アネモネ


 アネモネ−花言葉は『恋の苦しみ』

「はぁ・・・」
 王立研究院の隣にひっそりと佇んでいる、赤いテント。
 その中でテントの主は水晶球を見つめ、深いため息をついていた。
 腰まである赤い髪はきっちりと二つの三つ編みで束ねられ、ゆらゆらと揺れている。ぱっちりとした大きな目、線の細い体。両肩に浮かぶ刺青と、耳の辺りにあるエラが、この人物が異種族であることを教えている。
「どうしよう・・・」
 呟く声も、外見的にも少女と間違われる程可愛いものだが、れっきとした少年である。
「アンジェリーク」
 ポツリ、と呟いた名前の響きは切なさで溢れていて、小さな占い師の想いを容易に伝えている。
 再びため息をついた占い師は、水晶球を乗せた机に顔を伏せた。

 新しい宇宙の女王を決める試験。
 二人の選ばれた女王候補。
 その内の一人、栗色のサラサラした髪と優しく微笑む鮮やかなサファイアの瞳、柔らかで優しい雰囲気の少女は小さな占い師のところによく訪れていた。
「あれ、アンジェリーク、今日も来たんだね。えへっ、嬉しいな」
 満面の笑顔で迎える小さな火龍族に、少女も柔らかな笑みで答える。
「こんにちは、メルさん。占いとおまじないをお願いできますか?」
「うん、いいよ。まず、占い?」
 頷く少女に応え、占い師の手が水晶球の上にかざされる。
 そうして出た結果に、少女の顔が曇った。
「ど、どうしたの?何か、悪いことでもあった?」
 慌てる相手に少女はかぶりを振る。
「ごめんなさい、心配掛けて。違うんです、皆様方、どうして、こんなに・・・」
 はぁっ、とため息をついた少女は、あまり仲が良くないと言われる者達のおまじないを依頼した。
「・・・そういえば、アンジェリークって、自分のおまじないはした事ないよね?」
「え?あ、そうですね」
 指摘された事に少女は頬に手を当て、首を傾げる。
「なんていうか・・・私の性格なんでしょうね。私の周りで喧嘩をしているのを見るのって、辛いですもの」
「優しいんだね、アンジェリークって」
「そうでしょうか?」
「うん。頑張ってね、メル、応援するよ」
「有り難うございます」
 出会った頃は良かった。少女の優しい雰囲気に惹かれ、占いの後でもしばらく話していた。日の曜日にたまたま、少女がテントの中を覗いてからは日の曜日にも話をするようになって。
 知らない土地で一人でいた寂しさが、少女と話している事で癒されていた。
 知らない土地、たった一人、そして、異種族。
 様々な要因が絡み、萎縮していた小さな占い師の心を優しく包み、癒してくれたのが少女だったのだ。
 自分を自分として見てくれて、認めてくれる存在に惹かれる心を止める事は出来ず、今では。
 ・・・好きで、とても好きで、どうしようもなく好きで、こんなに好きになったのは初めてで。
「・・・胸が、痛いよ・・・」
 どんなに腕の良い占い師でも、自分の事だけは占えない。どうしても、雑念が入ってしまうからだ。
 だから、少女が自分の事をどう思っているのかも、分からない。
 あの優しい瞳がどこに向けられているのかも・・・分からない。
 そして、机の上の水晶球も、語らない。

 見たくないものを、見てしまった。
 たまたま、森の湖へ散歩に行った時の事。
 自分が想いを寄せる少女と、光の守護聖が親し気に話をしているのを目撃した小さな占い師は心臓を鷲掴みにされたような感覚に陥った。
 別段、珍しい光景でもない。彼女とて女王候補、他の守護聖や教官達とも話をすることもあるだろう。
 だが、その事実を幸か不幸か、今まで実際に見た事はなかったのだ。
 こんなに・・・こんなに、胸が苦しくなるなんて。
 少女の優しい笑顔が他人に向けられているのを見るだけで、こんなに苦しいだなんて思ってもみなかった。その場を逃げ出すように去った占い師の言葉が、風に散らされる。
「苦しいよ・・・痛いよ・・・アンジェリーク・・・」

 はぁっ。
 本日、何度目のため息だろうか。水晶球の乗せた机に肘をつき、小さな占い師は切ないため息をつく。
「・・・メル、さん?」
 優しい、柔らかな声がテント内に響いた。
「アンジェリーク?」
「はい」
 にっこりと笑ってテントの中に入って来たのは、小柄な少女。今の今まで、占い師の頭の中を占めていた少女だ。
「今日は日の曜日だけど・・・ひょっとして、メルに会いに来てくれたの?」
 そうだといいな、と思った占い師の言葉に、少女は微笑んで頷いた。とたんに、今までの胸の痛みが消えていく。
「わぁ、嬉しいな」
 満面の笑顔で喜ぶ占い師の姿に、少女の笑顔も深まる。
「ね、いいお天気だし、メルと森の湖に行かない?」
 先日の胸の痛んだ光景が脳裏を横切ったが、どうしても行きたかった。
「喜んで」
 少女の間髪入れない返答が、とても、嬉しかった。

「メルさーん、ほら、ここ、可愛いお花が咲いているんです」
 可愛い声で占い師を呼んだ少女は、木の陰になっている場所に咲いている小さな花を指差した。
「あ、ホントだ。よく、見つけたね」
「うふふ。メルさんが喜ぶかなって、この間見つけた時、思ったんです。喜んでもらえて、よかった」
 嬉しそうに、幸せそうに、少女は笑う。優しく、可憐に少女は笑う。
 その笑顔を見た小さな占い師の胸がキュッと締め付けられる。
「この花、アンジェリークに似ているね」
 知らずに、言葉が零れた。
「え?そうですか?」
「うん。可愛くて、可憐で。アンジェリークの笑顔みたい」
 素直な褒め言葉に、少女の頬がうっすらとピンクに染まる。ふと、その頬に触れてみたいと思った。
 手を伸ばして、触れてみる。
「メ、メルさん?」
 とまどう少女の頬は滑らかで、口づけてみたい欲求が高まる。
「!」
 ちょん、と頬に触れただけのキス。けれど、少女の顔はたちまち真っ赤に染まっていった。
「あの、あの、メルさん」
「好き」
 自然に、気持ちが口から零れた。
「ずっと、ずっと、好きだったの。アンジェリークだけだったの、メルをメルとして見てくれたのは。他の人達は、どうしても、メルを異種族としか見てくれなくて・・・すごく、寂しかった。アンジェリークがね、『メルさんはメルさんで、他の誰でもない』って言ってくれた時、本当に嬉しかった」
 驚いていた少女の顔が優しく綻び、小さな占い師の首に腕を回して抱き着く。
「アンジェリーク?」
「メルさん、私も好きです」
「本当?」
「はい」
 ふわりと柔らかに少女は微笑む。
「メルさんの側にいると、ホッとするんです。他の方々と一緒にいても、皆様方は女王候補としか見てくださらないから・・・メルさんは、そうじゃないでしょう?いつも『頑張れ』って励ましてくれるけど、私自身を応援してくれていたでしょう?あれで、私はいつも頑張れたんです」
 微笑みながら話す少女の言葉に占い師は驚く。自分の、ちっぽけな言葉が少女の支えになっていただなんて。
「アンジェリーク、大好き。ずっと、ずっと、一緒だね」
 微笑んで頷く少女に、小さな占い師の笑顔も輝く。

 初めて、恋をした。
 苦しくて、苦しくて、仕方がなくても、惹かれる気持ちはどうしようもなくて。
 だから、気持ちが通じた時は、とても嬉しくて、幸せで。
 ずっと、続けたい、この幸せ。
 ずっと、守っていきたい、少女の笑顔。
 恋に苦しんだからこそ、強く思うこと。

「アンジェリーク、ずっと、この幸せを続けようね」

END