獅子と天使


 どうしてあの方を好きになったのかなんて、分からない。
 自分はどちらかと言えば臆病な方で、体の大きい人だととても恐く感じていたのに、あの方だけは気にならなかった。
 たぶん、あの包み込むような、暖かな雰囲気が安心感を持たせていたのかもしれない。
 ひょっとしたら、一目惚れをしていたのかも、しれない。
 気がつけば、好きという気持ちで一杯だった。<br>
 あの方の事を思うだけで、幸せな気持ちになる程、好きになっていた。

「うーん・・・」
 鮮やかで大きなサファイアの瞳が目をひく、栗色の髪の少女が先程から店先で考え込んでいる。もう、かれこれ一時間以上、少女は悩んでいた。
「これはやっぱり、派手すぎるものね・・・。こっちのデザインはなんだかイメージに合わないし・・・」
 熱心に品物を見ていた少女は、後ろからこっそりと近づいてくる姿に気がつかなかった。
「わっ!」
「きゃあああ!!!」
 脅かした方が飛び上がるぐらい、派手な悲鳴を上げた少女は勢いよく振り返る。少女のサファイアの瞳に映ったのは、耳を押さえた格好で後ずさっている金髪の少女であった。
「も、もう、レイチェルってば、脅かさないでよぉ」
 余程驚いたのだろう、涙目になって栗色の髪の少女は親友である金の髪と菫色の瞳の少女に抗議する。
「驚いたのはこっちもよ。っとに、派手な悲鳴を上げてさ」
 反論してくるライバルに、サファイアの瞳を瞬かせ、少女は少し拗ねたように呟く。
「だって、本当に驚いたんだもの」
「そんなに熱心に何を見ていたのよ」
 そう言ったレイチェルも店先を覗き・・・
「はぁん。ヴィクトール様の誕生日のプレゼントを選んでいたわけね」
 ズバリ、言い当てた。
「え、な、ど、どうして、分かったの!?」
 言い当てられた方は、カアァァッと真っ赤に頬を染め、頭半分背の高い親友を見上げる。
「そりゃ、分かるって。ここにあるモチーフ、みーんなライオンじゃないの。それに、ヴィクトール様の誕生日もすぐでしょ。それから、あんた」
 一旦言葉を切ったレイチェルはちょっと周りを見回し、誰もいないことを確かめ、それでもアンジェリークの耳元に口を寄せて囁いた。
「ヴィクトール様のこと、好きなんでしょ?それで、その日に告白しようとでも思っているんじゃないの?」
「・・・」
 大当たり、である。
 アンジェリークが精神の教官を慕っていることは、少し注意すれば分かる事で、それはまぁ、いい。
 何故・・・。
「告白しようって考えていた事まで、分かったの?」
 マジに、疑問である。
「あんたの性格を考えたらね。こういうイベントっていうか、切っ掛けがない限り、自分からの告白は無理でしょ、あんたは」
 見事に、少女の性格を把握しきっている親友である。心強いというか、居心地悪いというか・・・。
 洞察力とカンがすぐれていなければ、こういう結論は出ないだろう。さすがは、天才の呼び声が高いだけのことはある。
「・・・降参。でも、ホント、レイチェルって、凄いわね。何もかも見通してしまうんだもの」
「当ったり前よぉ。ワタシを誰だと思ってんの?この天才美少女レイチェルにかかればそれぐらい、分かるわよ」
 腰に手を当て、胸を反らせるポーズはレイチェルのお得意だ。普通、こんな風に言えば傲慢にしか聞こえないのだが、少女自身の持つ、カラッとした陽気さが救いとなって、逆に彼女の個性となっている。
「ま、がんばんなさいな」
 あくまでも明るく、ポンポンと肩を叩いて励ますレイチェルに、少女はとびっきりの笑顔を見せたのだった。

 散々悩んで選んだプレゼントを綺麗にラッピングしてもらい、少女はそれを大切にチェストの中にしまった。
「ヴィクトール様、気に入ってくださるかなぁ・・・」
 精神の教官を思い浮かべ、少女は幸せそうな笑みを浮かべる。
 初めて顔を合わせた時、まずその大きな体に驚き、次いで顔に大きく残っている傷に意識を取られた。
 厳つい顔に大きな傷は、普通ならば迫力を増す要因にしかならないはずなのに、不思議とこの教官は恐くなかった。
 学習して、話して、散歩して。
 会うほどに精神の教官の懐の大きさ、暖かさ、優しさ、強さ、そのもろもろに惹かれていった。
 怒られた時はさすがに恐かったが、不思議とそれで疎遠になることはなかった。
 本当に、こんなに好きになるなんて、思ってもいなかった。
「ヴィクトール様、大好き」
 夢見るように呟く少女の顔には、幸せそうな笑顔。

 木の曜日。
 朝から落ち着きなく鏡を覗き、全身のチェックをしていた少女は学芸館が開かれる時間になったことに気づき、立ち上がった。手には先日、悩みまくって決めた精神の教官へのプレゼントがしっかりとある。
 コンコンコン。
 突然、部屋の扉がノックされ、少女の顔は引きつった。
 まさか、誰かが誘いに来たとでも言うのだろうか?チャンスは今日なのに、誰かが来たとなればそれがフイになってしまう。
 無視が出来れば良かったが、結局、少女は扉を開けた。・・・開けて、心底、居留守を使わなくて良かったと思った。
「すまんな。今日、時間はあるか?一緒に散歩でもと思ったんだが・・・」
 そこにいたのは、少女がこれから訊ねようとしていた精神の教官。
 嬉しくて、少女は満面の笑みで頷いた。
「はい!嬉しいです!」
「そうか、そう言われると俺も嬉しいよ。ん?それはどうした?」
 ふと、精神の教官は少女が手にしていた箱に気づき、何の気なしに訊ねた。返ってくる答えを予想もせずに。
「あ、これ・・・あの、ヴィクトール様のお誕生日のお祝いなんです。その、受け取ってもらえますか?」
「俺に・・・か?」
 自分自身、誕生日なんて忘れていただけに、少女がそれを知っていてくれた事が嬉しい。
「俺の誕生日を知っていてくれたとは・・・有り難く、もらおう」
 照れくさそうな顔で受け取り、箱を開けるとライオンをかたどったカフス・ピンが出てきた。
 銀のみでかたどられたライオンは不思議な威厳と落ち着きを見る者に与えている。
「いいものをもらったな。有り難う」
 心からのお礼に、少女は嬉しそうに笑った。散々悩んだ苦労が報われたのだ、笑顔も輝くというものである。
「そうだな、今日は天気がいいから森の湖へでも行こうかと思うんだが」
「はい!」
 早速カフスを袖口に止めている教官の言葉に異論はなく、少女は素直に頷いたのだった。

「やはり、平日となるとここも静かなものだな」
「そうですね」
 別名『恋人達の湖』と呼ばれる森の湖は、日の曜日であるならそこかしこにカップルが佇んでいるのだが、さすがに平日である今日は誰もいない。
 おとなしく精神の教官の後をついて歩く少女は内心、非常に困っていた。
 本当は、あの選んだプレゼントを渡すことを切っ掛けとして告白するつもりだったのに、先に渡してしまったために言い出すタイミングが掴めなくなってしまったのだ。
 困ってはいたが、しかし、隣を歩く教官が心底リラックスしたような顔をしているのを見ると、そんなのはどうでもいいように思えてしまった。
 いつも、いつも、張り詰めたような雰囲気のこの教官が、こういう時間を持つことはとても難しいことを話の端々で知っていたので、静かにこのままでいさせたい気持ちになる。
(・・・別に、いいわよね。急ぐこと、ないもの)
 一方、精神の教官の方は、ニコニコと無邪気な笑顔で辺りを見回している少女の姿を見て、知らずに笑みが浮かぶのを自覚していた。それが、どういった気持ちであるのかも。
 初めて少女を見た時から、守らなければと思っていた。小さくて、華奢で、どこか、目を離せないような危なっかしい雰囲気を持つ少女。しかし、それだけではない事は、少女と接するうちに分かってきた。
 どんな時でも忘れない、優しさ、暖かさ。
 無垢で、素直で、人のことを疑わない純粋さ。
 変わらないそれらは、強さにも繋がる。
 この少女の側にいると、その暖かさにほっとする。
 静かな安らぎが、この少女の周りにはある。
 目が離せなくなったのは、いつからだろう。
 最初は純粋に心配なだけだったのに、いつからか少女の輝きに惹きつけられていた。
 自分のぎこちない誘いにも満面の笑みをみせ、嬉しそうに頷く少女の姿に、ひょっとして、という淡い期待を持ってしまう。
 彼女は女王候補。
 そう、己の心に戒めを掛けようとしても、すでにその時は遅かった。
 何日も何日も迷い、悩み、そして、決着をつける為に今日、少女を誘ったのだった。
 何時の間にか自分の側を離れ、湖の水を撥ねさせて遊んでいる少女の名を呼ぶ。
「アンジェリーク」
「はい?」
 素直に少女は振り向き、首を傾げる。その動きにあわせ、栗色の髪がサラサラと肩の上で流れた。
「少し、いいか?話があるんだ」
 印象的なサファイアの瞳を瞬かせた少女は言われた通り、精神の教官の前に立ち、随分と高い位置にあるペリトッドの瞳を見つめる。
「最初の頃から比べると、お前は随分と女王候補らしくなった。自信がついてきたのだろうな。最近のお前は眩しいぐらいに輝いているよ」
「でも、それは、皆さんが助けてくださったからです。私一人じゃ、決して出来ませんでした」
「だが、素質がなければここまで飛躍的な成長は出来ないぞ?俺としても、お前の成長を見るのは楽しかった。だがな、最近はそうでもなくなってきた・・・」
「ヴィクトール様?」
「ずっと悩んだ。言っていいものかどうか。だが、こんな曖昧な気持ちでいるよりも、いっそすっきりしてしまった方がいいんでな」
 じっと、真剣に聞いている少女のサファイアの瞳に視線を合わせ、精神の教官は思いきったように、次げた。
「アンジェリーク。俺は・・・俺は、お前を愛している。生徒としてではない、妹としてではない、一人の女性として、俺と共に、人生を歩んで欲しいんだ」
「え・・・?」
 瞬間、少女の頭は真っ白になった。精神の教官の言葉が、頭の中でぐるぐると回っている。
 今日、この日、告白しようとは思っていた。思ってはいたが、しかし、その後の事など、全然、まったく、ちっとも、考えておらず、ましてや相手からの告白なんてものは意識にさえなかった。
 立て続けに予定外の事が起こり、嬉しさより先にパニックに少女は陥る。
 一言発した後、硬直してしまった少女に精神の教官もまた、慌てた。
「あ・・・いや、すまん、少し性急すぎたか?だが、俺がお前を想っているというのは確かだし、その、なんていうか・・・」
 しどろもどろに言葉を操り、大きな両手を所在なげに動かす姿は、精神の教官の不器用な性格を現しているようだ。
 そんな教官の姿を見て、少女の思考はようやく正常運転を始めた。
 もう一度、言われた言葉を反芻し、その意味を理解した途端、カアァッと少女の頬は真っ赤に染まる。
「あ・・・あの、その・・・ヴィ、ヴィクトール様・・・」
「あ、ああ・・・」
 お互いにしどろもどろになっている様は、端から見れば純情過ぎて微笑ましいを通り過ぎ、『ええ加減にせんか』と言いたいほどだ。
 このままでは埒があかないと気がついた精神の教官は、一大決心をして少女の肩にそっと、自分の無骨な両手を置き、少女の瞳を覗き込む。
「あ・・・」
 まともに見つめられ、少女の顔は茹でダコ状態だ。つられて自分も顔を赤くしたが、ここで怯んでは元の木阿弥になる事が分かっていたので、一度深呼吸をしてゆっくりと少女の心の奥に届くように、言葉を紡ぎだす。
「俺は・・・何のとりえもない、戦しか知らん、軍人としてしか生きられない、つまらん男だ。そんな俺がお前のように輝いている魂を欲するのは、身の程知らずかもしれん。だが・・・それでも、俺はお前に側にいて欲しいのだ」
 真っ赤な顔のままではあったが、ペリトッドの瞳から視線を逸らさず、少女は真剣に聞いていた。
 一言も、聞き漏らすまいと、しっかりと瞳を見つめて。
 そして、相手の言葉が終わった時、少女の身には圧倒的なほどの幸福感が押し寄せていた。
 ただ好きでいた時、相手の事を想っているだけで幸せだった。
 その人の為に、何かをする事が楽しくて、嬉しかった。
 けれど。
 好きな相手がまた、自分をも想っていてくれると知った時、こんなにも幸福になれるだなんて、知らなかった。
 幸せで、とても幸せで。
 自然に、少女の顔に微笑みが浮かんだ。
 幸せな、輝く笑顔が。
 その笑顔を見た、精神の教官は眩しそうに目を細める。
「・・・嬉しいです、ヴィクトール様。私、私も・・・ヴィクトール様が大好きで・・・だから、とても嬉しい・・・」
「そうか」
 無骨な手がゆっくりと栗色の髪を撫で、少し躊躇った後、そっと華奢な身体を引き寄せた。
 小さな体は大きな胸の中にすっぽりと納まってしまうが、確かな存在感を精神の教官に教えている。
「ありがとう・・・アンジェリーク。愛している」
「ずっと、側にいますね。そんな、安らいだお顔をして下さるように、側にいます」

 獅子は天使を手に入れた
 天使は獅子を手に入れた

 獅子は天使を守り
 天使は獅子の眠りを守る

 そうして、お互いを守っていく
 いつまでも・・・

END