Triple Sisters〜ANJU〜

Triple Sisters〜ANJU〜


三女《アンジュ》は内気な女の子

「起っきろぉっ!!」
 家中に威勢のいい声が響く。綺麗な響きのそれは少女のそれだ。
「おはようございます」
「おはよう」
 まだ少し眠そうな目を擦りながら墨色の瞳の少年と、銅のかかった黒髪の男が額の辺りから流れる冷たい水の滴を拭いながら入って来たダイニングでは、二人の少女が忙しく働いていた。
「おはようございます、ヴィクトールさん」
「おはよう、ティムカ君」
 全く同じ声が違う唇から紡がれる。
「ったく、毎朝毎朝手を煩わせないでよね」
「だったら放っておいてくれていいけど?」
 廊下から響く二人分の声の片方は少女の持ち物らしいまろやかなものだが、何故かダイニングの少女達と酷似している。
「オハヨ」
 再び廊下とダイニングを繋ぐドアが開かれ、瑠璃色の髪の青年が入ってくる。
「姉さん、ご苦労様」
「お姉ちゃん、チョコレートクリームが」
「あらら、ないの?帰りに買ってこないと」
 全く同じ栗色の髪の少女達が全く同じ声でさえずった。

「冷えるわね」
 髪を結わえたゴムを隠すように妹の髪にクリーム色のリボンをつけてやりながら、下宿屋の長女《アンズ》が言う。
「姉さん、座ってよぉ」
 椅子に座った妹の髪を触っている為立っている姉に、次女《アンジェ》が橙のリボンを片手に言う。
「アンズお姉ちゃんが終わったら、アンジェお姉ちゃんが座ってね」
 姉と場所を変わった三女であり末妹《アンジュ》が向日葵色のリボンを持って言う。
「付き合いが浅いと絶対にどれがどれだか分からなくなる光景だね」
 上着に腕を通しながら言うのは、下宿人その2で美術科の大学生《セイラン》である。
「三人共性格は全然違うのに、姿はものの見事にそっくりだからな」
 上着の袖から覗くシャツの袖を直しながら言うのは、下宿人その1でこの家唯一の社会人《ヴィクトール》である。
「最初は驚きました。同じ人が三人も並んで出迎えて下さって」
 鞄の中身をチェックしながら言うのは、下宿人その3で中学生《ティムカ》である。

 瓜二つならぬ瓜三つの三つ子の姉妹《アンズ》 《アンジェ》 《アンジュ》は十七才の女子高生であり、彼女達の家に下宿している《ヴィクトール》 《セイラン》 《ティムカ》はそれぞれ三十一才、十九才、十三才である。
 はっきり言って、外見では見分けのつきにくい姉妹を見分けられるのは、本人達自身と彼等、そして少女達の一つ年下の友人《レイチェル》くらいのものである。

「こんなに寒いんだもの、雪が降ればいいのにね」
「そうねぇ、ちょっとくらいは積もってくれるといいかも」
「寒いだけよりはその方がいいわよね」
「僕も寒いのは苦手だけど、雪は好きです」
 十二月二十三日、今日は中高学生組は終業式という日である。荷物が軽く、凍えた指にかかる負担が少ないのが嬉しい。無論、明日からの休みも嬉しいけれど。
「そうね、せっかくだから降ればいいわよね」
「寒いと身体の動きが鈍くならないか?」
「根っからの体育系ですね」
 家の前で合流したレイチェルや大学生であるセイランを含め、学生連中は全員同じ敷地内である中高大学一貫の学園に通っている為、当然道は同じ。唯一の社会人であるヴィクトールも勤務先が同じ学園であり、全員がなんとなくといった感じで一緒に通学通勤している。はっきり言って、この大人数だ。当然のように目立ちまくっているが、いい加減慣れてしまった一同は自分達に向けられる視線も何のその、である。

「あの、ヴィクトールさん」
 何時ものように正門の辺りでお別れという時、三姉妹では一番内気な少女が男にか細い声をかける。
「何だ?」
 厳つい容貌ではあるが同時に包容力を垣間見せる雰囲気に三姉妹で一番懐いている少女は、しかし珍しく顔を伏せると言葉を濁した。多少内気に過ぎるが、言うべきことはきちんと口にする少女としては本当に珍しい。
「あのっ、あっ!・・・・・あ、いえ、いってらっしゃい」
「あ?あぁ」
 姉妹お揃いの手袋で包んだ手で鞄をギュッと握ってそう言った少女に軽く頷き、訝し気な表情をしながらも彼は言及せずに職員用の玄関へ向かう。
 そして、それとなく二人から離れてこれを見ていた一同は、『やってらんない』とため息を零した。

 突然だが、時間を一ヶ月程戻す。
「セイラン、いる?」
「いるよ」
 声の質がどれだけ似ていようと性格が見事に別れている少女達の場合、声だけで識別することは慣れれば簡単である。
「何の用、アンズ?」
 読んでいる本から視線も上げもしない青年に、だがそれにはすでに慣れきっている長女は気分を害する筈もなく用件を切り出した。
「ヴィクトールさんのスリーサイズ知らない?」
 『カッタン』  見事にクリティカルヒットな台詞に、流石に椅子から落ちかけるセイランである。
「な、何?」
「ほら、アンジュが、ね」
 ヒラヒラと手を振って『私じゃないわよ』と言う意思表示をするアンズに、得心がいったセイランは椅子を回して少女と相対する。
「あぁ、そうか、来月はイベントがあるからか」
 腕を置いている卓上カレンダーには、今月である十一月と来月である十二月の両方が並んでいる。
 それを見やっての台詞に、彼女は頷いた。
「で、私はその下調べの手伝いを、と思ってね」
「ふぅん」
 トントンッと軽く机の端を叩き、自分のペースを取り戻した青年は薄く笑う。
「すぐに調べられるけど、まさかタダとは思ってないよね?」
 学内一の情報網を持つセイランである。この程度の情報を仕入れるのは至極簡単なのだが、この少女をイジメてやりたい気持ちを持っている青年は、そんなことを言い出す。
「可愛いアンジュの為だものね。仕方ないわ、払う」
 ブスッとして少女がそう言うと、口元に笑みを刻んで青年が立ち上がった。

 次の日のこと、せっせと毛糸をボール状に巻いていた少女は首を傾げた。
「お姉ちゃん、これなぁに?」
 突然渡されたメモに、可成大柄な人物のスリーサイズともう一つ何かの数字が書かれているのだが、彼女にはわけが分からず、一番上の姉に問いかける。
「ヴィクトールさんのスリーサイズと、頭の大きさだって。セイランの情報だから信用していいわよ」
「・・・・・高かったでしょ」
「ここでアンジュすらタダとは言わないあたり、何だかねぇ」
「で、おいくらだったの?」
 クスクス笑いながらアンジェがアンジュの作っているボールと色を違えるボールを作りながら言い、遊びに来ていたレイチェルが好奇心から尋ねたのだが、
「聞かないでよ」
 プイッと機嫌の悪いアンズの姿に、栗色の髪の妹と金髪の友人とは顔を見合わせた。

「ヴィクトールさん、休みのところ悪いんだけど買い物手伝ってくれない?」
「あぁ」
 向日葵色のリボンをつけたこの家の次女の言葉に頷いてやると、にっこりとアンジェは笑って後ろを振り向く。
「いいって、アンジュ」
「ア、アンジェお姉ちゃん?アンズお姉ちゃん?」
 橙のリボンをつけた長女に背中を押されて、何が何だか分からない様子でクリーム色のリボンをつけた三女にして末妹は二人の姉の自分とそっくりな顔を見比べる。
「はい、ここ行ってきて注文してあるやつを受け取って来てね」
「あったかくして行くのよ」
 わけの分かっていない妹の手に紙と大きな鞄を押しつけるのはアンジェ、マフラーを首にかけてやるのがアンズである。ついでにそれぞれのコートも押しつける。
「はい、いってらっしゃい」
「ちょ、待て」
「風邪ひかないようにね」
「お姉ちゃん達!?」
 『ぱたん』
「・・・・・強引ですね」
「問答無用な子達だ」
 苦笑しながら階段の辺りでこれを見ていた下宿人二人の台詞に、二人の姉達は合わせ鏡のように振り返ると、お洒落な人差し指を揺らせてみた。
 そして、まったく同じ台詞をよく似た声で言った。

「「だって、アンジュの性格ならあれくらいしないとプレゼントも渡せないもの」」

「これは、確かに、アンジュでは持てんな」
 指定された先に注文した物を取りにいき、それを見たヴィクトールの台詞である。
「お姉ちゃん達ったら、何もこんなに大きいのにしなくてもいいのに」
 レシートを受け取ったアンジュが、可愛い顔に苦笑を浮かべてそう言う。その鮮やかな青翠の瞳の先には、一抱えはある大きな花束があったりするのだから、当然と言えば当然である。
 クリスマスの飾りの一つに使うのだろうが、それは巨大にすぎた。
「有り難うございます。・・・・・あっ!?」
 レシートを姉から押し付けられた大きな鞄に入れようとして、その中に入っていたそれを見つけて彼女は姉達の真意を知った。

 男の様子をうかがいうかがいしていた少女は、勇気を振り絞って声をかける。
「あの、ヴィクトールさん」
「何だ?」
「ちょっと寄ってもらいたいところがあるんですけど、駄目ですか?」
「・・・・・まぁ、いいが」
 出来れば自分には死んでも似合わない花束を何時までも持っていたくはないのだが、ウルウルと潤んだ瞳で見上げられては、仕方ない。他の二人の少女と違って男の『守ってあげたい』という心をくすぐりまくるこの少女には、どうにも勝てないヴィクトールであった。

 人影のまばらな公園  いるのは寒さを吹き飛ばす元気さのある子供達や、寒さも感じる余地のない恋人達くらいのものだ。
 ひさしのある公園の椅子に座り、彼はやっとのこと派手なうえ重い花束を腕から下ろせた解放感を得る。
「あの、これ」
 意外と重かった花を支えていた腕の血行をよくしようとしている男に、恐る恐る少女はそれを差し出した。鞄の中に、大切そうに入れられていたそれを。
「?」
「クリスマスプレゼント、です。気に入っていただけるといいんですけど」
 決死の覚悟で言っているのだろう。頬を染めて、彼女はそれを男の手に渡す。二人の姉や親友に迷惑をかけながら作った、ここ一ヶ月の間の労力の結晶である。
「・・・・・何だか照れくさいが、その、有り難う」
「い、いえ」
 クリスマスカラーの袋を開け中を覗いた男の、本当に照れくさそうな声と言葉に、彼女は嬉しそうに笑う。
「受け取って下さっただけでも、嬉しいです」
 精一杯そう言って、勇気の最後のかけらを、彼女は深呼吸と一緒に飲み込む。冷たく澄んだ大気は、嬉しさと恥ずかしさとでゴチャゴチャとし始めてきた心を静めてくれるようだ。
「だって、私」
 目を閉じ、彼女は指をきつく組んで言った。

「私、ヴィクトールさんのこと好きですから」

「あ、雪」
「え!?何処何処?」
「やったぁ!これでホワイトクリスマスね」
「寒いだけじゃないか」
「ロマンのない奴ね」
 レイチェルを交えて話をしていた一同の言葉である。誰がどれを言っているかは、すぐに分かってもらえるだろう。
「で、続きなんだけどね。私はやっぱり手を繋ぐまでだと思うの。で、それに百円」
「あ、私もそれに百円」
「僕も」
「私もなんだけど」
「・・・・・賭けにならないじゃないか」
 ここで全員が吹き出す。
「でもさ、結局のところ、上手くいけばいいんじゃない?」
 クスクス笑いながらアンジェが言えば、同じように笑いながらティムカが応じる。
「絶対に大丈夫ですよ。ヴィクトールさんの方もすっごくアンジュさんのこと好きなんですから」
「あれだけベタベタに惚れてるのが分かる態度してるのに、全然気がつかない鈍感さ加減も似てるし、似た者カップルで、いいんじゃない?」
「・・・・・だいたい上手くいってくれないと、私は何の為にセイランに・・・・・」
 幾ら払ったか知らないが随分根に持っているらしいアンズの言葉に、セイランに視線が集中したが、当然黙殺される。
「ま、何はともあれ、上手くいくといいわよね」
 降り続ける雪をみながらのレイチェルの台詞は、その場の全員の代弁でもあった。

「ア、アンジュ?」
「ごめんなさい。迷惑でしたよね」
 シュンと項垂れた栗色の髪の少女に、慌てて銅のかかった黒髪の男は首を振る。
「そ、そうではなくて、そのな、本気か?」
 優しく内気で何時も二人の姉の後ろに隠れているような印象があるが、責任感の強い、しっかりした少女であることを知ってはいるのだが、どうにも突然の告白に狼狽えまくった男が言うと、少女は泣きそうな瞳を向けて呟くように訴えた。
「そんな言い方、酷いです。確かに私、ヴィクトールさんに比べたら子供ですけど」
 大きな瞳から大きな涙が一粒零れる。

「本当に好きじゃなくちゃ、言いません」

 クスンと少女は肩を震わせる。
「ス、スマン。いや、その、俺はこの通りお前よりもずっと年上で、まさかそんなにまで想ってもらえているとは、思わなくてな、それで、その」
「ヴィクトールさん?」
 不思議そうに自分を見上げるとても小さな少女の頬を、自分の手で包み込む。

「つまり、お前も同じことを想っていてくれて、嬉しいんだ」

 静かに振り出した雪に気がつき、二人は帰り道を急ぐ。

「寒いな」
「私は、あったかいですよ」

 二人の手が繋がっていたのは、言うまでもないことである。


END