神などいない

神などいない


 この世に神などいる筈がない

 世界の何処かで何かが生まれた。
「何だというのだ?」
 いと暗き闇の具現者は神秘の瞳を薄暗がりでほのかに輝く遠見の水晶に向ける。世界の中心と呼ばれる場所《聖地》にいながら、彼はその水晶球を通して如何なる場所をも見ることが出来た。
「赤子」
 赤き唇に白い指を当て、彼は眉をひそめる。
 水晶球が映し出したのは金の髪の生まれたばかりの赤子だった。瞳の色は分からない。両手を握り締めて騒々しく泣いている様から、ひどく元気な子供だということは分かったが、それが何故己が心の琴線震わせしかが分からない。
「勘違いか?」
 水晶球は映像を映すが決して声までは届けてはくれない。今はそのことが救いだ。静かすぎるこの部屋にこの赤子の元気すぎる泣き声は、異常な程反響するだろう。鬱陶しい。御免だ。
「ん?」
 視線を感じて水晶球に視線を戻せば、何故だか赤子と目が合った。
 新緑に浮かぶ朝露のごとき翠の双眸だ。
『アハッ』
 水晶球の中で子供が笑う。まだ何も知らないからこその無垢な笑顔に、彼は気圧されたようにその背を椅子に預けた。
「この子は?」

 『子供の成長というのはすこぶる早いものだ』と、遠見の水晶の映し出す金色の髪の少女の姿に、彼はそう思う。初めて見た時は、まだ泣くことしか出来ない小さな赤子でしかなかったのに。
 金色の髪を背中を覆うまでに伸ばした少女は天にて輝く太陽のごとき微笑み浮かべて、それ故に愛されている。

 金色  過去に彼が最も愛し、今では彼が最も嫌う色だ。

 だがこの子供に関していえば、別段気にはならない。何故だか、ひどく懐かしい気すらする程だ。
「夜桜見物か、風流なことだ」
 『ぽつり』彼は呟く。
 夜の闇を背景に妖しい程に美しい薄紅の桜が散る下に少女はいた。金色の髪が月の銀の光を浴びて神秘的な光を返し、現の者というより夢幻の存在のようにすら見える。そう、いる筈のない神の御使い、天使のように。
「ん?」
 突然少女が脅える様が映った。
 舌打ちする。人の傲慢さの犠牲となった犬達が少女を囲っている。人に不信感を持ち、気が立った野犬の群れだ。
 女は弱い。精神的には男を圧倒しようと、腕力だとかでは大きく劣る。何よりあの子供はまだ十程の親の庇護の元に生きる存在だ。
 背筋を冷たい氷が滑り落ちる。まかり間違えば、少女は命を失いかねない状態だということに気がついてしまったからだ。
 だが、どうすれば良いというのか?これは、今現在ではなく過去もしくは未来を映し出しているのかもしれないのだ。何故ならこの遠見の水晶は過去・現在・未来をランダムに映し出すのだから。今見ているこの映像とて自分の意志で映し出したわけではない。

 悲鳴、もしくは絶望の叫び
 襲い掛かる野犬の第一撃はすんでのところで躱し、少女は翠の瞳に光を宿す。唇から出たのは助けを請う言葉であった筈だが、少女自身は決して諦めてはいない。真っ直ぐに全てを見抜き、生き抜こうとする強い心が、決して諦めに身を委ねることを許しはしない。
『去れ』
 低く言葉が響く。闇が声を発することが出来るのなら、多分こんな風だろう。
『去れ!』
 明確な命令に、脅えたように野犬の群れは三々五々に散って行く。
 恐怖によって心の何処かが麻痺した翠の瞳の少女は桜の木を見上げて言った。
「貴方はだぁれ?」
 誰の目に映らずとも少女の瞳には闇の化身が映っていた。麻痺した心は、それに対する警戒心と恐怖心を受け付けず、だから少女は問いかける。
「貴方だぁれ?」
 夜桜を透かす不確かな存在を相手に、少女は首を傾げる。
『・・・・・』
 無言のまま、闇の化身は身を翻す。桜の大樹にその身を溶け込ますように。
「待って!」
 少女の手は闇のかけらにも触れることなくざらついた桜の木肌を撫でた。

 閉じられていたまぶたの奥の紫の水晶が、無色の水晶球がほのかに振り撒く清らかな光を受けて輝く。
 『アストラル・フライ』と、彼は呟く。半ば人とは違う身となった彼と彼の仲間達ならば使うことの出来る技の一つだ。だけれどそれには複雑な手続きのようなものが必要であり、何の準備もなく行うことが出来る程簡単なものではない。
 あの子供の元に行く術として確かに一瞬それがよぎったが・・・・・
 しばし考え、彼は首を横に振った。どう考えたとて分からぬこと。ならばかの娘に『何事もなかったことに満足をすれば良い』と。それと、分かったことがある。多分少女と自分の生きている時間は同じだ。『アストラル・フライ』では時間を移動することは出来ない。あれは使った者の精神を望む場所に一瞬にして移動させ、場合によってはその場所にて−ほとんど幽霊に近い希薄さだが−実体を持たすのだ。
「名を聞いておけば良かったか」
 ふと彼は言葉を紡ぐ。『名前ぐらい答えてやっても良かったのだし』と。

 そして、運命の再会・・・・・
 残酷な・・・・・

 金色の輝き  翠の煌き  暁色のサクリア
「私は《アンジェリーク》と申します」
 麗しき女王の問いに答える少女は、彼がずっと常人の一生を基準とすれば長いと言っても良いだろう時間を見つめ続けた、かの少女だった。

 そして彼は再び思う。
「この世に神などいる筈がない」
 と・・・・・

 薄闇で閉ざされた執務室に、優しい声が響く。
「今日和、クラヴィス様」
「失礼致します、クラヴィス様」
 幼さの残る愛らしい顔立ちの少女と、女性めいた優美な顔立ちの青年とが立っていた。彼が例外的にある程度の好感を持っている人物だ。だからといって、彼《闇の守護聖クラヴィス》の冷たい厭世的な雰囲気は小揺るぎもしないが。
「何の用だ?」
「お菓子を作って来たんです。それと美味しいって評判のお茶も手に入りまして」
 『一緒に如何ですか?』と少女は笑って言う。最初の頃あれだけ邪険に扱ったというのに、『どうしてこれ程?』と思う程に彼女は彼に懐いていた。
「窓を開けてもよろしいですか?」
「好きにするが良い」
 言葉少なに答えると、少女は外界の光を遮断するカーテンを引き、光をいっぱいに取り込む窓を開く。何処か淀んでいた空気を開けられた窓から入り込んだ爽やかな風が駆逐すると、もう一度少女は窓を閉めた。もっとも、カーテンはそのまま、光を取り込むようにしておいたが。
「でも、これがよく手に入りましたね。なかなか手に入らない貴重な物でしょう?」
 お茶を容れる準備をしながら優雅に問いかける女性めいた優美な顔立ちの青年《水の守護聖リュミエール》に、少女は薄く笑い、
「だって、・・・・・たかったんですもの」
 小さく口の中で言った。
「はい?」
「ん?」
 問いかける眼差しの二人に、彼女は頬を染めてごまかし笑いを浮かべた。

 彼の精神は『神』というモノを必要とはしていない。かつて何よりも愛した女性が永遠に手の届かない高みへと昇った時、彼のなかの『神』は死んだ。
 その時彼は呟いた。
 『この世に神などいる筈がない』と・・・・・
 凍えきった冷たい氷の心を一筋の光が照らしたのは随分と前であった。もっとも、照らし出された当初は、その光を彼は否定していたが。
「クラヴィス様」
 優しい声が響く度、氷は溶け、その中で眠っていた感情が目を覚ます。

 その感情の名を『恋』という・・・・・
 それを彼が認めたのは破滅寸前にまで追い詰められた時だった

 最初はただ、見つめていたかった。
 金色の輝きにかの人を重ね、平凡でも人並みの人生を歩む様を、まるで父親のように。
 『思い』は『想い』に変わった。
 自分の願いを裏切り、運命とやらは少女に人とは違う路を与えた。彼女はその路を歩き出す。その姿見るのが辛く、邪険に扱い近づくを厭おうと、一途な瞳で少女はついて来た。抗えぬ愛しさ覚えたのはその頃だった。
 少しづつ、愛おしさは増していく。決して抗えぬ程に強く、何時しかそれを考えることすらなくなる程に、強く。
 だが、どうして言えよう?『共にあって欲しい』だなどと、ひたむきに前を見つめ心からの愛情を注いで導き、今まさに孵化する寸前の蛹のようなところにまで育った大陸を裏切って欲しいだなどと、どうして言えようか?

 『想いは届かない』
 その絶望に、あり得ない幻を見た。

 『ぽつり』と少女は呟いた。何にも勝る悲しみに心染め上げ、至高の宝玉にも持てぬ煌き内包した翠の瞳を切なく揺らし、
「何も、言っては下さらないのですね」
 そう呟く、幻を・・・・・

 だがそれは、現実であった。

 《森の湖》と呼ばれる美しい湖畔に少女はいた。その少女は、彼を見つけて嬉しそうに笑うと言った。
「お会いしたかったです、クラヴィス様」
 その声に、言葉に、揺らめく心を抱えて彼は応えた。
「・・・・・そうか。実は私もお前がここにいるような気がして、な・・・・・」
 一瞬の空白、途端に少女は頬を染めて幸せそうに笑う。浮かべられた笑顔を引き出したのが自分であることが、青年には嬉しかった。
 取り留めもない話をした。
「もう試験も終わるな」
 何気なくそう言うと、『こくん』と小さく少女は頷いた。
「はい」
「お前ならば、良き」
 胸が痛くて仕方ない言葉を彼は紡ぐ。
「良き、女王となれるだろう」
 少女は目を伏せる。萎れた花のような風情に驚いて俯いた少女の頬に触れた。
「どうした?」
 翠の瞳が泣いていた。
「気づいてはくれなかったのですね」
 ひどく驚いた。

 『ぽつり』と少女は呟いた。何にも勝る悲しみに心染め上げ、至高の宝玉にも持てぬ煌き内包した翠の瞳を切なく揺らし、
「何も、言っては下さらないのですね」
 『何を?』などと問う程に彼は馬鹿ではなかった。だが、同時に、
「馬鹿なことを」
 そう言ってしまう程の守護聖としての自覚だとか責任だとかを背負っていた。好き好んで背負ったわけではないけれど。
「貴方が、好きです」
 『けれど』 胸元で組まれた白い指に、幾つもの零れた涙が当たり、弾かれた。
「貴方が、クラヴィス様が、良い女王になることを望まれるのなら、そうなるように、します」
 『失礼します』と呟くように言って、金色の天使は森の湖を後にする。
「・・・・・っ!」
 かけるべき言葉はなく、何よりその華奢な背中が、どんな言葉も拒絶していた。

「愚か者が」
 吐き捨てるように、彼は呟いた。誰に向けられたものか?
「愚か者が」
 吐き捨てるように、彼は呟いた。自分自身に向けられたものだった。

 夕闇が空を支配し始める頃、冥府の王は沈みかけの太陽にその身を晒して考えに没頭した。その手中へと、愛しき者を手にいれんが為の策を。

 闇を払う光の灯された部屋で、少女はクローゼットに制服を明日使うブラウスと併せて入れる。上着やスカートは仕方ないとして、直に触れる部分の多いブラウスはやはり毎日取り替える方が良いに決まっているからだ。
 皺にならないように丁寧に納める手が白い服に当たった。何日か前に、今では最も親しき友人と呼んでも差し支えのない《女王候補ロザリア・デ・カタルヘナ》とショッピングに行った時に彼女が選んでくれた、自分にはすこし大人っぽいイメージのワンピースだった。その白いワンピースは肩や胸元が可成露出する物で、これをロザリアに強引に渡された時は自分が思いっきり子供っぽいということを知っていたこともあってアンバランスな気が多分にしたものだ。
 それを取って手近なベッドに置くと、今度は少し乱暴に少女はまとっているパジャマを投げ出す。
「・・・・・」
 着替えが終わって、無言のまま鏡の前に立つと、同じ日に同じようにロザリアに強引に買わされたルージュを手に取り唇の上を滑らせた。『私には絶対に似合わない』と言ったが、『服と合わせて似合うような女性になれば良いじゃない。何より、そう思わないと、何時までも子供っぽいままよ』と反論されて買わされたモノだ。
 だが今は、少し違う。
 淡く輝く金色の髪は変わらないが、憂いを帯びた翠の瞳が雰囲気を一転させ、大人びた空気が少女の周りを漂っている。
「馬鹿なアンジェリーク」
 『そっ』と、赤い唇が嘲りの言葉を作る。
「あの方が私なんかを想ってなど、くれるわけないじゃない」
 『つぅっ』と、翠の瞳から涙が一筋零れた。
 ふと、何を思ったのか少女は白い手にペンを持つと、レポート用紙に文字を綴る。
『ロザリアへ 良き女王となって』
 そこまで書いて、破り捨てて書き直す。
『ロザリアへ 大好きよ』
 ペンを置いて、少女は苦笑する。『何を馬鹿なことを書いているのか』と。『これではまるで遺書か、家出の書き置きだわ』と。
 『何故こんなものを書こうと思ったのかしら』と訝しみながら、その紙も破ろうとしたその瞬間に、風が吹いた。
 レースのカーテンが白い翼のように広がる。

 そして、夜と闇の王がいた

 冷たい程に整った容貌を覆う夜空色の髪、目を引く紫水晶の瞳、闇をまといながら闇から浮き出るその姿と圧倒されるその空気、囁く声は幻の彼方から響くよう。
「攫いに来た」
 『夢だ』と少女は思った。とても現実とは思えない。
「拒絶は受け付けぬ」
 『あり得ない』と少女は思った。『こんなことがある筈ない』と。
 かの人の白い指が閃いたと思った時、少女の意識は止めようもなく安らかな眠りの園へと落ちていった。

 愛しい人に抱き締められる夢の中、少女はそれが現実であれば良いと願った。

 意識を失いのけ反った少女の身体を大切そうに引き寄せた冥府の王は、机の上の紙に気がついた。
 残して置けば、それはちょうど書き置きとなるだろう。内容的に問題はない。
「・・・・・」
 だが、彼はしばらくの沈黙の果てに、彼だけしか作ることの出来ない紫の炎でそれを燃やし尽くした。

 白い少女を腕に、魔王は闇に溶ける

 開かれたままの窓から飛び込んだ夜風が、灰と化した残骸を吹き飛ばした

「アンジェリーク、いるんでしょ?一緒に王立研究院に行かない?」
 柔らかな声が優しく響く。その声の主は誇り高く輝く紫紺の瞳の美少女、この特別寮の住人でもあるロザリアである。
「アンジェリーク?・・・・・入るわよ?」
 勝手知ったるライバル兼親友の部屋、とばかりに、ロザリアはノブを軽く回す。鍵はかかっていない。
「アンジェリーク?」
 窓から土の曜日の朝の風が舞い込んでいる。はためくカーテンは、純白の鳩の翼のようで・・・・・
「ちょっと、何処にいるのよ!?」
 濃紺の髪の少女の声は、空しく翼にぶつかり四散した。

 暖かな何かに包まれて、少女はとても幸せな夢を見ていたような気がした。
「ぁ」
 赤い唇から小さな声が呟かれ、意識が現実へと戻って来る。
「んん」
 むずがる赤子のように何かに顔を埋め、意識を居心地の良い夢の世界へと埋没しようとする。
「アンジェリーク」
「ん?」
「起きて、いるのだろう?」
「あ・・・・・」
 翠の宝石が煌く。幾度が瞬きをした少女は、離れたくない何かから顔を上げた。
「アンジェリーク」
「クラヴィス、様」
 半ば惚けたように自分を見つめる少女に青年は幸せそうに微笑むと、大切な宝物のように、『そぉっ』と抱き締める力を強める。
「ここは、何処ですか?」
 残っている最後の記憶に、少女は困惑の眼差しを青年に向ける。
「知ってどうする?ここから逃げ出すか?私が逃がすと、かけら一粒でも思っているのか?」
「クラヴィス様?」
 狂気のにじむ声に、少女は薄ら寒いものを感じて青年から身体を離そうとする。
「私はお前を全てから奪う者であり、お前から全てを奪う者だ」
 強く少女の細い腕を掴み、逃げようとする華奢な身体を引き寄せる。覗き込むような動きに長い黒髪が肩から流れ、少女を覆うように広がった。
「クラヴィス様!?」
「もはや、お前は私のモノだ」
 少女の瞳が見開かれる。
「っ!」
 唇が塞がれる。
んっ!」
 嫌がる少女の抵抗を押え込み、貪る口づけを続けた。離れた瞬間に、少女が咳き込むような息をする程に長く。
 肩で息をする少女の指が、漆黒の青年の衣装を握り締める。
「誰にも渡さない。私だけのものだ」
 耳元で囁く声に、少女は可憐な面を上げる。
「・・・・・ひどい方ですね。何も分かってくれないかと思えば、今度は何も言わせてくれないだなんて」
 潤んだ瞳が力なく彼の腕の中から見上げる。嬉しそうに、頬を染めて。
「・・・・・これは、罪だ」
 『分かっているのか?』と青年が問いかければ、
「これが?罪?誰がそんなことを言うんですか?何も言わない神様ですか?」
 皮肉に瞳を輝かせ、少女の白い腕が青年の背に回る。
「ここは、聖地ではないのでしょう?・・・・・逃げ出したことを罪だとするなら、受けるのは二人です。クラヴィス様御一人に、罪があるわけではありません。私にも、あります」
 呟くように、囁くように、少女は言う。
「愛しています」
 ひそやかに、それは響いた。

「大切な人達からのお祝いも、教会の祝福の鐘もいらないるそんなもの、いらない」
 漆黒の衣装に溝が刻まれる。少女の震える指が、離れることを恐れるように、幾筋もの溝を刻む。
「アンジェリーク」
「・・・・・昔、まだ私が十才ぐらいの時、お会いしましたよね」
「覚えて、いたのか?」
「はい」
 『にこり』少女は笑顔で見上げる。
「あれが、私の初恋でした」
 幸せな微笑み浮かべて少女は言う。
「誰も信じてくれなくて、夢か幻か、そう思い始めた頃に、そう思い込むことで初恋を終わらせようとした時に聖地に行きました。そこで、あれが夢でも、初恋の人が幻でもないことを知りました」
「あれ程邪険に扱ったというのに、まるで堪えていなかったのは、そのせいか?」
「えぇ、貴方に会えたことだけしか、頭になくて、会えることが嬉しくて仕方なくて、それしかなくて」
 照れて顔を赤くした少女の頬に、羽のような口づけが掠める。
「・・・・・」
 熟れまくった林檎に負けない程更に顔を染める少女の金色の髪が梳かれる。
 一度、二度、髪を梳くと、形の良い耳が露になり、口づける程吐息がかかる程に深紅の唇近づけ、彼は何事かを囁く。

 ためらうような空白
 少女の額が青年の胸に当たる。
 ほとんど聞き取れないような声が、微かに青年の耳に届いた。

 『ギシリ』 何かの軋む音が、小さな部屋に響いた。

 涙の流星  きらり  堕ちた

 夜明けの美しい紫に染められた空の下、人目をはばかるように二つの影が何処かへと消え去った。

 閉じられていた扉が開く。その中は、まるで夜の空間、永遠の。
「・・・・・それが罪だと知りながら、彼女を諦めることが出来なかったのですね?」
 聞く者なき呟きは夜の部屋に吸い込まれる。
 ほのかに銀色に輝く月のような水晶に映る佳人の姿は泣きそうな顔をしていた。止めようもない思いは、今はいないあの人へと続いている。・・・・・今でも。かの人が罪人となろうとも、それでも慕っていた心が潰えたわけではなくて。
「あぁ、それでも・・・・・!」
 許せないことだってある。かの人の犯した罪の犠牲者、慈しんでいた愛しい華、愛おしい妹のような彼女・・・・・
「・・・・・だけど、そう・・・・・罪は、私にこそあるのかもしれません。知っていた筈だったのだから。あの方の彼女へ向けられる視線の意味を」
 見えていながら、見えないふりをした。『叶う筈のない願いでも、想うことは自由なのだから』と、そう思って、何も言わなかった。知っていながら、知らないふりをした。かの方から笑いを引き出した少女もまた彼を想っていることを知っていたけれど、何も言わなかったのも良く似た理由だった。『彼を変えられるのなら』とも思い、何も言わなかった。・・・・・これもまた罪だ。止めることが出来た筈なのだから。他でもない自分ならば!
 己を苛む麗人に、背後から声が声がかけられる。
「あんたに罪なんてあるわけないでしょ。あるのは、アイツだわ。己を押さえることの出来なかった、アイツにこそ、罪はある」
 ひどく美しい麗人がそこにいた。輝くような美貌、それを彩る数々の宝石が背後から当たる光を受けて乱反射する、その様がまたさらに麗人に輝きを加えている。
「来いよ。陛下がお呼びだ」
 麗人の隣に立っていた弛みない強さの漂う武人が、端正な口元に笑みのかけら一つ浮かべず言った。乗馬焼けだろう小麦粉の手が、無意識に腰の剣に触れる。
 『カチャリ・・・・・』
「俺達が、行くことになるんだろうな」
 『何処』なのかは分からない。だけど、『誰』がそこにいるかは、分かった。

 三つの輝ける星が、何かを目指して空を駆けた

 細い指が夜の冷気に冷やされた硝子に触れる。
「静かですね」
 呟くような言葉に、応えは返らない。
 金色の髪を梳くって口づけると、漆黒の青年は後ろから少女のほっそりとした首に腕を回す。
「長くなったな」
「短い方がお好みでしたか?」
「否、そんなことはない。ただな、この髪が伸びた分の時間は、私しか知らないのだと思う、何やら得した気分だ」
「ほぇ?」
 惚けた声に、青年は吹き出す。低い笑い声が少女の頭のすぐ上から響く。
「そうだろう?お前は誰からも愛されていたのだから、この優越感は可成強いぞ」
 笑いと共に届く言葉は少女の笑いを誘った。
 少女は甘えて首に緩く巻かれた腕に手を当て、身体の重みを後ろに預け、しばらく二人は優しい笑い声のデュエット・・・・・
「前から思っていたのですが、よろしいですか?」
「何だ?」
「聖地にいなくてはいけない者がいなくて、どうしてこれ程静かなのでしょう?」
「サクリアの調和のことか?」
 『こくん』と頷く少女に、珍しく頼りな気な声が届く。彼自身確信があるわけではないのだ。
「守護聖は決して聖地から出てはならないわけではないのだ。実際飛空都市に住んだだろう?聖地に我々が集まっていたのは、同じように時から切り離された存在が側に在ることで精神の安定をはかる為だろう。何せ、守護聖のサクリアの保有量は桁外れだからな。それ故時から見放され、近しい者達が死んでいくのを見取ることしか出来ない、そんな孤独がもたらす狂気から遠ざかる為というのが最大の理由と、思う。守護聖は、その存在が重要であって、在る場所は決められているわけではない。何故なら守護聖は存在することでサクリアを調節しているのだからな」
「そうなんですか?」
「あぁ、ようするに、私達はダムのようなものだ。必要以上にあってはならない力を私達はその身に受けることで調節する、そのようなことを守護聖となってから感じるようになった。・・・・・確かなことかと念を押されると困るが、な」
 自身の無さが自分自身許せないのか、気分を変えようと少女の頬に手をやる。どんな時でもこっちの思ったような素直な反応を返す少女を見ていると、どん底気分も直った。顔の線を撫でる手のくすぐったさに身じろぎする少女を捕らえる腕に力を込める。相変わらず素直な反応だ。
 と、指に触れる。暖かな、水の滴が。
「どうした?」
「すみ、ません。何だか夜空を見てたら、ロザリアのことを思い出して」
「そうか」
 眼前に広がるミッドナイトブルー  深いその色は、何処となくかの親友の瞳を思わせる輝く星を内包している。
「きっと怒っているでしょうね」
 『偶然とはいえ私も書き置きもどきの手紙を置いてありましたから』と零れる涙を拭うことなく呟く少女に、青年のまとう空気が一瞬戸惑うように揺れる。
 彼女は知らない。彼がかの手紙を燃やし尽くしたことを。
「ロザリアが怒っているなら、リュミエールは泣いているな?」
「そうですね。『どうして分からなかったのだろう?』って、泣いているかもしれませんね」
「もしくは、オリヴィエと一緒に怒り狂っているか、だな。二人共、それはお前を可愛がっていたからな」
「私も、お兄様みたいで、好きでした」
「帰りたいか?」
 『コツン』と少女の金色の髪に額に押し当て、青年は囁きかける。
「何処にですか?」
 寄り掛かっていながらも支えているような、そんな不思議な感覚を覚えながら少女もまた囁きかけるような声で言う。
「何処に帰るんですか?私の帰る場所はここなのに。クラヴィス様の腕の中が、私の帰る場所、なのに」
 しばらく沈黙が横たわる。
「本当に、そう思うのか?」
 ほんの少しだけ懐疑的な声に、
「ぷぅっ!」
 子供っぽく頬を膨らませて少女は不満を表現する。
「悪かった悪かった」
 苦笑しながら金色の髪に懐くように頬を擦り寄せ、首に回した腕を肩にずらす。
「ね、クラヴィス様」
「何だ?」
「私、幸せです」
 『愛してますわ』と続けて、のけ反って見上げる少女は笑う。晴れやかに、艶やかに、華やかに・・・・・
「あぁ、私も、愛している」

 罪人である筈の二人は至福の時を共有していた。

「っ」
 声を殺すこと
「あぁっ!」
 声を上げること
  彼から教えられたことだ。
「クラヴィス、様」
 熱に浮かされたように呟くと、肌を重ねていた男が少女の濡れた唇をたどる。
あん」
「逃げるな」
 身をよじる少女を押さえ付け、唇を割るキス
「アンジェリーク」
 飽くことなく少女の上に覆い被さる青年が呼びかけると、半ば意識を失いかけた少女の瞳が問いかける。
「これは罪だな」
 『世界で一番愛おしい罪』と、彼は言う。
 決まって、こんな風に抱き合う時、肌を重ねる時に、彼は言うのだ。だから、決まった台詞を少女は返す。
「かまいません」
 『罪も罰も共に』と、少女は言う。
「一緒にいて、良いんですよね?」
 腕枕をしてくれている青年に、眠そうな少女は目を幾度か擦りながら言う。少女が時折言う台詞だ。
「何処かに逃げたら、追いかけて連れ戻す」
 真顔で答える青年に笑いかけて、幸せそうな寝顔を少女は見せた。

 空を裂く暁色の光

 入り込んできた明け方の空気に、彼は目を覚ました。元来整った容貌ではあったが、今は更に凄絶なまでの色香のようなモノをまとっている。傍らで眠る少女と禁断の恋の果実を貪ったが故の危うい妖しい妖艶なそれは、夜の星の輝き秘めた髪や潤んだような濃い紫の瞳、白大理石の肌に浮かんだ珠のような汗によって薫るような印象をもつ程に濃厚だ。
 何かに気がついたように、彼は憂いの瞳を何処かへと向ける。小さな吐息が、深紅の唇から漏れた。安らかな寝息を零す甘さを多分に残す、己にとって命賭けられる唯一の存在が起きることなきように気をつけながら、彼は寝台から下りると深い藍色のローブをまとう。
 ・・・・・彼を待つ者がいた。
「お前達か」
 夜と闇の魔王の声が暁の光の満ちた大地に吸い込まれる。それはひどくそぐわないからこその調和すら生じていた。
「お探し致しました、クラヴィス様」
 深い深い悲しみに心を染めた水の守護聖、かつて彼に最も傾倒し、側に仕えていた者が優雅な礼をする。『御同行下さりますように』と。
「断る権利はないのであろうな?」
 皮肉に笑う闇の守護聖の顔を直視することが出来なくなった水の守護聖は、涙の浮かんだアクアマリンの瞳を伏せる。彼は出来ることならここに来たくなかった。彼の悲しみを救いたいと思っていた心が、それが罪だと分かっていても、『そのままにして差し上げたい』と、力なく呟くのだ。
「お嬢ちゃんは何処です?」
 《炎の守護聖オスカー》は言う。任務を着実にこなすことで定評のある彼は、極めて事務的な言葉を作り出す。
「あれを、どうする気だ?」
「アンジェリークは家に帰される予定だよ。ま、予定は未定みたいだし?変わるかもしれないけど」
 二年前と少しも変わらない口調で《夢の守護聖オリヴィエ》は答えた。幾分視線を逸らせ気味に、だ。彼はそれ程この幾つか年上の青年を、嫌ってはいなかった。たった一つのことを除いては・・・・・

「ん?」
 艶めいた甘い吐息を零して寝返りを打ち、少女は有るべき筈の人がいないことに気がつくと身体を起こした。少し身体が痛むが、こればかりは仕方ない。
「クラヴィス様?」
 起き上がった拍子にまろやかな肩から白いシーツが滑り落ちる。
 何処にもいない。どうして?
 目の前が真っ暗になるような衝撃に、少女は慌てて床に捨てられるようにあった青年の漆黒の上着を仮に羽織ると外へと通じる扉に飛びつくように走った。
『・・・・・かった』
 外から聞こえる声に、少女は安堵する。扉越しでも声が聞こえる程の近さで彼はいる。だが、続けての言葉に少女は一瞬意識を失いかけた。
『アンジェリークは無事に家に届けてやってくれ』
 彼女にとって、それは何よりの裏切りだった。
「クラヴィス様?」
 彼の裏切りの言葉に、少女は愕然とした思いを抱いたまま青年の名を囁いた。

 扉が開く。その先に少女がいた。
「お嬢ちゃん」
 少女の姿を認めて炎の青年が足早に近づく。
「大丈夫か、お嬢ちゃん?」
 至極甘い声を使って彼は少女に問いかけるが、少女の答えはない。
 『キュッ』とオスカーと同じく少女の元に近づいた夢のような艶やかな青年は、唇を噛んだ。オリヴィエの、クラヴィスを許せないと思うたった一つのこととは妹のように愛していた少女をかどわかしたことだ。そのうえ、最悪の一歩手前の状況とは・・・・・考えたくなかった、汚された少女など。『死んでいないだけまだマシだ』とは思うけれど。
「じゃ、一度聖地に場所を移動しましょ。あんたの罪に対する追求はその後たっぷりさせてもらうわ」
 何時もの口調を維持するのに大変な労力をようしながら、オリヴィエは言う。
「つ、み?」
 少女の赤い唇が小さく言葉を作る。
「クラヴィス様?どういうことですか?」
 自分の肩に置かれた二人の手を振り払って、少女は冥府の王の腕を取る。
「今更、私を家に帰すのですか?」
 真珠のような涙に、彼は視線を逸らす。
「逃げ出したことを罪だとするなら、受けるのは二人だと、そう申し上げましたのに、聞き届けては下さらなかったのですか?」
 『答えて下さい!』縋り付く声に、朝日を浴びる闇の魔王は苦し気に顔を歪めた。
「アンジェリーク?貴女はクラヴィス様にかどわかされたのではなかったのですか?」
 目を見開いて、少女は声の主を見、心底からそう思っているらしいことを読み取ると、涙を拭いた。
「酷い方・・・・・あの手紙を握り潰されていたのですね?」
 戯れに書いた手紙は机の上にそのままあった筈だ。書き置きともとれるあの手紙は、彼女がそれを破り捨てる前に意識を失ったのだから、彼がどうにかしないかぎり、机の上、それもすぐに目につく所になくてはならない。だからこそ、何の手紙もかの地へと送らなくとも良いと、考えていたのだが。
「・・・・・私は、私の意志で飛空都市を出ました」
 そう答えると、反論が出た。
「・・・・・お前の、意識はなかっただろう?」
「そうですね。意識は有りませんでした。でも意志はありました。『貴方の側に在りたい』という」
 『ね?正真正銘駆け落ちではないですか』と晴れやかに笑う少女の姿に、男達は驚く。
「罪を受けるのなら、私もです。一緒でなければ、嫌です」
 腕の中で甘えるように体重を移してきた少女の肩を抱く。
「私は、どうやってもお前に勝てないな」
 『幸せなことに変わりはないが』との言葉が少女にだけ届く小ささで、少女の耳朶を打ち、少女はひっそりと彼の腕の中で幸せそうに微笑んだ。

 『二度と踏むことはなかろう』、そう思って逃げ出した大地の上に彼は在る。『帰って来た』と思った。物心ついてからずっと生きてきた土地だ、そう思って誰がそれを謗ろうか?
「クラヴィス様」
 心細気な本当ならもう少女とは呼べなくなっている年頃の、だけれどどう見ても少女でしかない可憐な面が彼を見上げていた。
「何でもない」
 安心させる彼女の為にだけにある笑みを向けると、少女は嬉しそうに微笑み返して、切ない瞳で言った。
「・・・・・私の帰る場所は、クラヴィス様の元です」
 『何処であろうと、貴方の側なら』と、少女は言う。
「あぁ、そうだな。私の真実帰る場所もまたお前の元だ」
 その言葉を言い終わった瞬間に、扉は開かれた。

 世界を守る守護女神と崇められる女王の姿に、二人は一瞬怯んだように立ち尽くし、神をも畏れぬ咎人の眼差しで射るように前を見つめて歩き出す。
 女王から見て左斜め、《闇の守護聖》のいるべき場所に、彼は視線を向けることすらしなかった。彼がいるべき場所は彼女の隣だからだ。『帰って来た』と思っても、それは過去への感傷でしかないからだ。
「お召しにより参上致しました」
 慇懃無礼な口調で彼は言い、上座にいる女王に二人は同時に礼をする。
 『サラサラ』 衣擦れの音が二人の耳に届き、

 威勢の良い音が二つ、女王の間に響いた。

「ロ、ロザリア?」
 力いっぱい頭を殴られた拍子に浮かんだ涙はそのまま、驚いた二人のうち少女の方が慣例を破って思わず女王の名を呼ぶ。
「懐かしい名前だわ。誰ももうその名で私を呼んでくれなかったから、自分でも半分忘れかけてきていたわ」
 美しき女王は笑う。泣きながら。
「馬鹿なアンジェリーク、どうして何も言ってくれなかったの?」
「ロザリア・・・・・」
「それに、クラヴィス。聞いたわ、貴方、アンジェリークが書いた書き置きを握り潰したんですってね。それがあったらあれ程心配しなくてすんだのに、まったくもぉ!」
 怒っているのか、泣いているのか、判断のつけにくい顔で女王は闇の守護聖を詰る。
「ロザ、否、陛下、何を?」
 『言っているのだ?』と言いかけた言葉は、女王の御手が軽く頬を引っぱたいたせいで続けられなかった。
「分からないの?思いっきり心配かけまくったことを怒っているに決まっているじゃないの」
 腰に手を当て、仁王立ちのその姿に、だけれど二人は思う。『何か違う』と。
「苦労したわよ、闇の守護聖不在を隠すのは、とてもね。女王の左右を詰める片翼ですもの。心配と苦労した分はきっちり働いてもらうわ」
 『ツンッ』とあごを上げるその仕草は、少女にとって大好きな親友の二年前の姿と変わらない。勿論、二年の間に随分綺麗になった。大人っぽいのではなく大人になった。だけど変わらない、その本質。
「ホントに、馬鹿なんだから」
 泣き笑いの顔は、ひどく美しかった。

 女王は語る。彼女自身と先代の女王とその補佐官だけしか知らない、二人が聖地を去った後に交わされた会話を。

『では、お探しにならないのですか!?』
 紺色の瞳に驚愕の感情を浮かべた当時まだ女王候補であった彼女は言う。否、叫ぶ。
『私に探す権利はないわ。そうさせたのは、私なのだから』
『過去に何があったのか、私は聞きませんわ。だけど、そのせいでアンジェリークが攫われたのだとしたら、私は陛下を恨み続けます!』
 涙を零して少女は非難する。
『ロザリア・・・・・』
 大人しやかな美貌の女王補佐官の声にも、少女は意志を変えようとはしない。
『アンジェリーク』
 大切な親友の笑顔を心に浮かべ、少女は嘆き続ける。
『前回の女王試験から、クラヴィスは変わったわ。貴女が知る程、彼は厭世的な人ではなかった。そうさせてしまったのは、私。『神などいない』と、言わせたのは私だわ』
『『神などいない』?』
『そう、私はあの人と恋を結ぶことなく女王となりました。私は、クラヴィスよりも世界の方が愛しかったから』
 白い女王の御手が、今は何処にいるのか分からない闇の守護聖の残した手紙を少女に渡した。
 細い字で、たった一言だけ書かれている。
 曰く、『神などいない』と・・・・・
 見ていると何故だか、彼の心が分かるような気すらしてくる文字だった。だからといって、簡単に許すことは出来ないけれど。
『世界を崩壊へ導こうと、彼はあの子を欲した』
 少女の心が呟く言葉を、女王が呟く。
『・・・・・分かりました。今は探しません。でも、私が女王になり、女王交替によって乱れた世界が安定すれば、探します』
『クラヴィスを』
 『責めないで欲しい』と続けられる筈だった言葉は、しかし少女の言葉で途切れる。
『私はクラヴィス様を責めることでしょう。責めずにはいられないのですから。でも、私はアンジェリークにも、聴きたいことがあるんです』
 『答え如何では、私は多分・・・・・』と言葉を濁す次期女王に、女王補佐官は問いかける。
『何を問うの?』

「『幸せなの?』」
 突然の問いかけに、少女は戸惑う。
「え?」
「知りたかったの。だって、冷静に考えたらおかしいでしょう?あんた自身が招いたのでない限り、夜中に連れ出されたというのに着替えてるなんて」
 残された部屋だけを見たうえでの考えなのだから、まぁ、実際と多少違っているのは仕方がなかろう。
「だから、もしかしたら、あんたもついて行きたいから行ったのかなって、思ったの」
 『最初は取り乱してて、考えつかなかったんだけど』と言う女王に、少女は微笑む。
「はい、幸せです」
 輝く金色の髪  煌く翠の瞳  変わらない無垢な心
「世界の誰からもそれを『罪だ』と罵られようと、いもしない神様の祝福を受けるよりも、幸せでしたし、幸せです」
「なら、良いわ。私は許すわ」
 嘘を知らないような、そんな少女は、女王が求めた答えを返した。
「『神様なんていない』というのには、私も賛成よ」
 人々から『神の代行者』だとか、果ては『世界の守護女神』とまで呼ばれる女王の言葉とはとても思えない。
「神だなんて、人の作り出した幻想だわ。そんなモノに、人を裁くことなんて出来ないわ。同じように許すことも出来ない。だけど、私は人間だもの。思いっきり責めたり、許したり、出来るわ」
 満面の笑みを持って、女王は言う。

「だから、許すわ」

 漆黒と黒に近い深い紫で作られた闇の館の一室を、彼は感慨深気に見て言った。
「あの時と変わらんな。・・・・・あそこ以外は」
「あそこ?」
 親鳥について歩く雛鳥よろしく後ろについていた少女が、自分の何倍も体格の良い青年の後ろから顔を出した。
「・・・・・」
「誰だ?あんな物をあれ程置いたのは」
 思わず呆気にとられる少女と呆れ口調の青年である。
「クッション」
 『ポテポテ』と近づいて一つを手に取り、少女は言う。爽やかな野の花の香りが微かにするところから、どうやら香草の枯れ草を使っているらしい。
「良い香りですけど、一体何方がこれ程までに・・・・・」
 それはちょっとした山のように積まれている。・・・・・違和感バリバリである。
「知らんが、まぁ良かろう」
「はい?」
 意味が分からず振り返った少女の肩が軽く押され、少女はクッションの山に埋もれてしまう。色とりどり、なかにはレースピラピラのンクッションや何やら執念めいたものを感じる程見事なパッチワークのモノもあり、『ふんわりほえほえ』した少女との相性抜群だ。
「クラヴィス様」
 『いきなり何するんですか?』としうようなニュアンスを浸し、ちょっとばかり怒ったような目で睨むが、本人はてんで平気である。当然のように彼には全然決して似合わないクッションに腰掛け、『そぉっ』と、壊れ物でも扱うかのように少女の肩を引き寄せる。
「どうなさったんですか?」
 少女が心配気な目を上げると、青年はひどく嫌なことに気がついた顔をしていた。
「・・・・・女王陛下の、最後の御言葉な」
「?」

『明日からアンタ達大変よ。ここは変化に乏しいから』

「あの言葉が、どうかしましたか?」
「ずっと考えていたんだが、あれは多分、他の守護聖達の玩具になる、というような意味だと、思うんだが」
「え!?」
 『ザァッ』と一気に顔から血の気の失せたアンジェリークである。それは傍らの青年もだが。
「元々好奇心だとかが異様に大きい連中だからな」
 二年以上もの間この聖なる大地を離れて暮らしていた、そのことだとか、根掘り葉掘り聴かれるのは必然である。
「あんまり、考えたくないですね」
「そうだな。他のことを考えよう」
 青ざめた顔で頷き合う二人であった。
「・・・・・そうだな、確かお前は以前、『祝福の鐘などいらない』と言っていたが、どうせからかわれるのなら式でも挙げるか」
 口元に笑みを浮かべて悪戯っぽい光を宿した紫の水晶に、少女は『クスクス』と笑う。
「いりません。クラヴィス様は自分が信じないモノの前で、白々しく誓いを立てられますの?」
 煌く瞳に少しだけ意地悪そうな瞬きを混ぜて、少女は上目使いに彼を見上げる。
「だが、そういうのを女性は最大の夢だと思っていると聞き及んだが」
「それはまぁ、確かにそう考えていた時もありましたけど」
 考え込むように人差し指を唇に当て、少女は言う。
「あの時申し上げましたでしょう?『大切な人達からのお祝いも、教会の祝福の鐘もいらない』って。私はいもしない神様に誓いを立てたり、出来ません。・・・・・私は、クラヴィス様がいて下されば、良いんです」
 『他は何も望みません』と、少女は大人びた微笑みを浮かべる。何処かまだ大人になりきれない少女だけの不思議な笑みを。
「ならば、良い」
 慈しむように引き寄せた少女のもたれ掛かった金色の髪を梳きながら、彼はそう囁きかける。
「私も、お前がいれば良い」

 いないだろう、もしいても遠くの神様なんていらないから
 ただ  アナタ  が  側  に  いて・・・・・

「いもしない神に誓いなど立てられないが、この腕の中にいる天使にならば誓おう。私の愛は、お前だけのモノだ」

 初めて瞳見交わしたあの瞬間、開かれた運命
 選び取ったのは自分、誰かに何かに流されたわけでなく
 あの時から見つめ続けた、限りない愛しさを抱いて

「私が天使だというのなら、私の神様はクラヴィス様です。・・・・・私の想いも愛も全て、貴方一人のモノです」

 初めて出会ったあの刹那、心奪われた
 恋した刹那の別れ、涙を流すことすら出来ない深すぎる哀しみ
 再会した刹那の歓喜、その他全てが消え去る程の

 最愛なる者を己が最高の地位に置き
 二人は誓いを立てる

 重なった唇は  聖なる誓い

「永遠に愛している」

END