幸福の大地

幸福の大地


 あのね、天使様に御会いしたんだ。ホントだぞ。

「ただいま戻りましたわ」
 気品高い薫るような美貌の少女が優雅に王立研究院を預かる最高責任者に礼をする。
「あの子はまだ来ていませんの?」
「否、とっくにエリューシオンの方に行っているが」
「あら、ではもう帰ってしまったんですのね」
 置いて行かれたことにふて腐れたように少女は呟くが、一族をまとめる地位にありながら禁断の恋故に全てを捨てた水龍族という種族の元長である青年は首を横に振る。
「まだ帰っていないぞ」
「え?」
「日没までという条件でエリューシオンへと降りている」
「降りてって、街にですか!?」
「うむ」
 驚く少女に青年は頷いた。

 愛らしいピンクのワンピースの少女が歩いていた。生き生きと輝く瞳は緑柱石とも翡翠ともつかない翠の宝石、太陽の光を浴びて輝く髪は純金の絹糸のよう。特別美少女なわけではない筈なのに、ついつい視線が追いかけてしまうような不思議な魅力を有しているその少女は春爛漫といった感じの街を嬉しそうに見回す、と、
「いっけない」
 『くるん』と半回転すると少女は何気ない動作でそのまま来た道を戻る方向に歩を進める、あくまで不自然ではない程度の速さで。
「危ない、危ない。大神官にはバレちゃうから、これ以上は近寄っちゃ駄目ね」
 少女の背を向けた先には小さいが小綺麗な白い神殿がある。その玄関の辺りを可愛い坊やのような大神官が箒でもって掃き清めている。この大陸で唯一少女の正体を知る人物である。
「まさか《天使様》がここにいるわけにはいかないもんね」
 愛らしく少女は舌を出して悪戯っ子そのものの顔をした。

 広い庭園に素っ頓狂な声が響く。
「大陸って降りても良いのぉ!?」
「女王陛下の許可が下りれば良いそうですよぅ」
 少女のような可憐さをたたえたラヴェンダーの瞳の少年に、穏やかな知性を感じさせる深いダークグリーンの瞳の青年が言う。何処か惚けたと言おうか、爺くさく湯飲みをすする姿は、それ相応の場所なら別段かまいもしないのだが、その木々に囲まれた中庭では、違和感全開バリバリである。
「ふん、何しに下りたんだか」
「お前と違って遊びにじゃぁないだろうよ」
「ぁんだとぉ!?」
 『キャンキャン』と我の強そうなルビーの瞳の少年と、スカイブルーの瞳の爽やか好青年ならぬ爽やか好少年が言い合いに突入するが、いいかげん日常茶飯事であるので、周りはしらんふりを決め込む。
「相変わらず」
「・・・・・お察しします」
 『グリグリ』と眉根を揉み解す冷淡そうなサファイアブルーの瞳の青年に、苦笑を口元に刻んだアイリスブルーの瞳の青年が心底からそう言う。しらんふりを決め込んでしまう程日常化しているとはいえ、青年は重いため息をつきたくなってしまう。そしてそれはその青年を補佐する青年にとっても同じことである。もっとも、彼は青年がいないなら笑って煽り立てるタイプでもあるのだが。
「あの子、前から『じかに街の様子が知りたい』って言ってたから、それでかしら?」
「でしょうね」
 どうにも直視するのに一瞬理性が抵抗しそうな程派手な衣装をまとったラピスラズリの瞳の青年に、反対に飾りっ気の少ない白と青の衣装をまとったアクアマリンブルーの瞳の青年が優雅に頷く。ほんのちょっとした動きにあわせて澄んだ音色を立てる程に多い装飾品は、だけれど青年のつけ方が絶妙なのか決して下品には映らず、あくまで華麗である。正反対に装飾らしい装飾品をつけていない青年は、服の着こなしと唯一の装飾品である海色の宝石が何とも優美だ。
「・・・・・あれのことだ、単なる好奇心が発端だろうな」
 薄く笑って神秘的なアメジストの瞳の青年が肩を竦める。額を飾るサークレットの原石に近い粗い削りの紫水晶とそれに似た瞳が煌く、何処となく笑いを含んで。
 協調性をかけら程度しか持ち合わせていない何とも個性的な一団ではあったが、その言葉に対しては全員一致で頷いたものである。

 そこは一面の花、華、花・・・・・
「キャハッ」
 嬉しそうに少女は駆け出す。
 涼やかなブルー、暖かなイエロー、覚めるようなレッド、霞むようなラヴェンダー、愛らしいピンク、薄いもの濃いもの取り混ぜゴチャ混ぜな花畑には先客がいた。
 小学校低学年程度の幼さの少女達だ。
「お姉ちゃん初めて見るけど何処から来たの?」
「お姉ちゃんねぇ、お空から来たのぉ」
 それを信じると思うか、普通・・・・・
「ここ綺麗ねぇ」
「当然だよぉ」
 話題を変えようと出した少女の言葉に、子供達はすぐにくいついてきた。
「だぁって、天使様が守って下さってるんだもん」
「ねぇ」
 幸せそうな笑顔で子供達は笑い合う。
「そうね、天使様が守っているんだもんね」
 『貴女達を』との言葉を隠して、少女もまた笑う。自分が導いている大陸とはいえ、こんな小さな子までが自分を慕っていてくれていることが、少女は嬉しくて仕方なかった。

「よろしいんですか?街に降りても」
 純粋な好奇心から少女は問いかける。今まで一度たりとて『大陸内の街へ降りて良い』など聞いたことはなかった筈だからだ。
「女王補佐官を通じて女王陛下の許可は下りている」
 異種族であることを一目で教える外見をした青年は、手元の書類を提示する。それには最後に女王しか使うことの出来ない判による捺印がされている。
「そうでしたか。では、あの子が帰って来たら街の様子を教えて欲しいから部屋で待ってるとお伝え願えませんか?」
「分かった。伝えておこう」
「よろしくお願いします」
 青年にきちんと礼をすると、少女は自分自身が作った育成大陸に関するデータを事細かに書いたノート等の入った鞄を持って王立研究院を後にした。・・・・・ちょっとだけ寂しそうに。

「じゃぁねぇ!」
「バイバァイ!」
 愛想良く少女は手を振る。
 愛らしい声でさえずる小鳥のような子供達は、一様に首や頭に花のネックレスや王冠をつけた可愛い妖精のようだ。
「・・・・・また来れたら、遊ぼうね」
 少し悲しそうに少女は呟く。今度来れるのが何時なのか、まるで見通しがついていないからだ。でも、また来たい。
「そろそろ帰らないといけないわよね」
 気を取り直して少女は家路につく子供達が歩いた道とは逆の道を走り出した。

 そこは個々の垣根を見いだすことが出来ぬ程の見事な桜の並木であった。
「はにゃ?何してんの?」
「うわっ!」
 『ドタバタ・・・・・』
「ひ、人をお化け扱いしないでよ」
「ご、ごめんなさい」
「姉ちゃん誰だよ」
「人の名前を尋ねる時は先に名乗るものよ」
 美貌の友人を真似て気取った言い方をする少女に、先程の子供達よりは幾らか年上の数人の少年達は不満そうな顔をする。
「そろそろ家にお帰んなさい」
「あそこにあるボールが必要なんだよ」
「あそこって、木のてっぺんじゃない」
「病気の友達のなんだよ。何日か前に遊んでて、あそこに引っ掛かったんだ」
 少女は渋い顔で木を見上げる。
「天使でもなけりゃ、取れないわよ」
「分かってんだけど、お見舞いに手ぶらってのは気が引けるじゃねぇかよ」
「・・・・・」
 仕方なさそうに、少女はため息をつくと走り出す。
「あ、姉ちゃん!?」
 瞬く間に桜の木の影に隠れた少女を思わず追いかける少年達であったが、
 『ぼこっ』
「イテッ」
「早く帰るのよ」
 一人の少年の頭にボールが当たり、遠く高い場所から言葉が降ってくる。
「ウソ」
 否定したくても出来ない、空を飛んでいる『姉ちゃん』の姿に、誰かが叫んだ。
「姉ちゃんが天使様ぁ!?」

 少年達は唖然と夕闇に染められる空を何時までも見ていた。

「しまったなぁ。姿見せちゃった。でも、いっか」
 楽天家な少女は御気楽に呟く。

 今日出会った可愛い子供達、こまっしゃくれた少年達、どちらも少女には愛しい者達である。ごく普通の、だから何よりも愛しい存在だ。もっとも少年達の方はそれ程には《天使》の存在を信じてはいなかったようだが、これからは《自分》のことは信じてくれるだろう。何だかそれがとても嬉しい。

「オヤスミ、エリューシオン」

 天使の囁きは、大陸の愛する全ての民へと響いた。

END