。 『ひょっとして、本能で行動しているのかな?』 あどけなさが多分に残る顔立ちの金の髪とラベンダーの瞳の少年の疑問は、聞きようによってはかなり、きつい。 『セイラン、アンジェリークを送ったらどうだ?その状態のアンジェリークを一人で帰す訳にはいかないだろう』 精神の教官のもっともな意見に従い、少女を支えて帰って来たのだが・・・ 「この状態を蛇の生殺しと言うんだろうね」 少女の寮の部屋まで歩くにはあまりにも足取りが怪しく、とりあえず学芸館の自分の部屋に連れ帰ったのだが、判断を間違えてしまったかと後悔している。 とにかく、普段の勝ち気な少女からは考えられないほど無邪気な行動を起こすのだ。今でも、ベッドに座らされた少女は底抜けに明るくベッドに懐き、布団の柔らかさを堪能していたりする。 「うふふふ、ふっかふか」 少女に特別な感情を抱いている青年にとって、ベッドに倒れ込んでいるその姿ははっきり言って目の毒である。私服であるミニ丈のワンピースの裾から伸びる足はかなり、危ない位置まで覗いていて理性がしつこく警鐘を鳴らす。 「ほら、水を飲んで」 「はぁい」 子供のような素直さでグラスに注がれていた水を飲み干した少女に、今度はパジャマを渡した。 「どうも今晩、君は帰れそうもないからね。明日は日の曜日だし、不都合はないだろう?」 青年の言葉を疑うことなく少女は頷き、言われるままパジャマに着替える。 「はい、じゃあ、おやすみ」 青年の言葉に再び頷いた少女は数分後、静かな寝息をたてていた。 「まったく。こんな状態じゃ、かえって手を出せないじゃないか」 確かに、これで手を出せば犯罪である。 しかし、文句を言いつつも、青年のシアンブルーの瞳には愛しげな、甘やかな光が浮かび、冷たいはずの美貌にも優しい微笑みが浮かんでいた。 「ま、これっくらいなら、いいか」 安らかに眠る少女の上に屈み込み、柔らかな頬に、白い額に唇を寄せる。 「酔った時、僕のところに来たのは、君も僕を特別にみているからだと思いたいね」 『きゃあああああ!!!』 翌朝。特大の悲鳴が学芸館に響き渡った。 「ど、ど、ど」 ベッドの上に起き上がり、パクパクと口を動かしていた少女は目の前で心底、楽しそうな笑顔を浮かべている青年に向かって悲鳴に近い疑問を叫んだ。 「どうして、私、セイラン様の部屋で寝ているんですか!?」 こんな時、自分の気丈な性質が実に、恨めしい。パニックに陥る前に自分の寮の部屋ではなく、目の前の青年の寝室だと理解できる冷静さが心底、恨めしい。お陰で現実逃避が出来ず、事実追求をするはめになってしまう。 「それに、それに、どうして、一緒にベッドに寝ているんですか!?」 目を覚ませば青年の綺麗な顔がどアップで目に飛び込んできたのだ。驚かない方がおかしい。 「昨夜、君はしたたかに酔っ払っていたんだよ。そして、なぜか僕にしがみついて離れなかったから、こうしているんだけど?」 『ま、キング・サイズのベッドだったから、窮屈じゃなかっただろ』 そう続ける青年の言葉がはたして、呆然としている少女の耳に届いていたかどうか。 「アンジェリーク。目を開けたまま、寝ているんじゃ、ないだろうね」 「できれば、そうしたいです・・・」 自分の醜態を思い、少女は力無く答えた。 よりにもよって、好意を寄せている青年に懐くとは!青年が鬱陶しがらなかったのが救いではあるが、やはり、とんでもない醜態を晒したことには変わりない。 ため息をつき、ふと自分がパジャマに着替えている事に気づいた少女はまたもや硬直した。 「セ、セイラン様・・・私、パジャマ・・・」 「服のままで寝る訳にはいかないだろ」 それは確かにそうなのだが、自分が着替えたという記憶のない少女にとって、その事実は恐ろしい想像を巻き起こす。 うろたえまくっている少女のその姿を見て、青年は楽しそうに笑う。 一晩中、同じベッドの中にいながら手を出せない、「蛇の生殺し」状態のささやかな意趣返しのつもりだったのだが、まず見られる事のない少女のうろたえぶりに、まぁ、これで帳消しにしてもいいかな、などと考える。 こんな姿を見られるのなら今度は二人きりの時に飲ませてみよう、と悪巧みをする青年とは逆に、少女は今度からは勧められてももう、絶対に飲むまい、と心に誓っていた。 果たして、今度があったかどうか。それは神のみぞ、知る。 END |