Triple Sisters〜ANZU〜

Triple Sisters〜ANZU〜


 長女《アンズ》は勝ち気な女の子

「ちゃんと鍵持った?この間みたいな真似は止めてね」
 鍵をかけながら、栗色の髪に橙のリボンを結んだ少女《アンズ》が言うと、肩に鞄をかけた瑠璃色の髪の青年《セイラン》が応える。
「はいはい」
「まったく、鍵がないなら誰かに言えばよかっただろうに」
 苦笑しながら言うのは銅のかかった黒髪の男《ヴィクトール》である。
「面倒だったんですよ」
 つい先日のこと、全員で出て行く時に鍵をかけるのがアンズである為、大学が早く終わったセイランが鍵を持っていくのを忘れたという事件があったのだが、
「あれには驚きましたよね」
「心臓に悪かったわ」
「私もびっくりしちゃった」
「迷惑以外の何物でもなかったわ」
 それだけならともかく、鍵を忘れて家に入れないのなら、誰かに借りるか何処か店にでも行って時間を潰せばいいだろうに、何を思ったのか玄関先で青年は寝ていたのである。二月、風邪を引くには十分な理由であるから、墨色の髪の少年《ティムカ》や栗色の髪に向日葵色のリボンを結んだ少女《アンジェ》、同じように栗色の髪にクリーム色のリボンを結んだ少女《アンジュ》の台詞に続いて、アンジェとアンジュの三つ子の姉であるアンズが怒ったように言うのも仕方なかろう。
「看病するこっちの身にもなってよね」
「はいはい」
「返事は一度で十分よっ」
 思いっきり風邪を引き込んだセイランの為、アンズは学校を休むまでして看病したのである。気のない返答をされれば、怒るのも当然だ。
「相変わらずねぇ」
 舌戦を繰り広げている二人を見て、何時もの時間に何時ものようにやって来た金髪の少女《レイチェル》が言う。
「あ、おはよう」
「おはよう、レイチェル」
「オッハヨ。あっちは置いといて、行きましょ」
「そうだな」
「先に行きますから、遅刻しないで下さいね」
 あくまで本気の喧嘩ならば止めるだろうが、しょせん喧嘩と言っても口喧嘩である。それも、この二人にとっては一種のコミュニケーションであることを心得ている一同が止める筈がない。
「ちょっと、待ってよ」
 角を曲がろうとしたところでそれに気がついたアンズが慌てて追いかける。
「また置いてきぼりかい?」
 そんなことを言いながら、セイランも続く。

 これが、当たり前の風景。

 そして

「何?」
 洗濯物も干し終わって家事も一段落ついたところへの言葉に、彼女は驚いた瞳で年下の少年を見た。
「あれ?アンズお姉ちゃんは知らなかったの?」
「てっきり知ってるものだと思ってたわ」
 可愛がっている妹達の声にも耳に届いてはいない様子で、彼女は無言のまま少年を促す。
「ですから、セイランさんがいなくなっちゃうんですよ」
「どうして?」
「海外留学の話がきてるんだよね」
「うん。私もそう聞いた」
 極当たり前のことのように言葉を操る妹に対し、勝ち気な面が失せた少女が青ざめて見える表情で、ポツリと呟く。
「・・・・・私は、聞いてないわ」

 変化の兆しは、彼女だけを避けて通っていた。

「ただいま」
「おか、・・・・・大漁ねぇ」
 男性陣より一足先に戻っていた少女達の一人で三姉妹の元気な次女が玄関に近いドアを振り返り、呆れきった声でそう言った。
「さしあげますよ?」
「少しだけなら欲しいな。全部だと太っちゃうけど」
「義理だろうが、流石に担当の生徒からもらうと大漁だな」
 『ドサッ』という擬音をつけたくなるような大儀な様子でヴィクトールがソファに座ると、すかさず内気な末妹がお茶の入ったカップを渡す。
「はい」
「新婚さんみたいよねぇ?」
 幼馴染みは苦笑して勝ち気な長女に話を振るが、
「ほぇ?」
 ・・・・・目の焦点も合っていない・・・・・
「・・・・・」
 そんな少女を『何やってんだか』というような醒めた流し目でセイランは見ると、鞄が閉めれなくなる程の量のチョコレートを、鞄を逆さにして出すというぞんざいな扱いをした。

「・・・・・」
 延々睨むことたっぷり五分 二人の妹がぐっすりと眠っているのを確認したうえで部屋を出て来たアンズは、難しい顔でそのドアを睨みつける。何時もなら妹達同様とっくに寝ているところを、どうしても無視出来ずにここまで来たのだが・・・・・
「やっぱり寝よ」
 ぽつりとため息と共に呟いて、彼女は手に持っていたそれを丁寧にドアの前に置くと踵を返したところで、固まった。
「人の部屋の前で何してるの?」
 シャワーを浴びたばかりと見える青年は、濡れたように艶めいた群青の瞳に映る二つ年下の少女の強ばった顔を面白そうに見つめて続ける。
「何でいるわけよぉ!?」
「見て分からないのかい?シャワーを使った帰りだよ」
 今は夜中と呼ばれる時間である。少女はそれが分かっていたからこそ、否、本当はその時間になるのを待ったうえで、ここに来たのだ。この時間なら、青年も寝ているだろうと予想して。なのに、『こんな時間にシャワーを使うだなんて反則だ』とか、妙なことを彼女は考える。
「・・・・・僕に会いに来たわけ?」
「ち、違うわよっ」
 真っ赤な、誰がどう見ても『図星を指されました』という顔で叫ぶ少女に、彼は小さく笑って近づき、足元のそれを手に取る。
「悪い気はしないね」
 深い青は彼女の好きな色  その色の包装紙とリボンのかけられたそれを軽く指先で弾いて、彼は悪戯に片目を瞑ってみせた。
「そ、そう」
 動揺の抜けきらない少女はそう言って青年の横を通り過ぎようとしざまに、子猫のように青年に持ち上げられた。
「ちょっと、何!?」
「夜中に騒ぐもんじゃないよ」
 バタバタと暴れる少女を軽くいなして彼は自室に入る。
「降ろしてよっ」
「はいはい」
 暴れまくる少女をご希望通りに降ろしてやると、途端に彼女は廊下に出ようとする。
「プレゼントが何処へ行くっていうのさ」
 クスクスと笑いながら、彼は片腕で少女の動きを制する。
「ぷれぜんと!?」
 意味が分からず少女は首を傾げる。
「これは今日のバレンタインの分だろう?」
 青いリボンを外して、それを閃かせる白く繊細な指の青年は、無造作に受け止める腕を動かして少女をベッドに放り投げる。
「きゃっ」
 短い悲鳴を漏らして彼女はベッドの上に身を起こす。
 『カシャン』
 鍵をかけて彼は振り返る。
「何、言ってるのよ?」
 無理に冷静であろうとして、強ばった顔を青ざめさせた少女は近づく瑠璃の青年に問いかける。
「リボン、かかってるじゃないか」
 低い笑いが床で四散する。
 そっとパジャマに飾りとしてついているリボンを長い指が弾く。
「昨日が何の日だったかくらい、知ってるだろう?」
「・・・・・」
 プイッと視線を逸らす仕草が、答え。
「知っていて、何もしてくれなかったわけだ?」
「ちゃんとケーキ焼いてあげたでしょ」
「三姉妹合同でね」
「何で私が個人的にセイランの誕生日を祝ってあげなきゃいけないのよ」
 そう、女の子からの告白イベント第一位にあげられるバレンタインの前日が、彼セイランの誕生日なのである。
 クイッとそっぽを向いている少女のあごに指を当て、自分の方へと見上げさせる。
「君は僕が好きだろう?」
「自惚れが過ぎない?」
「本当のことだろ」
「違うに決まってるじゃない」
「じゃ、あのチョコレートは?」
「義理」
 冷たい群青の瞳と勝ち気な青翠の瞳がぶつかる。
「まったく、素直じゃないね」
「貴方程じゃないわよ」
 間髪入れずにの言葉に、彼は薄く微笑む。
「ホント、素直じゃないね。そういうの、嫌いじゃないけど」
 白い頬に瑠璃色の髪が散る。

「いや、好きなんだけど、ね」

 唇が解放される。
「相変わらず慣れてないんだ」
「慣れてるそっちが変なんでしょう!?いったい何人の人と付き合ったわけ?」
「秘密にしておこう」
「その人達のところに行けばいいじゃない!?」
「だから、僕が欲しいのは、このプレゼントなんだよ」
 妖しくベッドサイドのライトが薄らぼんやりと二人の影を壁に映す中、彼は押さえつけた少女の首筋にきつく口づける。
「ぁん」
 思わず少女が反応する。
 その反応に青年の瞳が細められ、愛し気に首筋から胸元へと唇を流す。
「イヤ」
 弱く少女の腕が青年の身体を押しのけようと動くが、易々と押えられる。
「僕が嫌いなら、その理由を言えばいい。それに納得出来たら離してあげるよ」
 泣き出しそうな目元に口づけて、彼は余裕の態度で言い放つ。
「・・・・・」
「言えないの?それとも、理由がないの?」
 からかう声音に、キスに濡れた唇が引き結ばれる。
「・・・・・に」
 幾つめかの薔薇を咲かせていた青年の耳に、その声は滑り込んだ。
「置いて行くくせにっ」
 ポロポロと幾つも涙を零しながら、彼女は続ける。
「忘れてみせるわよ、すぐに。こんなことされたって、貴方がいなかったら、すぐに忘れてみせるわ」
「・・・・・」
 胸に刺さる言葉を止めさせようと近づけた唇が、震えて言葉を紡ぐ彼女のそれに触れる一瞬前に、彼女は掠れた声で言った。

「・・・・・置いて行くのなら、こんなことしないで・・・・・」

 軽く触れるだけのキスをして、彼は泣いている少女に囁きかける。
「君が僕を忘れても、僕は君を忘れられない」
 そぉっと、額に唇が掠める。
「・・・・・知ってた?ここに来てから、僕は自分の誕生日が好きになれたんだよ」
「?」
「君が知らないうちに置いてくれたプレゼントを開くのが、楽しみだったんだ」
「・・・・・」
「その次の日にもらうチョコも、本当は内心期待してた。何時も外れてたけど」
 苦笑しながら彼は栗色の髪に唇を埋める。
「それでも、毎年期待していたんだ。君が僕だけに別にくれるのをね」
 抱き締める腕が自分の想像以上に堅くて強いと、今になって気がついた。
「セイラン」
「だから、昨日は一日中待っていた。君がプレゼントを持って来るのを。・・・・・来て、くれなかったけど」
「あ」
 正確には、今日持って来たのが昨日のセイランの誕生日の為に購入したそれなのだが、彼がいなくなるということにばかり気が向いて、持って行くのが苦しくて、持って行けなかったのだ。
「ねぇ、もらってはいけないのかい?」
 何を指しているのか察して、ピクリと背筋が震える。
「君からじゃなければ、僕には意味がない」
 確かに、彼女以外から幾つももらった、たくさんの女性達から。だが、自分を慕っているという女性からもらっても、それに価値は見いだせない。
「僕には何の、意味もないんだ」
 小刻みに震える肩を宥めるように触れる指に、彼女は目を伏せる。

「好き」

 何時もよりも早い時間に目の覚めた少女は傍らにいる人をしばらく見つめて、涙を堪えるように上向いてきつく目を閉じた。
「やっぱり忘れられない」
 呟きを落とし、彼女は瑠璃の絹糸の散る白い横顔に口づける。
「・・・・・」
 痛む身体を叱咤して彼女は鍵を外してドアを開け、振り返らずに廊下に出た。
「・・・・・忘れられる筈、なかったんだよね」
 涙を拭いながらの言葉は、指し込む朝日に溶けた。

「・・・・・・・れない」
 切ない声と頬に触れる暖かさに気がついて、彼は心地良い疲れで重たいまぶたをゆっくりと開く。
 『パタン』
 軽い音を立てて廊下とこちら側とに、自分と彼女を分けるようにドアが閉まるのを見届け、
「・・・・・怒るかな?」
 ポツリと彼はそんな言葉を紡いだ。
「完全に・・・してたみたいだし」
 『まぁ、いいか』と、彼は続けて再び目を閉じた。
 もうしばらくだけ微睡み、その中で愛しい少女が微笑んでくれることを願いながら。

 カフェインの香りの漂う居間に、
「なんですって?」
 低く、何時もは妹達同様澄んだ声が、床を這うように低く響いた。
「もう一度さっきの台詞を言って下さいませんか?」
「あ、いや、その、ただセイランが例の留学の話を蹴ったらしいって聞いたから、確かめようとしただけなんだが」
 一気に雲行きの怪しくなっていく勝ち気な少女の姿に、流石のヴィクトールもビクビクしながら答えると、怒声が響き渡った。

「騙したわねぇ!?」

「何も言ってないよ、僕は」

 のほほんと怒声を受けた当人が受け流し、

「ッッッ!!」

 台風来襲、である。

「すっごく怒ってるみたい」
「勘弁して欲しいわ」
「逃げるか?」
「そうしましょう」
 怒声の響く居間から、とっとと廊下に退散した同居人達はコソコソとそんなことを言うと、外に出て行く為の準備をして何故か静かになっている居間に向かってそれぞれ叫ぶ。
「アンズお姉ちゃん、いってきまぁす」
「いってくるからな」
「いってきます」
「ついでにお昼も食べてくるからちょっと遅くなるね」

「ま、待ってよ、私もっ」
 『行くから行かないで』という切実な言葉は突然途切れる。
「大分遅くてもいいからね」
「・・・・・ッ!!」
 涼しく響く声に反論する言葉は、青年の白く細い指に押し止められる。
 『パタン』
 響く音にザァッと青ざめた少女は、すっかり青年に押し倒されている格好である。
「セイラン、どいてよ」
 勝ち気に柳眉をつり上げて、彼女はそう言った。
「せっかく二人になれたのに、それはないだろう?」
 上位者の余裕を見せて言う青年の言葉に、当然のように少女は怒り出す。
「ふざけないでよっ」
 相変わらずの勝ち気さで盛大に怒る少女を、愛し気な眼差しで見つめる彼は、少し首を傾げる。
「ふざけているだけだと、思う?」
「・・・・・」
 二人の妹よりは多少相手の心情を読み取れる性格をしている少女は、彼が自分をからかう目的の為だけにしているわけではないことが分かってしまって、言うべき言葉が見つからない。
 言葉に詰まって泣きそうな顔になってしまっている少女の額に軽く唇を当てる。

「好きだよ、アンズ」

 目元や頬に触れる優しいキスに、真っ赤になって少女は顔を背ける。
「バ、馬鹿」
 精一杯の強がりに、彼はクスクスと笑う。
「その馬鹿のこと、好きだろう?」
「自惚れないでよ」
「『忘れられない』んじゃなかったの?」
「・・・・・起きてたのっ!?」
「起きたところだったんだよ」
「・・・・・一人で起きれるのなら、自力で起きてよ」
 毎朝毎朝彼を起こすのが彼女の朝の仕事で、手のかかるこの青年を起こすその為に、彼女は朝の食事の準備を妹達にまかせっきりというじたいにまでなっているのだ。ジトォッとした目で睨むのも仕方ないだろう。
「せっかく君が僕の部屋に来てくれるのに、どうしてわざわざ自分で起きないといけないんだい?」
「私の苦労を考えて」
 目眩を覚えて彼女は目を伏せる。
「どうかしたの?・・・・・眠い?」
「ちょっと。誰かさんが寝かせてくれなかったし」
「そう」

 昨夜の分の睡眠を取ろうとでもいうのか、決して広いとは言い難いソファーの下に敷かれたふわふわとした毛の長いカーペットに重なるように横になった二人は、暖かくなり始めた太陽の光を浴びながら目を伏せる。指先を約束するように絡めて。

「勝手に何処かに行ったら、許さないんだからね」
「分かってるよ」

 そして続いたのは、二人分の安らかな寝息だった。


END