CRIMSON
コンッ。 間もなく日付が変わろうかという深夜。 魔術書を熱心に読んでいた青年は窓に何かが当たったような音に顔を上げた。 「・・・?誰だ?」 扉ではなく窓からという時、思い浮かべるのは青年が保護者役を勤めている栗色の少女なのだが、その少女は先ほど課題を青年に提出してきたのでまずその可能性はない。 と、すれば、誰が・・・? 「・・・すみません、キール・・・」 「っ、シルフィス!?」 聞き覚えのある涼やかな声に一瞬硬直した青年は次の瞬間、椅子を蹴倒す勢いで窓へと駆け寄りそれを開け放した。 「・・・こんな夜中に、申し訳ありません・・・」 「それはいい。それよりも、怪我をしているのか!?」 「しー、静かにしてください。人に気づかれるわけにはいかないんです」 大きくなる声に、右肩を押さえた少女は慌てて青年を制した。 おそらくは何かの戦闘があったのだろう。背中に流れている純金の髪は乱れ、汗が流れている額や頬に張りついている。ほっそりとした身にまとっている動きやすい服の肩は裂かれ、応急処置で止血しているであろう布切れがじっとりと紅く染まっていた。布に染み出ている深紅の色がいやに目につく。 怪我をしていても・・・いや、怪我をしているからだろうか。見慣れているはずの絶世とも言われる少女の美貌が更に艶やかになっているように青年は感じた。 「とにかく、入れ」 青年が窓を更に大きく開くがクライン王国初の女性騎士は首を横に振る。 「その怪我を治さなくてはならないだろう!?」 再び声が大きくなりそうになるが、純金の少女は人差し指で青年の唇を押さえ、抗議を止めた。 「はい、この怪我を治してもらおうと思いまして、非常識な時間だと承知していますが、キールのところに来ました。けれども、ゆっくりしている時間はないのです。非常識な時間の上、更に我が侭な注文だと自分でも思いますが、ここで早急に治癒魔法をお願いできませんか?」 真摯なエメラルドの瞳。真っ直ぐに見つめられれば拒否など出来るわけがない。ましてや、それが想いを寄せている少女であれば尚更・・・。 「・・・あの、やはり、ご迷惑でしたね・・・」 深く嘆息した青年を少女は勘違いしてしまったらしく、肩を落としてその場から立ち去ろうとする。 「おい、早とちりするな」 「え?」 「やってやるよ、治癒魔法。そこじゃ遠いからもう少し、こっちに来い」 「あ・・・は、はいっ」 青年の言葉を理解した瞬間、少女は顔を輝かせ、素直に窓の側に寄って行った。 「・・・事件、なんだろう・・・?」 「・・・はい。不覚をとりました」 「どんな事件かなんて、俺は聞かない。だが、分かることはある。お前はこれから、その事件の重要なところへ行くのだろう?しかも、その事件は秘密裏に処理しなければならない。だから、こんな時間に、しかも人目を避けて俺のところへ来たのだろう?」 「はい。・・・その通りです」 頷く少女の肩に青年は呪文を唱え、手をかざす。 暖かな波動が傷ついた肩から体全体へと広がっていく。青年の想いと共に・・・。 「甘えているとは思いましたが、キールしか頼れる人がいませんでしたから」 ふわり、とした微笑みと共に告げられた言葉。何時の間にこんな殺し文句を言うようになったのか。そして、そんな言葉で満足してしまう自分もかなり、この少女に参っていると思う。 「まぁ、いいさ。シルフィスなら甘えられても」 「キール?」 首を傾げる少女の顎を捕らえ、視線を合わせると青年は少女にしか見せない優しい微笑みを浮かべた。 「甘えろよ、俺に。お前なら、シルフィスになら、いくらでも甘えられてもかまわない。もっと、もっと、俺に頼ってくれてかまわないんだ」 「はい・・・はい、キール」 幸せそうに微笑んだ少女の視線がふと空へと移り、にわかに少女は慌て出した。 「大変、もうすぐ時間が来てしまう!あの、キール、有り難うございました」 「ああ。行くんだな?」 「はい」 強い瞳で頷く少女。どんな困難が待ち受けていようと、未来を切り開いていこうとする強さがこの少女にはある。儚ささえ感じるような、ほっそりとした麗しい外見とは裏腹な強さが。 そんな少女だから、惹かれたのだ。そんな少女だから、甘え、頼って欲しいのだ。 「終わったら俺のところへ来い。他の傷も治してやるから」 「他の傷なんて・・・」 「『ない』なんて言うなよ?見えたからな」 それでもまだ、迷っているような少女を決心させるために青年は窓から身を乗り出した。 「キ、キール?」 驚く少女を押さえ、青年はその細い首筋に唇を寄せる。チリッとした刺激の後、そこには深紅の華が咲いていた。 「これの言い訳を他の奴らにしたくないのなら、俺のところに来い」 「・・・っ」 真っ赤になって首筋を押さえる少女に、青年はもう一度言う。 「行ってこい。そして、俺のところに帰ってこい」 真剣な青年の言葉に、少女の表情も変わった。青年にしか見せない、甘い微笑みを浮かべ、強く頷く。 「はい、貴方のところへ帰ります。・・・必ず」 少女の手が伸び、青年の緋色の肩掛けを掴んだかと思うとぐいっと引っ張った。背伸びをした少女の唇が一瞬、青年の唇に触れる。 「行ってまいります」 そう言った瞬間、少女は身を翻して暗闇の中へと姿を消した。 「・・・反撃を食らってしまった・・・」 少女が触れた自分の唇を覆い、青年は真っ赤になりながら少女が消えた方向を見つめる。 騎士となった少女はいつでも、風のように走って行く。とらえどころのない風の精霊のように、軽やかに。けれども、愛した人達を守ろうと、真摯に。 ならば、自分は少女のフォローをしよう。安心して身を任せられる、そんな存在になろう。 だから。 「シルフィス・・・帰って来い、俺のところへ」 『帰りますよ、貴方の元に』 ここにはいない、少女の囁きが聞こえた。 『生きて、貴方のところへ帰ります』 「・・・普通は、男女の役が逆だと思うが・・・まぁ、いいか」 窓を閉め、青年は苦笑すると読んでいた魔術書を本棚に戻す。 「それも、俺達らしくていいさ」 そう呟いた青年はランプの火を吹き消した。 朝になれば来るだろう、少女を受け止めるためにまずは睡眠をちゃんと取るべきである。寝不足の顔で迎えれば少女は必ず心配するのだから。 ベッドに入る直前、青年は窓の外を見つめ、そしてベッドに入ると緩やかに眠りに身を任せた。 何よりも愛しい、純金の少女の姿を胸に抱いて・・・。 END |