ミモザ


 ミモザ−花言葉は「感じやすい心」

 黄色い、小さな花が揺れる。
 風が吹く度、枝が揺れ、黄色の花びらが黄色の雨となって降り注ぐ。
 満開の黄色い花をつけている木の下に立ち、一人の少女が飽く事なく木を見つめていた。

 風が吹く
 枝が揺れる
 花びらが降る

 いつから立っていたのだろう。少女の栗色の頭にも、華奢な肩にも花びらが降り積もっている。
「アンジェリーク!」
 少年とも少女とも聞き分けのしにくい、可愛い声が少女の名を呼んだ。
「メルさん?」
 声の聞こえた方向に視線を向けると、女王試験に協力している小さな占い師が少女に向かって走ってくるところだった。
「うっわぁ、すっごい偶然!メルね、ちょっとお散歩に出てきたんだけど・・・アンジェリークに会えて、嬉しいな」
 ニコニコと満面の笑みで話していた小さな占い師はふと、少女の顔を見つめ、そっと手を伸ばしてその頬に触れてくる。
「アンジェリーク・・・どうしたの?元気、ないよ?何か・・・あったの?メルで力になれるのなら、力になるから、話してみて?」
 純粋に自分を心配する声。優しい、暖かな心に触れて、少女の心に嵌めていた枷が緩みだす。
 だが。
 甘えてはいけないという自分自身への戒めが、少女の瞳を揺らすだけで心の解放にまでは至らない。
 敏感にその心の動きと揺れを感じ取った占い師は更に、言葉を紡ぐ。
「今のアンジェリーク、心に押し潰されそう。それじゃ、アンジェリークもアンジェリークの心も可哀想。メル、一生懸命聞くから、話してよ」
 こんなに一生懸命なのは、少女の事が好きだから。少女がいつも見せる笑顔はいつも、この小さな占い師をホッとさせ、優しく包み込むような労る心は占い師の孤独を癒していた。
 いつも側にいたい。そう思っている事に気づき、自分がこの優しい少女を特別に想っている事にも気づいた。
 だから、思う。少女にいつも笑顔でいてほしいと。
 その為には、自分の出来得る限りの事をしようと思う。
「メルね、サラお姉ちゃんみたいに人の相談にのれることはできないけど、慰める事ぐらいなら、できるよ。ね、だから、話してみて。・・・それとも、メルじゃ、頼りにならない?」
 少し泣きそうになりながらも、一生懸命な小さな占い師の姿に、ほんのりと少女の口元に笑みが浮かぶ。
「ありがとう、メルさん。メルさんが頼りにならないなんて、そんなこと、ないです。ただ、甘えちゃいけないって思って。だって私、一応女王候補なのですもの。人に頼っちゃいけないと思うんです」
 ふんわり、柔らかに微笑んだ少女だが、ふいに、その瞳から涙が零れ落ちた。
「でも・・・メルさんの姿をみたら、気が緩んじゃったみたいです。・・・ごめんなさい、涙が・・・止まらない・・・」
 ポロポロと泣き出した少女に小さな占い師は驚いたが、感心な事にあまりうろたえる事なく、少女の手を引いて黄色い花の咲いている木の根本に並んで座った。そして、隣にいる少女の頭を抱き寄せ、髪を撫ではじめる。
「メルもね、涙が止まらない時、こうしてもらったらすごく落ち着いたの。・・・人の体温って、すごく暖かくて落ち着くよね。だからかな?メル、こうして抱き締めたり抱き締められたりするの、とても好き」
 純粋に、ただ純粋に少女の事だけを思って紡がれる言葉はとても優しくて、ホッとする。その暖かさに浸って眠ってしまいそうになる。
「アンジェリーク、こういうのって甘えじゃないと、メルは思うよ。アンジェリークがいつも一生懸命なのは、皆も知っているよ。でも、一人で頑張るのって辛いと思う。メルもそうだもの。一人は寂しいもの。側に人がいるだけで、それだけでいいから、そうしたら、頑張れるよ。アンジェリークも、そうしたっていいんだよ」
 たとえ幼くとも、やはり占い師。様々な人の心に触れ、助言を与えるその経験と、小さな占い師が持っている天性の純粋に人を心配する暖かな心が、少女の心をふんわりと包んでいく。
「・・・大事な、とても大事な人が天に還ったんです」
 ふと、少女は呟いた。涙は止まっていたが、まだ占い師に抱き締められたままだ。確かに、人の体温は心を落ち着かせるものがあるらしい。
「アンジェリークの、大事な人?」
「とても大好きな従姉妹だったんです。泣き虫で、引込み思案だった私をいつも、慰めてくれていた、優しい従姉妹」
 ぽつ、ぽつ、と少女は心のうちを話し出す。
「私と同じ年だけど、とても病弱で、ベッドからなかなか出る事ができない人でした。でも、心はとても強い、いつも前を真っ直ぐに見ていて。頭が良くて、物知りで、自分というものを、自分の考えをしっかりと持っていて。私が女王候補に選ばれて、悩んでいた時も、従姉妹に背中を押してもらったんです。『自分の出来る限りの事をしてきなさい』って。『あなたはあなたらしく、頑張ればいいのよ』って」
 抱き着いていた小さな占い師の胸から少女は顔を上げ、頭上に広がる黄色い雲のような花を見上げた。
「ミモザは、従姉妹の好きな花なんです」
「うん、綺麗で、優しい花だよね。メルも好き」
「・・・よく、従姉妹に言われましたっけ。『あなたって、ミモザみたいな子ね』って。『ミモザの花言葉って感じやすい心、なのよ。本当にあなたみたい』って」
 木を見上げる少女につられ、小さな占い師も頭上を見上げる。
 風が吹き、花びらが散る様子をただ見つめる。
「ありがとう、メルさん。メルさんに話したら、心が軽くなりました」
「本当?メルも、役にたった?」
 小さな占い師の問いに、少女はにっこりと微笑んだ。小さな占い師の大好きな、優しい笑顔。だが、その頬には涙の跡があり、それがいつもの優しい笑顔に僅かな悲しみを残している。
「じゃあね、もう一つ、元気のでるおまじない」
 え?と首を傾げる少女の頬、涙の跡に口付ける。
 たちまち、少女は真っ赤になった。
「メルさん!?」
「・・・嫌?」
 悲しそうに見つめられては、何も言えない。この占い師だって、ミモザのように感じやすい心を持っているのだ。
「いえ、あの・・・ちょっと、びっくりしただけで」
 途端に、嬉しそうに笑った小さな占い師は少女の頬に、目元に口付ける。
 純粋に慰めようとしている心が伝わり、少女も大人しく目を閉じる。
 真っ直ぐに、少女の事だけを思って慰める小さな占い師の心は少女をホッとさせ、安らげるものだった。
 この小さな占い師の側にいる時は、肩の力を抜いて自然体でいられた。その自分の心がどういうものか、少女は自覚している。
「好き」
 ふいに聞こえた言葉に驚いて、少女は閉じていた目を開けた。自分の心を知らず、呟いてしまったのかと思って。
「メル、アンジェリークが好き。誰よりも、好き」
 小さな占い師の両手に頬を挟まれ、瞳を覗き込まれ、少女は悟った。相手も、自分と同じ気持ちでいることを。
「アンシェリークがこの試験を一生懸命頑張ってやっている事は知っているけど、でも、今日みたいに一人で泣いているのを見るの、メルは嫌なの。一人で寂しく泣いているのを見るの、嫌なの。ね、メルが側にいるから。側にいてあげるから、一人でいないで」
 たまらず、少女は小さな占い師の腕にしがみついた。嬉しくて、嬉しくて、泣きそうになりながら。
「アンジェリーク?」
「嬉しいです、メルさん。すごく、嬉しい。・・・私も、メルさんの事、好きだから。ずっと、ずっと、好きだったから」
 少女の言葉に、満開の笑顔が咲く。
「じゃあ、ずっと一緒にいてくれるんだね?」
 小さな占い師の言葉に、柔らかな微笑みが広がる。
「ずっと、一緒にいて下さい」

 満開の花の下で、初めての口付けを交わす。
 触れるだけだけど、恋人として、初めての。
 とても、甘いキスを。

END