欲しいのはアナタだけ
「だぁーっ!!」
勢いよく起き上がったのは瑠璃の青年
真っ赤に染まった頬を、うめきながら覆う。
呼ぶ声に振り返る少女
抱き締める
笑っている
口づける
微笑んでいる
首筋に・・・・・
「そんな、嘘だろう?」
自分の心を否定しながら、彼はそれ故に肯定せざるを得なかった。
切り揃えられた栗色の髪と勝ち気に煌く緑青の瞳の《女王候補生アンジェリーク》
時折この自分すらも圧倒される程の強い意志で輝く、別宇宙の女王たるに相応しい資質を持った、まだ原石である少女だ。
何処にでもいそうでいない彼女だけの気丈な姿勢は、他者によりかからないその性格から生じるもの。一歩間違えればただの生意気に映りかねないその態度は、だが同じだけ見せる無邪気な側面によって綺麗にカバーされている。
以前、どんな女王になるのかと問うた時、にっこり笑って言いきった。
『誰もなれないような、私になります』
《女王》ではなく《自分》になるのだと言ったその口調、瞳の輝き、魅せられるのが当然といえば当然な、その強さ。
だけど、彼女はあくまで《女王候補生》であり、自分は彼女を導く感性の教官なのだ。その自分が彼女を想うことはしてはならない。それは禁忌だ。
『コンコンッ』
「今日和、セイラン様」
「アンジェリーク」
今日も元気な女王候補は栗色の髪を風に揺らせてそこにいる。
「学習に来たのですけれど、よろしいですか?」
細い首筋から栗色の髪が肩へと流れる。
「ごめん、今日は都合が悪いんだ」
彼は視線を逸らせてそう言う。夢のなかの少女を思い出して、早鐘を打つ心臓とは裏腹に、あくまでその声は涼しく響く。
「・・・・・そう、ですか。分かりました。また来ます」
このところずっとこんな会話が続いているせいだろう、何か言いたそうな顔で一瞬唇を動かしかけた少女は、悲しそうな顔でそう言うと踵を返す。
「ごめん」
流石の少女も連日の断りにシュンとした様子で帰って行くのを、断腸の思いで彼は窓辺から見送りそう言った。
「・・・・・」
切ないため息も全ては彼女が故に。
学習中の二人っきりという何とも心臓に悪いシチュエーションでは自分が何をしでかすのか見当もつかず、そのくせ断る度にこんなにも切ない想いをすることに、彼は疲れ始めていた。
「私、何かしたのかしら?」
ここ数日、あの《感性の教官セイラン》は授業をしてくれない。そのくせ、もう一人の《女王候補生レイチェル》が行った場合はちゃんと授業をしているのに、と彼女は怒ってもいる。お陰でこの頃はレイチェルと二人で行ったりだとか、レイチェルが先にいる時だとか、ようするに、レイチェルと一緒に授業を受けられるようにタイミングを見計らわなくては感性の授業が行われないのだ。
『いったい何をしただろうか』と、最近のことを思い出してみるが、なぁんもない。しかし、そうなるとちょっと、可成、たいへん、とっても、おかしい。とうとう女王試験第二段階からこっち、ようするに青年に改めて出会ってからをも思い出したりしているのだが・・・・・
「分からないわね」
眉をしかめて彼女は脳裏に青金石の教官の姿を思い描く。彼の性格を完全に把握しているとは言えないけれど、
「私、何にもしていないわよ」
元々、『我慢』という言葉が限りなく薄い方だと、自覚はしていた。それと同じように『独占欲』という感情もあまり持ってはいないと勘違いしていた。
勝手気ままに他者に縛られることのない自由を好む性格は、どうしたって『我慢』という感情はあまり上手に育てられない。そして『独占欲』は他を縛ると同時に、それらに自らも縛られることであると知っていたから、それは放棄した筈だった。
そう、『だった』、なのだ。本当は捨てきれていなかった。否、大部分は捨てたかもしれない。しれないが、全てを放棄したわけではなく、残っていたらしい。
気分転換にと思って、普段はあまり足を向けない公園の方へと足を向けたのだけれど、お陰で嫌なモノを見せられた・・・・・
彼女が誰かと話している。
それが同性であればまだいい。異性であった場合に、心に巣くうのは『独占欲』故に生じる『嫉妬』以外の何物でもない。
ふと、彼女が笑う。
笑いかける、自分以外の誰かに。
『我慢』の限界を知った・・・・・
スタスタ
「およ?」
「セイランか」
「どうしたんですか?」
「・・・・・」
瑠璃の髪、群青の瞳も艶やかな感性の教官の姿を見咎めて、四者はそれぞれの反応を示す。
スタスタ
「ちょ、何するんですか!?」
「・・・・・」
少女の抗議も意に介さず、通り抜けざまに少女を肩にかつぎ上げた青年は、その速度を一瞬として変えることなく歩いて行く。
スタスタ
「人攫いぃぃぃぃぃっ!!」
少女の叫びが木霊した。
スタスタ
「・・・・・追いかけないのか?」
「そちらこそ」
「タイミング外しちゃいましたね」
唖然として二人を見送った、鳶色の瞳の精神の教官、墨色の瞳の品位の教官、菫色の瞳の女王候補生の三者が、感情の起伏のない声で更に言う。
「どうしましょうか?」
「そうですね」
「どうしようもないんじゃないか?」
青金石のような青年の思い詰めた顔を思い出し、三者は口を揃えて言った。
「「「放っとこう」」」
スタスタ
「もう!何処に行くんですか!?」
暴れに暴れて下ろしてもらいはしたが、腕を掴まれ転ぶのを何とか危ないところで回避している少女は、足早に進む瑠璃の青年に怒り混じりの問いをぶつける。
この頃ずっと避けられまくり、何かしただろうかと、それこそ先程まで相談しようと思い、その機会をうかがっていたところだったというのに、それをほとんど誘拐まがいの方法でその当人がいきなりブチ切ったのである。
ずっと悩んで、答えが出ず、何かしらの糸口でもと思っていたのに・・・・・
「いい加減にして下さい!!」
キリキリと眉をつり上げて彼女はバリバリに怒っている。
「・・・・・」
「きゃっ」
突然立ち止まり振り返った青年にぶつかった少女は、そのまま抱き締められる。
「ここらへんなら、人は来ない」
『迷いの森』と呼ばれる暗く深い森の、少し入ったところである。確かに人は来ないだろうが・・・・・
「どうしたんですか?」
幾分柔らかな声で少女が問う。その原因は困惑だ。途方に暮れていると言うのが正しいかもしれない。
頭の上に青年の重みが幾らかかかる。子供のような態度だ。
「どうしたんですか?」
ため息混じりにもう一度問う。青年の一連の行動を理解する要素がなく、それを求めての言葉だった。
髪を梳いていた右手が、白い頬を包む。左手は細い肩を抱いて離さない。
「好きだよ」
きょとんとした青翠の瞳が、険悪な形になる。
「んん!!」
自由にならない手で青年の身体を押しのけようと、躍起になる。
「・・・・・僕が嫌い?」
「そういう問題じゃないでしょうがっ!?」
抗いに悲しそうな目で問う青年に、これ以上もない怒りの声を上げる少女だ。
「私は貴方の勝手になる人形なんかじゃない!!」
ブルーグリーンの瞳にあるのは、紛れもない怒りと、それ以上の悲しみだった。
「私は私、私以外の誰にも従わない。私を、この意志を、無視なんてしないで」
何時だって真剣な瞳が彼を見据える。
「ごめん」
「自分がされて嫌なことを他人に強要しちゃいけませんね」
「だから、ごめんって言ってるだろう」
謝罪に、悪戯な光を宿した瞳がからかい、悔しそうに彼が再び謝罪する。
「特別に許してあげます」
高飛車に言い、自由になった手が瑠璃色の髪を掴む。
「!?」
「これで全部忘れてあげます」
すましてそう言った少女は、初めて見る慌てた青年の姿に、とうとう弾けるように笑い出す。
「アンジェリーク!!」
自分がしたことと大差のないことをされた青年が少女の名を呼ぶと、勝ち誇ったように更に笑う少女である。
「セイラン様が好きですよ」
笑う声が歌うようにそう言うと、再び青年の髪を掴んで引き寄せる。
「!」
今度は頬に優しい羽根を感じる青年に、特別な笑顔を向ける。
「嫌われているのかと、心配していたんですからね。恥も外聞も捨てて、他の人に相談しちゃおうかと思うくらい、セイラン様が好きです」
クスクス 笑う少女が抱き着く。
「僕も君が好きだよ。愛おしいすぎて、会うのが怖かったくらいにね」
青年からの二度目のキスに、抗いはなかった。
「んあ?」
寝惚けた声をあげて目を覚ました青年は、起き上がると時計を見る。まだ十分に夜と言える時間であることを確かめ、再び寝直そうと手をついて、
「!?」
栗色の髪の少女が眠っていることに気がついた。
「・・・・・」
あどけない寝顔をしばらく唖然として見つめ、目を擦ってもそこにいるのを確かめてから、眠る前のことをやっと思い出した。
女王候補であることを捨てるとまで言い切った
後悔なんてするわけがないと笑っていた
それでも、最後には泣いていた
涙の跡の残る頬に、口づける
まるで何かの儀式のように
「・・・・・」
夜が明け、しばらくすれば、ことは全ての人に知り渡るだろう。
隠せることではないから、決してないのだから。
涙の跡の残る頬に、口づける
まるで許しを請うように
少女の隣に滑り込む。
何時もの勝ち気さはかけらもないあどけない寝顔に、思う。
非難されるのは自分だけでいいと。本当はとても傷つきやすい少女だ。大人しく守られているような性格ではないけれど、自分は守ると決めたのだから。
「君は眠っているといい」
呟いて、目を伏せる。そうして、決める。
彼女がここにいる間に、全てを自分だけの責として女王に奏上しよう、と。
「君は守るから」
『何からだって、誰からだって』 言葉にならない言葉を呟く。何よりも誰よりも愛おしい最愛の少女に。
そして、密やかに耳朶を打つ言葉
「私も行きますからね」
ギクッとして青年が目を開くと、勝ち気に少女が睨んでいる。何時起きたのだろう?
「一人で責任を負うようなことしたら、嫌いになりますからね」
微笑ましい脅迫に、彼は苦笑という仮面ではぐらかす。
「何のことだい?」
「『君は守るから』だなんて、私が大人しくしているとでも思ったんですか?どうせ、『僕が勝手に』とか言って責任を負うつもりでしょうけど、そんなこと、許しません!」
滑らかな少女の身体が青年に抱き着く。
「そんなことしたら、セイラン様のこと本当に嫌いになりますからねっ」
怒っている少女の姿に、青年は今度こそ本当に苦笑する。抱き着いてきた少女を同じだけの力で抱き締めながら問う。
「分かってる?聖地中の人から非難されるかもしれないんだよ?」
答えなんて分かっていたけれど、それでも確かめると、掌中の玉のように大切に守りたかった宝石は当然のように言う。
「かまいません」
至極あっさりとした口調で彼女は言う。
「セイラン様がいるなら、他なんていりません」
『欲しいのは貴方だけ』
「そうだね」
端正な美貌に艶やかな笑みを浮かべて、しなやかな腕で最愛を抱き締める。
「僕も君がいればいい」
『欲しいのは貴女だけ』
ずっとずっとアナタだけ
アナタが愛しい アナタが恋しい
欲しいのはアナタだけ
『アナタが好き』
END
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