夢の囚われ人〜天使の召される日〜
「陛下?入りますよ?」 軽やかな声で女王補佐官は重厚な木で出来た扉をちょっと開いて、『ひょっこり』と顔を覗かせた。まるで小さな子供のような無垢で無邪気な笑みを浮かべる頬を、金色の髪と淡い薄物のヴェールが優しく撫でる。 「何やってるの?まったく、変わらないわね」 『くすくす』と好意的に紺色の髪の女王陛下は笑った。まだ女王候補であった頃のライバルであり今は無二の友である女王補佐官の、あの頃とちっとも変わらない無邪気さは微笑ましくて、女王もふとまだ自身も無邪気でいられた頃を思い出せて、その少々補佐官らしくない態度を改めさせる気は全く起きない。 「皆様方お集まりですわ。さ、もうそろそろ参りましょう」 「分かったわ」 丁度女官の手で髪も結い終わったところ、『スッ』と優雅に裾をさばいて女王は補佐官を従えて歩み出した。 バルコニーの下は広場、たくさんの人々が新世界での初めての年明けに女王への感謝を口々に叫んでいる。 『サッ』と《 光の守護聖ジュリアス》 が一礼をすると横に退く。 代わりに現れた《 女王ロザリア・デ・カタルヘナ》 の少し伏せていたまぶたが、そっと開かれ紫紺の宝石にえも言われぬ穏やかな笑みが浮かべられる。慈愛に満ちたその表情は『世界の母』とも呼ばれる女王らしいモノで、斜め後ろに控える《 女王補佐官アンジェリーク》は嬉しそうに『にこにこ』と笑っている。 「陛下もだいぶ慣れてきたようですね」 そぉっと《 地の守護聖ルヴァ》 が言うと、 「前はすっごく緊張していらっしゃったよね?」 「ま、当然だよな。幾ら生まれた頃からそういう教育受けてたって、この期待に満ちた視線の前じゃよっぽど神経太くないと無理だって」 『こそこそ』と下の広場の人達からは見えにくい場所に立つ《 緑の守護聖マルセル》と《鋼の守護聖ゼフェル》 が言い、ちょっと眉を寄せて《 風の守護聖ランディ》 がわざとらしい咳をして注意する。 「お子様達、ちょっとは静かにしておいで」 一見しただけでは女性か男性か迷う《 夢の守護聖オリヴィエ》 が唇に艶やかな笑みを浮かべて言うと、隣に佇むこれまた一見しただけではちょっと分かりにくい優雅な《 水の守護聖リュミエール》が『そうですよ』とでも言うようにそっと頷いた。 ソレハ 一瞬 ノ コト ダッタ 「陛下!」 優美な服を風になびかせ少女はとっさに動いた。 「!」 黒い黒い何かが少女を覆いつくして、その華奢な身体に染み込んだ。 全テ 一瞬 ノ コト 少女の身体が白大理石で飾られたバルコニーの床に打ち付けられる前に支えたのは、最も近くにいた黒衣に身を包んだ《 闇の守護聖クラヴィス》 であった。細身の外見からいけば意外とも言える程の力で少女の身体を抱え上げると身を翻す。 「アンジェリーク!」 先に《 炎の守護聖オスカー》 に促されてバルコニーから室内へ移動していたロザリアは自分を庇った少女の名を叫ぶ。 「目を開けなさいよ!」 「陛下・・・・・」 涙目で怒鳴りつけるような声で言う女王に、『下がって』というような身振りで、知識だけならどんな医者にも負けない智恵を司る守護聖が少女と少女を支える青年に歩み寄った。 「どうなのです?」 「ルヴァ?」 「大丈夫ですよね?」 口々に少女の身を案じる言葉を言う同僚達に、ルヴァは澄んだ光を湛えた瞳を向けると震える声が言った。唇が紡ぎ出す一言は、 「寝てるだけです」 瞬間、ルヴァとクラヴィスと少女を除く全員が床と仲良しになった・・・・・あまりと言えばあんまりにお約束的すぎた。 眠り姫 金色の髪の少女 天使みたいに無垢で無邪気な可愛い少女 「・・・・・アンジェリークゥ・・・・・」 少女より年下の最年少守護聖であるマルセルはアンジェリークのことをそれは随分慕っている。姉や母だとかへの思慕の念か、それとも恋か、とにかくマルセルはアンジェリークのことが『大好き』で、こんな風に少女が倒れていることに心が痛くて仕方がない。 「ほんっとうに、寝てるだけか?」 「本職の医師だってそう言っていたでしょう?」 思いっきり疑わしそうに、そしてそれ以上に苛立たし気に問うゼフェルに、『聞いていなかったんですか?』とルヴァは答える。実際に経験を積んでいる信頼出来る侍医もが診察した結果として『寝ているだけ』と太鼓判を押しているのだが、 「だって、あれからもう三日だぜ!?」 「ゼフェル、イエローカード」 『ぼそり』とロザリアが冷めた視線を向ける。『一度目は許すが次に煩くしたら問答無用で叩き出す』といった瞳であり、実際、『王子様のキスでもやってみようか』等とふざけたことを言ったオスカーは即座に『レッドカード』で蹴り出された。なかなかに元気で乱暴な女王陛下であるが、そこは金色の女王補佐官の私室である部屋であって女王の部屋ではない。部屋の主は女王と守護聖と補佐官の合計十一名のみが使うことを許される神鳥の飾り、それの織りが透けて見える薄物の紗の下がった寝台で、会話から分かる通りにただ眠っている−正しくは意識不明−。原因は呪いの一種と思われる黒い霧である。魔法と科学の共存するこの世界では呪いというものも確かに存在し、ロザリアを庇ったアンジェリークがそれにかかったのであろう。 部屋に音の控えめのノックが響くとジュリアスと−連れとしては珍しいことだが−オリヴィエが現れる。 「陛下、そろそろ謁見の時間です」 わざと事務的に言うことで自身の感じている焦燥感を押さえる。《 ロザリア・デ・カタルヘナ》という《少女》 が感じる不安を更に増長させるわけにはいかないのだから、彼女が『世界の母』で《女王》であり続ける為に、彼が筆頭守護聖であるが為に。自身を取り巻く孤独を知らなかった彼にそれを教え、また克服する術を教えた彼女は公明正大な彼の唯一人の例外である。彼とて心配で仕方ないが、それでも彼は筆頭守護聖であることの責任から感情を出すことが出来ない。 「分かりました」 そう言って同系色の布を何枚も重ねて作られた優雅な服の裾を捌いて、ロザリアもまた《女王》であり続けるが為に事務的に答える。本当は寂しくて寂しくて、泣き出したいくらい心が弱っているのに、誰よりも高いプライドがそれだけは許さない。 「ちゃんと眠って下さいね。化粧でカバーするにも限度がありますから」 「ごめんなさいね」 顔色の悪い不安を持った女王を民の前に出せるわけがなく、現在はオリヴィエがその自慢の腕を振るって何とかごまかしている。 「おめぇはしっかり寝てんのかよ?」 『だとしたら薄情だぞ』という目で見るゼフェルやマルセル、ランディに、オリヴィエは当然のように頷く。 「私達まで心配で倒れたりしたら、アンジェリークが悲しむもの」 呟きは小さかったが非難の混ざった視線を向けていた年少組はその言葉を聞き付けて納得する。彼だって少女が心配で仕方がないのは同じだが、それ故に倒れたりして、それを知った時の少女のことを考えているのだ。 『このまま目覚めたりしないのではないか?』という不安は考えたくないから。 ソレ ハ 夢 漠然 ト シテイタ 過去 ニ 見タ 未来 「おはよう、今日も相変わらず低血圧かい?」 「放っておいてよ」 『プゥッ』と頬を膨らませてアンジェリークはそこいらの少年よりも格好良いと評判の幼なじみの少女の言葉に何時ものように怒る。すでに日課とも言えるこの挨拶を終えると薄手の上着に黒いシャツ、細身のパンツを身にまとった少女は缶コーヒーを絵になる仕草で揺らせて『学校へ行こう』と促す。 「そういえば、今日の数学、やった?」 「しまったぁぁぁぁぁ!」 「・・・・・お昼にプリンで手を打つわ」 「プリンだろうがゼリーだろうが、何でも貢ぐから見せてぇ」 「約束だかんね」 笑いながら通い慣れた通学路を歩く。何時も通り髪をまとめるリボンが揺れる。そして何故だろうか感じる違和感・・・・・ 「どうした?」 「うぅん、何でもない」 慌てたようにアンジェリークは首を横に振る。感じた違和感を追求することを彼女は無意識に恐れていた。わけも分からずただ何となく、怖かったのだ。 『アンジェリーク』 何処か遠い処から名前を呼ばれているような気がした。 一度聞けば忘れられない綺麗な綺麗な声だった。 知らない人の声だった。 翠の瞳 金の髪の天使は 自身知らずに夢を紡ぐ 過ぎたる日々に何を見るのか 白く細い指先で弦をつま弾いていたリュミエールは、手を止めると立ち上がって優雅に一礼する。 「構わないわ。続けてあげて」 背後に光と闇の守護聖を従えた女王にいま一度頭を下げるとリュミエールは静かな湖水の岸辺を連想させる曲を奏でる。少しでも、少女の見る夢が憂いあるものならば払えるようにと。愛しくて可愛くて、普段からそれこそ目に入れても痛くない程の溺愛を隠そうともしない彼は物腰柔らかなところは変わらないが、それでもやはり心労に少々面変わりしているようだ。 「私は間違っていたのかしら?」 「陛下?」 突然の問いの形をした独り言にジュリアスが目を見開く。 「この子を女王補佐官としたことは、間違いだったのかしら。いえ、間違いではなく、私の勝手な我が侭だったのね」 「いいえ、陛下」 否定したのは楽を奏でる指を止めないリュミエールであった。澄んだ湖水よりも静かな表情で彼は答える。 「陛下だけが負う間違いでも我が侭でもありますまい。願ったのは、望んだのは我々も同じこと。アンジェリークにここに残るように言ったのは陛下だけではございません」 覚えている、約一年前の出来事。金色の髪の女王候補生が試験終了時に、『家に帰る』と言っていたのを引き留めたのはその時はまだ候補生であった女王だけではなかった。皆が少女の明るい笑顔に無邪気な行動に魅せられ振り回され、側にいることを願ったのだ。 「リュミエールの言う通り。望んだのは我々、責を負うべきは皆、どちらも女王一人ではない」 抑揚のない淡々としたクラヴィスの言葉に、ロザリアは小さな小さな憂いを含んだ笑みを浮かべる。と、クラヴィスは言った。 「アンジェリークが、悲しむ」 誰よりも元気な明るい少女は、誰かが悲しい顔をすると自分のことのように感じ、同じように悲しむ。自分の心に素直で、自分自身にも他人にも嘘をつくことを知らなくて、涙もろくて優しい、そんな少女だからこそ、長い長い時のなか闇に閉ざされていたクラヴィスの心を照らし出すことに成功したのだ。 ならば、少女がいなくなった時に最も深い絶望を与えられるのはクラヴィスだろうか?・・・・・否、きっと皆が等しく与えられるだろう・・・・・皆が少女から自分自身気がつかなかったもう一人の自分を教えられたのだから。 少女は天使だったのか? だから天へと翔るのか? 手の届かない至高へと・・・・・ 初夏に近い春の日にスモルニィ女学院ではスポーツテストが全校生徒総出で行われる。と言ってもなにせ場所は限られる、生徒数は多すぎる、故に二日かけて体育館で身体測定等も並行して行われることとなる。初夏より少し前頃では時期が遅いかとも思われるが、その頃にはクラス編成後のクラス内の緊張感がほどよく解けた頃だということで毎年この時期なのである。 「ピゥッ」 尻上がりの口笛に、アンジェリークは目を向ける。 「アンジェリーク、自己新だよ、オメデト」 中空に太陽があって暑く、上着を脱いでティシャツのアンジェリークは100mを測ったところであった。 「次、僕ね。持っててよ」 そう言ってシオンは上着を投げる。タイミングが合わずに顔面で受け止めたアンジェリークが文句を言おうとした時にはスタートラインで、その淡い紫紺の瞳を真っ直ぐ前に向けて用意をしていた。真剣な眼差しは同性と分かっていてもゾクゾクする程に格好良い。 快い沈黙が横たわり、スタートを知らせる旗−ピストルは音が大きく他の種目の迷惑なので−が地面につけられ、深紅の旗が地面から離れたと思った時には素晴らしいスピードでシオンは地を蹴っている。腰程までに伸ばされた髪が一瞬として背を打つことがない。まさしくあっと言う間であった。 スモルニィ一の人気を誇るシオンである、順番を待つ者、思わず自分のしていたことを中断してまで見入っていた者達から歓声が上がる。 「サンキュー!」 『ピッ』と親指を立てて声援に応えるシオンに、更に黄色い悲鳴が高まる。 「駄目だよぉ、シオン?アンジェリークに対する風当たり強くなるでしょ?」 「ほぇ?」 『ぺろり』と悪戯っぽく舌を出すシオンに上着を返すアンジェリークには、心当たりが全くない。『何なの?』といった視線を一緒にテストを受ける友人達に向ける。 「別にいいのよ、知らなくても」 人気No,1のシオンの幼なじみで最も側にいるアンジェリークは恋人と噂されて−蛇足だが完全にデマ−おり、嫌うどころか憎んですらいる者は結構いたりするのだが、何というか、アンジェリークの持つ目の離せない子供のような危なっかしさが母性を刺激するらしく庇ってやろう守ってやろうと思う者達が同時に何人もいるのが救いだ。 「これで終わりでしょ?シャワー浴びに行こうよ」 「そうね」 答えながらアンジェリークの脳裏に誰かの声が聞こえた。 『・・・・・様は怒るけど、どうせ汚れるんならいっぱい汚れてからシャワー浴びるのが良いんだよ』 これもやっぱり、知らない人の声だった。 少女は夢に囚われていた 願い故にか 望み故にか 自身すら知らぬ 心の深いところで 願っていたのか 今は顧みるだけの昨日が続くこと 望んでいたのか 今は過ぎ去った過去が続くこと そうして 夢に囚われた 疑うことなく信じていた未来の夢に・・・・・ 気がつけば足が向いていた。《 地の守護聖ルヴァ》 は何処となくぼんやりとした状態で歩いていたのだが、頭が考えるよりも先に《 女王補佐官アンジェリーク》 の私室の前に何時の間にか立っていた。 「あんたも?」 両手いっぱいに見事な薔薇を持った《 夢の守護聖オリヴィエ》 はちょっと笑ってそう声をかけた。彼もまたこの部屋に日参している。 「えぇ、何だか顔を見ないと落ち着かなくなってましてねぇ」 「そうね。何時の間にか側にいるのが当然みたいになってたもんね」 両手に薔薇を持つオリヴィエではドアを開けにくいだろうと、ルヴァが全開にして開けてやる。 「「あ!」」 入った瞬間に二人は同時に声をあげた。 「よぉ」 「今日和」 「それ、リンカーンですね」 ごまかすように口々にそう言ったのは年少組こと、《 風の守護聖ランディ》 《鋼の守護聖ゼフェル》《 緑の守護聖マルセル》 であったが、その他にも《 光の守護聖ジュリアス》《闇の守護聖クラヴィス》《 水の守護聖リュミエール》 《炎の守護聖オスカー 》、果ては《 女王ロザリア・デ・カタルヘナ》までもがいる。守護聖女王揃い踏みである。 「考えることは一緒なのかな?」 マルセルの台詞にロザリアは『きっとそう』というように頷いて、オリヴィエの持って来た薔薇を花瓶に移すよう女王補佐官付きの女官に指示する。 「アンジェリークは皆に愛されてるから」 一番大きな花瓶を持って来たのだが、多すぎて入りきらない。残った分をどうしようかとオロオロする女官からオスカーが気障に受け取ってウィンク、思わず顔を赤くした新米の女官達は古参の先輩に睨まれ退散する。 「・・・・・丁度良いわ」 『ぽつり』とロザリアはそう言うと、憂いを帯びた瞳を今も目覚めぬアンジェリークへと向けて続けて言った。 「アンジェリークが目覚めたら、女王補佐官の任を解こうと思います」 「女王陛下!?」 『スッ』と優雅な動作でジュリアスの驚愕の声を圧し止め、 「この先同じようなことが起きるかもしれない。私はこの子を巻き込みたくないのよ。側にいて欲しいと思うわ、たった一人の友人だもの。でも、それは私の我が侭。そうと分かってしまっては、私は私を許せない」 共に試験に取り組み、同じような苦労をした。多分血の繋がった両親よりも自分という者を分かってくれるアンジェリークを、ロザリアは好きだから巻き込みたくない。 「アンジェリークの意志は?アンジェリークは自らの意志で女王補佐官の任を受けた。任を解くのも良いだろうが、アンジェリークの意志は何処にある?」 クラヴィスの言葉に、淡い淡い苦みを含んだ笑みでもってロザリアは答えた。 晴れ渡った空を見ていると、誰かの面影が浮かんで消える。少しづつ、少しづつ、聞こえる幻の声は大きくなる。 『アンジェリーク』 名を呼ぶ声は一人のモノではない。ひどく耳に心地良い声だけれど、高いモノや低いモノ、複雑に絡み合って聞こえる。 誰?だぁれ? 「アンジェリーク、帰ろう」 何時ものように声をかけてくるシオンに、アンジェリークは問いをぶつけた。何故か怖くて、何故か彼女が答えを持っていると分かっていることを。 「シオン、私達今何年生だっけ?」 「え?」 「本当はこんな普通の生活をしている筈がないって、絶対に違うって、分かる。でも、何が違うのか分からないの。私は何を忘れているの?」 「思い出さないと、いけないの?」 「だって、不安なの。こんなの不自然だわ。知ってるんでしょう?シオン!?」 『帰っておいで・・・・・』 声が聞こえる 『戻っておいで・・・・・』 この声はだぁれ? 『天使さん・・・・・』 そして唐突に分かった真実は認めるのが怖いけれど、 『帰っておいで、戻っておいで、天使さん・・・・・』 「これは夢・・・・・私はここにいない。私は女王候補生になって、ロザリアと試験をやって、ロザリアが女王になって、私は補佐官になって、こんな、普通の女子高生をやれるわけがない・・・・・」 『可愛い天使さん、アンジェリーク・・・・・』 「戻るわ、帰るわ、皆様方が待っていて下さっているもの・・・・・」 「アンジェリーク!?」 「たとえ夢でも、会えて嬉しかった。本当に、嬉しかった」 「どうしてそんなこと言うんだ!?ここにいれば良いじゃないか!?」 ずっと一緒に歩むのだと思っていた幼なじみで親友である少女そっくりの誰かに、アンジェリークは心からの笑みを向ける。 その言葉に頷けたら良かったけど、出来ないのだ。彼女は気づいてしまったのだから、目の前の者が幼なじみでないことに。 金茶色の髪が金色に、淡い紺色が翠に変わった。 「貴女は誰?」 「私は貴女」 唄うようにシオンだった誰かは答えた。 まるで双子のようにそっくりだけど、でも全く全然違う少女達はお互いの若草色の瞳に相手を映して、その中に映る自分の中の相手を見ていた。 「どうして思い出したの?」 「不自然だからよ。時は戻らないわ」 過去は過去でしかない。『if・もしも』は意味がない。確かに、あのまま夢を紡いでいけば大切な友達とも、大好きな両親とも、愛してくれる人々と離れなくてすむけれど、それは本当のあの人達ではない。全て偽物・・・・・ 「何故、犠牲になるの?」 「私は犠牲になどなっていないわ」 「いいえ、しょせん女王も守護聖も犠牲よ。特別の力を持つが故の。何故私まで巻き込まれなくてはいけないの?」 『ズキリ』と胸が痛い。 「私は貴女。だから、分かる。アンジェリークはずっと思ってた。『女王も守護聖も、何の為に在るのだろう?』って」 「世界の安定と平和の・・・・・」 「そう、世界の安定と平和の為の犠牲として。ねぇ、もう一度夢を紡ごうよ。女王補佐官なんかになったお陰で皆と引き離されたんでしょう?皆に会えるよ」 「皆に会える?」 「そうだよ」 虚ろに問いかける少女の白い頬に白い指が触れる。冷たい・・・・・ 『アンジェリーク』 「ッ!」 舌打ちして見上げたのはくすんだ金色の髪の少女だった。その少女の手を輝く金色の髪の少女が振り払うと言った。 「・・・・・皆に会えなくても、寂しくても、聖地にいる皆様方が愛して下さってる」 幻の声は硝子の砕ける音に似ていた。泣きたくなる程切ない思いが乗せられていて、愛されていることがよく分かる。そして、 「私だって皆様方を愛してる!」 強い翠の眼差しが相手を射抜く。 その背に天使の翼・・・・・ 奇妙な沈黙が流れる一室は女王補佐官の私室である。 「陛下?」 その沈黙を破ったのは、久しく聞かなかった少女のモノで、 「アンジェリーク!?」 「どうかなさったのですか?わざわざ私の部屋へいらっしゃるだなんて?」 思いっきりのんきな声 「あんたねぇ!」 「落ち着いて、陛下」 「そうですよ」 近くにいたランディやリュミエールが必死に押さえる。 「アンジェリークはもう五日も寝ていたんだよ」 朗らかにそう言ったマルセルの目には安堵の滴がたまっていたが紗を通したアンジェリークは気がつかない。 「それは、ご迷惑を」 口元に手を持っていったアンジェリークが驚きながら−そんなに経っているとは思っていなかった−呟くように言うと、 「アンジェリーク、聞いて」 「はい?」 「貴女の女王補佐官の任を解くわ」 「陛下!」 『何を言うんですか』とばかりの声でルヴァが言うのを人事のように聞いたアンジェリークは、独り言に近い声で問うた。 「私では役に立ちませんか?」 「違うわ。この間のようなことは、また起きる可能性が大きい。女王制度に反対する者がいるかぎりね。私は巻き込みたくないのよ、私の我が侭なんかで」 『プッツン』と何かが切れるような音がしたような気がする。 「冗談じゃないですよ!」 元気いっぱいに紗を引いて白い夜着のアンジェリークが寝台から降りる。格好が格好だけに思わず『ギョッ』とする守護聖達には目もくれず、 「同意したのは私自身です。役に立たないっていうならともかく、そんな理由では納得出来ません」 『本当にさっきまで意識不明だったんだろうか?』と、オリヴィエは考えた。元気すぎる・・・・・ 「でも・・・・・」 「でもじゃありません!」 『ピシャリ』と言い切り、不意に、 「私がこうやって起きれたのは皆様方に会う為ですのに、会いたかった人にそんな風に言われるのは辛いですよ」 「・・・・・本当に良いの?」 「はい!」 『にっこり』と笑ってアンジェリークは答える。そして、 「今日の仕事は終わりましたか?」 「しまったぁ!近衛騎士団の顔合わせ!」 長であるオスカーが悲鳴に似た声を上げる。代々の《 炎の守護聖》 が長を務める近衛騎士団は女王を守るもう一つの剣と盾、それ故毎年新年に女王自らが労いの言葉等をかけるのだ。 「早くしないといけませんね」 「ッ!全員回れ右!ダッシュ!」 女王の声に慌てて守護聖は部屋を出る。全員の顔が真っ赤であった。 「あんたさ、せめて女の自覚ぐらいは持ちなさいよぉ」 心底からの声に、アンジェリークは首を傾げる。 「守護聖は全員男なのよ!それなのに服を脱ごうとするんじゃなぁい!」 END |