クリスマスの奇跡

クリスマスの奇跡


 たとえばアナタに出会えたこと  とっても大切な大いなる奇跡

 《大陸エリューシオン》  かつて約三年程前に行われた女王試験の舞台の一つ。金色の天使が愛し育てた美しいその地に一人の少女が住んでいる。
 『陽光を紡いだがごとき金、深い森の奥の若葉に宿った朝露のごとき翠』とは、三年の時を経て今や立派な女性と呼べる程に成長した《 元女王候補》 の特に印象に残る髪と瞳の色を讃える時にたとえとしてよく使われる言葉だ。二十歳にもなろうという女性としてはひどく無邪気で時折子供っぽく少女のような無敵の笑顔を皆から愛されている彼女は、今も住民達から《 天使》 と呼ばれ愛されている。

 元気な声が晴れた空に溶ける。
「天使お姉ちゃん!」
「あら、デイジー君」
 好奇心に輝く《 ひなげし》 という名のまだまだ少女めいた幼い少年は、少女と同じ緑の瞳に『とてもおかしい』との色をありありと浮かべて言った。
「まぁた、男の人フッたでしょ?泣いている人いたよぉ?」
「・・・・・」
 少女の家の方から哀れな程『とぽとぽ』と歩いていた男だけの一団の様子を思い出しながら、楽しそうに少年は歌うように言う。
 少女の無垢な可愛らしさに一定以上の愛情を抱いた男性連中が、週に一度くらいの割合でやって来ては交際を申し込むのだが、少女は何時もつれなく断りまくっている。なかには二年程通っている男もいるのだが、それでもつれない。何処までもつれない答えしか少女は返さない。
「天使お姉ちゃんときたら、理想高いんじゃない?もう少し妥協したら?」
 年の割にマセたことを言う少年は尚も言う。
「そのうちイカズゴケになっちゃうよ?」
「良いの。なるつもりだもの」
 少年よりも子供っぽく、拗ねたように彼女は言った。香しい花々に水を与える為に持っていたじょうろに水を足して、重くなったソレを両手で支える。
「何でぇ?どうしてぇ?」
 不思議そうに首を傾げる少年に、彼女は謎めいた微笑でかわす。
「ねぇ、どしてぇ?天使お姉ちゃん」
 しつこく少年は問いかける。三年前に舞い降りた少女に最も懐いている少年らしいのだが、
「あのね、前から言ってるけど私の名前は」
 半ば諦めた声で彼女はデイジーに名を告げようとしたが、一瞬早くソレが響いた。
「《 アンジェリーク》 」
 滑らかに耳に届く澄んだ声音 男性としては少し高く、女性としては幾分低いその声の主は少女の視界外にいる。慌てて声の方を向いた少女の白い頬を、少し遅れて金色の髪が広がって触れる。
「っ!」
 白い手から落ちたじょうろから水が流れて大地に染み入る。
「《 リュミエール》様」
 震える少女の声に、ゆったりとした歩みで近づく佳人は、艶やかに微笑んだ。

「お断り申し上げます」
「アンジェリーク」
 非難めいた呼びかけに、同じように非難の響きを含んだ声が応える。
「お断り申し上げます。私は確かにかつては女王候補でしたが、今はただの《アンジェリーク》です。何故今更、聖地に行かなくてはいけませんの?」
 心からの疑問に、一瞬とてためらうことなく彼は答える。半ば本能的に真実を見抜くこの少女に、嘘偽りは無意味であり、逆効果だ。
「貴女のためです、アンジェリーク。旧世界と新世界の均衡が、ここしばらく揺らいでいます。何時歪みが現れるか分かりません。女王陛下は我々が常に守っていますが、貴女を守るならやはり聖地に来ていただいた方が。何より、貴女を女王候補とさせたサクリアはいまだに高まることこそあれ、弱まる気配はまるでありません。そのサクリアに引き寄せられ、いかなる歪みが、災厄がこの地に降りかかる
か」
 唇を噛んで、少女は苦痛の表情で俯いた。愛する愛しい 《 エリューシオン》に、己のせいでどのような些細なものとて災いを呼び込む等冗談ではない。それでも、かの地に向かいたくはないのだ。脅えた子供のように、どうしても行きたくないとの思いが体を萎縮させ、決心がつきかねる。
「どうか、アンジェリーク。共に来て下さい。貴女に何かあれば、私、いえ、女王陛下をはじめ守護聖一同皆が悲しむことでしょう」
 真摯な言葉に、心臓が『とくん』と波打つ。
「アンジェリーク、貴方を守らせてはいただけませんか?」
 風が入り込む窓辺で可愛らしいセントポーリアが揺れる。
 紅茶の湯気の向こうから一心に自分を見つめる人の視線を痛い程に感じながら、少女の中で形を作る何かがあった。
「・・・・・分かりました。参ります」
「本当ですか!?良かった」
 優し気な美貌に明るい笑みを浮かべる佳人《 水の守護聖リュミエール》 に、少女は『あくまでこれだけは譲れない』という風に言う。
「ただし、それも世界の均衡がとれるまで。とれれば私はここに戻ります。ここが、私の帰る場所なのですから」
 一瞬碧い瞳に憂いの陰りが浮かぶ。だが、まずは少女が同意してくれたことだけを喜ぶべきと思い直したらしい、天性の優雅さで腰掛けていた華奢な椅子から立ち上がると、彼は小さく頷いて、少女に手を差し伸べた・・・・・

 優雅な美貌の青年に付き添われ、愛らしい少女が聖なる地へ赴いたのは、その日のうちであった。

 柔らかな曲線を描いていた頬は何時の間にだろうか甘さを取り除き、好奇心に輝いていた瞳は憂いの陰りを帯びて、今も昔も変わらぬ筈のウェーブのかかった金色の髪すら何処か落ち着いた鈍い光を返すよう。華やかな愛らしいその顔立ちは変わらない、なのに、どうしてだろうか?ひどく蠱惑的な香りが漂うような、ひどく弱々し気なその風情は、あの過去の日にはなかったモノ・・・・・

 揺らめく金  輝く金  陽光弾き魅せる金  だのに、一体何故これ程までに憂うのか?
「どうしました?アンジェリーク?」
 女王より与えられた一室は、少女が一度は『過分に過ぎる』と辞退した程に整えられている。その部屋の開け放たれた白い窓枠に身体を預けて流れ込む風に髪を揺らめかせ、少女はゆるりと首を傾げる。
「あまり外へ出ませんね?」
 その言葉に得心した少女は有るか無しかの仄かな微笑みを浮かべる。
「気が、進みませんもので」
 呟きの答え  かつての少女からは考えられない程に密やかな声
「誘いに参りました。賑やかな場所が苦手ならば、森の湖は如何ですか?」
 背を覆う銀と青の輝きを放つ髪が誘いの言葉と共に揺れる。
 沈黙  一体何故の沈黙であったか?
「お誘い有り難うございます。・・・・・参りましょう」
 差し伸べられた白い手に、華奢な指が触れる。
『とくん』
 跳ね上がった心臓の鼓動

 今日は聖なる日の前夜祭
 空も祝いを落とす

 風花が降る。儚い白い結晶は、暖かな血の通う二人に触れる度に消えていく。晴れ渡った空から、水晶のような煌きを放つ氷の結晶体は、ほんの微かなことで消え去るからこそ、その不安定さが美しい。
 そうしてそれは今の少女にも当てはまること。
 何故か憂いに揺れる心  その不安定さ  それこそが壮絶な程に美しい
 手を伸ばせば触れられる。そして、触れた瞬間、その存在一切の消滅が待っている?
 あり得ぬその想像は、不気味な悪寒を伴い彼の心を一色に染め上げる。敬愛する《闇の守護聖》の司る《 闇》 でなく、それは救いない真実《 虚》 の色 『ゾッ』とする。嫌悪感に身を震わせる。
 不吉に早まる鼓動を整え、彼はその視線を少女に向け、られなかった。
 白い指先伸ばして雪と戯れていた少女
 泡立つ腕を押さえて辺りを見回す。何処にいる?
 『あの金の輝き翠の煌き、失うなど冗談でも御免だ』と、『誰にも譲る気などない』と、強情に言い張る自分がいる。恋い恋うる想いが故に。
 本当は彼女が女王候補の任を終え、『エリューシオンに降りる』と言った時に、止めたかった。『自分の側にいて欲しい』と我が侭を言いたかった。自分勝手な我が侭を望む心がもたらす痛みに耐えて、けどられることなく、あの時は別れた。自分の心を押し付けて、少女の心を歪めてしまっては、それはもはや少女ではないのだから。真実愛しいのは、なにものにも歪められていないそのままの少女だった。
 だがしかし、如何なる運命の導きか、自分はまた彼女と出会った。だから、もう二度とあのような切ない想いをするつもりはない。自分の中に、これ程の強情な心が潜んでいたことに驚きながらもそのまま受け入れた。彼女を想う心を押さえられないなら、受け入れる以外ないのだから。
「アンジェリーク!」
 何処にもいない少女  泡沫の夢幻、だったとでもいうのか?そんな筈ないというのに!
「・・・・・リュミエール様」
 樹木の緑よりも鮮やかな翠がある。
 駆け寄る。長い裳裾の裾を捌くももどかしい。
 太くはない、さりとて細くもない枝の上で、少女は彼を見つめていた。
 細心の注意を払って、腕の中に少女を納める。どんな些細な反応もなく、少女は彼の腕の中に納まった。安定なんぞ望むだけ無駄なのは分かりきったこと、『ぐらり』と危なっかしい少女は青年の頭に腕を軽く当てて安定を取る。
 ほっそりとしたその肢体の何処にあったかと首を傾げたくなる程しっかりした様子で、彼は少女を支えてもう一度辺りを見回すと、ちょうど良い具合の木の根を椅子代わりに静かに降ろした。
「びっくりしましたよ」
 少し非難めいた言葉に、少女は俯く。どことなく、拗ねたような態度は見知ったもの。
 風に揺れる簡素なワンピースと厚手の上着、両サイドの髪を梳くって結われた髪には赤いリボンが揺れている。
 跪いた彼は、椅子に座った格好の少女の細い腰の辺りに腕を回すと、甘えるように膝にもたれ掛かった。
「少しだけ、こうさせて下さい」
 暖かな膝にもたれ掛かっていると、その暖かさに安心する。ここに、彼女はいる。
 『サラリ』  白い指が青がかった銀色の髪に触れる。優しく触れる指先  猫みたいに顔を埋めて、
「・・・・・ん」
 『ぴくん』と、少女が反射的に身を震わせた。腕は搦めたまま、少女の顔を見上げる。
「アンジェリーク?」
 不思議そうに、彼は首を傾ける。
 真っ赤に頬を染めて少女が青年を見ていた。
 滑り出た言葉

「キスして、いいですか?」

 細い指が上へと伸び、金色の絹糸に絡んで隠された滑らかな頬を露にする。

 永劫の一瞬

 何処か遠いところで鐘が鳴っている。

 俯いたままの少女の前に跪いていた青年が立ち上がる。もとより華奢な印象を受けるとはいえ、小柄な少女より頭一つ分は優に高い青年が立ち上がれば、少女の頭は青年の鳩尾より少し高い程度の辺りになる。
 優美な白い袖から覗く指が少女の髪を絡めて上向かせる。
 見交わす瞳は至玉の宝石  同じ緑柱石でありながら全く違う名で呼ばれる二つの宝石 透明なスカイブルーのアクアマリンと光沢のあるグリーンのエメラルド
「貴女が好きでした。初めて会ったあの頃からずぅっと。でもだからといって貴女を縛りたくなくて、行かせてしまった」
 後悔の残る声に、少女のグリーンが揺れる。
「あぁ、でもまたこうやって会えた。二度と会えぬかと、別れてからずっと苦しんで、苦しんで・・・・・」
 左手もまた添えられる。微かに震えている指先
「貴女を愛しています」
 後一瞬の動作で触れる程近く唇寄せて、囁きかける。
「貴女の帰る場所に、私ではなれませんか?」
 指先から伝わる震えに、青年のスカイブルーが揺れる。
「・・・・・答えてはくれないのですか?」
 どんな偽りも見抜こうと、碧い瞳が翠の瞳を射抜く。優しく凪いでだけいた瞳には、頑固なまでに一途な想いが宿っている。全て彼女の存在が故に。
「でも、私、お側にいても、先に年をとります。貴方を置いて逝ってしまう」
 絞り出したような声が、密やかに彼の耳に届く。
「女王陛下は、貴女を補佐官として側に置きたいと、常々言ってらっしゃいます。我々守護聖と共に生きることが出来るのは、女王陛下とその補佐官のみ。ならば、貴女さえ、貴女が一言、『はい』、との答えを、言って下されば、共に生きることは、見果てぬ夢では、ありません」
 区切り区切って、少女に語りかける。『共に生きて下さい』と。
「私なんかで、よろしいのですか?」
「貴女以外では駄目なのです」
 即答する。他にどんな答えがあると?
「・・・・・何も言っては下さらなかったのですもの」
 『ぽつり』  少女が呟く。拗ねた子供のように。
「私もずっと好きでした。でも、何も言っては下さらなかったから、ここに残るのが辛くて、リュミエール様と顔を合わせるのが辛くて」
 翠の瞳が見る間に潤む。
「お互い、辛い想いは一緒だった訳ですね?」
「えぇ」
 そうして、幸せな微笑み  陽光煌く太陽のそれ  今の幸せを如実に現す春の微笑み

 甘く  刹那  掠める口づけ

 何処か遠いところで鐘が鳴っている。

「クリスマス・イヴの、奇跡ですね」
 『クスクス』 銀の煌き返す琴の糸を爪弾く白い指で、少女の華奢な指に触れる。そのまま引き寄せ頬に当てる。
 恥ずかし気に頬を染める少女に、『にっこり』、微笑みかける。ふっくらとしたその手のひらに唇を当てて。
「奇跡なら、きっとリュミエール様とお会い出来たこと、それが奇跡ですわ」
 晴れやかに笑う少女は、ふと、眉根を寄せる。
「どうしました?」
「あの、一度エリューシオンに降りても良いですか?大神官の孫にあたるんですが、デイジー君、リュミエール様がいらっしゃった時に一緒にいた男の子のことですけど、あの子と約束したんです。『きっと帰るから』って。だから、一度だけ」
 『駄目ですか?』と上目遣いに見上げる少女の瞳に、限りない愛しさから抱き締める。
「いいえ、一緒に参りましょう。そして貴女の好きな場所だとか、教えて下さい。どんなに願っても会えなかった三年間は埋まりはしません。でも、ほんの少しでも感じられたら、きっと、とても幸せです」
 金の髪は、何の憂いもなく輝き渡る。翠の瞳もまた同じ。幸せな微笑みを浮かべた顔は少し幼く可愛らしい。
「えぇ、ご案内します」
 憂う曇りのその下で彼故の想いに身を焦がし、やつれる程に恋い焦がれ、唯一筋に彼だけを想って・・・・・
「色々な場所を御案内します。そこで何があったのか、全部お話しします」
「私も話しましょう。貴女のいなかった三年の間の、とても長くて短い話を」
 愛しくて愛しくて、この上なく愛おしい金色の天使様を抱き締める腕の力が強くなる。右手の指を金の絹糸に差し込むと、柔らかなそれは指に絡む。
 青年が俯いて、少女が心持ち更に上を向いた。

 それは、きっと《 奇跡》
 二人の想いが呼び込んだ  必然的な《奇跡》 だったのだ

END