濁流

濁流


 狂う程に愛している・・・・・

「アンジェリークゥ!」
「あ!マルセル様、今日和」
「今日和」
 『ぱたぱた』と駆け寄って来る少女のように可憐な《 緑の守護聖マルセル》 の姿に、優しい笑顔で《女王候補アンジェリーク》 は応じる。
「えへへ。ね、時間ある?一緒に遊ぼ?」
 輝くラヴェンダー色の瞳いっぱいに鮮やかな好意の光を宿した少年守護聖は、『ねぇ、遊ぼうよ』と誘いをかける。
「すみません、これから育成をしなくてはいけませんから」
「そうなのかぁ・・・・・じゃぁ、また今度ね」
「はい。チェリーパイを焼いてお伺いします」
「本当?」
 『にっこり』笑って答えると、紫の花色の瞳いっぱいに嬉しそうな光を浮かべてマルセルはいきなり飛びついた。腕を少女の首に巻き付けて嬉しそうに歓声をあげる。
「アンジェリーク、だぁい好きっ」
 『チュッ』
「マルセル様!」
「てへへ」
 悪戯っぽくマルセルは笑うとすぐさま離れて前庭の門の方に駆けて行き、『ぱっ』と振り向いた。
「まったねぇ!」
 元気に手を振る少年守護聖の姿に脱力したアンジェリークは、マルセルの唇の触れた頬に手を当てた。

「・・・・・」
 頬に手をやり苦笑を浮かべているアンジェリークを、苛立たし気な視線が貫くように見ている。赤い唇を噛み締めて、彼は呟いた。
「アンジェリーク」

 『コココココンッ!』
「はい、どうぞ。アンジェリーク」
「分かりました?」
 『クスクス・・・・・』  重厚な執務室の扉を開いて、『ぴょこん』と顔を見せたアンジェリークへと、その部屋の主である繊細優美な《 水の守護聖リュミエール》 は笑顔で執務室から離れる。
「いらっしゃい、今日は何の御用ですか?」
「育成を少しお願いに来ました」
「育成ですね?分かりました、任せて下さい」
「有り難うございます」
 向けられる素直な好意に、彼の心臓が一瞬強く高鳴る。期待するにはあまりに純粋で無垢過ぎる眼差しは変わらないけれど、それでも彼のなかにある想いが一時とて止まることはない。
 出会った頃から全く変わらない愛らしい微笑みと向けられる好意に、更に心は惹かれていく。
「これからお茶にしようと思っていたところです。育成だとか終わっているのなら、一緒にどうですか?」
「はい!御一緒させて下さい」
 『きらきら』と輝く翠の瞳の美しさに、リュミエールは思わず魅せられる。
「では、すぐに容れますね」
 高鳴る胸を押さえて優雅にリュミエールは裾を翻して隣の私室にティーセットを取りに入る。特に少女の好むお茶の葉の入った瀟洒な瓶だとかを棚から丁寧に取り出すと、音を立てることなく執務室に舞い戻った。
「うふふっ、リュミエール様とお茶」
 『きゃろりん』と少女は嬉しそうに笑っている。あどけない子供のような無邪気さに自然と笑みが浮かべられる。
「それだけ喜んでいただけると、私も嬉しいですよ」
「だって、私、リュミエール様のこと好きですもの」
 舌をちょっと出してはにかんだ姿に、『ズキリ』と胸が痛くなる。胸の奥で疼くような痛みが広がっていく。あまりに甘く酔わせるその想いに、彼はそれは優雅に少女に微笑みかける。
「光栄です」
 密やかに想いを込めて彼は言う。少女に想いが届くとは思えなかったけれど、それでも想うことは止められない。

「・・・・・そういえば、アンジェリークはマルセルとも仲が良いようですね?見ていると妬けてくる程ですよ。・・・・・マルセルのことが好きですか?」
 談笑している間中、『どうやってきりだそうか?』と考えていた言葉を紡ぎ出す。
「えぇ」
 一瞬の迷いもなく少女は確かに頷いた。『ころころ』と鈴を転がしたような可憐な笑い声が続く。
「だって、可愛いんですもの」
「そう、ですか」
 弟に対するような純粋な好意に染まったその台詞に、ほんの少し救われた気分で、だが強い嫉妬に心を焼かれながら彼は微笑んだ。その心と裏腹に、全ての罪も汚れも流すような清い笑顔だった・・・・・

 早朝の清廉な空気がまだ残る聖殿に、少女の軽やかな足音が響く。
「アンジェリーク?」
「あ、おはようございます、リュミエール様」
「おはようございます。どうしたのですか?随分と朝早くから」
 ちょうどこれから誘いに行こうとしていただけに驚きも大きい。何時もこの時間は育成状態を部屋で考えている頃なのだ。それを知っているからこそ、失礼にならない程度に早い時間ではあるが誘いに行けるのだ。『いなくて無駄足』ということがないので。
「今日はディア様に頼んで講義を受けるんです。ロザリアと違って私は一般人でしたから、どうしても基礎から勉強しなくてはいけませんでしょう?ロザリアにも言われたんです。『ディア様に教えてもらいなさい』って」
 陰ることのない太陽の微笑み浮かべた少女は、この飛空都市に出張している《女王補佐官ディア》の名とライバルでありながら今ではそれは仲の良い《 女王候補ロザリア・デ・カタルヘナ》の名を台詞に織り込んだ。
 彼女等への少女の信頼が目に見える程のその口調に、リュミエールは頷いた。
「成程、そうでしたか。今日は息抜きにでも誘おうと想ったのですが、仕方ありませんね。諦めましょう」
「申し訳ありません。また今度誘って下さいね」
「えぇ、お約束しましょう」
 本当に残念そうな少女の表情に、彼は微笑んだ。今日を共に過ごせないことは悲しいけれど、これ程までに気落ちしてくれる程には自分を好いてくれているのだと。何やらこそばゆいような感じを受ける。
 止めようもなく惹かれる心が、破滅寸前であることに彼はまだ気がついていない。
「では、そろそろ行かないとディア様をお待たせするので」
「頑張ってらっしゃい」
「はぁい」
 きらきらと輝くような笑顔で手を振り、きらきらと輝く髪を風に流して少女はかの女性がいる執務室に向かって駆け出した。

 風は雲を呼び、雲は雨を呼び、雨は稲妻を従える。

 外の天気を恨めし気に見つめながら、子供っぽい少年は唇を尖らせて不満を口にした。
「あぁあ、前も見えない大雨だぁ。朝はあんなに晴れてたのにぃ」
「全くね」
 優雅な声がおっとりとかけられ、マルセルが振り返る。
「ディア様?」
「アンジェリークも、どうしました?」
 居間的な比較的使い勝手が良いように乱雑とまではいかないが、クッションだとかがそこら辺に散らばっている部屋で思い思いくつろいでいたマルセルとリュミエールが驚いて年上の女性とその後ろに控えるように立っている少女の姿に首を傾げる。
「あんまり雨がひどいから、このまま今日は聖殿にお泊まりなんです」
「わぁい、それじゃぁ夜まで遊べるんだね」
「はい」
「うっわぁ、嬉しいなぁ」
 途端に先程までの不満は何処へやら、素直に喜ぶ少年に対して、青年の方は何処か青い顔をしている。そのことに気がついた温雅な美貌の女性は問いかける。
「どうかしたの?顔色が悪いようだけれど、リュミエール?」
「あ、いいえ、何でもありませんよ、ディア様」
 慌てて優雅な美貌にえもいわれぬ笑みを浮かべる青年に、だけど彼女は常日頃から思っていたことを口にした。
「貴方は人を気遣うのに、気遣われるのは嫌いなのね。身体の調子が悪いのなら、素直にそう言ってお休みなさいな」
「はい、ディア様。でも、本当に大丈夫ですから」
 ほのかに苦みを含んだ笑顔で、彼は頷いた。

「・・・・・リーク、アンジェリーク、次、君だよ」
「あ、はい」
 物思いに耽っていた少女は慌てて一手を打つ。
 他何人かの守護聖が好き勝手に談笑している居間で、マルセルとアンジェリークはオセロをしているのだが、
「あの、リュミエール様は?」
「うん?そういえばご飯の時にもいなかったよね。仕事の関係かな?ん、違うな、昨日すっかり全部終わらせてた筈だし。うぅん、何時もなら食堂で食事して、ここで食後のお茶出してくれるんだけれど」
 『どしたんだろうねぇ』と、無邪気な少年は首を傾げる。
「御病気でしょうか?」
「どうかなぁ?あんまり守護聖が病気したって聞かないけど。でも、今日はなんだか気落ちして、顔色も悪かったし」
 『僕分かんないや』と言って、白いコマを打つ。
 次に打つ位置を決めていた少女はすかさず置くと、何かを考え込んだ。

 その夜は、嵐となった。

 『コココココンッ』
「リュミエール様、アンジェリークです」
 『ぼんやり』と窓越しに外を見ていたリュミエールは慌ててドアを開ける。金色の少女が立っていた。
「何の御用ですか?」
 優しい声が、何処か突き放すような響きを持っている。実際、会いたくなかった。会えば狂ってしまう、そんな予感がしていた。愛おしすぎる・・・・・
「あぁ、やっぱり顔色が悪いですね」
 白い指が繊細なリュミエールの顔に寄せられる。無垢という名の凶器で心を切りつけていることを知らない無知な天使は、心から心配している人を追い詰めていることも当然知らない。
「お仕事が残ってらっしゃるのですか?」
「いえ、終わっていますが、何か?」
「ならお早く横になって下さい。私室に先に行ったらお返事がないので眠っているかと思いましたのに。さ、今日はもう寝て、明日は元気な顔を見せて下さいね?デートに誘ってくれるお約束でしょう?」
 少女は悪戯っぽく笑って、男性としては細い手に自分の手を恐れ気もなく重ねて隣の彼の私室に引っ張って行く。
 薄らぼんやりとした明かりに照らされて、幻のように彼女は立っている。
 幾つもの、声が響く。どれも自分のそれだ。
『抱き締めたい』『口づけたい』『自分だけのモノに』
『だけれど・・・・・あぁ、それは罪』
「じゃぁ、お休みなさいませ」
 自然に『キャパッ』と浮かべられた笑顔に、つい彼は問いかけた。
「心配して、来て下さったのですよね?どれだけ心配してくれました?」
 振り返り、青ざめた顔を見つけた少女は穏やかに元気づける笑顔に切り替える。
「とっても、たくさん、これ以上もなく心配でした」
 崩れるように、リュミエールは床に座り込む。幸せで、目眩がした。だけど、その心の傍らで冷ややかな声が響く。『彼女は誰にだって優しい』と・・・・・
「リュミエール様?どうなさいました?大丈夫ですか?」
 翠の瞳が覗き込む。『心配だ』といっぱいに書かれた顔に幸せを感じながら、同時に痛みを感じる。自分以外にも、心配性の少女は気遣ってこんな顔を向けるのだろうから。
「病気ですか?お医者様を呼んできましょうか?」
「いいえ、違います。大丈夫です」
「本当ですか?」
「えぇ」
 安心させようと微笑むと、少女は明らかに安心した様子で安堵の吐息を漏らした。そんな些細な仕草も可愛らしい。
「でもどうなさったんですか?何だかこの頃変ですよ?」
 ちょっとふに落ちないといった風に首を傾げる愛らしい少女を前に、彼は己の欲望を自覚した。ひどく甘美な誘い声は言う。
 『・・・・・してしまえ』
「変とは?何時も貴女はどんな風に私を見てくれているのですか?」
 『きょとん』とした幼い顔で少女は言う。
「とってもお優しい方」
 台詞に彼は冷笑を浮かべる。『そんなことはないのだ』と。
「リュミエール様?」
 『ゾッ』とする程に冷たい表情を彼は浮かべていた。その瞳は何時だって穏やかに凪いだ海のような優しい光を宿していたのに、今は恐怖を覚える程艶やか。白い手が華奢な腕を取る。立ち上がれば、彼の背は彼女の背を頭一つ分は優に超えている。見下ろすその顔は何かを決心した者の悲壮なまでの覚悟をにじませていながらも、ひどく妖艶で美しい。
 腕の一振りで部屋の中の光という光が消え去る。
 突然のことにうろたえるアンジェリークは、『ふわり』とした感触の滑らかな何かの上に何時の間にか乗せられていた。

 天と地を繋ぐ光の柱  轟く雷音

 一瞬の雷光に浮かび上がった人は、冷たい顔をしていた。
 どういう状態なのかも分からない少女は首を傾げた。滑らかな何かがシーツだということはしばらくして分かったけれど、何故自分がシーツの上、ひいてはベッドの上にいるのか分からない。
「貴女は、私を唯優しい者だと勘違いしていませんか?私は優しくなどありません。貴女を手に入れる為なら何でもしますよ?」
 滑り込むように、音楽的なまでに素晴らしいその声を『銀の声音』と称えられる人が振れる程近く、耳元で囁いた。『ゾクリ』とする凄みを帯びた声は、今まで聞いたことがない程掠れている。
 背筋を凍らせながら、
「リュ」
『ミエール様』と名を呼ぼうとした唇は塞がれた。彼の唇を持ってして。

 思考能力停止

『ぱさり』
 乾いた音がした。
 自分を取り戻してみれば、夜と嵐の持ち込んだ闇の中に、浮き上がるように赤いリボンがひらめいている。白い指先が弄ぶようにそれを搦めて、放り投げた。
『ぱさり』
 鮮やかな赤が雷光に燃えるような色を加えて堕ちた。
 一瞬にして彼女は理解した。
「離して下さい」
 年頃になった女性全般に備わる危機感に総毛立つ思いを味わいながら、アンジェリークは自分のまとう布を外していくその行動から逃れようともがいた。
「嫌ですね。冗談じゃない」
 低く笑い声が虚ろに響く。正気とはとても思えない声に、少女の背筋を冷たい氷が滑っていく。
「アンジェリーク」
 『うっとり』と陶酔した声が届く。ついばむような優しい優しいキスも、少女の危機感を高めても低くすることなど、ましてや霧散させるなど無理だ。
 黒に浮き出る白が助けを求めて虚空に伸びる。心を占めるオモイに、少女は冷たい指先を伸ばす。ひたすらに救い求め。
「・・・・・ぃやぁ」
 冷たい華奢な指に、リュミエールの指が絡んでシーツに押し付ける。アンジェリークの望みも何もかも壊すように押し付けて、震え脅える少女の赤い唇に熱く深い口づけを強引に与える。
 肌に触れる感触が変わっている。布地では決して再現出来ない滑らかさと暖かさ、それが自分の意志を無視してキスをする人のモノなのは分かっている。でも、どうやってすれば逃げられるのか?熱い熱い枷が、危機感に一瞬で冷えた身体を暖めて力を奪っていく。逃げられない。だけど、逃げなくてはいけない。
「いやぁ、離して、リュミエール様なんて、リュミエール様なんて、嫌い!」
「かまいませんよ」
 『さらり』とリュミエールは返しながら、それでも傷ついた心が乱暴に烙印を押す。
「!」
 焼け付くような痛みが、有り得る筈のない痛みが、身体中に広がっていく。耐え切れない吐息が密やかに漏れる。
「ん」
 身体中に赤い烙印を押して、逃れようとする身体を押さえて愛撫を与える。今まで誰にも触れることを許したことのない身体は随分感じやすいらしい、吐息が漏れて、酔わせられる。力加減を忘れて力いっぱい抱き締めたくなる。
「あ。はぁ、あん」
 理性がなくなりそうだ。耐え切れなくなって零れ出たのだろう声が、理性を確実に削っていく。それでも、流石に初めての少女にこれ以上の乱暴さは、まだ、早い。懸命に自分を押さえて、更に少女の快楽を深める。来るべき痛みを和らげる為に・・・・・
「アンジェリーク」
 耳元で囁く。優しい声をわざと作って、でもその手は緩めない。
「力を抜いて、そう、初めてでしょう?」
「あは、んあん!」
 理性を蝕むように、囁きかける。
「せめて、優しくしてあげましょう」
「は、はぁ・・・・・」
 恐れ故か、それとも快楽故か、涙を零す少女の身体から力が抜けていく。多分彼女の意志ではなく、身体が考えるより先に力を抜いたのだ。
 唇を触れ合わせ、ほんの微かな吐息も声も逃がさない。
「っ!」
 悲鳴は、そのまま彼の中に消えた。

 開いた花を踏み躙るように、幾度となく汚された少女は気を失って眠っている。
「これで、憎んでくれますよね?」
 『うっとり』と、甘く優しい声で、彼リュミエールは涙の跡の残る頬に手をやる。
「貴女が憎むのは私だけ、そうですよね?」
 その為だけではないけれど、愛しい想いが暴走していたことも認める。それでも、『憎まれる為』それが第一の目的。狂気の海に身を沈め、彼は呟く。
「誰にでも平等な笑顔はいらない。私だけを憎んで、憎悪に染まった瞳を向けてくれますよね?」
 触り心地の良い髪を撫でていくうちに、彼もまた眠りの園へと旅立った。

 次に目覚めたのは、彼女アンジェリークの方。
「私?」
 起き上がった拍子に肩からシーツが滑り落ちる。白い肌の深紅の跡に、混乱していた記憶が再構成される。
「もう、ここにはいられませんね」
 『ホロホロ』と流れる涙が青年の頬に落ちて弾ける。
 しなやかな細い身体を滑らせて、ひどく見た者の気をひくだろう危うい雰囲気をまとった少女は青年の側から離れる。
「何処へ行くのですか?」
 華奢な腕を取って、リュミエールが問いかける。少女の涙が彼を現に引き戻していた。
「私は女王になる資格を失いました」
「私が貴女を汚したから?・・・・・私を、憎んでいるでしょう?」
 アンジェリークは首を振る。『いいえ』、と。
「どうして?」
 当てが外れて、彼は首を傾げる。
「答えられません」
 冷たく瞳を煌かせ、リュミエールは少女の手を引いて引き寄せる。腕の中に引き寄せた少女の顔を覗き込んで、問いかける。
「どうして?」
「・・・・・忘れるつもりでした、忘れた振りをするつもりでした。そうしないと、私がここにいる理由がなくなるから。ここにいたかった。・・・・・の側にいたかった」
 雷鳴にかき消えた固有名詞  外の嵐はいまだ止まることを知らない。
 嫉妬に狂う心が、男性のモノとしては少し高い声を掠れさせる。
「誰の、側に?」
 翠と碧の瞳がぶつかり合う。互いの中に、何が見えるのか?
「貴方の、側にいたかった」
 思わず惚ける彼に、少女は顔を寄せて唇を微かに触れさせると逃げるようにベッドから降りようとする。
「っ!」
 間一髪後ろから抱き締めて、その行動を彼が止めた。驚愕との思いに捕らわれながら、彼は少女の細い身体を己の腕を枷となし縛り付ける。今逃がしたら、きっと二度と会えない。その確信が、枷に新たなる力を与える。
「イタ」
 小さな声に反射的に力を緩めて、だけれど決して逃がさない。嫌がる少女を強引に自分の方へと向きを変えさせ、彼は言う。ひどく感情を欠いた声で。
「私を見ていてくれたのですか?」
 視線を逸らせたアンジェリークは答えない。だが、金色の髪に見え隠れする横顔が、赤く染まっているのが答えであると彼は思いたかった。
「答えて下さい」
 確信のなさが言葉を求める。『ワタクシヲミテイテクレタノデスカ?』
「もう、忘れられない。想いを断ち切ることが出来ない。側にいたい。・・・・・貴方の、リュミエール様の側にいたい」
 ともすれば、外で荒れ狂う嵐に邪魔されて消えかかる声が、答えであった。
 そうして、訪れたのは歓喜
「アンジェリーク」
 腕の中に少女を抱いて、彼は言う。心底愛しい可憐な少女の名を。
「だけど、側にはいられない。女王は世界を愛する者。私はリュミエール様を愛しています。資格を失ってしまった私は、この地にはいられません」
「貴女がこの地を去るなんて、そんなこと私は許さない。それが理というのなら、私も共に行きましょう。貴女と離れるなんて私には出来ません」
 きつく腕に抱いた少女の、柔らかな髪に頬を埋めて彼は言う。
『アンジェリークが側にいない世界など、いらない。そんな世界滅んでしまえ』
 そこまで思う程に、もう以前のような水の清らかさを取り戻すことの出来ない狂恋の道を選んでしまった。彼女が側で微笑んでいることだけが、彼の望み。たとえ万人に平等に向けられる笑顔でも、彼女の想いが自分の上にあるのなら、その意味は全く違う。愛しくて、愛おしくて・・・・・
 幸福なため息をつきながら、それでも引き離される未来にアンジェリークは涙を止めることが出来ない。
「リュミエール様は守護聖、聖地にいらっしゃる女王陛下を守る方、共に生きることは叶う願いではないでしょう」
「ならば」
 彼はすぐに言う。凄絶な凄みを持った笑顔で。
「貴女を攫って逃げましょう。それでも逃げ切れないのならば、貴女を殺して私も後を追います。たとえ魂だけになっても、貴女を愛します。この魂の器も可愛いですけれど、私が惹かれたのはその心なのですから。守護聖としての誇りも何もかも、全て捨てます。罪を犯した者としての汚名も喜んで受けましょう。後世において、《 罪を犯せし水の守護聖》 と、そう、《 濁流の守護聖》と呼ばれても・・・・・」
 吐息がかかる程、微かな動きで唇触れる程近くで彼は言う。
「貴女はこんな私でも好きでいてくれますか?私は優しくなどない、貴方を手に入れる為ならどんな汚いことだってします。それでも好きになってくれますか?」
 少女は、横に首を振る。
「いいえ、愛します。貴方を愛します。好きなんかじゃ、足りません」
 頬染める少女は清らかで、癒しの御手もて彼の頬に触れる。
「生きとし生けるモノ全てからどれ程罵られても、貴女が許してくれるなら私は誰にも負けない幸せ者です」
 幸せに酔いながら、リュミエールはアンジェリークを抱き締める。
「私だけのアンジェリーク」
 大人の男性の力をいっぱいに受けて、アンジェリークはまさしく痛い程の愛情を感じている。
 吐息が混じり合う。薄い紅に染まる白に同じでありながら違う白が重なる。
「ん、んあ、ぁあん」
 まだ身体の奥に残っていた熱が内側から焼くような感覚に、少女は声をあげる。流れ落ちる涙を搦め捕るように触れる唇が、更に熱い。
「リュミエール、っ!」
 声が掠れて消える。
「リュミエールさ」
 口づけが声を消す。
「言わないで、敬称はいらないから、言わないで」
「リュミ、エール?」
「そう」
 満足そうに彼は優しいキスを贈る。
「愛しています、アンジェリーク」
「・・・・・リュミエール」
 頬を染めて小さく名を呼ぶ少女に、心からの愛おしさから彼は口づけた。

 涙の流星は溶け消えた・・・・・

 二人の恋が明るみになったのはすぐのこと 駆け落ちだろうが心中だろうが、引き離されるのならすぐにでもしてやろうとまでに思い詰めた様子に、女王も心を変える術を持つ筈なく・・・・・

 満月月夜に二人は聖地の聖神殿のテラスに大きなクッションを出して、そのまぁるい月を見上げる。仲睦まじく寄り添い合って月を見上げる二人は、この世の者とは一線を画するように清らかな、この世で最も罪深い恋人達。狂う程に相手だけを想い求めて、その想いのあまりの強さ故に恋結ぶことを認められた者達。
「まるで夢のようです。貴女がここにいるなんて」
 『うっとり』自分の肩に流れる金色の髪に頬寄せて、リュミエールは呟く。
 『決して離さない』と、そう決めた金色の少女の暖かな優しいサクリアに浸りながら、『それがどれだけの罪であるのか?』と、考える。本当ならば金色のQUEENになっていただろう金色のANGEL、幸せなのだろうか?
「貴女は今、幸せですか?」
「いきなり何を言われるのかと思ったら」
 『くすくす』と気弱に自分を見る愛しい人に、アンジェリークは笑んだ。心から愛しいと想う人と共にいて、
「不幸な筈ないじゃないですか?これ以上の幸せなんてありませんよ」
『・・・・・有り難う』
 応えは言葉にならず、彼と彼女の中で弾ける。
 少女を腕の中に抱いて月を見上げる。冷ややかな銀でありながら、それは優しい光を投げかけている。
「もしも私が死んだら、どうします?」
 いきなりの問いに、彼女は本気で怒って見上げる。
「そんなことおっしゃらないで!私は、私は・・・・・リュミエール様がいて下さらなかったら・・・・・」
 緑柱石から水晶が流れる。震える肩は細くて弱くて、脅えた子供のように痛々しく、ひどく後悔する。
「すみません。でもね、私は貴女が死んでしまえば後を追ってしまうでしょう。貴女がいなくては生きていく意味がないのです」
「それでも、言わないで下さい」
 顔に触れる金色のふわふわした髪から薫る香りに目を細め、彼は愛しさに抱く腕の力を強くする。いとけない少女のように、ずっと守っていたいと思わずにはいられない。
「貴女がいない世界なんて、考えられない。何時の間にこれ程までに恋い焦がれていたのでしょうか?」
 白い手で少女の細い手を取って彼は中指の指先、桜貝のような爪に口づける。
「アンジェリークだけを愛しています。ずっと側にいてくれますか?」
「リュミエール様がいない世界なんて、いらない。ずっと、ずぅっと、お側にいます。いさせて下さい」
 月の投げかける蒼いスポットライトに、淡く揺らめく二人の影が重なって沈む。

 狂うような恋に身を任せ  この世で最も幸せな罪人  罪深き聖なる者
 世界の終焉までも共にあることを願う程に  互いに焦がれ続け  想い合い

「愛しています」

 魔法の呪文のように互いの名と想いを呟き囁き告げて
 幸せな二人は  この世で最も清らかな恋人達だった・・・・・

END