星降る夜の四阿にて
星降る夜の恋人達 優しい吐息が夜空に駆け登る。 「あ」 艶めいた声が離れたばかりの唇から漏れ、身を震わせ、半ば無意識に逃げようとする身体を戒めの腕が縛り付ける。 「ふぁ、あん」 のけ反って逃げる唇が塞がれる。 戒める腕とは反対に、自由な腕の手が胸元に触れる。 「やぁ、ん・・・・・ゃん!ヤだ!」 白い手が黒い腕を押しのける。 「止めて下さい」 肩が露出しかけたブラウスの前を押さえて、涙に潤んだ瞳が足元に下げられる。か細い声と小刻みに震える肩が華奢な少女を更に小さく見せ、羞恥と拒絶故に嫌われるのではないかとの危惧がその感を強める。 俯いている少女を腕の中に閉じ込めている青年は、甘い線を描く少女の頬に手を当て金色の髪をかき分け、こめかみの辺りに唇を掠めさせる。 「まだ、無理強いをする気はない」 囁かれた声に少女は恐る恐る視線を上げると、問いかける。 「・・・・・男の方って、そういうこと、したいんですか?」 「『違う』と言えば、嘘だろうな」 紫水晶にも似た瞳に煌く、光 瞳の輝きで少女の全身全霊呪縛をし、青年の冷たい白の指があごに移る。長い指がきつく力を込めて少女の唇を開けさせた。 冷たい唇なのに、熱いキス 「出来ることなら、これ以上のことを教えてやりたいな。今すぐにでも」 「っ!」 素直な反応に、喉の奥で彼は笑う 「だが、まだ嫌なのだろう?無理強いをして嫌われるなど愚の骨頂だ」 光の加減によっては彫像と見紛うような整った顔立ちの青年は、妙に『きっぱり』と言い切った。 「心の傷は、それがどれだけの大きさであろうと長き間血を流し続ける。お前に、そんなモノを与えるつもりはない」 春日のような少女は、気遣わし気な視線を上げる。背の高い青年と小柄な少女とでは、少女を青年が膝の上に抱き上げても、せいぜいふわふわとした髪が青年のあごの辺りに届く程度なのだ。当然、その顔を見ようと思えば見上げざるを得ない。 「人の何倍もの時を越えても、私の受けた傷は治らなかった。お前が無遠慮なまでの率直さで私に接するまでは、な」 「私、そんなに無遠慮でしたか?」 不服そうに唇を尖らせると、『愛しくてたまらない』とでも言いた気な笑みを口元に刻んだ青年が掠めるような口づけをする。 「最初はえらく鬱陶しかったな。『誰も私に近づくな』と、そう思っていたからな」 自嘲の笑みは哀しくて、少女は華奢な身体を押し付けるように青年にもたれかかる。唇をほとんど動かさずに呟くのは彼の名前。 「永遠に凍りついたままかと思っていた感情を、揺り動かしたのがお前だった。全てを包み込むような空気と本質を見抜こうとする翠の瞳が、闇の中にいた私に光を見ることを教えてくれた。・・・・・お前が、教えてくれた・・・・・」 一房金色の髪をすくうと、神聖な物にするような恭しさで唇を当てる。 「お前が教えてくれなければ、私の心は凍えたままだったろう。考えたくもないことだが、お前が私の存在を受け入れてくれなかった時も、な」 微睡むような幸福感に浸っていた少女は、淑やかな笑みを浮かべる。 「考える必要なんてないではないですか?私はこうして、ここにいるのですから」 「そうだな」 そして、二人交わす幸せな笑みと口づけ 「何時までもつかは分からないが、もうしばらくは『神』であることにしよう」 「?」 「自制心が途切れるまでは、無理強いはしないということだ」 「・・・・・怖い考えなのですが、自制心が途切れた時は?」 引きつった顔で見上げてくる少女に、思いっきりマジな声で言った。 「それは勿論今まで以上のことを教える」 『きっぱり』と言い切る顔は、マジ、である。 「この身に宿る闇のサクリアをもって誰にも破ることの出来ない結界を張り、その中に閉じ込めて逃がさない。私以外の誰をもその翠の瞳が映すことなどないようにするだろう。・・・・・心と身体は切り離すことが出来ないモノなのだから、心以外も愛して」 赤い唇に黒い髪が流れ落ちて、互いにその色を深め合う。 「私から離れられないように、全てを、な・・・・・」 『サァッ』と青ざめていく少女は震える唇を引き結び、努めて平静な声で問う。 「簡単にキレたりしませんよね?」 「男に何時までも自制心があると思うな」 「っ!!」 思わず逃げようとする少女を抱きとめる青年の喉が震える。笑っているらしい。 「離して下さい、実家に帰ります」 「聖地の門は閉まっているぞ」 「それでも帰るんですぅ」 『じたばたじたばた・・・・・』 延々と暴れる少女の姿に笑いを止めることの出来ない青年は羽交い締めするように抱き締める。 「大丈夫だから、そんなに暴れるな」 「信用を地に落とすようなこと、言ったのは何方ですか・・・・・」 ジト目で睨みつける少女は青年にとってたいへん可愛らしくて、自制心が可成擦り減ってしまうが、何とか理性を総動員してことなきを得る。 「そうだな、お前が十八になるまでは大丈夫だ」 「本当ですか?」 ・・・・・信用がない・・・・・ 「フゥ・・・・・大概の者はある程度の区切りがあった方が約束を守るものだ」 「信用して良いんですよね?」 「安請け合いは出来ないんだがな」 肩を竦める仕草をする青年をあごを反らせた体勢で見上げる。 「お約束ですからね」 『にこぉっ』と笑う少女は凶悪な程愛らしい。 『ちゃんともつと良いが・・・・・』 思わず内心で呟く青年であった(笑)。 「先代の守護聖様は、どんな方でしたか?」 「何?」 「私の知らない『昔を知りたい』と言っても『今と変わらない』としか答えて下さらないでしょう?でも、間接的にでも知りたいんです」 『教えて下さい』と、眠そうな目で少女は言った。服越しに聞こえる恋人の心臓の鼓動に包まれて、眠りの園に招かれている。 「以前お前は私のことを『闇を体現している』と言っていたが、ならば先代は『夜を体現していた』な」 しばらく共に過ごした先代は、夜色の髪と月の淡い銀と星の鮮やかな青という変わった瞳の女性めいた美貌の男だった。故郷の服なのだと言って、風変わりな『直衣』だしかいう物を仕立て直した服を何時も着ていた。 「私は、物心がやっとついた頃にここに連れて来られた。そうして、聖地で初めて言葉を交わしたのが先代だったが、先代のような人物を『良い人』と言うのだろうと、子供心に思ったものだ。家族と引き離されて、その原因とも言える相手だったが、彼を恨むことは出来なかったな」 遠い目をする青年を、眠くてボケボケしてきた少女は青年の腕の中で見ている。 「夜の優しい無限の包容力を体現していた先代のことは好きだった。彼の跡を継ぐということ自体には不満はなかったな」 『だが』と、言葉を一度切る。 「だが、先代から正式に跡を継いだ時に、光の守護聖に言われたな。『私はお前を認めない』と」 「何故、ですか」 「あいつは私より先に聖地に来て、先代と出会って初めて肉親の暖かな愛情を知ったからだろう。子供を愛さない親などいないが、あいつの両親は離れることが分かっていたからこそ別れの悲しみを減らそうと、ことさら強く愛情を向けることをしなかったんだろうな。だからこそ、あいつは先代に懐いていた。懐いていたから、先代を追いやった私を認めることが出来なかった、というところだろう」 『あれが私達の仲の悪さを決定づけた事柄だ』と、苦笑を浮かべる青年に、少女は泣きそうな目を向ける。 「そんな顔をするな。確かにあまり良いことではないが、それを不幸だなどとは思わない。彼の跡を継いだからこそ、私はお前に出会うことが出来た訳でもあるのだからな。少々の中傷など、物の数ではない」 「ですが、それは今だから言えるこ・・・・・」 後一歩で零れそうな涙を湛えた瞳の端に羽のような唇が触れることで、涙と言葉を封じようとする。 「泣くな。泣かれること、それが一番私には辛い」 震える唇引き結び、少女は精一杯の笑みをたたえようと努力すれど、 「泣かないでくれ」 真珠のごとき真球の、水晶のごとき透明な、如何なる代価もても購うことなき至高の宝石が零れ落ちることは止められなくて・・・・・ 零れ落ちる涙の真珠を、深紅の薔薇より赤い唇が拭う。 生まれたばかりの光の天使のような無垢な翠の瞳が、幾星霜の時を経たがごとき闇の魔王の紫の瞳が、真っ向から向き合う。 視線の呪縛に搦め取られ、天使は闇へと身を投げる。 視線の呪縛に搦め取られ、魔王は光へと身を投げる。 互いに引き寄せられ、唇を重ねる。 支えながら支えられ、重ねた唇越しに抱き合う胸越しに、求め合う自分達を自覚する。今以上に、一瞬毎に強くなる、恋という名の執着を、知る。 星が流れる 煌く足跡を残しながら・・・・・ 時という概念が弾け飛ぶ程の長い時間重ねた唇が、やっと離される。 「眠ってしまったか」 苦笑を浮かべて青年は少女を抱き直す。 安らいだ寝顔と寝息からどれ程までに青年を信頼しているかが伺えるが、信頼されている当人にしてみれば、半ば拷問である。 手出しは全く絶対駄目だなんて、これが拷問でなくしてなんであろうか? もっとも、それを選んだのは青年自身なのだから、諦めるしかないのだけれど、やっぱり辛いものは辛い。 「良い夢を、安らぎの闇がもたらさんことを」 甘い線を描く頬にキスをして、彼は闇の衣で包み込んだ恋人に囁く。何よりも甘い言葉を、彼女が眠っているからこそ言えるような、照れくさい言葉を。 「オヤスミ」 星は暁の光りに溶け消える 『やってられませんね』と呟いて、青がかった銀色の髪の粋人は背を向ける。 広大な庭園の一角、人造の自然に似せられた小川の辺を散策がてら歩道の両端に植えられた樹木の花に触れたり、朝一番の空気を吸い込んだりと、楽しんでいたのだが、何の因果で・・・・・ 「あれ?おはようございます」 「よ」 「おはようございます」 「何してんの?」 「そっちも散策か?」 「どうしたんですかぁ?顔が引きつってますけど」 「・・・・・おはようございます、・・・・・皆さん。お帰りなさい、また、朝帰りですか?」 引きつった顔で佳人は優雅に礼をして、思いっきり一部に力を込めて言葉を紡ぐ。 「ほっといてくれ」 突き刺さる冷たい視線に武人然とした青年がそっぽを向いた。 「あちらには行かない方が良いですよ」 相変わらずな態度に苦笑しながら引き返して来た道を示す青年であったが、それは逆に人ならざる者の気まぐれからか一ヵ所に集まっていた同僚達の関心を引くだけであった。 「よっしゃ、行くぞ」 「私は行きませんよ」 「つれないこと言わないのよ」 首に腕を回され、後ろ向きに歩かされながら嫌がる青年に、ほぼ同じ年の二人の青年が笑って言う。 「こっちって、四阿があるだけなんだよね」 「そうそう、風が上手い具合によく入って昼寝する時にちょうど良いんだよな」 「お前、昼間何処にもいないと思ったら、こんな辺鄙な四阿で寝てたのか」 年少の少年達が『キャワキャワ』と笑いながら先を歩いて行く。 「時折徹夜明けに訪れるのだが、水の流れる音が清らかでな」 「水の音というのはなにやら心を穏やかにしてくれますからねぇ」 年上の青年達が更にその先を歩き、ちょっとした大きさの木々に邪魔されて見えない四阿を目指していたのだが・・・・・ 「だから言いましたでしょう?さぁ、帰りますよ」 疲れたように引きずられて来た青年が、前に回ると今度は押し戻す。 「・・・・・人目なんて、全然頭にない方達ですからね」 『ぽつり』と呟く青年に、誰かが問いかけた。 「前にもあったのか?」 「以前はもっと酷かったですよ」 優美な顔に、引きつった笑いが再び張り付いている。 「朝一番の彼女と会いましてね、『これからあの方の執務室へ行く』と言うから、私もご挨拶に同行したんですけど・・・・・」 「みなまで言うな」 誰かが遮る。 「しっかし」 誰かが呟く。 「何だかなぁ・・・・・」 「あれで手を出してないんだろ?」 「嫌がるうちはその気はないそうですよぉ」 「うがぁ!それでも男か!?」 「それ、言い過ぎだよ」 「その分べたべたに甘やかしてるようだけどねぇ」 「お前もだろうが」 「基本的に全員が彼女を甘やかしていると思いますが、あの方が一番甘やかしているのも事実ですね」 そして、誰かが再び呟く。 「ほっとこ」 微かに身じろぎをして起きたばかりの少女は自分を包む漆黒衣に幸せ漂う微笑みを浮かべると、『そっ』と白い指を当てると青年の命の鼓動を聞く為に身体をすり寄せる。 「・・・・・様」 恋人の名前を敬称付きで呟くと、抱き締める腕の力が強まった。 「起きてらっしゃったんですか?」 「あぁ」 悪戯を見咎められた子供のようなばつの悪そうな目で見上げると、紫水晶のような瞳が笑っている。 「・・・・・おはようございます」 精一杯身体を伸ばして、俯きかげんの青年の頬に挨拶をする。 「フッ」 小さく笑って、青年も礼には礼をもって返す。 「ふにゃ」 子猫のような声を挙げてくすぐったいのを主張する少女に、青年は楽し気な笑いを低く漏らす。親指と人差し指で軽く細いあごを固定すると、間近で『ふわり』と彼は笑う。今は彼女だけしか知らない、柔らかで優しい笑みだ。 「ん」 そうして唇を重ね、朝の挨拶という儀式は終わるのだ。 ・・・・・全くの蛇足だが、以前佳人が見たのもこの手の現場であり、その時の彼の扱いはその辺の観葉植物並のものであった。何処までもベタベタに甘い恋人同士である。 朝露の浮かんだ葉を軽く弾いて少女は笑う。 クルクルと表情を変える少女の隣、その表情を最も見やすいだろう場所で青年が笑う。 二人、共にあるが故に。 「これからどうしますか?」 「急を要する仕事もない筈だが、何処ぞに当てはあるのか?」 言葉に、愛らしい仕草で首を傾げて少女は考え込む。 「確か菫の原がそろそろ満開の筈ですから、そこに参りましょう」 「良かろう」 霞むような薄紫の野で少女は笑って彼を呼ぶ。 「クラヴィス様」 口元に笑みを漂わせ、彼は答える。 「アンジェリーク」 子供のような触れ合うだけの恋に、二人は至極満足していた。 太陽の下の恋人達 END |