甘い接吻
〜時代劇浪漫譚妖恋話−其之四〜


 ある晴れた日。
 一軒の骨董店の前を純金の髪の少女が箒で掃いていた。
 その少女の背中、明るい声と共に覆い被さってきた人物がいる。
「シールーフィースゥ♪」
 明るい声で少女の名前を呼ぶ人物を少女は驚いて振り返り、確かめた。
「姫!?」
「しーっ。お忍びがバレちゃうじゃありませんの」
 唇の前に指を当て、悪戯っぽく片目を閉じてみせる薄紅の髪の少女。実は、骨董店の若旦那と奉公人の少女が隠密として仕えている将軍の妹姫だ。
 純金の少女との出会いはかなり派手で、暴走した馬がお忍びをしていた薄紅の少女へと突っ込んでいき、その危機を純金の少女が助けたというものだが助けてみれば少女は将軍の妹姫であり、その事を知った純金の少女は一瞬、本気で腰を抜かしかけたのである。
 一方、妹姫の方はと言えば危機一発で助けてくれた純金の少女をひどく気に入り、何かと城を抜け出しては会いにきて自分のお供に引っ張り出す。
 困った顔をしながらも結局、妹姫に付き合うのは純金の少女も彼女が好きだからだ。
「あのですね、美味しいって評判のおだんご屋さんがありますの。一緒に行きましょう、シルフィス」
「あたしも一緒だよ」
「メイ」
 妹姫の背後からひょこっと顔を覗かせた栗色の髪の少女の名を純金の少女は呼んだ。
 彼女は療養所の手伝いをしている少女なのだが、やはり偶然に妹姫と出会い、意気投合した結果、何かと付き合うようになったのである。
 ・・・度々遊びに出かけるほど、療養所は暇ではないはずなのだが・・・
まぁ、それは置いといて。
 この二人が揃って誘いにくれば純金の少女に断る術はなく、また、この二人を放っておくほど少女は無謀でもない。
「仕方がないですね。では、少し待っていただけますか?旦那様に出かける許可を頂いてきますから」
 苦笑した純金の少女は手にしていた箒を片付け、友人達に言い置くと店の中へと入って行った。



「旦那様。少し、よろしいですか?」
 奥の部屋で帳簿をつけていた男は部屋の外から聞こえてきた自分を呼ぶ声に応え、部屋の中に入るように促す。部屋の中に入ってきた少女を確認すると男は筆を置き、少女を見つめる。
「どうした?」
「申し訳ありませんが、少しの時間、お暇をいただけませんか?」
「・・・姫、か?」
 真面目な少女は勤務時間中に暇を願い出るようなことはしない。しかし、それをあえて願い出るとすれば理由は一つしかなく。
「はい。それに、メイも一緒なんです」
 予想違わず頷いた少女に男も苦笑するしかない。
「仕方あるまい。姫とメイが一緒では何が起こるか分からないからな。しっかり、守って差し上げろ」
「はい。あの、それで、何かお届け物はありませんか?ついでと言っては何ですけど、私が届けてまいりますが」
 自分だけ遊びに出るようで気が咎めるのだろう。そう言う少女の生真面目さに男は再び苦笑し、鍛冶屋への使いを依頼した。
「鍛冶屋・・・ですか?」
「ああ。私が行くつもりだったが、今日は行けそうもなくてな。・・・他の者には頼めないものだ」
 その言葉に少女はピンときた。隠密の仕事道具を注文したのだろう。聡明な瞳で見つめてきた少女に男はただ頷くだけだったが、それだけで理解する。
「分かりました」
「気をつけていってこい。・・・ああ、その前にこちらへ、シルフィス」
「・・・?はい」
 手招きする男の側に、素直に近寄った少女はいきなり抱き寄せられ、唇を奪われた。
「んっ・・・んんっ、んぅん・・・」
 十分に少女の唇を味わった男が柔らかな体を開放すると、自由を取り戻した少女が涙目で男を睨む。
「旦那様!いきなり、何をするんですか」
「まじないだ。道中、何事もないようにな」
 しれっと言ってのける男を少女は一瞬、あきれたように見つめ、そして次の瞬間にはくすくすと笑みを零した。
「ものすごく、効きそうなおまじないですね」
 笑みを零しながら少女は男に頭を下げ、部屋を退出していった。
 少女が部屋を退出してからすぐ、男も立ちあがり身支度を始める。簡単な身支度を整えると下働きの者を呼び、出かけることを伝えた。
「少し、出かけてくる。何かあれば隠居に判断を仰ぐように」
「承知しました」
 頷く下働きの者に頷き返し、男は店を出て行った。



 男の部屋を出た少女は待たせていた友人達に軽く頭を下げる。
「お待たせしました」
 穏やかに微笑む純金の少女の腕を取り、妹姫ははしゃいだ声をあげた。
「シルフィスと出かけるのって、本当に久しぶりですわ」
「うん、いつも忙しそうだもんね」
「療養所も暇とは言えないのでは・・・?」
「あははははっ、だーいじょーぶ、あたしみたいな下っ端なんかいなくったって、あそこはじゅーぶんやっていけるって」
 栗色の少女の自棄になったような言い方に、妹姫と純金の少女が顔を見合わせる。どうやらまた、療養所の医者の1人である青年と喧嘩をしたらしい。こういう場合、『触らぬ神に祟りなし』であることを二人は経験上、よく知っていた。
「あ、すみません、少し寄って行きたいところがあるのですが」
 話題変換になるのかどうか、純金の少女の申し出に妹姫はにっこりと笑って頷く。
「ええ、わたくしがシルフィスに付き合ってもらっているのですもの。どうぞ、ですわ」
「何、若旦那さんのお使いなの?」
「はい」
 上手く話題変換につられた栗色の少女の質問に純金の少女は頷き、看板を出している家へと入っていった。
「・・・鍛冶屋?」
 純金の少女が入っていった家の看板を見るともなしに読んだ二人の少女達は顔を見合わせる。お互いの顔に浮かんだ表情を読み取り、二人は再び看板へと向き直った。すでに二人とも友人の用事が何であるか、悟っていた。
「すみません、お待たせしました」
「かまわないって。ところで、それ、裏の仕事のヤツ?」
 実は同じ隠密の仲間である栗色の少女の質問に純金の少女も笑顔で答える。
「はい、旦那様の仕事道具です。今日は旦那様、都合が悪くて取りに来れないとおっしゃっていましたから」
「そうですの。・・・あら?でも、レオニスが使うのは剣ではなくて?」
 将軍の妹姫という立場上とお忍び好きという性格上、隠密の者達を把握している妹姫が首を傾げた。
 妹姫ご推薦のだんご屋の軒先にある長椅子に三人揃って腰掛けながら、純金の少女がふわりと笑う。
「確かに、旦那様が扱うのは剣ですけど、仕事内容によっては飛び道具も必要なときがあるんですよ」
「そうですの」
「ま、それぞれ得手不得手があるのは確かだけどさ」
 三人分の注文を済ませた栗色の少女がにやっと笑い、手元にあるお茶を飲んだ。
「あれ?ディアーナにメイ、それにシルフィス。三人揃ってなにしてんだ?」
 のんびりと注文の物を待っていた三人の耳に聞き慣れた元気のいい声が飛びこんできた。声の方向に視線をやると威勢よく捻り鉢巻きをした少年が天秤棒を担いで立っている。
「ガゼル」
「わたくし達はおだんごを食べにきましたのよ」
「どう?ガゼルも一緒に食べない?」
 三人三様の返事に少年はガリガリと頭を掻いた。
「あのさー、見てわかるだろ?俺は仕事中なの。・・・そーだ、活きのいいものがあるんだけど、買っていかねーか?」
 威勢のいい捻り鉢巻きが似合う銀髪の少年は見ての通り、魚売りの少年である。威勢のよさと気風のよさ、そして面倒見のよさで町の住人達の人気者なのだ。そして、この少年も将軍の隠密の一人である。
「ふーん。どんなのがあるの?」
「おう!鯛があるぜ」
「駄目駄目、療養所に鯛を買えるような予算はないわよ。もう少し、庶民的なものにしてよね」
「じゃ、これはどうだ?今朝獲れたてのいさぎは?」
「そーねぇ。でも、そっちの秋刀魚も美味しそうじゃないの」
「ああ、こっちもおすすめだぜ」
 いきなり目の前で商売の駆け引きを始めた栗色の少女と魚売りの少年を二人の少女達はあっけにとられて眺める。なんというか、二人のしたたかさに思わず感心する。
「・・・よし、じゃ、これできまりね。お金は払っておくから、療養所まで届けておいてくれる?」
「まいど!療養所までだな、まかせとけって」
「メイ、終わりましたか?」
「おだんごが来ましたのよ。早くこっちにいらっしゃいですわ」
「うん、今、行く!」
 商談成立した栗色の少女を友人達が呼び、それに応えて栗色の少女は勢いよく振り返った。



 ゴンッ!ドサッ!



「うきゃっ!?」
 振り返った勢いで何かに激突し、思わずよろけた栗色の少女は事態を把握できず、目をぱちくりさせる。
「メイ、大丈夫ですか?」
 慌てて駆け寄って来る純金の友人に視線を向け、そうしてようやく自分が何に・・・誰に激突したのか理解した。
「ご、ごめんなさいっ!」
 わざとではないが、結果的に相手を突き飛ばす形になってしまったため、栗色の少女はペコン、と頭を下げる。
 ・・・普通なら、これで事は収まるのだが、ぶつかった相手が悪かった。
「謝ってすむのかい。え?嬢ちゃんよ」
「どう始末をつけてくれる?」
 典型的なゴロツキ達に因縁をつけられ、栗色の少女の眉がキリキリと吊り上がる。その友人の隣で純金の少女が懸命に頭を下げていた。
「本当に、すみませんでした。私が急に彼女を呼んだものですから」
「知らねーな、そんなこたぁ。落とし前をきっちりつけてもらおうじゃないか」
「落とし前?・・・つけてやるわよ、きっちりとねっ!!」
「メ、メイ!?」
 決して気の長い方ではない栗色の少女がブッツリと切れ、慌てて純金の少女が止めようとしたが・・・時すでに遅し。
 ゴロツキの一人が盛大に吹っ飛ばされ、引くに引けない状況が出来あがった。
「この、アマァ・・・」
 しかし、どこの国、どの時代のゴロツキも単細胞なのだろうか?小柄な少女達にいきがっている姿は滑稽でしかないのにそれに気づかず肩を怒らせている。
「その態度、改めさせてやる!」
 次々とかかってくるゴロツキを栗色の少女と共に純金の少女も反射的に叩きのめし、一気にだんご屋の前は乱闘の場になっていった。
「おーおー、生き生きとしてやがるなぁ、メイの奴。さては、また療養所の先生と喧嘩したか。どちらにしても俺が手出しすることもないな。さすが、俺の同僚だぜ」
 ちゃっかりと被害の及ばない場所まで避難し、呑気に感想を述べる魚売りの少年である。
 ・・・確かに正しい感想かもしれないが、感心ばかりしていないで助けようという素振りぐらい見せようとは思わないのか、一心太助よ。同僚じゃないのか?
「ええ、そうみたいですわ。すっかり、八つ当たりの対象にされていますわね」
 優雅にお茶を飲みながら、のんびりと見学している妹姫の背後に一人のゴロツキが現れ、手を伸ばす。



 バシィッ!ドスッ!



「ディアーナに手ぇ出すとはいい度胸だな」
「わたくしも一応、身を守る術は心得ておりますのよ」
 妹姫の鉄扇を額に受け、少年の天秤棒を鳩尾に受けたゴロツキはその場で昏倒し、二人の少年少女はそれを見向きもせず、乱闘の行く末を見守った。
 ・・・哀れとしかいいようのないゴロツキである。
「それにしても、シルフィスの動きは本当に綺麗ですわね。まるで舞っているようで・・・何度見ても見惚れてしまいますわ」
「まぁな。武を極めれば舞に通ずるというし、無駄な動きがなくなればシルフィスのように綺麗な動きになるさ」
 しきりに感心している妹姫の隣でちゃっかりだんごを食べている少年。
 ・・・だから、一応、助けようって素振りをね・・・
 余談ではあるが、町の人々もしっかり野次馬と化している。さすがは、火事と喧嘩は江戸っ子の華というだけあって、やんやの喝采まであげているあたり、生粋の江戸っ子達だ。
「あ!シルフィス!」
「危ねぇっ!!」
 背後から襲ってきたゴロツキに対応が遅れ、あわや拳を受けそうになった純金の少女だったが間一髪、その拳を横から受けとめ、更には弾き返した人物がいた。
「だ、旦那様!?」
「随分と派手な事になっているな」
 鮮やかな身のこなしでゴロツキを地面に沈めた男は先程、純金の少女を送り出した骨董店の若旦那。驚いて目を丸くしていた純金の少女へと視線を投げかけ、男はふっと涼しげに微笑む。純金の少女の頬がボボッと赤く染まった。
「あらあら、真打ち登場ですわね」
「けっこー美味しいところを持っていくなぁ、若旦那」
 倒しても倒しても(迷惑な)不屈の闘志で起き上がっていたゴロツキ達が威圧感を漂わせた男の一睨みを受け、捨て台詞と共に去って行く。確かに少年の言う通り、美味しい登場の仕方だ。
「有り難うございました」
 間一発で自分を助けた男に礼を言った少女はふいに不思議そうな顔をして首を傾げる。
「でも、どうして旦那様がここに?」
「ああ、近くで仕入れの話があって出てきたのだが」
「そうなんですか。あ、では、これを渡しておきますね」
 男の言葉を素直に信じた純金の少女が、鍛冶屋で預かった包みを懐から取り出そうとすると男はそれを止めた。
「それはお前用にあつらえたものだ。持っているといい」
「私・・・?」
 きょとんと見上げる純金の少女の頭を男は軽く撫でる。
「特注したものだから使い勝手はいいはずだ。今度、使ってみるといい」
「はい、有り難うございます!」
 嬉しそうに笑う純金の少女に微笑み、男は視線を相変わらずちょこんと長椅子に座っている妹姫へと向けた。
「・・・姫。上様がご心配されないうちにご帰城されますよう」
「十分、承知しておりますわ」
「そのお言葉、お忘れなさいますな」
 しっかりと釘を刺して去って行く男に、妹姫はむうっとふくれる。
「レオニスってば、シルフィスにはあんなに優しいのに、どうしてああいう一言を言うのかしら」
「まぁまぁ、ディアーナ」
「旦那様の立場上、仕方ありませんし」
 むくれる妹姫を友人二人は苦笑しながら宥め、少年はひょいっと目の前にだんごを差し出した。
「ほれ。これを食いに来たんだろ?だったら、これを食って機嫌を直せよ。ディアーナの推薦だけあって、ホント、美味いぜ、これ」
 にっと笑う少年からだんごを受け取り、ようやく妹姫も機嫌を直す。
「そうですわね。せっかく来たのですもの、しっかり味わないと損ですわ」
「そうそう。じゃ、俺は療養所まで届け物をしてくるな」
「そう?じゃ、またね、ガゼル」
 元気よく駆けて行く少年を見送り、少女達はようやくきゃいきゃいと年頃の娘らしい笑い声をあげだした。



 しかし、彼女達は知らない。
 遠くからじっと見つめている視線があることを。
 いや、正確に言えば純金の少女、ただ一人を見つめていたのだが。
「・・・あのゴロツキ達、今度シルフィスに絡んでみろ。目に物みせてくれる」
 物陰から純金の少女を見つめ、拳を握り締めているのは仕入れに向かった筈の男であった。
 ・・・なんのことはない、純金の少女に言った『仕入れ』は口からのでまかせで、実際は純金の少女を店から送り出したその直後からずっと、後をつけていたのである。



 下手をするとストーカー、変質者と同様の行動をしていることに純金の少女はもちろん、男自身も気付いていなかった。



 知らなければ知らないでいいことも、世の中にはあるのである。





・・・続く?