金色の祈り

金色の祈り



 金の髪と翠の瞳も可愛らしい《 女王候補生アンジェリーク》 が、ある日を境に聖殿を訪れなくなってしまった。否、それどころか、同じ特別寮に住まうライバルたる《女王候補生ロザリア・デ・カタルヘナ》の前にすら姿を見せないようになってしまって幾日か経ったのである。

「アンジェリーク?いるのでしょう?どうしたのです?アンジェリーク?」
 守護聖一の優美を誇る麗しき《 水の守護聖リュミエール》 は、そう言いながら件の少女に与えられた部屋のドアを一心に叩く。
「アンジェリーク、どうしたのです?私では、力になれませんか?」
 泣き出す一瞬前の途方にくれた子供のように、リュミエールはそう言う。その言葉は心配という思いと共に滑らかにドアの向こう側に滑り込んでいった。
「リュミエール様・・・・・」
 はっきりきっかり、泣き声の少女。何があったのか?
「入りますよ!」
 その声に些か取り乱してリュミエールはドアのノブを回す。鍵が掛けられていないことは来た際に難無く回るのを確かめていたので、ドアロックも掛けられていなかったドアはちしたる抵抗もなく室外の廊下へと開く。
「アンジェリーク!」
 金色に輝き反射する髪がきっちりと閉められたカーテンのせいだろうか、何故かくすんで見える。
「リュミエール様」
 泣き顔の少女の輪郭を、細い絹糸が覆っている。
 ・・・・・乱れた金色の髪・・・・・乱れた見慣れた制服・・・・・
「何があったんです!」
 少女の細い肩に指が食い込む程に力の込められた指は、彼の内心の動揺の現れであろうことは確実だ。
「痛い」
 眉をしかめて少女は苦痛を訴える。
 『ハッ』と入れ過ぎた力を緩めて、彼は問いかけた。何時ものあくまで穏やかな優しさ故の柔らかな声が、それでも少し震えている。
「アンジェリーク」
「リュミエール様」
 泣き顔の少女は、今までのなかで最も弱い顔をして、彼を見上げている。
「私では・・・・・」
 リュミエールの唇をついて出た言葉は、途中で途切れた。全くもって非常に、たいへんひじょぉぉぉに、人聞きの悪い台詞によって。
「リュミエールが女の子に無体なことしてる!」
 リュミエールは、沈没した・・・・・

 次々と少女の部屋を訪れた守護聖及び女王候補と女王補佐官−全くの余談だが先の台詞を言ったのはオリヴィエである−は、唖然として目の前で起こった現象を自分の内でどう処理したものか考えた。
 流れる金色の川は、アンジェリークという名の少女の髪。が、本来の彼女の髪の長さは肩に触れるか触れないかといったものでその背を超す程には長くなかったのだ。その上、無造作とも言える程にあっさりと刃を突き立て切り裂かれた髪は、ほとんど一瞬のうちに長く伸びてしまった。
「くすん」
 涙をためた目の端に手をやる少女は、たった一人っきりでずっと突然の怪異に心を痛め続け、途方にくれていたのだろう。
「どうしたら良いのでしょう?」
 問いに答え得る者はおらず、沈黙がその場を制し、外を吹き行く風が木々の枝と葉を揺らして奏でる自然の音楽だけが耳に届いた。
「アンジェリーク」
 最年少の《 緑の守護聖マルセル》 が、真剣な視線を少女に向けて言った。
「お茶のおかわりちょうだい」
 『がっくり』と脱力した一同は、同じことを口々に少女に訴えた。
「緑茶を仕入れたんですけど、それになさいます?」
「お茶菓子にお煎餅があると尚更良いな」
「ありますよ。塩お煎餅と醤油お煎餅」
 親身になって相談に乗ってくれるかのような雰囲気は、空の彼方に遠く遥かに飛び去っていた・・・・・

 最終的に単なるお茶会となってしまったのだが、守護聖と女王補佐官が聖殿に帰った後に、アンジェリークはロザリアにこう励まされた。
『別に動けなくなる程に長いわけではないでしょう。あんたは私のライバルなんですからね、それっくらいでダウンされちゃ困ってしまうわ』
 一風変わった励ましはロザリアという少女の心の不器用さ故のモノ。心配してはいるのにそれを素直に表に出すことが出来ない少女は、まるでふてくされたように言うことで内心の恥ずかしさを覆い隠している。それが精一杯。
『いい?明日っからはちゃぁんと試験を受けるのよ』
『でも』
『大丈夫。守護聖様方は心が広いもの、ちょっとくらい外見が変わっても何時も通りに接して下さるわよ』
 ライバルのためらいの原因が何であるのか、ロザリアはしっかりと把握していた。ライバルだからこそ同じ存在を目指すからこそ、彼女達はそれぞれその生まれも育ちも全く違いながらも、相手を理解することが出来ていた。
『分かった?返事は』
『うん』
『よろしい』
 満足げにロザリアは頷き、アンジェリークは微笑した。

 翌日から普段通りに聖殿に訪れるようになった少女は、帰りがけにある守護聖に一つの頼まれごとをされると、それを快諾した。
 そして、その次の日。
「あれは、アンジェリーク?」
 王立研究所から帰って来たばかりのリュミエールが見たのは、守護聖の執務室に半ば強引に引き込まれている金色の髪の少女であった。
「開けなさい!オリヴィエ!」
 自身よりも少し早く守護聖となった人物の執務室の扉を、彼にしてはたいへん取り乱した様子で叩く。
「アンジェリーク!」
「どうなさったんですか?リュミエール様?」
 片手に綺麗に咲いた薔薇の束を抱えたマルセルが現れるとそう言い、リュミエールは簡単に自分の見た光景を話した。
 リュミエール同様アンジェリークにかなりの好感を持っていたマルセルも、キレた。
「開けて下さい!オリヴィエ様!」
「開けなさい!」
 二人の声に他の守護聖達も何事かとやって来る。そして、事情を知ると同じように口々に同様な事柄を言って扉を叩く。
 それでも、頑丈な扉は開かない。
 かなりキレていたリュミエールは少し後ろの位置に立つと、言った。
「そこをどいて下さい」
 開け放たれた窓から見える噴水の水が、《 水の守護聖》 の意志に従ってかの人の手の中に収まる。
「!」
 裂破の気迫でリュミエールは力を行使し、その勢いで水は鋭利な刃として扉に叩きつけられ、それを四散させた。
 何時もの優雅さ優美さ、そんな穏やかな物腰しか見たことのなかった一同は凍り付く。そんな同僚達を尻目にさっさと部屋に入っていくリュミエール、その彼の行動に解凍された同僚達も慌てて後に続く。
「アンジェリーク!」
 そして、彼らの見たものは・・・・・
「しくしく・・・・・」
「うん、可愛い。美人だよ」
 オリヴィエ御自慢の鏡の前で、しっかりメイクをされたアンジェリークと、部屋の主であるひどくご満悦状態のオリヴィエであった。

 柔らかな風の吹き抜ける中庭に、鉛筆を走らせる音が一つと、談笑する軽やかな声が満ちていた。
「お詫びに、当然完成した絵はくれるよね?」
「分かっていますよ。そんなに何度もイジメなくてもよろしいでしょう?」
「扉を完全に壊しといて、何言ってんのやら」
 ぼやくオリヴィエの声に、辺りに思い思いの格好で座している一同が弾けるような笑いをあげる。
「・・・・・はい、もう動いてもいいですよ」
「はぁ」
 ため息一つ。金色の髪の少女は『ほっ』と安堵の吐息をつくと、マルセルが丹精込めて作った薔薇が白い裳裾と一緒に優しく揺れる。
「アンジェリークにもちゃんとあげますからね」
 何枚もの習作を大事そうに集めるリュミエールの姿からは、厚い扉を四散させた人物ととても同一であるとは思えない柔らかな雰囲気が漂っている。
「着替えていいですよね?」
「いいけど、それは一式全部アンジェリークにあげるよ。私じゃ似合わないしね」
「アンジェリーク、すっごく似合っているよ」
 マルセルのラヴェンダーという名の花色をした瞳に映る少女は、まるで別人のようだ。小柄な身体を包む純白の衣装の長い裳裾を優雅にたなびかせ、その金糸の緩やかなおさげには漆黒のリボンが結い込まれている。額には派手な輝きを放っているわけではないが穏やかに煌めく精緻な銀色のサークレット。化粧もそれ程はっきりとしたものではなく、少女の可愛らしさの中に確かに存在するたおやかな美しさを引き出すモノで、流石は美しさを司る《 夢の守護聖オリヴィエ》である。
 素直な称賛の眼差しではあったが、元々快活な少女はずっと動けなかったことが少々不満であったので、冷淡に受け止め、男性陣が『ギョッ』とするような行動に移った。
「わっわっわっわっ!わわっわっ!」
「何やってんだよおめぇ!」
 おたおたする《 地の守護聖ルヴァ》 と真っ赤になって怒鳴る《 鋼の守護聖ゼフェル》、それが当然の反応で、普通でない反応をしたのは《 炎の守護聖オスカー》 である。
「脱ぐんなら二人っきりの時にして欲しいな」
 『バフッ』と白地に銀の刺繍の施された服が、ジャストミート!
 思わずそちらに視線がいった一同が、再び少女の方へと視線を転じれば、雲か霞か影すらない状態である。
「何をやっていらっしゃるんですか?」
 王立研究所の方からやって来たロザリアがアンジェリークを探して辺りを見回す守護聖達に声をかけ、
「わっ!」
「きゃぁぁぁ!」
 叫んで飛び退いて見れば、そこにはしっかりとした大きな木の太い枝に足をかけてぶら下がった、白い薄手のランニングに短いパンツという姿のアンジェリークがいた−でなくして、たとえ女も裸足で逃げ出す美貌とはいえ、あくまで男性のオリヴィエがアンジェリークの着せ替えをすることが出来るわけがない。ついでに言うなら前日にオリヴィエがアンジェリークに頼んだのはこの服装についてであった−。
「何やってるのよぉ」
 恨みがましい声に、アンジェリークは悪戯が無事見破られず成功した時の笑みを浮かべると、
「だって、ずぅっと動けなかったんだもの。木登り得意だし」
 『ロザリアもやらない?』との誘いをかけながら、器用に少女は枝の上に座り直す。
「私、木登りなんて出来ないわ」
「そっか。木の上だとか、視点が変わると楽しいんだけど、ね」
「そうなの?」
「小さな頃にどんなにジャンプしても届かなかった場所とかに手が届いたら、何だか分からないけれど、凄いことが起こるんじゃないだろうかって思ったことないかな?私はあるんだけど」
「凄いことは起こったの?」
「全然。だけど、そんな風に思う『ドキドキする気持ち』はまだここにあるの」
 白い手で自分の胸を軽く押さえて少女は続ける。
「何かが起こる予感だとか言い換えられるこの気持ちは、とっても心地良いのよ。気分が沈んだりした時は尚更なんだけど。だから木の上に登ったり、前なんか幼なじみと屋根の上に登ったりもしたのよ」
 朗らかな声に、呆れたようにロザリアはため息をつく、好意的に。
「でも、屋根の上に登った時はあんまり気持ちが良くって、そのまま眠って目が覚めたら日が暮れてて、あの時は怒られたわ」
「当たり前だよぉ」
 ちゃっかり、何時の間にか近くの枝に登っていたマルセルがそう言った。
「やっぱりですか?」
 アンジェリークは苦笑し、何かが引っ掛かったかのような顔をした。
「どうしたんだ?」
「何というか、その、コレの原因が分かったような気が」
 下にいる《 風の守護聖ランディ》 からの声に答えて、長い髪を持って少女は言う。
「両親の想像の女王陛下像というのが、背よりも長い髪をしたしとやかな母性溢れる女性、なんです。別れ際にもそういう風になるように、ずぅっと言い続けてたんですけれど、そのせいなんかでは、ないですよね?」
 沈黙の果てに、《 光の守護聖ジュリアス》 が言った。
「・・・・・違う、と言い切れないな。調べよう」
「その通りの予感がするが」
 本当なのか分からないがジプシーの出という噂があり、確かにジプシー特有の神秘的な雰囲気を持つ《 闇の守護聖クラヴィス》 が呟いた。

 ・・・・・予感的中であった。

「ロザリア!見て見て!」
「あら、元に戻ったのね?」
「うん。まったく、父様も母様も、迷惑な祈りをしてくれちゃって」
「怒るものじゃないわよ。全て我が子が可愛いからこそ、でしょ?」
「だけど・・・・・」
「ほぉら、今日は土の曜日なんだから早く王立研究所に行くわよ。エリューシオンの天使様」
「分かってるわ、フェリシアの天使様」
 『くすくす』、小さな笑い声が少女達の可愛らしい唇から漏れた。
 空は相変わらず高く澄んでいる。人々の様々な思いを吸って・・・・・

END