MOTHER NIGHT

MOTHER NIGHT


 夜に全てを失った

 漆黒の闇の中
 たった一人という完璧な世界 封鎖された変化なき世界
 知らぬうちに時だけが彼の頬を掠め、孤独だけが傍らで微睡む
 一筋の光
 闇の中で時を刻むだけの彼を照らし出した光は金 緑の粒子がその中を舞っている
 内心戸惑いながらも無関心を決め込む彼の前に天使は光臨した

 漆黒の闇に広がる金 黒の中の翠

 瞳に優しい光の乱舞 《闇の守護聖》 は闇色の執務室を疑似宇宙へと変えると、そのなかで一人の少女のことを想っていた。戯れに灯した焔のなかに姿浮かべ。
「・・・・・」
 指先に灯る紫の炎が消える。物憂気に彼は組んだ手の甲に額を乗せて、思い悩むが故に呟く。想う天使の名を。

 まとめられた金色の髪を乱して少女は勢いよく扉を開くと星々 の煌く小さな別世界に足を踏み入れた。扉を開いた勢いと同じだけの勢いで黒い髪の守護聖の元に詰め寄り、後ろでその重さによって扉がきっちりと閉まったことなどまるで気づいてはいない。
 荒い息を整えるよりも早く、吐き出すように言った。
「守護聖の任を降りられるとは本当ですか?」
 『知られたか』と、彼は内心で呟く。知られたくなかったのだ、この少女だけには。知られた以上真夏に降る雪のように儚いものだが、出来ることならば任を降りるその日まで知られたくなかった。
「近日中に次期《 闇の守護聖》 が披露される」
 内心を露程も出すことなく、言の葉が紡がれる。心の冷めた部分が奇妙に冷静な声で返事をしている。
「・・・・・聖地からは出るつもりだ。そう、エリューシオンにでも行こうか?」
 緑に包まれた優しい大陸《 エリューシオン》 目の前の少女が育てた大地 今も気にかけて降りていると聞いた。もう、会えなくなる、何の接点もなくなる。それならば、垣間見ることが出来るかもしれないあの地へ。
 青褪めた少女に《 闇の守護聖》 は言った。苦痛を伴うが真実心から思う言葉を、何故これ程までに冷静なのか、彼は自分でも不思議な程に冷めた声で。
「幸せになれ。時に埋もれるその時まで、そうなることを願っている」

 少女は首を振った。鳴咽混じりの意味ない言葉が、可憐な赤い唇から漏れる。
「泣くな」
 弱り果てた声で彼は言った。答えではない言葉は回答拒否を意味している。
「・・・・・あぁ・・・・・」
 悲しくて悲しくて、消えてしまいたい。
「泣くなと言っているだろう?」
 少女の頬にやった手に熱い滴 細い顎に指搦め、上向かせる。
 緑柱石の瞳から水晶の涙が零れて落ちていく。・・・・・見るべきではなかった。
 半ば無意識に衝動に動かされて、彼は少女を胸に抱いた。泣かせたい訳ではなかった。決して泣かせたい訳ではなかった。守りたいと、笑っていて欲しいと、切実に思い願おうとも、何故この少女を泣かせたいと考えようか!?唇噛み締める。抱く腕に力がこもるのを止めようとして、意に反して強く少女を抱き締めながら。
 少女の頭が傾く。彼の方へと涙に濡れた翠の瞳を向ける為に。一度涙の止まった瞳が、彼の瞳を射抜く。その底に隠された真実を見つけようとするかのように。
「何故、何故、・・・・・とは」
 一筋耐えきれない涙が零れた。それは頬を伝って二人の足元へと・・・・・
 人魚の涙が凍えて真珠となった。ならば無垢な天使の涙は?・・・・・黒大理石に弾けて消えた。堕ちて、砕けた・・・・・
「何故、共にとおっしゃっては下さらないのですか!?」

 何かの壊れる音がした
 硝子の壊れる音に似た哀しい程澄んだ音だった

 奪うような口づけ 時が凍える
 己を支えることすら出来なくなった少女の身体が崩れるのを、彼が代わって支え、『ふわり』、膝を折った。
 疑似宇宙 磨き込まれた黒大理石は星々 の輝きを映して上下の感覚をあやふやにする。混乱し、心の平静を乱した少女は脅え震えて、唯一つ確かなモノに身を寄せる。広い胸は暖かくて、たとえようもない程安らげる。
 宥めるように、金色の髪の間からのぞく真白の額に唇を当てる。心からの慈しみを乗せて、優しく、そっと・・・・・

 白い手が黒い髪に触れる。そこに確かにいることを確かめるように。
「クラヴィス様」

さらさら・・・・・
 金色の髪が冷たい黒い床に散る
さらさら・・・・・
 漆黒の髪が柔らかな金の髪の上に堕ちる

 赤い唇が金の髪に口づける。そこに存在することが信じられないように。
「アンジェリーク?」

夢うつつ
 光を内包したエメラルドがアメジストを映す
ゆめ現
 闇を取り込んだ紫水晶が緑柱石を映す

 口づけを交わす しなやかな口づけ 微かな吐息を漏らすことも許さない長い口づけ
 片腕で身体を支えながら彼は彼女の髪に片手の指を差し込んだ。口づけの熱さに喘ぐような息を繰り返す少女の頭を持ち上げる。
 眩しい程に白い首筋に唇を這わせた。

《 ・・・・・ている》

 気がついた時、少女は彼女の部屋の寝台の上にいた。
 霞がかかり、思考という力が欠けた頭は働いてくれない。あの事柄が夢であったのか、現であったのか。嘘なのか本当なのか・・・・・
 起き上がり、身体を覆う黒絹をおさえて姿見の前に立つ。そして身を包む黒衣を緩めて白い肩を晒す。優しい線を描く胸の上辺りまで晒した少女は、崩れるように座り込んだ。
 白亜の聖神殿のなかの薄く紅の入った部屋で、少女は黒衣に顔を埋めて必死に耐えようと唇を噛み締めた。
 共に在ることを望みながら拒絶された苦しみを、一夜の夢幻の儚い痛みを、黒絹から香る夜の香に抱き締めて、彼女は耐えようとした。

 白い肌に赤い花が咲いている。

 降ってきそうな星の光 夜の女王月は今宵は姿を見せず、彼は聖なる大地を後にする。始めて訪れてから今まで、得てきたモノを全て捨てて、捨てきれない想いだけを胸に抱いて。
 ふと、彼は苦笑した。『似過ぎている』と。
 聖なる力の後継として任を受けて訪れた日、自分は母から譲り受けた水晶球だけを抱いてこの地に立った。形あるモノと形なきモノの差はあれど、似過ぎている。
 もしも、彼女が女王補佐官でなければ、時の流れが違う存在として、諦めはついていただろうか?彼女が先に土に還る存在ならば?
 切ない吐息が漏れる。
 『それでも愛した。焦がれた。共にいたかった』

 声が届いた。今宵この刻に彼が聖地を去ることを知っているのは、女王と彼を気遣ってくれた水と地の守護聖だけの筈だ。
「・・・・・様」
 白い手に彼が残した水晶球を持った少女が駆けて来る。夢でも幻でもなく、現実の実体を持った少女だ。
 不敬と分かっていても、彼は女王に対して舌打ちをする。少女に渡してくれるよう頼んだ水晶球、ただ忘れられることが嫌だった彼が少女へと残したそれ。それが少女の手にあるということは、それを渡した女王が告げ口をしたのだろう。
「女王陛下から女王補佐官の任を解かれてしまいました」
 台詞が台詞故に唖然とする彼に、少女は艶やかに笑む。無邪気さと無垢さ、何時もそんな微笑ましい笑顔の少女が、魅せる笑顔を浮かべている。
「側に置いて下さらないなら、私が勝手について行きます」
 そこにいたのは女だった。無邪気な少女でも、無垢な天使でもなく、一人の女だった。人々の敬よりも、愛した者の側にいたいと願う、女だ。
 その魂の輝きで、闇を寄せつけない天使は、翼を失って、それでも、幸せそうだ。
 少女を抱き寄せる。驚いて見上げる白い面の赤い唇に口づけ。
「愛している」
 漆黒衣に包まれた腕の中、耳元で囁かれた言の葉に幸せな笑みを零す少女の姿が、夜の闇色の髪によって隠される。誰からも、何からも、彼以外の全てから・・・・・
 願いと望みと想いを込めて、二人の唇が重なった。

夜に全てが変わった
 聖なる力を有した者は、夜に過去を失った
夜に全てが変わった
 聖なる天使は、夜に翼を失った

夜に全てが変わった
 星降る刻に二人は、お互いを手に入れた
夜に全てが変わった
 時の流れに身を任せ、二人は幸福だった・・・・・

END