Rainday ANGEL

Rainday ANGEL



 しめやかに遥かな天から無数の滴が流れ落ちる日

「あら?」
 ふと白い面が空を見上げる。動きにつられて金糸が頬を優しく叩く。
 そして、同じように・・・・・

 何時もより少しだけ遅れて、長い紺色の髪を優雅に結った美女と呼ぶにはまだほんの少し子供っぽい少女が足早に乳白色に暖かなクリーム色を混ぜた壁と光りをいっぱいに取り込むように設計された窓を両側に従える玄関へと歩いていた。
「あら、アンジェリーク?」
「おはよう、ロザリア。これから聖殿に行くの?外雨が降ってるから傘がいるわよ」
「え!?」
 慌てた様子で玄関から駆け込んで来た『可愛らしい』との形容詞がこの上なく似合う少女の台詞に、《 女王候補ロザリア・デ・カタルヘナ》 は窓の外に目を向ける。いつもは太陽の光をいっぱいに取り込む窓から入るのは弱い幻のような光と・・・・・
「今は小降りになってるけど、さっき急に降って来たの。お陰でこの通り」
 頬に張り付いた金色の髪を恨めし気に剥がしながら《 女王候補アンジェリーク》は肩を竦める。平日は身が引き締まるとの理由でスモルニィ女学院の制服を着用しているのだが、それも髪同様濡れて白いシャツはうっすらとその下の肌を透かしている。
「遅く出て、運が良かったと思うべきかしらね?」
「ロザリアはね」
 『このままだと風邪引いちゃうから』と一言断りを言ってアンジェリークは自分にあてがわれた桜の花に囲まれたかのような柔らかな色彩の部屋へと駆けて行く。なんとはなしに見送ったロザリアではあったが、すぐに自分もまるで海の底のような紺碧の部屋へと傘を取りに引き返して行った。

 レインコートがわりにと、水をある程度弾く素材のコートを羽織ったアンジェリークは今は厚い雲に隠れたその上の空色の傘を開いた。歩みに連れてコートの裾とその下から覗くスカートが揺れている。
 『しめやかな雨の音は物悲しい』
 何処か沈んだ心でアンジェリークはそう思った。もっとたくさん降れば音も大きくまた違った気分になるのだろうけれど、こんな糸のような細い雨と微かに時折響く木の葉を打つ音だけでは意味もなく悲しくなるだけ。
 『ピシャンッ』
 通い慣れた道、物憂気な気分でほとんど惰性的に歩いていたので水たまりに気がつかなかった。揺れていた水面が傘に遮られて鏡となる。水鏡に映るのは金色の髪の何処か悲しそうな表情の少女が一人。
 『ピシャンッ パシャンッ パシャンッ ピシャンッ』
「止めなさいよ、子供っぽいことするの」
 聖殿の大きな玄関から呆れたロザリアの声が響く。聖殿玄関へと続く階段、その階段へと続く石畳の水たまりをわざと選んで歩いていたアンジェリークは、悪戯が見つかった時の子供っぽいというより子供そのものの顔で小さく舌を出してみせる。ロザリアとしてはアンジェリークの自分では決して似合わない奇妙に子供な仕草は嫌いではないのだが、やはりどうしても呆れという感情が先にたってしまう。
「まぁったく、もぉ」
「えへへ」

 玄関のところで傘とコートを預けて、少女達は各々 必要な守護聖の元へと廊下を歩む。アンジェリークが行く先は、守護聖一のアクセサリーの所有者《 夢の守護聖オリヴィエ》である。
「今日和」
「はぁい、いらっしゃぁい」
 とびっきりの笑顔でオリヴィエはお気に入りの少女を迎える。ふわふわの金色の髪と翠の瞳の少女は見ていて飽きない性格をしていて、可愛くてしかたがない。
「今日は何の用かな?」
「育成を少し」
「ふんふん、育成を少しね。どうしたの、今日は制服じゃないんだ?」
「雨に濡れちゃいまして」
「そっかぁ、でも似合うよ」
 乳白色のワンピースは裾から純白のペチコートのレースが飾りとして覗いている。ウエストを絞るリボンは淡いピンク、襟も同じ。実はコートもピンクであった。
「ちょっとここ座って。・・・・・そうそう。リボン解くよ。大丈夫、まかせなさい」
 器用に細い指がブラシと櫛を使い分けてふわふわの金の髪を整える。両脇の髪を梳くって細く小さなゴムで止めると、先に鈴のついたリボンを取り出して隠すように可愛いチョウチョ結びをした。少女が動くと鳴る鈴は小指の先程の小ささだが、綺麗な響きを優しく奏でる。
「はい、いいよ。そのリボンはあげちゃおう」
 自分の腕に御満悦の様子でオリヴィエはそう言った。
「いいんですか?」
「いいわよ。ただし。大事にしてね?」
「はぁい!」
 嬉しそうにわざと揺らせて鈴を鳴らしたアンジェリークは元気に返事をした。
「良い返事だね。育成は任せといて」
「では、お願いします」
 手を振る少女に振り返して、オリヴィエは艶やかに微笑んだ。
「bye−bye」

 『コツコツ・・・・・』 ブーツのヒールが床に当たって単調な音が聖殿の高い廊下に吸い込まれる。
 『チリンチリンリン・・・・・』 リボンの鈴が揺れて奏でられるリズミカルな音色が聖殿の広い廊下に響く。
 重厚な扉を前に深呼吸。独特の叩き方で相手がいるかどうか確かめる。答えは『応』であった。
「今日和、オスカー様」
「あぁ、お嬢ちゃんか。雨の中ご苦労様」
「ここが雨だということは、下の大陸もでしょう?まだまだ発展途中の大陸の皆の為ですもの」
「お嬢ちゃんらしいな。じゃ、今日も育成かい?」
「はい。育成を少しお願いします」
「分かった、引き受けよう」
「有り難うございます」
 『チリリン』
「可愛いリボンだな。可愛いお嬢ちゃんには似合いだ」
 『ちょこん』と礼をした時にリボンが見えたのだろう、守護聖一の色事師《 炎の守護聖オスカー》が目を細めてそう言った。大概の純情なお嬢様方は空色の瞳が細められ口元に華やいだ笑みを浮かべられた途端に見惚れるもの、女王候補生の二人の少女達は育てられた環境は全く違うが純情さ加減は揃ってかなり高い。が、事前に女王補佐官である美貌の女性から『オスカー自身守備範囲内の女性にはほぼ無意識に愛想を振り撒いているのだから、特に気にすることはない』と言い含められているのでそうそう動じない。
「オリヴィエ様にいただいたんです」
「そっか、うん、そうだな、あいつは可愛いより綺麗だから、お嬢ちゃんの方がずぅっと似合うよ」
 『スッ』と流れるような動作で近づいたオスカーの乗馬焼けで小麦色の指が金色の髪に差し込まれる。ふわふわとした髪は整えられて指に絡まることなく、動きにあわせて揺れて流れて肩にかかる。
「制服以外のお嬢ちゃんははじめて見るな」
 最後の一筋が指から離れる。腱の太い指が少女の薄い薔薇色の頬に、そして頬から細いあごへと移る。
「あぁ、相変わらず綺麗な翠の瞳だ。これだけ澄んだ翠はなかなかない」
 軽く上を向かせて極上の緑柱石や翡翠にも劣らぬ瞳と己の深い蒼の瞳を合わせる。見交わす瞳に甘い輝きを宿すのは気に入った女性をオトす時に使う何時ものテだが、
「・・・・・?」
 無駄なこと、全然気がついちゃいねぇ。
 が、それに挫けるオスカーでもない。何事かを囁こうと少女の耳に唇を近づける。音楽的に澄んでいるわけでは決してないが、低いその声は落ち着いていて心地良いとお嬢様方から好まれている。
「オスカー、いるぅ?」
 唐突、お気楽極楽にオスカー曰く『極楽鳥』との異名を持つ美貌のオリヴィエが遠慮も何もなく勝手に扉を開けて入って来た。勿論ノックなんぞというものはナシである。
「・・・・・何やってんの、あんた」
「口説いてるとこ」
「・・・・・ブッ殺す」
「ほぇ?」
 分かってないのはアンジェリークだけである。
「ったく、書類を持ってくればこうなってるとはね。アンジェリーク、おいで、リュミエールが美味しいお茶を仕入れたんだって」
「わぁい、行っきますぅ」
 『お茶大好き』との台詞を背負ってアンジェリークはあっさりオリヴィエの方に駆けて行く。未練も何もあったもんではない。
「はい、これ。次はディア様に渡しといてちょうだい。んじゃね」
「オスカー様、育成お願いしますね」
 書類を置くと後ろも見ずに軽く手を振って去って行くオリヴィエと、ちゃんと頭を下げてきちんと礼をするアンジェリークの二人に、オスカーは『がっくり』と脱力した様子で手を振っていた。
「これからだったのに・・・・・」

 優しいハープの音色が漏れ聞こえる執務室の部屋を訪れたアンジェリークは、
 『コココココン』
 と、独特の叩き方で来訪を告げる。
「どうぞ」
「今日和、リュミエール様」
「お邪魔するよん」
 お気に入りの少女と言動こそ軽いが信頼の置ける人物と評価している先輩の訪れに、守護聖一の雅楽の名手《 水の守護聖リュミエール》 は嬉しそうに笑って席を立つ。いっそ女性でないのが不思議な程に優美な顔立ちだが、瞳に宿る強い光が男性であることを如実に語る。
「いらっしゃいませ。何の御用でしょう?」
「新しいお茶仕入れたって言ってたでしょ?ご相伴させて」
「えぇ、よろしいですよ。どうぞ、こちらへ」
 優雅に席を示して自分はいそいそと三人分のティーセットを隣り合わせの私室から取ってくる。流水のごとき流れるような一連の立ち居振舞いは、女の子であるアンジェリークの憧れ、『あれ程までになれれば』、と常日頃から考えている。
「どうぞ」
「有り難うございます」
 お茶への期待に瞳を輝かせて、少女は律義に頭を下げる。
「どうですか?」
「とっても美味しいですぅ」
「それは良かった」
 感情がそのまま表に出る、優しい両親に愛されて育っていただろうことがすぐに分かる真っ直ぐな心、自分を偽ることすら出来ない不器用な素直さ、リュミエールが溺愛する天使はそんな少女である。
「そういえばさぁ、聞いてよ」
 しばらく談笑していた後、オリヴィエの台詞に二人は首を傾げることで返答とした。
「オスカーのカバ、アンジェリークに手ぇ出そうとしてんの」
「いい度胸ですね」
「全くよねぇ。今日ここ来る前に行ったらアンジェリークが先に居て、『何してんの』つったら、あいつ、『口説いてるところ』なんて言ったんだよ」
「・・・・・」
「一回シメたろか、あいつ」
「闇夜に気をつけろ、と言いたいですね」
 これでも温和で優しい《 水の守護聖》 様なのだが、目がマジで恐い。
「うみゅ?」
 自分も係わっていることは、分かる。が、最後の方のがよく分からない。首を傾げるアンジェリークは眉をしかめて考える。
「アンジェリーク、いいですか?」
 『分かんないよぉ』というように猫耳伏せ状態のアンジェリークに気がついたリュミエールが少し笑って説明した。
「ディア様も言ってらしたでしょう?『オスカーは守備範囲の女性はほぼ無意識に口説いている』って、アンジェリークも立派に守備範囲の女性ですから、オスカーが口説きにかかっているのですよ」
「私達は可愛いアンジェリークを狼の牙にかける気なんてさらさらないからね。あいつにどうやって釘を刺しとこうか、相談してたの?」
 『分かった?』と言って『ポンポン』と軽く頭を叩くオリヴィエと、優しい視線を向けてくれているリュミエールに、アンジェリークは彼等の一等気に入っている無邪気な絶対的信頼故の笑顔を向けて頷いた。
「はい」
 ・・・・・だからって、『シメたろうか』だとか『闇夜に気をつけろ』だとかはないんじゃないかい?それに気がついてないアンジェリークもある意味凄いけど。

「雨ねぇ」
「雨ですねぇ」
「雨はお嫌いですか?」
 ふと外を見てオリヴィエが呟き、アンジェリークが応じ、リュミエールが問いかけた。
「意外と好きよ。降ってる時より、あがった時の方がもっと好きだけど」
「あがった後の木とか草って好きです。綺麗ですもの」
「そうですね」
 『ふんわり』とリュミエールが裾をなびかせベランダに続くガラス窓を開く。
「他の皆には内緒ですよ?」
 振り返ったリュミエールは人差し指を唇に当てて片目を瞑って言った。悪戯っぽい笑顔が女性めいたその美貌に意外と似合うことをアンジェリークは初めて知った。
「・・・・・」
 舞うようにリュミエールが動く。神子のような神秘性をまとって舞うリュミエールは文句なしに美しい。
「・・・・・!」
 天を覆う雲がきれていく。リュミエールの舞いの動きに合わせるように、少しづつだが、確かに。
「どうせ、もう少しで晴れるようでしたので。でも、本当に内緒ですよ?」
「はい」
「口止め料に、一曲所望する」
「いいですよ。何になさいますか?」
「じゃぁねぇ・・・・・」
 オリヴィエの言った曲を確かめるように呟いたリュミエールはにこやかに笑って了承した。執務室の机の上の仕事の邪魔にならない所に大事に置かれた愛用のハープを手にして弦の具合を確かめると、涼やかなその音色を爪弾きだした。

 美味しいお茶と綺麗なハープの音色に雨の滴に洗われた庭の瑞々しい木々の緑
 雨の止んだ後 天使は幸せそうに笑った

END