魔法

魔法


 きっと  あの人の指には魔法がかかっている

 触れる度に  ドキドキ  する

「魔法を教えて上げるよ」

 淡く輝く金色の髪の上に、濃い蜜色の髪が流れる。
 震えている少女の金色の髪を一房白い指に搦め捕る。涙のにじんだ翠の瞳を見つめながら、己の指に搦めた髪に軽く唇を押し当て、かの人は問いかける。
「・・・・・嫌なのかな?」
 首を傾げる仕草につられて、少女の髪の上に広がる蜜色の髪が揺れる。
「嫌?」
 再度の問いかけに、少女は首を横に振った。頬を真っ赤に染めて。
「分かりません」
 嘘だとか偽りだとかから程遠いところで育った純粋培養の魂の持ち主は、その瞳で最もそれを表している。澄み渡った翠の双眸に、陰りはひとかけらとてない。
「・・・・・怖い?」
「はい」
「でも、嫌じゃないんだ?」
「・・・・・はい」
 ためらう口調の肯定の声に、柔らかな笑い声が被さる。
「本当に素直だねぇ」
 ひとしきり笑うと、笑みのにじんだ声が少女の耳元で囁かれた。熱い息と共に滑り込むように。

「きゃっ」
 後ろから抱き締められて、少女は思わず短い悲鳴を上げる。
「おはよう、アンジェリーク」
「あ、オリヴィエ様」
 艶めいた性別判断のしにくい声の主《 夢の守護聖オリヴィエ》 に、少女は取り落としかけた育成対象である《 大陸エリューシオン》 の現状を事細かに書いたノートや筆記用具一式を抱え直すと、鮮やかに笑って挨拶をした。
「おはようございます」
「はい、おはよう」
 再び朝の挨拶を紡いで、夢色の麗人は愛らしい少女《 女王候補生アンジェリーク》の甘い線を描く頬に唇を当てた。
「オリヴィエ様ぁ」
 慌てる少女の様子がいたく気に入ったらしい、瑠璃色の瞳に悪戯っ子のような光を宿して彼は言ったものである。
「かぁわぁいぃ」
 少女は脱力した。
「朝っぱらから何やってんだ?」
「おはようございます、オスカー様」
 苦笑めいた笑いを浮かべて庭から回廊の方へと歩いてくる《 炎の守護聖オスカー》に、笑顔で少女は礼をした。
「まぁた、朝帰り?」
 からかう声に、男らしい容貌に不敵な表情を浮かべて何も言わない。
「アンジェリーク、あぁいう男にだけは一人じゃ決して近づいちゃぁ駄目よ」
「失礼な奴だな」
 段差の関係上見上げる形の青年は少々『ムッ』とした様子で回廊の手摺りに手をかけ、腕一本で自分とそう大差ない手摺りを飛び越えて回廊の内側に入ってのけた。
「別にとって喰う訳じゃあるまいに、失礼だとは思わないか?お嬢ちゃん?」
 二人の会話を楽しそうに聞いていた少女は、『くすくす』と笑いながら悪戯っぽく言ってのけた。
「オスカー様のストライクゾーンって、下は三才から上は三十路じゃないんですか?」
 『けらけら』と笑うオリウィエと苦笑するオスカーである。
「あぁ、公園によくいるミゼットちゃんとお母さん?」
「勿論親子揃って魅力的ではあるけどねぇ」
 気障に髪をかきあげ、瞳に甘い笑みを浮かべてオスカーはアンジェリークの細いあごに指を絡め、
「どちらかといえば、お嬢ちゃんの方が安全圏だな」
 そのまま少女の可愛らしいチェリーピンクの唇に自分の唇を寄せる。
『どげしっ』
「・・・・・何やってるんです、オスカー・・・・・」
 ひくぅい声で、優雅な外見のわりに結構な力を持った銀と青の混ざった不思議な髪の優美な佳人《水の守護聖リュミエール》 は凄んだ。手に持つ愛用のハープを打撃用の武器の代用とし、力の限り同期である守護聖のドタマを殴りつけて。
「リュ、リュミエール様?」
「大丈夫ですか?駄目ですよ、オスカーがいる時に隙を見せては」
 引きつった顔の少女に、それは心配そうな顔で佳人は言ったものである。
「お前ぇ!何しやがんだ!」
「貴方が先にアンジェリークに手を出してたでしょうが!愛らしいウサギを狼の前に置いておく危険に気がつかない程愚かではありませんよ」
 そのまま延々と口喧嘩に突入する二人であったのだが、ふと気がつけば、
「・・・・・アンジェリークは?」
「育成に行ったわよ」
 『当然でしょ』と、オリヴィエはオスカーに答えた。彼が『どうしましょう?』とうろたえていたアンジェリークに、いとも容易く『気にせず頑張んなさい』と言って、育成に行かせたのである。
「そうそう、オリヴィエ。良いハーブティーが手に入ったのですが、如何ですか?」
「アハ、そうなんだ。行くわ。リュミエールのとこのお茶は美味しいうえに美容に良いんだもん」
 『ぼそり』とオスカーは愛想の良いリュミエールを見て言った。
「・・・・・二重人格・・・・・」
『どげしゃっ』

 ほのかに甘いハーブティーを楽しみながら、静と動の美貌の二人は同じ芸術を、しかし全く別の方向から話していた。知的な話し相手としてお互いを認め合っている二人であるから、話しが弾むのは当然であった。
「あんたさぁ、前から思ってたんだけど」
 突然の問いかけに、口をつけていたティーカップをソーサーに置くと、『ゆうるり』とリュミエールは首を傾げた。
「リュミエールってば、オスカーがアンジェリークにかまうと怒るけど、私の時は全然怒んないわよねぇ?どうして?」
「何だ、そのことですか」
 『くすり』と上品に口元を隠して、リュミエールは笑った。
「簡単ですよ。オスカーがアンジェリークを口説くのは条件反射ですけれど、貴方は本気でしょう?」
 驚いて声も出ないオリヴィエの様子に、リュミエールは楽しそうに笑う。嫌みな感じは粉微塵も受けない笑い声だ。
「隠し通すおつもりでしたか?」
「う、ん。どうだろ?そういうつもりはなかったんだけど、よく分かったわね」
「時々本当に幸せそうにアンジェリークのことを見ていたり、話したりしていたでしょう?だから、何となく」
「修行がたんないかなぁ?」
「どうでしょう?オスカーはそれとなく気がついている素振りがありますが、他の方は気づいていないようですよ?・・・・・アンジェリークも、ですが」
「そうなのよねぇ、アンジェリーク本人が全然気がついてないの」
「モーションのかけ方が悪いのでは?あれでは『妹に懐く兄』の図ですよ?」
「だってさぁ、あんまり可愛いもんだから、ついつい」
「異性として意識してもらわないと、恋には発展しませんよ」
「分かってんだけどねぇ」
 お茶のおかわりを催促しながらオリヴィエは考える。今現在の位置も、なかなかに捨て難いものがある。
「たまには静かな森の湖に誘ってみたら如何です?」
「うーん、どうしようかな?」

『ぴんぽーん』
「はぁい!」
 元気な少女の応えに、一瞬鼓動が早くなる。
「今日和、オリヴィエ様」
「はい、今日和。遊びに来たよん」
「嬉しいです。どうぞ、入って下さいな」
 『きゃぴりん』 女の子女の子した元気さで、少女は扉をいっぱいに開く。手に小さな箱を持ってやって来た美貌の守護聖を招き入れる為に。
「あら、お掃除してたの?」
「えぇ、でももう終わったところですから」
 『テキパキ』と掃除の道具を片付けながら少女は言う。
「私、お嫁さんになるのが夢なんです。だから家事は一応全部出来るんですよ。お料理も大好きなものだから、土の曜日と日の曜日は自分でご飯作るんです」
 誇らし気に胸を張って言う少女は可愛らしい。
「いいなぁ、今度ご相伴させて」
「はい、きっとですよ」
「勿論よ。約束」
 『きらきら』と瞳を輝かせる少女に、頷く。二人だけの約束が嬉しくて、青年は目を細める。
 一度簡易キッチンの方へと姿を消した少女は、瞬く間にお茶の準備をし終え、その手にティーセットとお手製のお菓子を持って現れた。
「これ、女の子の部屋に手ぶらで来る訳には行かないでしょ?気に入ってくれると良いんだけど」
 箱のリボンを解くと、中から煌く銀の薔薇を象ったペンダントが姿を見せた。
「つけたげるよ、おいで」
 手招きするオリヴィエに、アンジェリークは戸惑った顔で立ち竦む。
「そんな高価な物をいただく訳には」
「そんなこと言わずに、ね、貰ってよ。アンジェリークがつけてる姿が見たくて買ったんだから」
 『駄目?』とでも言うように、青年に少し悲しい表情をされた少女は、それでもまだためらいがちに彼の前に立った。
「動かないでね。アンジェリークの髪ってふわふわしてるから、絡まっちゃうかもしれないでしょ?」
 そんなこと言われずとも、何時もと違った体勢で半ば抱き締められるような格好の少女は完全に固まってしまっている。青年から薫る香水の香りに包まれて、何やらとんでもなく恥ずかしい。
「似合うよ、アンジェリーク」
「あ、有り難うございます」
「いいのよ。アンジェリークの髪ってばすごく綺麗だから金より銀の方が良いと思ったんだけど、その通りだったわね」
 自分の審美眼の確かさに満足そうに彼は笑う。
「今度は服をプレゼントするから、それ着てデートしよ?」
 突然の目を白黒させたアンジェリークの様子が故に、オリヴィエはそれは楽しそうな笑い声を漏らす。
「無理にとは言わないけど、どう?私としては、可愛く着飾ったアンジェリークを皆に見せびらかしたいんだけど」
 『絶対可愛いわよぉ』と、心底楽しそうな声に、少女は頷いた。
「はい」
「じゃ、約束ね?」
「はい!」
 輝く笑顔で、少女は頷いた。

 そして、日の曜日毎のデートが重ねられる。

 流れる時に合わせて、少しづつ想いが重なっていく。

「リュミエール」
「おや、今日和、オリヴィエ」
 底抜けに元気な様子の麗人に、佳人は軽く首を傾げて無言のうちに問いかける。『何の御用ですか?』と。
「アリガト」
「は?」
「アンジェリークのこと」
「あぁ!・・・・・上手くいっているのですか?」
「ん、意識してくれてるから、もう少し」
 百花に負けぬ美貌のこの人の照れたような笑いを初めて見た佳人は、一瞬目を疑った。わりと親しくしてはいたが、こんな風な笑顔は数えるのも億劫な程の昔である出会ってからこっち一度だって見たことがなかった。
「そうですか」
 『良かった』と微笑む、誰よりも優しく穏やかなくせに一本通った性格の佳人に、麗人は礼を言う。『有り難う』と、心から。迷う背を押してくれたあの強さを秘めた優しさは忘れられるものではない。
「差し出がましいとは思いますが、もう一つ進言してもかまいませんか?」
「なぁに?」
「そろそろエリューシオンに建つ館の数が2/3を過ぎる頃の筈。どうぞ、後悔をなさいませんように」
 そう言う佳人のアクアマリンの瞳には真剣な色。気の合う麗人を思うように、否、それ以上に大切に愛しんでいる少女の為に。『どうか、後悔をするようなことのないように』と、彼は言うのだ。
「勿論だわ」
 応える麗人の瑠璃の瞳が煌く。かの少女を離す気はまるでなかった。

「っていうのにぃ!一体何なのよぉ!」
 怒り大爆発でオリヴィエは叫んだ。『ブッチブチ』とばかりに完全に切れている。
「ざけんじゃないわよ!何でよりによって今日!こんなっ!大雨なのよぉ!」
 完全防音の執務室だから良いようなものの、近所迷惑な大音声である。もっとも、それも『ストレス溜めるのは美容に良くない』との信条に則った結果なので、誰かが聞いていたとしても彼が恥じることはないであろうが。
『コンコンッ』
「いらっしゃいますか?」
「はぁい?誰?」
 答えの分かりきった問を、不機嫌に紡ぐ。
「リュミエールです」
 律義に応える声に、入室許可の意を持った台詞を紡ぐ。
「おはようございます」
 不機嫌そうなオリヴィエの様子に、優美な眉を寄せてリュミエールは言った。
「どうなさいました?」
「折角の日の曜日のチャンスに見事に水差してくれた雨相手に怒ってただけよ」
 ついでに付け足すなら、いまやエリューシオンの発展度はかなりのもので、後もう少しで新女王を決める大陸中央に届こうかという程である。オリヴィエとしては、今日あたりアンジェリークに告白しようと思っていただけに、かなり苛ついてもいる。
「それは、まぁ」
 唇を袖で隠し、何とも形容のし難い透明な微笑み浮かべて佳人は言った。
「良いことをお教えしましょう。この雨、お昼からもう少しマシになりますよ」
「リュミエール?」
「私の用事はそれだけです。頑張って下さいね」
 『GOOD・LUCK』と、優美な姿とは掛け離れていながらも意外と似合う小粋な仕草で彼は振り向くことなく手を振った。
「まさか」
 アンジェリークを想う心で誰かに負けるつもりは毛頭ないオリヴィエではあったが、まさしく『妹を思う兄』としてのリュミエールには、時々勝てない気がしていた。一瞬見えた横顔、あれもそうだ。恋より強い愛情を宿した、世にも美しい表情だった。
 もしかしたら、守護聖の力を持ってすれば天候など思うがままだがそれは禁止されていることでもある。それを、あの佳人は破る気なのか?来週中には女王になることを約束された娘に、もう一つの道を示す為に・・・・・

 雨に沈んだ飛空都市の特別寮に、明るい音が響いた。
『ピンポーン』
「はぁい!」
 『しょんぼり』と育成ノートを見るともなく見ながら、一人寂しくお茶をしていた少女は慌てて扉に向かう。
「ハァイ!」
「オリヴィエ様!?」
 綿菓子みたいなふわふわした少女には、やっぱりフリルが似合う。ペチコートを使った時の為か、上から下までボタンが続くワンピースには、それが鬱陶しくならないようなデザインのワンピースの裾が揺れる。
「遊びに来たんだけど、良いかな?」
「えぇ、勿論」
 元気に頷いて、片手に無色透明のセロハンでまとめピンクのリボンのつけられた霞草だけの花束を持って現れた夢色の青年を部屋に迎える。
「これ、プレゼント」
 少女が受け取るには片手では無理という、大量の霞草の花束だ。受け取った少女の顔が霞草の後ろに霞み、浮かべられた愛らしい笑顔もまた揺れる霞草ににじむ。
「来て下さって嬉しいです。お約束していたのに、この雨でしょう?聖殿まで行けなくて・・・・・」
 愛らしい少女の声に、オリヴィエは嬉しそうに笑う。『気にしていてくれていた』と。
 少女は、ふと気がついたことを言った。
「オリヴィエ様、お化粧」
「あっ!やっだぁ!ゴメン、ちょっと借りるね」
 少女の言いたいことに気がついた青年はシャワールームと対の洗面所に駆け込む。朝よりマシとはいえ、まだ雨はかなりのものであったのだ。

 化粧を直して出てくるかと思われた青年は、予想に反してすっかり素顔で現れた。
「アンジェリークには、素顔の方も好きになって欲しいもの」
 少女の問いかけに、青年は笑って答えたものである。
 そうして時を忘れて話し込み、請われるままに少女手製の夕飯を平らげ、元々大雨の雨雲暗かったとはいえすっかり夜が更ける頃まで彼は少女の部屋でその日の1/4以上を過ごしたことに気がつかなかった。
「そろそろ帰んないといけないわね」
 名残惜しいが、仕方あるまい。恋しい少女を前にして、こんなにも夜が更けては理性の自信も揺らぐというもの。
「玄関までお送りします」
 青年に続いて少女も立ち上がったまでは良かったが、
「きゃっ」
 突然外が光り、半瞬後に停電である。完全に失念していたが、外は大雨であった。
 『ふわり』と指先に夢のサクリアを集めて明かりの代わりとする。
「大丈夫?」
 耳元で囁くように問いかける。体勢を崩して腕の中に転がり込んで来た少女のそれに。
「は、はいっ!」
 必要以上に大きな声で答え、少女は照れ隠しの笑い顔を彼に向ける。
 闇を駆逐するまさしく輝く笑顔に、切り出そうとして切り出せなかった言葉より行動が先走った。

 ウバウヨウナくちづけハ  フレルダケノくちづけダッタ

「好きよ、アンジェリーク。・・・・・愛してる」
 惚けたように自分を見上げる少女の唇に自分のそれをまた重ねる。重ねるだけ。
「好き、ずっと好き。愛してる。ずっとずっと愛してる」
 口づけを降らせながら、少女の反応を伺う。
 当然だが、驚いている。だが、拒絶はない。応えもないけれど。
 呆然と立ち尽くす少女のワンピースのボタンに手をかける。
「アンジェリーク、好き」
 魔法のように、ピンクのフリルがふんだんに使われたワンピースのボタンが外される。外して少女から布を外して、それを床に落とす。
 小柄な少女はまるで子犬程の重みしかないようで、苦もなく抱き上げられる。
 少女自身の手で綺麗に整えられたベッドに下ろすと、口づける。貪る訳でなく、ただ触れ合わせる。あくまで『男』として、『兄』などでは決してなく。
「ん」
 完全に押し倒した体勢で細い首筋に唇を当てると、初めて少女が声をあげた。応える訳でなく、自分の意志とは掛け離れたところから言葉が漏れたよう。

 淡く輝く金色の髪の上に、濃い蜜色の髪が流れる。
 震えている少女の金色の髪を一房白い指に搦め捕る。涙のにじんだ翠の瞳を見つめながら、己の指に搦めた髪に軽く唇を押し当て、かの人は問いかける。
「・・・・・嫌なのかな?」
 首を傾げる仕草につられて、少女の髪の上に広がる蜜色の髪が揺れる。
「嫌?」
 再度の問いかけに、少女は首を横に振った。頬を真っ赤に染めて。
「分かりません」
 嘘だとか偽りだとかから程遠いところで育った純粋培養の魂の持ち主は、その瞳で最もそれを表している。澄み渡った翠の双眸に、陰りはひとかけらとてない。
「・・・・・怖い?」
「はい」
「でも、嫌じゃないんだ?」
「・・・・・はい」
 ためらう口調の肯定の声に、柔らかな笑い声が被さる。
「本当に素直だねぇ」
 ひとしきり笑うと、笑みのにじんだ声が少女の耳元で囁かれた。熱い息と共に滑り込むように。

 最初は静かな動きだった。優しく触れるだけの愛撫
 少しづつ強くなる不規則な呼吸と一緒に、それもまた激しさを増していく。あくまで少女の負担にならない程度に、少しづつ、白い肌を染めていく。
 口づけもまた同じ。
 触れるだけの口づけを、頬に、額に、唇、首筋、胸元、幾つも掠めさせていた。まるで羽のように。
 少しづつ漏れ出した声に合わせるように、首筋や胸元に紅の烙印を押す。何も知らない少女の震える唇を割ると深いキスをする。
 それだけで、気が狂いそうな程の幸せに酔う。
 そして、それ以上を望む。

「あ、ヤダ」
 思わず漏れたのだろう言葉に、低い笑いが零れる。無垢故の愛らしさが、何とも愛しくて。
「オリヴィエ様」
 助けを求める響きの宿った言葉を無視して、甘く熟れた白い果実の間につけられた赤い刻印に舌を這わす。
 予想通りに反応する少女
「ほぉんと」
 艶めいた声が空気を染める。
「可愛い」
 『ぞくぞく』と、背中を快感が上がっていくそんな声。全てを忘れて身を任せたくなってしまうような、美声に、少女は赤く染まった顔を苦し気に背ける。
 ウェーブのかかった金色の髪を梳き、手から零れた幾筋かのそれがかかった耳に息を吹き込むように囁く。呟く程の声に、最も人は反応することを、彼は知っていた。少女自身に聞く意志がなくとも、それは確実に少女に届くだろう。
「それに綺麗だ」
 『スイッ』と指が少女の脇腹の辺りを掠める。
 過剰な程反応する少女の上に被さるような体勢で、華奢な肢体に視線を巡らせる。年のわりに幼い心の少女の顔立ちは少し実際年齢よりも小さく見えるが、細い身体は十分な均整をとっている。
 その身体中触れたことがない場所がなくなる程に愛撫をする。唇を当てる。
「もう少し力を抜いて。痛い思いをさせる気はないんだから」
 聴覚を刺激する呟きを零しながら、汗のにじむ肌に愛撫を繰り返し、舌を這わせる。
「あ」
 悩まし気な声が少女から漏れ、のけ反るように顔を背ける。年齢に関係なくこの瞬間にしか出せない、甘い声は、艶めいた表情は、どんな美酒にも追従を許さない酩酊感を青年に教えた。
「アンジェリーク、愛してるよ」
 それが最後の言葉

 壊れそうな程に華奢な身体に消えない刻印を刻みつける。

 後に続くのは二人の言葉とは言えない声だけだった。

 艶めいたくぐもった声が小さな唇から漏れ、寝返りを打った拍子に少女の意識が現に引き戻される。欠伸が零れる。
「あふ」
『むにゅ』
「・・・・・」
「あ、固まった」
「オォリィヴィィエェ様ぁ・・・・・」
 肩を震わせ、少女は何とも形容のし難い声を振り絞った。
「どうしたの?」
 『どうしたの?』ではない・・・・・後ろから抱き締めるのは、まだいいとしようが、柔らかに膨らんだ胸に包むように手を当てられては・・・・・昨夜は−どれだけ寝ていたか分からないので多分なのだが−白い手以外にも触れられたのだが、一度ぐらいで慣れることなど出来はしない。
「緊張してんの?」
「やんっ」
 胸の中央の先端を軽く撫でられ、思わず背筋を滑る快感の波に声をあげる。
「アンジェリークってば、着痩せしてんのねぇ。結構胸おっきいし、形良いし」
 『くすくす』と笑いながら包み込んだ少女の胸に触れる指先に力を込めたり、焦らすようにほんの少しだけ滑らせたり、耳元で囁きながら少女の反応を楽しんでいる。
「やぁん」
「うん、可愛い」
「離して下さいぃ」
 完全に泣き声である。
「フッ」
 息を吹きかけられて固まる少女をベッドに押し付けるように引き寄せ、両腕をついて少女の上に覆い被さる。
「正直に答えて欲しい」
 瑠璃の瞳に嘘を見抜く強い光を宿し、性別判断のしにくい声を掠れさせた青年は、少女には知らない見たこともない人のように見えた。
「守護聖と女王候補なんかじゃなくて、こんな風に抱き合える関係でいたい。アンジェリークを愛してる」
 自分の緑柱石の瞳に映る人は、『本当に見知った人なのか?』と、少女は自問する。こんな風な青年は、初めて見る。何時だって何かを装って、『自分』を隠していた人だったのに、ラピスラズリの瞳に剥き出しの感情を浮かべている。まるで別人のようだ。
「側にいて。ずっと側にいて。・・・・・いらないから、アンジェリーク以外何もいらないから」
 『答えて』と呟く青年に、少女は反対に問いかけた。
「NOだったらどうするんですか?」
「・・・・・アンジェリークが誰かと話すだけで嫉妬して、攫って何処に閉じ込めるかもしれない。誰にも見せず、会わせず、私だけのモノにするかもしれない」
 狂気を呼び込みかねない強すぎる執着
「分かってる、こんなに執着されたら、負担に思うかもしれないけど」
 『アンジェリークを愛してる』と、泣き出しそうな瑠璃の瞳の人は言った。
「YESなら?」
 再度少女は問う。
「嫉妬するのは同じかもしれないけど、もう少しだけマシだと思う」
 子供っぽい独占欲だけなら、まだ我慢できる。
「私だけを見て」
 『私の方を振り向いて』と、唇を触れ合わせる。触れるだけ、それだけの口づけ。
「・・・・・」
 答える言葉がなくて、アンジェリークは困惑する。昨夜のことを悔やむことは決してないけれど、だけどどうして受け入れたのか、分からなくて。『好き』という感情は確かにある。だが、提示された二つの道を迷わず選ぶことが出来る程には、少女は深く考えたことがなかった。
 ・・・・・それこそが『答え』であることに、なかなか少女は気がつかない。
「アンジェリーク」
 促す声に、少女は一度目を伏せた。

 閉じられたまぶたに、二つの道 選び取るのは・・・・・

「攫って下さい。オリヴィエ様がいて下さるなら、何処だろうと、かまいません。お側にいます」
 翠の瞳に心からの愛情を浮かべ、少女は言った。
「愛しています」

 金色の髪に長い指が差し込まれ、二度三度と梳いた。ふわふわとした髪は指に優しく絡みつく。
「オリヴィエ様の指って、魔法がかかってでもいるようです。こんな風に触れているととてもドキドキしてしまう」
 髪から頬に移った指を両手で包んで、少女は輝くような笑顔を浮かべる。
「アンジェリークに、魔法を教えてあげる。私が知っている、たった一つの魔法」
 囁いて唇を重ねる。
「唇の、魔法だよ」
 また口づけを交わす。
「毎朝キスをしよう。魔法をかけよう。昨日よりも今日の方がもっとずっと好きになれるように」
 『ね?』と、艶然と微笑む恋人に、少女は頷いてキスをした。魔法をかけた。
「今幸せだわ、私」
 想い叶って、今、少女の体温をそのまま感じる程の場所にいる。
「今だけですか?」
 悪戯っぽく笑う少女に、青年は笑って魔法を使う。何度も何度も、幾らだって。
「昨日より今日が幸せ。明日は今日よりもっと幸せだわ」
「毎日魔法をかけたら、ずっとずっと幸せですよね?」
 青年の腕の中で少女は答えを教えられた。

 指先が少女の身体を愛する。
「っ」
 足の内側に手を当て滑らせ、少女の過剰な反応に笑い声がささやかに響く。
「オリヴィエ様」
 夢見るような声に、彼は呟く。
「眠くなってきた?」
 言葉では応じず頷いて答える少女の額に口づけを贈り、彼は歌うように囁いた。
「オヤスミ、アンジェリーク」

 朝日がカーテン越しに差し込む部屋で、一人が眠りから覚めた。
 頬にかかる髪を耳に引っかけ、傍らで眠る恋人の寝顔をしばらく見つめる。愛し気に、慈しむように、見守るように。
 そして、恋人が身じろぎしたのをきっかけに、魔法をかけた。
 二人お互いだけにかけることの出来る『キス』という名の『魔法』を・・・・・

END