大好き!

大好き!



 一人の少女が緑の瞳から涙の滴を零していた。瞳には限りない悲しみが揺れていた。赤い唇から漏れる言葉は夜の闇に吸い込まれ、唯呟いた本人にのみ届いた。
 金色の少女、流れる涙は銀の星、空から涙の流れる真の闇の夜の出来事

「アンジェリーク!遊ぼう!」
 《緑の守護聖マルセル》 は大声をあげてそう言った。
「いないのぉ?」
「マルセル様、どうなさったんですか?」
「ロザリア、アンジェリークはもう部屋にいないの?」
「さぁ・・・・・見てみましょうか?」
「そうして、僕じゃ入るわけにはいかないから」
 扉には鍵はかかっていない。至極あっさりと扉は開き、《 女王候補ロザリア》はライバルの《女王候補アンジェリーク》 の部屋に入る。そして、
「きゃぁぁぁぁぁ!」
 悲鳴が響いた。

 昏々と眠り続ける鮮やかな金色の髪の眠り姫。艶やかな極上のエメラルドよりも輝く瞳はまぶたに遮られて見ることが出来ない。
「大丈夫なんですか?」
「一応、身体に別状ないでしょうけど」
 言葉を濁す《 地の守護聖ルヴァ》 に詰め寄る《 水の守護聖リュミエール》 の視線は本気で怖い。マルセルもまた同様、大きな瞳にきつい光が宿っている。
「原因はコレ。簡単に言うと物忘れの薬です。ですから、記憶の混乱は必至ですね」
「中和剤はないのですか?」
「ありません」
 ガラスコップの中に少量入った濁った液体が揺れたのはルヴァが肩をすくめたから。
 一様に守護聖達は視線を眠り姫に変える。ロザリアが入った直後見たのは、床に倒れ伏したライバルであった。思わず悲鳴を上げたロザリアの声に吃驚したマルセルは入って来た後、他の守護聖達を呼んだのだ。
「アンジェリーク!」
 微かに動いたまぶたに気がついたリュミエールが声を張り上げる。一定以上の声に刺激されたアンジェリークのまぶたが開く。
「ン・・・・・」
 ぼんやりとした視線がリュミエールや他の守護聖達、ディア、ロザリアに向けられ、心からの疑問を乗せた言の葉が唇をついて出る。
「何方ですか?ここは?父様や母様は?」

 慎重にアンジェリークから聞き出した事を総合すると、女王候補に上がる数日前の当たりから記憶を失っているらしい。
「どうしたもんでしょうねぇ」
「僕のこと忘れちゃったの?」
「そんなにまでも、負担だったのですね。女王候補というのは」
「?」
 何も覚えていないアンジェリークは首を傾げかけ、『ビクリ』と脅えて顔を青くする。視線の先には、《 闇の守護聖クラヴィス》 が鋭い視線を投げかけている。
「睨んでどうする。脅えているではないか」
「別に」
 《 光の守護聖ジュリアス》 にそう言われ、クラヴィスは視線を屋外へと向けた。
「試験については、私から女王陛下にお聞きしておきましょう」
 そう言って、《 女王補佐官ディア》 は優しい労りを含んだ眼差しをアンジェリークに向ける。
「どうか、早く皆を思い出してね。皆が悲しんでいるのですから」

「今日和、アンジェリーク。お暇ですか?都市内部を案内しようかと思って参ったのですが、如何ですか?」
「喜んで」
 この都市のことも完全に忘れてしまっているアンジェリークにとって、気分転換にもなるリュミエールのその誘いは随分と嬉しいものであった。
「この公園では試験も兼ねた散歩をしていました。そういえば女の人は日の曜日にまた会えるように男性に申し込むことが出来てるんだそうです。賑やかな処ですからね、少し開放的な気分になって申し込むことが出来るんでしょう」
 サラの占いの館を訪ねた後に来た公園を散策しながらリュミエールが笑う。穏やかな笑顔は見ていて落ち着ける。
「アンジェリーク!リュミエール様!」
 公園の門の脇にある花壇で花をつついていたマルセルが声をかける。
「今日和、マルセル様」
「今日和、何をしてるんですか?」
「案内ですよ、貴方は?」
「花壇の手入れです。そうだ、アンジェリーク」
 花壇の花を少し採って作った小さなブーケをアンジェリークに渡す。甘い香りが風に吹かれて漂う。
「有り難うございます。これ、母様が好きな花だわ」
「今度遊びに行くからね」
「マルセルから誘ってどうするんです?」
「日の曜日じゃないからいいでしょ?」
「そうかもしれませんけどね」
 苦笑をその端正な顔に刻むリュミエールと満面の笑顔を浮かべるマルセルに、アンジェリークは小さく笑う。まるで親子のような雰囲気というものが漂っていて、何となく楽しいのだ。そして、それは今は離れている両親に甘えている自分を見るようにも思えた。
「次はそうですね、パスハの処に行きましょうか?」
「はい」
「また今度ねぇ!」
 朗らかに手を振りながら、そう言うマルセルにアンジェリークも手を振り返した。

 パスハの王立研究院に行った後に二人が行ったのは森の湖。優しい湖水はいつも太陽や月の光を反射して美しい光を放っている。
「今日和、成果はどうですか?」
「・・・・・仕方ねぇだろ、年期が違うんだから」
 まだ一匹も釣っていない《 鋼の守護聖ゼフェル》 が喚く。今一人ルヴァは余裕綽々の表情で釣り糸を垂れている。しかし、ここは確か釣りは禁止されていた筈なのだが。
「今日和、アンジェリーク。魚は嫌いじゃないですよね?」
「はい」
「では、幾つか後で届けておきましょう」
「よろしいんですか?」
「こんなに食べきれませんよ」
 ルヴァのバケツを見てみれば、目一杯入っている。
「すごぉい」
 思わず感心した声を上げるとルヴァが照れたような声を上げる。横のゼフェルは湖面を睨んでいる。
「では、次は聖殿を案内しておきましょう」
「はい」
 聖殿へと向かう二人の背後で、今日何度か既に覚えていない程の魚をもう一歩で逃したゼフェルの喚き声が響いた。
 ・・・・・だから、そこは釣り禁止だって・・・・・

 静寂の白を溶かしたかのような聖殿に足音が、それが止まると声が高く響いた。
「今日和、ジュリアス様」
「ウム。アンジェリーク、具合はどうだ?」
「あ、いえ、特には。でも、記憶はまだ」
「何を口ごもっている」
 憮然とした口調に何処かからかうような響きがあるのは気のせいか?
「守護聖筆頭のジュリアス様相手に緊張しない人はほとんどいらっしゃらないと思いますが。それに何時も少しジュリアス様は怒ったような顔をなさってますし」
 やんわりと出されたリュミエールの言葉に無言で頷くジュリアス。自覚はあるらしい。
「何にせよ、身体と心を安らかにして、ゆっくりと思い出すとよい」
「有り難うございます」
 『にっこり』と極上の笑顔を浮かべるアンジェリークの背に、何故かジュリアスとリュミエールには可憐な無数の花が舞ったような気がした。

 ジュリアスと別れてしばらく、中庭の噴水の辺りに腰を下ろした。
「お茶にしましょう」
 自室から取って来た秘蔵のハーブティーを容れるリュミエール。あまりの妙なる香りにアンジェリークは瞳を輝かせる。
「気に入っていただけましたか?」
「はい」
「よかった。・・・・・飛空都市の案内はこれで終わりですね。後一ヵ所あるのですがあそこはこの飛空都市と母性系にいらっしゃる女王陛下の所を繋ぐゲートですから、日の曜日以外は行っても開かれていませんし・・・・・楽しんでいただけましたか?」
「はい。とっても楽しかったです」

 数日が過ぎた。
 それでもアンジェリークの記憶が戻る気配はなかった。そして、それに対して最も心を痛めていたのは、他の誰でもなくアンジェリーク自身であった。
「このままでいいわけがないわ」
 守護聖や女王補佐官ディア、本来ならばライバルであるロザリア、皆の自分を心配するその心にアンジェリークは何より焦りを感じていた。
「早く記憶を取り戻すこと」
 そのことを思う度に、何故かアンジェリークの心に黒い闇が目隠しをした。鋭い黒の視線が心を切り裂くような不可思議な感覚に、アンジェリークは一人脅えていた。

「何やってんの、アンジェリーク」
 呆れたような声にアンジェリークは振り返る。一まとめにポニーテールにされた髪が頬を打つ。視線の先には麗しき《 夢の守護聖オリヴィエ》 が立っていた。
「何って、素振りです。いい運動になるんです」
「何かイメージに浮かばないわりに、似合ってるわね」
「もしかして、家庭科部の部長と剣道部の副部長兼任している子がいるって聞いたことあるんだけど」
「あ、それ私です。もっとも剣道部の方は実質的には雑用係ですけど」
 折よく深い濃紺の髪を風に流して現れたロザリアの台詞に頷くアンジェリーク。
「「・・・・・」」
 思わず顔を見合わせるオリヴィエとロザリアであった。

「あの、マルセル様、私クラヴィス様に何かいけない事をしましたでしょうか?」
「別に何もしてないと思うけど」
「そうですか」
「どうかしたの?」
 さすがは家庭科部部長のアンジェリークの作るお菓子類は上出来である。甘い物の好きなマルセルはニコニコものの笑顔で口に運んでいる。
「何故か避けられているような、でも、ふと気がつくとこちらを射すような目で見てらっしゃることもおありなんです」
「クラヴィス様、アンジェリークのこと結構お気に入りの筈なんだけど」
「あのお方は、どんな方ですの?」
「そうだな」
 カスタードプティングのスプーンを口にくわえてマルセルは首を傾げる。
「外へ行くのは好きらしいけど人と喋るのはあまり好きではなくて、公園より森の湖によく行くね。性格自体は優しい良い人だと思うよ。それに、睨んでるんじゃなくて、単に見てるだけだと思うよ、クラヴィス様は迫力あるから」

 最近のこと、ねばまたの闇より浮き出る輝くような黒の清流の髪、磨き抜かれた紫水晶の瞳も美しい闇の守護聖は、その力である《 闇の安らぎ》 の恩恵を自分のみ受けることが出来ないでいた。
「おやつれになっていませんか?」
 今は女王補佐官という重責をこなす昔馴染みの穏やかな美女の気遣いを含んだ言葉に視線を向ける。
「そうか?」
「ええ、どうしたのですか?」
 『別に』と、答えを返そうとしたクラヴィスであったが、その言葉は紡がれることはなかった。かなりキレているらしい、大きな瞳を険悪な角度に吊り上げたマルセルが駆け込んで来たからである。その後ろから他の守護聖が興味深げに視線を送って来ていた。

 ことは、マルセルと仲の良い《 風の守護聖ランディ》 の発言であった。
「お嬢ちゃんの記憶はまだ戻りそうにないのか?」
「全然、みたい」
「別にその方が良いんじゃねぇの?アイツだってそうすりゃ家に帰るんだし。アイツんち、すっげぇ家族仲良かったみてぇだぞ」
 一口お茶を口にしてルヴァが吐息をつく。
「そうかもしれませんねぇ」
 ・・・・・皆もだが、片手に日本茶を片手に固焼き煎餅を持った姿では、どんなにシリアスに重々しく頷いてもねぇ・・・・・
「あの薬って消したい記憶を選べるのかな?」
「本来ならば。ですが、彼女の飲んだ薬は配合が少し違っていましたから」
「・・・・・アンジェリーク、あの日の何日か前にクラヴィス様に泣かされたみたいなんだよなぁ・・・・・」
「何それ」
「クラヴィス様の執務室から出て来たアンジェリークが泣いてたんだ。ちょっと見た程度だけど、間違いないね」
「じゃぁ、もしかしてそこらへんにお嬢ちゃんが薬を飲んだ原因があるのか」
「なぁにやらかしたんだかねぇ」
 娯楽の少ない飛空都市むの生活に結構飽きてきていた皆は喧しく自分の意見を言う。
「無体な事したとか?」
「オスカーじゃないんだから」
「どういう意味だよ?」
「そのまんまじゃん」
「以前本気か冗談か、アンジェリークに『ホテルにGO!』って言ったでしょ」
「犯罪になるぞ」
「双方合意なら、大丈夫じゃないの?・・・・・でもさ、アンジェリークって剣道やってたから本気になったら当て身ぐらいは出来るみたいよ?」
「マジ?」
「マジ」
「強いな、アンジェリーク」
「握りこぶし作って力説することかいな」
「別にいいだろ」
 水を差したゼフェルを睨むが、自分でも少々恥ずかしかったのか薄く頬に朱が混じっているランディである。
「どうしました?マルセル?」
「・・・・・のバカ」
「へ?」
「どったんだ、マルセル?」
 一人話しに加わっていなかったマルセルの様子が何時もの明るいモノではなく、おどろ線を背負った暗いモノで、そのうえ、聞こえた台詞が誰かに対する悪口、一番幼く皆から末っ子的な扱いを受けているマルセルはだからこそ基本的に皆が好きな筈なのだが。
「・・・・・クラヴィス様の阿呆!」
 あまりの迫力に飛び退くその他一同。
「アンジェリークに何したんだ!」
「無体な事」
 『ドボゴォッ』
「妙な茶々入れるから」
「大丈夫ですか?」
「そう見えるのか?」
「全然(きっぱり)」
 お前等、仲間に対する同情ないんか?
「確かめに行って来る」
「いってらっしゃい」
 思わず手を振るリュミエール。その拍子に水の力で冷やしていたマルセルの怒りの一撃を受けて倒れたオスカーの頭を落とす。結構でかい音がした。
「いてぇ・・・・・」
「大丈夫?これから見物に行くつもりなんだけど、どうする?」
「行く」
 娯楽の本当に少ない飛空都市、頭の痛みも何のそののオスカーとお騒ぎ好きのオリヴィエ、その他の面々は、迷わずマルセルの後を追ったのである。

「知らん知らん!何にも知らん!」
「じゃあ、どうしてクラヴィス様の部屋から出て来たアンジェリークが泣いていたんですか?」
「泣かした覚えなんぞない!」
「でも、俺見ましたよ」
「今のうちに正直に言ったらどうです?」
「知らんと言っているだろうが!」
「・・・・・死ぬまでくすぐってやる」
「俺もまぜろ」
「よせ!」
 ・・・・・うるせぇよ、こいつ等。
「ランディ、それは何時頃だ?正確に言ってみろ」
「えっと・・・・・アンジェリークが倒れた日から、丁度一週間前ですね」
「だ、そうだ。覚えはどうだ?」
 『因みにシラを切るようなら私もくすぐるぞ』と付け加える最も長い付き合いの−人嫌いからそれ程親しいわけではないが−守護聖の言葉に、半ば他の守護聖達に押し倒されている状態でクラヴィスは考え込む。
「一週間前か・・・・・あるとすれば、その日アンジェリークに家族の事を聞いたくらいか」
「家族?」
「長い間守護聖をやっているルヴァやジュリアス、それにディアなら分かって貰えるだろうか?・・・・・あまりに長すぎる時間は、思い出を純化すると共に風化させる。先代の時代から守護聖をしている間に、私は家族の事を忘れてきてしまった。全てを忘れたわけではないが、朧に霞みがかっている事は否定出来ん」
「だから、しっかりと覚えているアンジェリークに聞いてみた、と?」
「そうだ」
「では、それに触発されて残して来た家族を思って泣いた、てところでしょうか?」
「それ以外なら、本気で心当たりはないぞ」
「無体な事とかは?」
「貴様と一緒にするな」
 怒りのバッテンマークをつけてクラヴィスはまなじりを吊り上げる。
「原因がそれだとして、さて、どうします?マルセル?」
「・・・・・僕は原因が分かっても、アンジェリークの記憶が戻るわけではないのは分かってます。唯僕はこの間アンジェリークが本当に僕達に対して申し訳ないって思っているのを聞いたから、『ならどうして薬を飲んだんだろう?』『なぜ、どうしてそこまで追い込まれたんだろう?』『原因は何なんだろう?誰なんだろう?』って、思ったんです」
「それで、原因がクラヴィスらしいと分かって、どう思いました?」
「『どうして、追い詰めたんだろう』って、腹が立ちました」
「だから、ここに駆け込んだんですね?」
「はい」
 素直に頷く最年少の守護聖に、外見年齢だけならば最年長の守護聖は穏やかな眼差しと微笑みを向ける。心からの労りを愛弟子とも呼べる子供に。
「本当にマルセルは優しいですね。優しいから、他人の為に泣く事も怒る事も出来る。本当に良い子ですね」
「俺達は何か出来るんだろうか?」
 知識においてはルヴァの右に出る者はいない、年長者の思慮も、実はジュリアスよりもずっと上故にオスカーはルヴァに言った。
「どうするも何も、私達には何も出来ませんよ。たとえ守護聖といえど、人の心を癒す術を持ち合わせてはいないように、今回の事も、冷たいかも知れませんが、アンジェリーク自身の試練の一つ。我々は何の力にもなれません」
「じゃ、アンジェリークはあのままですか?」
「アンジェリーク自身は、今の状態を良しとは思っていないようですし、時期さえ来れば思い出すでしょう。我々は、その時に始めて彼女の力になれるのだと思います」
「僕、寂しくないようにいろんなお話しとかします!」
「気を紛らわすぐれぇなら、俺も手伝えるよな」
「あんまり、関わりたくなかったんじゃないの?」
「うっせぇ」
「健気なお嬢ちゃんだもんな、どんな危険からだって俺が守ってやるさ」
「貴方自身が、危険だと思いますが」
「同感だ」
「言いたい放題言ってますね」
「言いたい事はちゃんと言った方が体の為だと思います」
 ディアをも巻き込んでアレコレとアンジェリークやロザリアを楽しませる為のプランを立てている中、リュミエールは辺りを見回してこの執務室の主を探した。
「クラヴィス様?」
 微かに開いた扉から、そっと涼風が滑り込んで来た。

 暇を持て余し、特別寮の花壇の手入れをし終わって水を撒きながら物思いに耽っていたのだが、どうしても思い出せないが故のもどかしさにため息を零して憂いの少女は顔を上げた。
「あ!」
 近くの木陰に長身美貌の闇の守護聖が立っていた。
「・・・・・アンジェリーク」
 自分に気がついたことに気がついたクラヴィスが意を決して少女の方へと歩を進め、名を呼んだ。
「はい!」
「・・・・・その、すまないことをした。お前が記憶を消した原因は私らしいのだ」
 元々人と話したりすることが苦手な上に過去の精神的傷から他人と接することが苦手なクラヴィスは、それでも要点は押さえて大まかなりともアンジェリークに話した。
「すまない」
 語り終え、頭を下げる雲の上の人との印象を持っていた守護聖の態度に、アンジェリークは慌てて手を振る。
「そんな!私が弱かったんです。クラヴィス様がお気に病む必要はございません。それどころか、わざわざ来ていただいて嬉しいです」
 何時かマルセルから聞いた通りに『優しい人』なのだ、と内心思いながらクラヴィスに対する評価を変えた−何しろ今までの印象はとことん悪かったのだ−アンジェリークは極上の笑顔を浮かべる。
「私は、責められるかと思った」
「私、ここでの記憶はなくしてしまっていますけど、皆様方の事が大好きだって思いだけは残っているんです。家族みたいに大好きだって」
「どんな、家族だ?あの時お前は語らなかったが」
 少し考えて、アンジェリークは答えた。
「たとえば、宇宙よりも大切な人達です。安心できる、大好きな人達です」
「では、私もか?」
「勿論です」

 その夜、アンジェリークは夢を見た。
 ゴチャゴチャと、まるで音声付再生早送りの様に失った記憶の数々が夢という形を取って蘇った。
 その一部の原因はクラヴィスであろう−記憶喪失の原因も又彼であったのが起因すると思われる−が、殆どかわらない位に他の守護聖と女王補佐官や女王候補の存在もあるだろう。皆がアンジェリークの事を気遣っていたのだから。

 祝・アンジェリークの記憶回復、との名目で聖殿の中庭の噴水の辺りで九人の守護聖と一人の女王補佐官と二人の女王候補が集まって、賑やかで和やかなお茶会が開かれた。
「でもよぉ、お前が本当に消したかった記憶ってのは、何だったんだ?」
「家族に関する事です。私、ホント馬鹿ですよねぇ。ここに来る決心をしたのは全て家族の為だったのに。『もしも、私が女王になれる力があるのなら、世界全てをなんて無理だけれど、せめて大切な家族を守る為に』って来たのに、それを忘れて記憶消したら、そんな私は私ではないのに」
「家族が幸せなら、それで良いの?」
「あら、自分の家族も守れないのに全宇宙を支えるなんて無理じゃない」
 『さらり』答えるアンジェリークにロザリアは二の句が言えない。確かに正論だ。
「そうだ!クラヴィス様に文句言った?」
「どうしてですか?感傷に負ける程度の心しか持っていなかった私が悪いんですもの、クラヴィス様を責めるだなんて出来ません」
 『きっぱり』とした台詞に、リュミエールが提供したお茶を飲みながらクラヴィスが内心安堵する。もうからまれるのはごめん、といったところだろう。
「そうですけど、お仕置きは必要ですね」
 何処か楽しそうに言ったのは、守護聖一温厚なルヴァ。
「伊達に長く守護聖をしているわけではありませんからね。色々と楽しい話しや失敗談等があるので、教えて上げましょう」
「止めろ!」
「ここでは言いませんよ。何しろクラヴィスのは少ないですからね。後でアンジェリークにだけこっそり教えます」
「一番多いのは何方ですか?」
「数だけならオスカーですね。どうしてかは知りませんが、オスカーと付き合っている女性達が相談に来るんですよ」
「五十人位いたりして」
「一桁違いますよ」
 思わず静まり返る一同。白い視線がオスカーに集中する。
「女の敵ですね」
「やぁねぇやぁねぇ」
「そんなに品行悪かっただなんて」
 女性陣のひそひそと交わされる言葉にオスカーは沈没する。
「他には、そうですねぇ。この試験のずっと以前なんですが、ゼフェルが勉強を嫌がって逃げる為にそこら中にトラップ仕掛けた事がありましてね。いやぁ、大変でしたねぇ、ジュリアスが公園に散歩に行ったら地雷踏んで」
「あれはお前かぁ」
「今更バラすなぁ!」
「他には?(わくわく)」
「はて、そうですねぇ・・・・・」
 更にほぼ全員−被害を逃れたのはネタの少ないクラヴィスとリュミエールのみ−の失敗談を語るルヴァ−彼自身も大きな失敗がない−。それを楽しそうに語る辺りに彼の真の性格が現れているのかもしれない・・・・・−全くの余談だが、このお茶会の後で全員一致で弱みを握るルヴァには逆らわないでおこうと守護聖達は誓ったらしい−

「あのね、僕、アンジェリークが大好きだよ。一人で悩まずに僕にも教えてね」
「有り難うございます」
 守護聖一純粋素直なマルセルに、少女は『にっこり』と笑って言った。
「私、マルセル様もクラヴィス様もリュミエール様もルヴァ様もオリヴィエ様もゼフェル様もランディ様もオスカー様もジュリアス様も、ロザリアもディア様も、みぃぃぃぃぃんな大好きです」
「因みに、言ってる順位と愛情の差は?」
「ありません(キッパリ)」
 弾けるような笑い声が、今日も麗らかな空に響いた。

END