explode heart


 真紅が飛び散る。
 男の脳裏が白く染まる。
「シルフィス!!」
 初めて聞く、男の感情を剥き出しにした声。
「だ・・・い、丈・・・夫、で・・・す、た・・・い、ちょ・・・」
 少女の、儚い・・・声。
 その声は、男の押さえていた想いを解き放つきっかけになった。

 何時からだろう、彼女を目で追うようになったのは。
 真っ直ぐに相手を見つめる素直な瞳。
 純粋に未来を見つめる瞳。
 どこまでも澄みきり、希望を信じる瞳。
 そんな、少女の瞳に惹かれるようになったのは何時の事だろう・・・。

「シルフィス!!」
 各方面からそれぞれの叫び声が響く。
「いやあああぁぁぁっ!!しっかりして、シルフィス!シルフィス!!」
 半ば、半狂乱になった可憐な声が泣き叫ぶ。
 クライン王国第二王女のものだ。
「セイル!とにかく、姫さんを向こうへ連れて行け!」
 素早く状況判断をした筆頭宮廷魔導士が幼馴染みでもある皇太子へ、その場からの撤退を指示する。その指示に迷うことなく、皇太子はまだ泣き叫ぶ王女を宥めすかし、安全圏へと避難した。
「よくも・・・シルフィスを・・・」
 低い、怒りに満ちた声が地を這うように響いたかと思うと、銀の軌跡が走る。女性騎士である純金の少女が己の身を盾にしてまで王族の兄妹を庇い、なんとか反撃したその傷であまり体の自由が利かなかった暗殺者はあっさりと男の剣によって息の根を止められた。
「しっかりしろ、シルフィス!」
 初めて、感情のままに剣をふるった男だったが、そんなことには頓着せず、ただ、腕の中に崩れ折れた少女の名をひたすらに呼ぶ。そうでもしないと、少女が手の届かない場所へと旅立ってしまいそうで、そうせずにはいられなかった。
「ちょっ・・・と、ドジっ・・・ちゃ・・・い、ま・・・し、たね・・・」
 華奢な体を男に抱き止められた少女は、失血で青白くなった顔にうっすらと微笑みを浮かべる。それはあまりにも儚くて、男の焦りを更に煽った。
 少女が受けた傷は右胸よりも少し上・・・鎖骨の下あたり。貫通するのではないかと思うほど、深く傷を負ったのだ。少女の体を抱き止めた男はヌルリ、とした生暖かい血の感触で少女が受けた傷の深さを悟る。その傷の深さに、もしかして失われるかもしれない腕の中の命に、男は動揺せずにはいられなかった。
 ゴフッ、と少女の口から鮮血が溢れ出る。
「シルフィス!!」
 更に少女の体を抱き締め、名を叫ぶ男はすでに、周囲を見回す余裕はなかった。
「・・・ちょ・・・さ・・・た・・・ょう・・・ん・・・」
 誰かが自分を呼んでいるような気もしたが、男にとっては腕の中にいる少女だけが全てで。
 だが。

 バシーン!!

「しっかりしなよ、隊長さんっ!!」
 威勢のいい音と声、そしてじわりと頬に感じてきた痛みに、男の意識が周囲を認識し始める。
「メイ・・・」
 容赦なく男の横っ面を張り倒した栗色の髪の少女はつい先頃、魔導士の資格を取った異世界の少女だ。勝ち気な栗色の瞳を怒りで染めながらも、純金の親友に触れるその手はあくまでも気遣いを含んでいる。
「シルフィスの怪我に動揺しているのは分かるけど、いつまでもうろたえているんじゃないわよ。近衛騎士とあろう者が情けないじゃない」
 どこまでも強気な瞳が、真っ直ぐに男の青空の瞳を見つめる。
「大丈夫、あたし達が決して、シルフィスを死なせやしないわ」
 男に喝を入れた少女の手がそっと、差し出された。
「だから、シルフィスをこちらに渡して?」
 ゆっくりと、大切な宝玉を手渡すように男は腕の中の女性騎士を魔導士の少女に渡す。手に触れた血の感触に少女の眉が潜められ、ざっと全身を見渡した後、一番深い胸の傷に手を掲げた。
「ここが一番深い。とりあえず、出血を止めるわ」
「肺をやられているな。出血のほとんどはそこからだ」
「分かった」
 緋色の魔導士の助言に短く頷いた栗色の少女は癒しの呪文を唱える。両手に癒しの力が集まり、慈雨のように傷口へと降り注いだ。
「メイ、あまり無理をするな」
 額に汗を浮かべながらも繰り返し呪文を紡ぐ栗色の少女に、緋色の魔導士が気遣うように声をかける。
「大丈夫よ、これぐらい。大事な親友の傷ぐらい治せなくて、何が魔導士よ。やってやるわ、こんな傷」
 強気に言いきった少女の言葉が男の胸に突き刺さった。
『大事な親友の傷ぐらい治せなくて、何が魔導士よ』
 それは、言葉を少し変えれば、自分にも当て嵌まることではないだろうか。
『大切な者を守れなくて、何が騎士だ』
 少女に惹かれていたはずだった。分かっていたのに、そのことから目を背けていた結果がこれだ。
「・・・何が、騎士だ。私は・・・ただの臆病者だ」
 苦く呟いた男の言葉は、誰の耳にも届かなかった。

 純金の髪を広げ、小さな少女がベッドの上で深い眠りについている。
 命が危ぶまれるほど深い傷を負った少女だったが、栗色の親友の治癒魔法と薄紅の親友の医者と薬の手配のお陰で一命を取りとめ、失血の為に青白かった顔色もうっすらと暖かみを取り戻していた。
 薄紅の少女が純金の親友の為に医者と薬を手配しようとした時、一部の者から一介の騎士に行うべき行動ではないという声があがったが、落ち着きを取り戻した王女の言葉がそれらの声を黙らせた。
「わたくしとお兄様の命を、己の命を盾にしてまで守った者に対してこれらは当然ではないとおっしゃいますの?冗談ではありませんわ。わたくしは、わたくし達王族にかけてくれる命を軽々しく扱いたくありませんし、命を受けとめることなく石ころのように捨てるような者にもなりたくありませんわ」
 ピシャリ、と言い切った王女の迫力に、誰も異を唱えることは出来なかった。
「大事な親友の危機に使える権限を使えなくて、何が王族ですのよ」
 いつまでも子供だと思っていた王女の言葉は栗色の少女が呟いた言葉と同じで、それは再び男に突き刺さる。
「シルフィス。お前は、命を預けられる者に出会えたのだな」
 眠り続ける少女の顔を見つめ、呟く男の口調は苦しげだった。
 失いそうになって、初めて分かった。どんな形であれ、この存在の、この瞳に自分の存在を映し出して欲しかったのだと。
「何故、私はいつもこうなのだ」
 若さ故に暴走した愛。あの時も、あの美しい人がいなくなって、初めて己の愚かさに気づいた。
「シルフィス・・・」
 深く、深い眠りについている少女。
 惹かれていく事に気づかないふりをしていた。自分を見つめる瞳に気づかないふりをしていた。ただ・・・良き上司であろうとしていた。
 少女はまだ若い。これから先、いくらでも己より似合いの若者が現れるだろうと、己の心から目を背けて。
 ・・・だが、諦められるほど、簡単な想いではなかった。
 命が失われるかもしれないと思った瞬間の、あの喪失感。
 世界が崩壊するような、虚無感。
 自分の息が止まった方が、どれだけマシかと思ったか。
「・・・ん・・・」
 ピクリ、と金色の睫毛が動き、ゆっくりと瞼が持ち上がる。
 けぶるようだった瞳が澄んだエメラルドの光を取り戻し、すぐ側にいた男を映し出した。
「隊長・・・」
「気がついたか。どこか痛むところはあるか?」
 顔を覗きこみ、質問してくる男に少女はゆっくりと頭を振る。
「いえ、特には。あの、それより姫と殿下は無事でしょうか?」
「ああ。お前が守ったお陰で怪我一つない」
「よかった」
 ほっとしたように少女は微笑んだ。
 それは、深手を負った時のような儚い笑みではなく、柔らかいながらも命の通った暖かい笑みだった。
 少女が本当に、死の淵から帰ってきた事を実感し、ようやく男は安堵する。
「大事な方達を守れなくては、騎士になった意味がありませんからね」
 だが、続けられた言葉に男は打ちのめされた気がした。
 少女はすでに、騎士としての心を、姿勢を、確立させていた。
 男の導きなど必要としないほど純粋に誇り高く、そして気高い騎士としての心を。

『大事な親友の傷ぐらい治せなくて、何が魔導士よ』
『大事な親友の危機に使える権限を使えなくて、何が王族ですのよ』
『大事な方達を守れなくては、騎士になった意味がありませんからね』

 三人の少女達の深い繋がり・・・絆。お互いを信頼し合い、支え合う最高の関係。彼女達はお互いの為に最高であろうと、己を高めている。
 それに比べて自分はどうだ。
 過去に捕われ、真実から目を背け、その結果にうろたえ。
 少女の友人達ほどに、少女の隣に立てる資格があるか?
 己の答えは・・・否、だ。
「隊長?どうされました?」
 心配そうな少女の声に、男は我に返った。
 気遣いを含んだエメラルドの宝玉が真っ直ぐに男を見つめている。
 あれほど、自分を映し出して欲しいと願った瞳に見つめられ、だが、男はその瞳を見返すことが出来なかった。
 純粋な瞳はただひたすら、心配そうに男を見つめている。
「お前は・・・成長したな。もう、私の手助けなど必要とはしない、立派な騎士だ」
「隊長?」
 瞳を合わさず、淡々と話し出した男に少女はいぶかしげに首を傾げた。
 男の様子がいつもと違うことが、とても気になる。
 そんな少女には気づかず、男は話し続けた。
「そう・・・もう、私は必要ないだろう。私などよりも遥かな高みへと昇ってしまったお前には」
「そんな・・・私にとって、隊長はいつでも私の目標です」
 慌てたように身を乗り出す少女に、男は自嘲の混じった笑みをみせる。
「私は・・・お前にそう思われるほどの者ではない」
「いいえ・・・いいえ」
 男の言い様に少女は必死になって首を横に振った。
 少女にとって、男はいつもその背中を追いかけるような目標だった。隣に立てるように、側で手助けができるように、努力をしてきた存在だった。
 時折みせる孤高に澄んだ瞳、そして厳しい中にもある暖かさ。男の中にある人間味と同居している孤独に気づいた時からそれを癒したいと願い、おこがましい想いだと思いつつも、その心を守りたいと願った。
「隊長はずっと・・・苦しんでいたではありませんか。だからこそ、騎士として王家に命をかけ、守ってこられたのでしょう?私は・・・そんな隊長の側で手助け出来る存在になりたくて、努力をしてきたのです」
 真っ直ぐに見つめてくるエメラルドの宝玉。この瞳にいつも癒されていたのだと、今更ながらに男は気づいた。何も求めないわけではない。だが、それ以上に自分を見つめ、手を伸ばそうとしていた慈愛の存在に無意識ながら気づいていたのだ。
「シルフィス」
 気がつけばエーベ神のような慈愛の存在を抱き締めていた。
「愛している・・・」
 吐息のように、心の奥で封印していた想いを少女の耳元で囁いた。
「ずっと過去に捕われ、真実に目を背け、お前を失いかけてからこのようなことを言う私でもいいと言うのなら・・・お前を、私にくれるか?」
 男に抱き締められた少女はエーベ神のように慈愛に満ちた、それでいて幸せそうな微笑みを浮かべるとそっと男の耳元に囁き返す。
「貴方を・・・ずっと、愛していました。そして、これからもずっと・・・」
「・・・ありがとう」
 感謝に満ちた声で呟いた男は両手で少女の頬を包んだ。男を見つめていたエメラルドの瞳が閉じられ、その部屋はしばらく、幸せな沈黙が支配していた。


END