糸の先に

糸の先に


 糸の先にいるのは 金色の天使

 金色の髪の優しい煌きはあまりに愛しく、それ故に深く心を傷つける。
 心惹かれ、心奪われ、側にいて欲しいと願ったかの天使は、無邪気な天使から麗しい女神へとその身を変じ、自分を救いのない闇の中に置き去りにした。
 『私には何もない。・・・・・恋など知らない・・・・・』
 幾度心に虚ろにその言葉が木霊したことだろうか?
 如何なる者の声も届かない無明の闇に、一人でずっと膝を抱えて泣いていた・・・・・

 《恋人達の湖》 との異名を持つ閑静な《 森の湖》 に、何気なくやって来た《闇の守護聖クラヴィス》は、そこで過去の日に失った天使を見た。
 木漏れ日に柔らかな金色の光を反射する髪 樹木の緑に負けぬ翠の双眸 はちきれんばかりの元気を秘めた華奢な身体
「あ!クラヴィス様!」
 『パッ』と金色の笑顔で、下界《 大陸エリューシオン》 において『天使』と呼ばれている《女王候補アンジェリーク》 は惜しみない好意を振り撒く。元々人懐っこい性格らしく厭世的な雰囲気をまとうクラヴィスにも何の気負いもなく接する。
「一人か?」
「はい。育成帰りにちょっと寄っただけですので」
 『にこにこ・・・・・』 怯む程に真っ直ぐな視線が、彼の心に突き刺さる。

 遥かな、もう手の届かない遥かな過去  失った恋  失った天使・・・・・

 柔らかな風のなすままに金と黒が揺れる。太陽を紡いだような金と夜を紡いだような漆黒が、等しく風に流れる。
「クラヴィス様は、よくここにいらっしゃるのですか?」
「いや、今日は足の向くまま久方ぶりに外に出たのだ」
「そうですか」
「・・・・・もう、試験が終わるな」
「はい、皆様方のお陰です」
 何処となく影がさしたアンジェリークにクラヴィスは気がついたが、問いかけはソレに関してではなかった。
「女王になることに、ためらいはないか?想う者はいないのか?」
「っ!」
 唇を噛んで、アンジェリークは俯き加減に逆に問うた。
「クラヴィス様には?」
 一瞬、空白の時間が出来た。
 久しく平静だった心に波が立ち、痛むのは何故だろう?忘れた筈なのに、恋など知らないと、言い聞かせてきたのに、真っ直ぐな翠の双眸が過去を思い出させるのか?
 視線を静かな水面に逸らす。
「過去にいた。いまでも、多分・・・・・」
 肩が震えた。
「私、・・・・・叶わぬ望みですが、います」
「いるのか?」
 驚いて思わず聞き返す。瞬間に何故か痛みが増した。
「でも、叶わぬ願い。ならば、せめてその方も含めた世界を守る者になれるなら、それが私の幸せです」
 悲しみを秘めた透明な笑みに、クラヴィスは心臓が泣きたくなる程痛くなるのを感じた。
 『何故だ?』
 答えが返ることはなかった・・・・・

 大陸中央に、闇色の館が建った。夜空のごとき黒大理石を使ったその館は、《闇の守護聖》の力の賜物である。そして、それは金の髪の女王候補が女王位を継ぐことを意味していた。
 彼女と、彼の、想いを引き裂いて・・・・・

「アンジェリークがいない!?」
 突然のことに、丁度集まっていた守護聖達は唖然とした顔になる。紺色の髪の次期女王補佐官は泣きそうな顔で『こくこく』と頷いた。
「女王位はまだ受け継がれていません。新世界の力と旧世界の力の均衡がまだ取れていませんわ。ちょっとしたことで均衡が破れ、どんな危険があるか分かりませんのに」
 『オロオロ』と桜色の衣装をまとった《 女王補佐官ディア》 がうろたえる。
「どうして?」
 誰の呟きか、問いかけに答えられる金色の次期女王はここにはいない。
「手分けして探すぞ」
 緩くウェーブのかかった金色の髪を振って筆頭守護聖は凛とした声で号令をかけた。

 樹木の緑が目に痛い程強いその中に、少女は膝を抱えて座っていた。
「ゆはり、ここか」
 低い声が滑るように少女の耳に届く。振り返った先には闇の化身がいた。
「クラヴィス様」
「突然姿が消えたと皆が探している。女王位を継ぐ者としてあまりに軽率だぞ」
 叱り付ける口調になるのは仕方ない。忠誠を誓う女王となるべき天使のような少女を彼は守護聖の中で、多分一番、愛している。一人の女性として・・・・・
 気がつくのが遅すぎたけれど、それも仕方あるまい。かの過去の日の心理的傷は大き過ぎた。本人知らぬうちに目を背けてしまう程に、深い傷であったのだ。幾らか前にやっと自覚したが、少女の頼みを断るなど出来ず、己の手で、少女を女王とした。『後悔』とはまさに『後に悔やむこと』と、彼は苦い想いと共に知った。
「お前の好きな者は守護聖なのだろう?皆心配していた。・・・・・そいつも、心配しているぞ」
「・・・・・」
 『しゅん』と項垂れる少女の肩は細く、ひどいことを言ってしまった気分になってしまう。恋敵のことなど知らないが、自分がそう思っていることを言うよりその方が少女が聞き入れるだろうと思って言ったのだが、言わぬ方が良かった。心が痛くて、痛くて。
「さぁ、帰ろう」
 手を差し伸べると、ためらいがちに少女の手が重なった。

 シュンカンノコト

 凍えた混沌としか形容できないモノが、突然飛空都市に張られた結界を破って次期女王の身体を搦め捕る。叫びすらも飲み込む混沌から、必死に逃れようと伸ばされた細い腕。ためらうことなく彼は少女のソレを掴んだ。
「アンジェリーク!」
「クラヴィス様!」

 混沌  光と闇が同時に存在する中に、二人は飲み込まれた。
 後に残るのは、ただ風に揺れる樹木と、その自然の調べだけ・・・・・

「何処にもいないとは、どういうことだ!」
「知るかよ!」
 自分というモノを曲げることが出来ない不器用な少年が噛み付くように応える。かなり二人とも苛ついているようだ。
「あの、皆様方、主星の女王陛下から伝言がきているのですが」
「女王陛下から?」
 快活な親しみやすい少年が意外そうに首を傾げる。
「はい、その、『すぐに聖地の聖神殿に集まれ』と」
「アンジェリークのことはどうすんの!」
 少女のことを姉のように慕っている少女めいた容貌の少年が紺色の少女に言うと、伝言を聞いたいまひとりの女性が言った。
「『アンジェリークのことも含めて』と」
「はぁ?」
 十分な知識を持つが故の穏やかな雰囲気の青年が、こればかりは察しかねた。
「皆様方、お早く」
「あの、でも、クラヴィス様がいらっしゃらないのですが?」
「あら、ホント」
「まだ探してるのか?」
「伝言を残しておきましょう。かなり急ぎのようですから」
 女王補佐官がそう進言すると、守護聖年中組も納得したように頷いた。

 黒髪に白く冷たい物が斑に積もっている。
「つっ!」
 顔を歪めて闇の具現者は首を振る。最後の混沌の記憶と、金色の少女のことを思い出すと辺りを見回す。
「アンジェリーク!」
 『ぐったり』と萎れた花のように倒れ伏している少女を抱き抱えると、キツい目を空に向ける。真白の雪が、憎いと思う。意識のない華奢なこの少女の体力を奪っていく、それが憎いと思う。
 ふと、見てみれば『ぽっかり』と洞窟がある。
 『天の助け』とばかりに思っていた以上に軽い身体を抱き上げると鬱陶しい雪をかき分けたその中に一時避難をする。
「・・・・・ヴィス様、クラヴィス様」
 うわ言に、腕の中の少女が彼の名を呼び続けていた・・・・・

 聖地のほぼ中央に、その建物は威風堂々と建っている。それこそが聖地におわす宇宙の守護女神とも呼べる女王陛下の住まう白亜宮殿《 聖神殿》 と呼ばれる建物である−余談ではあるが、その回りには全くの等間隔で女王に仕える守護聖の館がある−。
「陛下、あいにくクラヴィスのみ後から来ることになりましたが、他は皆揃いました」
「分かりました。ご苦労様です」
 ゆるゆると女王の姿を隠す神鳥の刺繍のされた赤いヴェールが上がる。慈愛の微笑みが刻まれた口元やあごのラインから察するに、なかなかの美女であることは容易に想像出来るが、その素顔を知るのは前回の女王試験の係わった極一部の者のみである。
「包み隠さず言いましょう。旧世界の悪しき影響が現れています。女王試験の結果合格したアンジェリークの力のお陰で全ての星はこちらに転移していますが、それ故に『無』と化した際に出来た力が旧世界からこの新世界に流れ込んでいます」
 静かな声が広い女王の間に響く。
「私の力ももう尽きる寸前、気がつくのが遅すぎました」
 沈痛な声に、誰もが予感を覚えた。
 『マ・サ・カ・?』
「アンジェリークが、旧世界の混沌の力に飲み込まれました」
 居並ぶ者の声にならない声を、優雅に女王はその御手を挙げることで静める。顔を半ばまで隠すヴェール越しの眼差しは全てを包み込むよう。
「私の持ち得る全ての力を持って一時干渉は全て断ちました。ただ、アンジェリークが何処に飛ばされたのかまでは分かりません。・・・・・ディア、ロザリア?」
「はい」
「はいっ!」
「貴女達に協力してもらわなければなりません。構いませんか?」
 『当然』と頷く二人から、今度は守護聖達に視線を向けると、
「アンジェリークを探す為にも、旧世界の力をこれ以上干渉させる訳にはいきません。貴方達にはそれぞれのサクリアでもって次元の綻びを出来得る限り繕ってもらいます」
「はっ」
 すぐに行動に移すべきとの判断を下した守護聖達は、誰一人迷うことなく女王の間を出て行く。
「で、女王陛下、私達は何を?」
「・・・・・ロザリア」
「はいっ!」
 可成緊張した面持ちで次期女王補佐官は返事をする。憧れて止まない女王の言葉を聞き漏らすまいとの意志がよく分かる紺色の瞳が真っ直ぐに女王の口元を見ている。
「女王位を、継いで下さい」
「は?」
 意外過ぎる言葉に、惚けたような言葉がロザリアの唇から漏れる。次期女王は消えてしまった金色の少女が継ぐことが決定している、それを誰よりも知っている筈の女王の台詞とも思えず、ロザリアは問う。
「それはどうしてでしょう?」
「あの子は、女王にはなれないの」
「そんなっ!あの子は立派に女王試験に合格しましたわ!」
 共に女王試験を受けたロザリアはよく知っている。だから、悔しいとも思わず女王補佐官の任を、親友であるあの少女を助ける者になろうと決心したのだ。
「・・・・・まずは、あの子達を見つけましょう」
 はぐらかす言葉にロザリアが声をあげる前に、女王は言った。
「貴女の力は、まず私が導きます。あの子達を見つけて、そうしたら、訳を話しましょう。異例とも言える女王試験が何故行われたのか、それに合格したアンジェリークが何故女王になれないのか、全ての答えを、告げましょう」
「・・・・・分かりました」

 光と闇が同時に存在する不思議な空間で少女はたった一人の愛する人の名を呟いた。
 『・・・・・様』

「大丈夫か?」
 霞がかった翠に、闇が映る。
「アンジェリーク、大丈夫か?」
 唇が触れそうなまでに近づいたクラヴィスは、再度問いかけた。
「クラヴィス様?」
 弱い声が彼の耳に滑り込む。
「そうだ。分かるか?」
 あからさまに『ホッ』とした様子で、クラヴィスは少女を胸の内に抱く。愛しくて、狂おしい程愛しくて、止められない想いが理性を駆逐していた。
「クラヴィス様、痛い」
「すまない」
 慌てて腕を緩めると、真っ赤に頬を染めた可憐な少女がいた。
 少女に想い人がいることは知っている。それでも想いが止められないのはどうしてだろうか?かの女神に恋して、恋破れた時はあんなにも苦しんだとはいえ、忘れられたのに。
「離して下さい。クラヴィス様の大切な方に申し訳がたちません」
 愛らしい翠の瞳を逸らせて、彼女はそう言う。これ程までに強硬な態度のアンジェリークには初めて出会った。
「何をそんなに」
 『意地になっているのか?』と続けようとして、彼女が実は彼女の片恋の相手のことを想うが故なのだと気がついた。好きな者以外の腕の中にいるのが、嫌なのだ。
 嫉妬は醜い。分かっていたのに、知っていたのに、聞いていたのに、諦めきれない往生際の悪い心が、嫉妬している。
 脅えた子供のように震えている少女から、独占欲を理性で縛り付けて離れる。離れて沈黙を恐れて言葉を紡ぐ。沈黙が心を狂わせるのを、彼は知っている。
「・・・・・ここは何処だ?」
「クラヴィス様でも分かりませんの?」
 少女もまた本能的に分かったのか、首を傾げてそう言った。沈黙の魔力が理性を蝕むことに気がついていた。
「飛空都市と聖地でないことは分かるが、な」
「そうですね、飛空都市も聖地も雪がこれ程降ることはありませんもの」
「最後の最後で、とんだ事件に遭遇したものだ」
「最後?」
 引っ掛かりを覚えた少女は首を傾げる。
「多分、私は守護聖の任を降りることになる。この頃サクリアが上手く扱えない」
 淡々と語るクラヴィス。『守護聖の任を降りる』ということは、女王となるアンジェリークとの別れをも意味している。彼女に想いを告白することが出来ないでいたのは、それも起因している。彼女が想っているのが誰だか知らないが、彼女にまず女王になることを諦めてもらってからの話ではあったが、振り向いてもらう努力が出来たのだ、守護聖ならば。人の一生の時を使おうと、振り向いてもらう為ならどんな努力も惜しまぬものを。それだけの時間があれば。
「そんな、では、私は何の為に・・・・・」
 愕然とした顔で呟く少女の声
 何?何と言った?
「アンジェリーク?」
 『しまった』との表情で少女は口元を両手で押さえている。一度出た言葉は二度と戻ることなく、取り返しなど出来ないことが分かっていても、反射的に失言を取り戻したいのか、それ以上言わぬ為か、唇から言葉を封じる。
「やっ!」
 伸ばした腕を振り払う少女の腕を、掴む。掴んで引き寄せて、問いかける。
「私を、見ていたのか?」
 答えはない。肯定否定、どちらもなくて、だけど沈黙と真っ赤に熟れたような頬が答えであった。非難めいた言葉が出る。
「何故何も言わなかった?」
「だって!」
 翠の宝石から涙を零して彼女は言う。
「だって、クラヴィス様には好きな方がいらっしゃるのでしょう!?分かっていて、どうして想いを伝えられるのですか!?」
 『ドンドン』と、白い小さな拳が黒い衣装を叩く。涙に濡れた瞳は、まるで殺気を含んだように強く鋭い。
「離して下さい!」
 腕の中に抱き締められて、少女はもがいて暴れる。半狂乱な少女の様子は、ひどく痛々しい。
「アンジェリーク、愛している」
「・・・・・う、そ」
 涙の流れすら止まる。それ程の衝撃であった。
「本当だ。愛している」
 白い頬に手を当てて、彼は心底想う少女を見つめる。次期女王と守護聖との垣根も燃やし尽くす恋の炎はあまりに強く、少女を傷つけないように細心の注意も欲せられる。でないと、無理にでも自分だけのモノにしたくなる。
 少女の唇が震える。何か言葉を紡ごうとして、声にならないもどかしさに涙を浮かべて彼を一心に見上げる少女は、唇を何とか動かした。たった一言だけの、大切な大切な言の葉に、その身その心に宿る全ての想いを込めて。
「愛しています」

 『遠い とおい 何処かに 行こうか?』
 呟きはどちらのモノだったのか?きっとどちらのモノでもいいのだ。
 『誰も、二人以外誰もいない場所があれば、永遠が手に入るだろうか?』

 冷えた腕に触れて、彼は恐怖する。想いが叶って手に入れた愛おしい少女から生きる為の力が少しづつ流れ出ている。かき抱くように小さく華奢な身体を腕の中に包み込む。自分などどうでもかまわない。大切なのは彼女が生きていること。
「クラヴィス様?どうしました?」
 健気にも笑っている少女の顔色は決して良いとは言えない。それでも少女は微笑んで彼の感じる恐怖を取り除こうと、懸命に見上げる顔を笑みで彩る。
「・・・・・あ」
 どういえばいいのか分からず言葉を濁し、彼は冷たい少女の身体を抱いて己の胸に顔を埋めるようにしている少女の耳に囁く。
「愛している、他の誰より愛している」
 幸せそうに少女の顔が綻ぶ。
 天使のように光まとう美しい微笑みに、彼はためらいながら唇を寄せる。

 初めての口づけは、ひどく冷たかった。

「見つけた!」
 祈りの形にきつく手を合わせ、紺色の瞳に強い光を浮かべた少女が叫ぶように言った。脳裏に浮かぶ光景は、一体何処だろう?
「・・・・・あ・・・・・嫌ぁ!」
 唐突にロザリアは叫ぶ。悲痛なまでに痛々しい声に、ディアが驚いてその肩に手を置いて力づける。
「しっかりして、ロザリア」
「何が見えました?」
 冷静な声に、震える唇を必死に整え彼女は答える。
「暗い、多分洞窟の中でしょう。冷たい雪が入り口から少しづつ入り込んで、濡れたアンジェリークの身体から生命の力が少しづつ流れ出て、あのままじゃ、アンジェリークが死んでしまう!」
「クラヴィスは?一緒にいる筈よ?」
「はい、一緒です。守るように抱き締めてらっしゃいます。」
「ならば大丈夫よ。クラヴィスが側にいて、あの子が死ぬ筈ないわ」
「陛下?」
 断定的な言葉に、女王補佐官が不思議そうに問うた。
「私とクラヴィスは、前回の女王試験において想い合う間柄になっていました。前女王陛下の期待とクラヴィスとの恋の間で、私は悩みました。結果は、この通りですが」
 『くすり』と小さく女王は笑った。悲しい哀しい笑顔に、二人は何も言えない。そしてこれから語られるのは、女王が先に言った『全て』についてのことだと分かった。
「何故私が女王を選んだか、ディア、貴女にも言わなかったわね?」
 吐息のように小さく言い、親友である女王補佐官は頷いた。
「私は糸の先ではなかったの。遠い未来にいるあの子と私があまりにも似ていたから、彼は間違えたのよ」
 『ふわり』 風になびく純金の髪がほのかな灯火に光を反射する。

 切れてしまった恋の糸 でも本当は
  最初から繋がっていなかった恋の糸
 ねじれねじれて  絡まって  だぁれも解けなくなってしまった

「あの子こそがクラヴィスの糸の先。彼が守護聖となったことも、彼女のサクリアが強いのも、全て運命という名の約束事」

 翠の瞳と金の髪  誰にも負けぬ無垢さを保つ天使のような少女
 闇の中で凍える彼を暖める  たった一人の奇跡

「あの子が産まれた時それまで漠然としていた運命が見えた。あの時『どうしても』とまで思わなかったのは、この子という存在がいたからなんだって」

 途切れてしまっていた糸を  絡んだままでも繋いだら
  二人は  色々悩んで回り道をして  それでも幸せになるだろうから

「幾ら私が彼を好きでも彼女には敵わない。彼女はまだあの時に生まれてすらいなかったのに分かった。だから私は女王になった。二人の恋を結ぶ為、私が彼といるよりもその方が幸せになれるだろうから」
「それは逃げただけではないのですか!?」
 非難の言葉に、女王はうっすら微笑む。
「そうだと私も思うわ。あの時確かに恋を結ぶ路はあった筈だものね」
 自嘲の微笑みは過去を思って。
「逃げたという後悔と同時に凍えてしまったその時の恋心はあの子の存在を知った時、溶けて昇華したの。・・・・・今の私はクラヴィスの名を呼んでも悲しくないわ。あの子は私も救ってくれた」

 冷たい檻の中で震えていた《 私》 をも

 だから二人  どうか幸せに

 そして私に出来ること  それは

「二人を引き合わせること、その為の試験・・・・・貴女には迷惑をかけましたね」
 言葉にロザリアは思わず頷きたい気分だった。だが、この一連の試験によって、自分もまた救いを見つけた。だから首を否定の方向に振った。
「いいえ、私も救いを得ました。友を得ることが出来ました」
「有り難う」
 微笑む女王は、女王位を示す王冠を外すとロザリアの紺色の髪の上に置いた。
「式典は後日だけれど、女王位は今、譲ります。これには女王の力を増幅する作用があります。場所を特定出来るでしょう。もう、私の導きはなくても大丈夫ね?」
「はい」
 『ふわり』 意識が拡散する。この時、少女は『世界』そのものであった。

「私の命をやるから、どうか」
 語尾が揺れて絶える。
「そんなこと、おっしゃらないで。大丈夫です、クラヴィス様が側にいて下さるのですもの」
 確信の意を含んだ言葉に、彼の腕が更に華奢な身体を抱き締める。折れんばかりに抱き締めて、狂う程の愛おしさは募るばかり。
「大丈夫、ですよ」
「アンジェリーク!」
 少女の首が、のけ反るように傾いた。

 歓声が響く。
 聖地の聖神殿の一般に開かれた庭に、あふれんばかりに集まった人々のそれ。
 にこやかな慈愛に満ちあふれた笑顔の仮面を被った《 新世界初代女王ロザリア・デ・カタルヘナ》は、その下で揺れる心を隠している。視線を外して左を見れば、控えていなければならない《闇の守護聖》と《 女王補佐官》 がいないことに、バルコニーの下の人々に気づかれない程小さな吐息を零す。
「陛下」
 尊称で女王を呼ぶことは通例である。無論のこと一部例外とて存在する。先代であり旧世界の最後の女王であった《 女王アンジェリーク》 と《 女王補佐官ディア》 は親友であった為に、その一部例外として時折互いの名を呼んでいたが、それもあくまで内輪でのみの話だ。特にこのように一般の人々の集まる場で名を呼ぶのは禁止されている。
「お気持ちは察して余りありますが、御身は女王であることをお忘れなく」
 囁く声に、視線を向けることなく女王は頷いた。

 歓声が響く。
 柔らかな日差しがいっぱいに入り込む部屋の、仮の主が目を覚ます。至高の宝石との形容もすぎることなき煌く瞳の、一人の少女だ。
「起きたか?」
 低い声が甘く響く。声音に宿る限りない愛しみの色に、少女は陶酔の表情で素直に頷いた。心から慕う人の声に、自然と笑みが浮かべられる。
「ずっと眠り続けて、心配したぞ?」
「すみません」
 『どれ程心配させてしまったのだろうか?』との思いは少女の顔にそのまま浮かんだ。すぎる程素直なこの少女らしい。
 指がふっくらとした少女の頬をたどる。あごまで滑るように降りると、優しく指が絡んで少女の顔を上向かせる。
「・・・・・無事で良かった」
 万感の想いが乗せられた声に少女の翠の瞳に嬉し涙がたまっていく。幸せで、幸せで、幸せすぎて苦しい程で・・・・・視界を覆うヴェールは、この世で一番小さな海が頬を伝うことで取り除かれた。
 視線が絡み合う。手繰り寄せられるように、唇が近づく。

 二度目の口づけは、ほんの少しだけ海の味がした。

「では、ロザリアが?」
「そうだ、女王位はロザリアが継いだ。お前が私を想ってくれている以上お前は女王位を継ぐことは出来ないのだから、次席であるロザリアが継ぐのが当然だろう?外の歓声は戴冠式に集まった民の声だ」
 今や最愛の恋人である闇の守護聖の腕で助け起こされ、今までのことをかいつまんで聞いた少女アンジェリークは後ろめたい気持ちを味わった。自分が継ぐ筈だった重責を、今側にいてくれる恋する人よりは劣るとはいえ、とても大切な『親友に押し付けてしまったのだ』と。
「そうだ、ディアと二人の女王から伝言だ」
「?」
「ディアと先代は共に『幸せに』、と。どうも、最初から先代にはバレていたらしい。女王は、『補佐官にしてこき使ってあげるわ』、だそうだ」
 笑いを含んだ伝言に、少しだけ、ほんの少しだけだか心が浮上する。こき使われるぐらい何でもないから。そうすることで親友の担う多大な責任を軽く出来るのなら、手助けすることが出来るなら望むところというものだ。
「頑張らなくてはいけませんね」
 小さく呟く恋して手に入れた天使を、クラヴィスは元気づけるように抱き締めて、その背を軽く叩いた。
 しばらくそうしてお互いの暖かさを共有していた二人のうち、少女の方が怯む程真っ直ぐなその眼差しを青年に向けると笑った。笑って、言った。
「私のこれまではクラヴィス様にお会いする為、これからはクラヴィス様の側にいる為だけに・・・・・私の全てクラヴィス様に捧げます」
 唄うように、聖なる誓い 『受け取っていただけますか?』
「もとより、たとえ『嫌だ』と言っても、奪ってでも手に入れるつもりだ」
 光の天使は闇の具現者に、ひどく無邪気な笑顔を向ける。

 三度目の口づけは、聖なる誓いの証し

「アンジェリークゥ!起きたぁ?」
 凍りつく一瞬
「「「っ!?」」」
 朗らかに問いかけながら入って来た−九人の守護聖でも特に年少組と呼ばれる−少年守護聖達は、凍りついた。
 位置関係上、金色の少女がベッドに横にならずに座っていることは分かるが、闇色の青年が邪魔で顔が見えない。それの意味するところは?・・・・・多分予想の通りだ。
 どうやら三人が部屋に入って来たので少女の方は反射的に離れようとしたが、青年の方がそれを許さなかった模様・・・・・
 不意に、青年の腕が緩慢な動きをみせた。指先は、扉を指している。
「「「・・・・・」」」
 無言のまま、少年達は『回れ右』をするとぎこちなく廊下へと出る。その時に右手右足左手左足がそれぞれ同時に動いたのは、ご愛嬌。
 『ぱたん』
 妙に扉の閉まる音が廊下に大きく響いた気がした。
 『ぽつり』 誰かが呟いた。
「手が、早い」
 ・・・・・それは言わないお約束というモノだ。

「どうしましょう?」
 『おろおろ』とうろたえる少女の姿に思わず笑みが零れるのを自覚しながら、クラヴィスは大切なことを告げていないことを思い出した。
「そうだ、アンジェリーク。私はまだまだ守護聖の任を降りられないようだ」
「は?」
 彼が守護聖の任を降りるのならば女王補佐官を受けては時の流れを異ならせることになることをすっかり失念していた少女は、しかし、そのことを思い出すと共に、彼の台詞に疑問を持った。
「サクリアは思い。お前が女王になることに心乱されていたのが原因らしい」
「・・・・・」
 『さらり』と言われ、呆れて沈黙する少女の耳朶に、吐息と言葉が滑り込んだ。
「そのお陰で、私はお前を手に入れられたのだが、な」
 言葉には大量に笑いが含まれていて、少女も思わず笑みを零した。

「どうしたんだ?」
 廊下で顔を見合わせている三人に不思議そうな声が届いた。女王に従い、年少組よりも遅くバルコニーからやって来た《 炎の守護聖オスカー》 に、後輩的な位置関係の《 風の守護聖ランディ》が多少顔を引きつらせたまま説明する。

 十秒沈黙

「嘘でしょう?」
 思わず出たのだろう、平坦な声。何時も『ほんわり』とした暖かな印象の《 地の守護聖ルヴァ》の言葉だ。
「本当です」
 一瞬とて迷わず、『可憐な』との形容の似合う《 緑の守護聖マルセル》 が答えた。

 たっぷり十五秒沈黙

「マジ?」
 豪華絢爛美あふれる《 夢の守護聖オリヴィエ》 が言った。肯否定、どっちが欲しいのかは知らないが。
「ゲキマジ」
 答えたのは極めてシンプルな服を着た《 鋼の守護聖ゼフェル》 だった。世間に斜にかまえてはいるが、これで意外と悪戯以外では嘘はつかない。
「あの、クラヴィスが」
 唖然と《 闇》 と対極をなす冷たい程整った容貌の《 光の守護聖ジュリアス》が、『信じられない』とのニュアンスを浸し過ぎて『ボタボタ』と落ちる程に含んだ声で呟いた。
「・・・・・」
 無言で、『優雅にして典雅』と名高い《 水の守護聖リュミエール》 が扉の前に立つと、扉を控えめにだが確かに分かるように叩いた。
 『コンコンッ』
「どうぞ」
 応えの声は、澄んだ少女の声であった。

 外の光をいっぱいに取り込んだ部屋のベッドの上とすぐ側に、寄り添うように二人はいる。
「目が覚めたのですね?」
 『シャラン』と、珍しく装飾性の強い衣装をまとったリュミエールの一挙手動に合わせて、肩布の端に幾つもつけられた小指の先程の宝石が揺れて音を立てる−因みに、この衣装の見立てはオリヴィエである。他の皆も含めて『折角の戴冠式』という訳でオリヴィエがコーディネイトした−。
「はい、ご心配おかけいたしました」
 彼女らしくはきはきとした答えに、リュミエールは嬉しそうに微笑む。剣呑な目で睨んでいるクラヴィスには、気がついていないのか?
「まったく、何時までも寝てるから式典終わらせてしまったわ。本当はあんたも出なくてはいけないのよ?」
「ごめんなさい」
「伝言聞いてるでしょうけど、それに更に上乗せしてこき使うわよ。覚悟なさい」
「はい。・・・・・ロザリア、女王陛下」
 満足そうに頷く新女王の斜め後ろから、長身の青年が気負うことなくアンジェリークの元に向かう。
「元気になって良かったな、お嬢ちゃん」
「有り難うございます」
「で、だ、元気になったのなら《 森の湖》 にでも行かないか?」
 早速口説きにかかるオスカーに、クラヴィスが射殺さんばかりの眼差しを向ける。
「なんなら公園にするか?花壇の近く、木の下のベンチだとか?」
 『すぱこーんっ』
「いい加減にせぬか!」
 ジュリアスの怒声である。・・・・・が、しかし、何処から出した、そのハリセン!?
 かなり痛かったらしく唸っている口喧嘩相手に目もくれず、艶麗な笑顔でオリヴィエが妹のように可愛がっている少女の元気な様子に言う。
「アンジェリーク、今、幸せ?」
「はい!」
 間髪入れずに答えが返る。それが何よりの幸せの証し。
「それは良かった。私では無理でしたが、これでクラヴィス様もお幸せになれるというもの」
 『お側に仕えて早幾年』云々と握り拳で感激しているリュミエールに、クラヴィスが今度は顔を引きつらせる。『何もそこまで・・・・・』と思っているらしいが、その深遠の闇が気にかかり、随分と気を揉んでいたリュミエールにしてみれば『これくらい当然』というものだ。
「という訳でして、アンジェリークに手を出そうだなんて、考えるだけならともかく、実際に行動に移したら殺しますよ」
「お前!目がマジだぞ!」
「私は何時だって真面目です」
 『貴方と同じだと思わないで下さい』とばかりに影のない笑顔が、・・・・・あぁ、本気で怖い。『蛇に睨まれた蛙』状態でオスカーが硬直しているのも分かるぞ。
「大丈夫ですよ、私は決してお誘いには乗りませんから」
 一連のやり取りを笑って聞いていたアンジェリークは、とっても幸せさんな笑顔でそう言った。
「何時だって物語りは『めでたしめでたし』で終わるものですよ」
 おっとりと出されたルヴァの台詞だ。続くようにさっきは間が悪く思わず廊下に出てしまった年少組が言った。
「幸せにな、アンジェリーク」
「有り難うございます」
「また遊んでね」
「はい」
「夫婦喧嘩は犬も食わねぇんだから、こっちにとばっちりこねぇようにしてくれよ」
「喧嘩なんてしませんよぉ」
 『ぷっくり』と頬を膨らませる少女の子供っぽさに、影のように寄り添う青年がうっすらと微笑んだ。

 不可視の糸の先に互いを見つけて、重ねた二人の時の流れが幸せなものであったことはいうまでもない。

END