天使の堕ちた日

天使の堕ちた日



 天の御使いたる天使はその背に天へと昇る為の翼がある。
 私はそれを・・・・・

 金糸の髪に緑玉の瞳、白い肌に赤い唇、ほっそりとした何処かまだ幼い少女は一心に何かを祈っている。名を呼ぶと彼女は息をのんだ。
「こんなところで会うとはな」
 足元で長い黒衣が草と大地を愛撫する。
「お、お会いしたかったです。クラヴィス様」
 頬を薄い薔薇色に染め、アンジェリークは小さくそう言った。
 何かが蠢く。静かに、荒々しく、自分の身体を食い破ろうとするかのように。
 両手で少女の頬を挟んで上向かせると、磨きあげられた緑の宝玉のような瞳の中に誰かがいる。
 コレ・ハ・ダレ・ダ?もっと近づけば分かるのだろうか?
「クラヴィス様?」
 震える声は可憐な澄んだそれで、何かが更にウ・ゴ・メ・ク!
「オーイ!」
 呪縛が解ける。
 なんだ、今のは?確かに自分の中で、何かが蠢いた。
「と、お嬢ちゃんもいたのか。こりゃ悪かったな、折角のデートに」
「違います!丁度ここでお会いしただけです」
 真っ赤になってアンジェリークはオスカーに反論する。胸が痛い。
「ははぁ、そこの滝にお祈りでもしてたのか?」
「えぇ、前にここの事を教えてもらったので育成が必要でない日はよく来るんです」
「誰に来て欲しくてやってたんだ?(ニヤニヤ)」
「・・・・・何でそう聞くんですか?」
「ここの別名知らないのか?ここは別名《 恋人達の湖》 、日の曜日にカップルがいるだろ?」
「知りませんでした。ホントに全然」
「まぁ、祈りの滝の確率は低いから、期待せずにがんばんな」
「はぁ・・・・・」
 困ったような顔。アンジェリークは何時も素直に感情が顔に出て来る。
 また何か話しかけるオスカーにアンジェリークが笑いかける。胸が痛くて堪らない!

 天では漆黒の宝石のちりばめられたドレスを着た夜の女王が、銀の髪を優雅に垂らして天を二分する川をつくっている。
「天使を汚したい・・・・・」
 通常の人が聞いたら耳を疑うような言葉。それを紡ぎ出したのは、闇を司る守護聖《クラヴィス》
「折角の綺麗な星空だっていうのに、何落ち込んでんのさ?」
 闇も避けて通りそうなド派手な夢司る守護聖《 オリヴィエ》 が、ニッと口の端を歪めるように笑ってそう言った。
「オリヴィエ、天使を汚すにはどうしたらよいものだろうな?」
「何言ってんのさ」
「天へ行く為の翼を引き裂き血で汚せば、天使は二度と天へと戻れないのだろうか」
 答えを求めているような声ではない。寒気のするような表情に、オリヴィエは我知らず息を飲んだ。

 明けない夜はないけれど、明ける一瞬前ほど暗いモノはない。

「クラヴィス様、大丈夫ですか?」
「クラヴィス」
「来た早々、何だ?」
 慌ただしく他の守護聖達が執務室に押しかけて来た。
「・・・・・その、気が触れたと聞いたのですが・・・・・」
「誰だ、そんな事を言ったのは?」
 呆れてそう言うと、けたたましい音を立てて執務室の扉が開く。
「クラヴィス様!」
 金の髪を乱し青い顔をして、アンジェリークが言う。
「わーい、アンジェリークだ!」
「おはよう、アンジェリーク」
「おはようございます」
 思わず条件反射だろうか?律義に頭を下げるアンジェリーク。
「クラヴィス様、オリヴィエ様から聞いたのですが、気分は如何ですか?」
「別に、悪くない」
 何なんだ、全く。
「凄い騒ぎになっていますね、お見舞いに来ましたよ」
「ディア、これはどういうことなんだ?」
「どういうと、言われても。私はオリヴィエから『クラヴィスの気が狂った』と聞いたから来たんですが」
 オリヴィエ・・・・・
「別に、気が触れたりなどしていないぞ」
 思わず怒りに声が震えそうになるのを抑える。
「あれ、そなの?てっきり真夜中に『天使を汚すにはどうしたら良いのだろうか』なんて言うから、てっきり・・・・・いやぁ、ワリワリ」
 悪いですむか・・・・・
「命が惜しかったら、逃げたほうがいいのではないですか?」
「のようですねぇ。んじゃ」
「待て!オリヴィエ!」
「落ち着いて下さいクラヴィス様!!」
「殿中、じゃなくて、聖殿ですぅ」

 アンジェリークとロザリアの住んでいる場所は特別寮の一階の右と左だ。左のアンジェリークの部屋からは、何やら甘い香りが漂っている。
「はぁい!どうぞ」
「アンジェリーク、何故か会いたくなって来た」
「お誘い下さってとっても嬉しいです。お茶しながらお話ししませんか?」
「あぁ」
 勝手知ったる他人の家、とばかりにクラヴィスは席に着く。
「料理が好きなのか?」
「そうですね、色々作って誰かに『美味しかった』と言ってもらうのが好きです」
 香りの良いハーブティーを手際良く入れていく。
「なるほど」
「お菓子を作るのは特に好きなのでよく作りますね。ですから甘いものがお好きなマルセル様がこの時間帯によくいらっしゃいますよ」
 良い色に焼けたケーキを切り分けると、
「どうぞ、お口に合えば良いのですが」
 まだ焼き上がって間もないそれは、とても暖かだ。
「ふむ、なかなか良いぞ」
「有り難うございます」
 笑顔のアンジェリークの背後で、風に吹かれたカーテンが大きな翼のように広がる。
「何時もお力を贈っていただいて有り難うございます。土の曜日にエリューシオンに行って来た時、大神官に聞きました」
「別に私だけではない。リュミエールやマルセル達も贈っているだろう」
「えぇ、聞きました。でも、クラヴィス様が一番多いとも聞きましたから」
 己の育てている大陸だ、導いている人々だ。『当たって砕けろ、砕けて当然』でやり始めたとはいえ、順調に成長し、人々から慕われれば嬉しいのが当然だ。アンジェリークの表情はこの上もなく輝いて美しい。
 取り留めもない会話、意味があるとはとても思えないそれらも、二人にはとても楽しいものだった。時間が過ぎるのが早い。
「では、私はそろそろ帰ろう」
「今日は有り難うございました」
 ひどくご満悦状態のアンジェリークはニコニコと笑ってそう言った。明るい笑顔。
「また、来る」
「土の曜日以外なら何時でも歓迎させていただきます」
「気をつけよう」
 小さくクラヴィスが笑う。目元の険が取れて優しい。

 天使を手に入れよう
 翼をもぎ取り、白い天使を血で染め上げ、二度と天には行かせない
 邪魔する者は許さない

 天使は嫌い
 どんなに渇望しようと、全く助けてくれない天使は嫌い
 神様なんて大っ嫌い
 どれ程助けを求めても、少しも現れてくれない神様なんて大っ嫌い

 愛してる。愛している。愛してる。愛している。愛してる。愛している。
 たとえ地の底に堕とされても、私は貴方を愛してる。愛している。

 体の中で、何かが蠢き、囁く。
 『ハ・ヤ・ク・シ・ロ』
 耐えることはもう出来ない。
「アンジェリーク、話がある」
「はい?」
 無邪気な笑顔。無防備な笑顔。
「私はずっと探していた。私を《 闇》 から救ってくれる者を」
「クラヴィス様」
「アンジェリーク、私の元へ」
 差し出した手に、細い指が。
「愛してる、アンジェリーク。お前なしの私のこれからの人生など考えられない。どうか、私と共に、長い時を重ねてはくれないか?」
「喜んで」
 小さな声が同意の言葉を乗せた。
「アンジェリーク、私の天使・・・・・」
 白い指にキス。それは誓い。
「私はお前を手に入れる為に、お前の女王候補としての資格をもぎ取ってしまった。許してほしい」
 緑の双眸に写るのは、自分。愛しいアンジェリークの緑の双眸に、自分だけが写っている!それは歓喜!
「私は天使ではありません。薄情な天使でももの言わぬ神様でもありません。愛しいクラヴィス様、どうか、私の命の果てるその時までお側にいさせて下さい」
「アンジェリーク」
 抱き寄せた少女の身体から、愛しい暖かさが感じられる。
「クラヴィス様を、愛しています」
 この体の中で蠢いていたのは想い。アンジェリークへの恋い恋うる心。
「たとえ血で染め上げようと、アンジェリークがアンジェリークであるかぎり、愛している」
「私は貴方しか見ていませんでした。クラヴィス様を愛しています」

 想いは成就し、新世界でも二人はお互いを《 運命の相手》 として愛し合った。
 死が二人を別とうと、ずっと・・・・・

END