風華の騎士
不幸は突然、筆頭宮廷魔道士の形でやってきた。 「シルフィス!!頼む、助けてくれ!!」 「え?シオン様?」 いつもの訓練が終わり、訓練場から出た途端にかけられた言葉。すぐに筆頭宮廷魔道士のものだと分かったが、その姿を確かめる前にシルフィスの細い体は青年の肩に担ぎ上げられていた。 「シ、シオン様ぁっ!?ちょっと、下ろして・・・」 驚いてバタバタ暴れる体をものともせず、青年はやって来た道を引き返し出す。 「・・・何の騒ぎだ?」 「シルフィス?一体、なんだってんだぁ?」 騒ぎに気づいたシルフィスの上司と同期に筆頭宮廷魔道士は自分の肩に担ぎ上げたシルフィスを示し、あっさりと断りを入れた。 「隊長殿、お前さんの部下をちょっと、借りるぜ」 「隊長!ガゼル!助けて・・・」 『下さぁいっ!!』という、切実なシルフィスの最後の声は青年と共に遥か彼方へと消え去っていった。 「・・・隊長、どうする?」 怒涛のような、部下の誘拐劇を目の前で見た上司はしばらく考え込んだ後。 「今日の王宮でのパーティーでシルフィスが必要だったのだろう。危険があるわけでもないし、放っておいても大丈夫だ。明日の朝になっても帰って来なかったら、迎えに行ってやれ」 「了解」 ・・・シルフィスが聞いたら嘆くであろう、上司の判断と同期の言葉であった・・・ 筆頭宮廷魔道士に拉致されたシルフィスは王宮に着いた途端、どこかの部屋に放りこまれた。−余談ではあるが、この部屋にたどり着くまで青年はずっと、シルフィスを肩に担いでいた− 「姫さん、嬢ちゃん、連れてきた。頼むぜ」 「はい、ですわ」 「まっかせといて」 実に楽しそうに請け合う少女二人は、シルフィスが王都に出てきてから知り合った友人達であった。 「ひ、姫?それに、メイ?これは一体・・・」 未だに自分の身の上に起こっている事態が掴みきれていないシルフィスは、問い掛ける眼差しを親友二人に向けるが、その二人は『にっこりにこにこ』と上機嫌の笑顔を浮かべるだけで説明らしい説明をする気はないようである。 「説明は後でしてあげる。時間がないからね。まずは・・・」 「お風呂、ですわね。皆さん、よろしくお願い致しますわ」 「はいっ♪」 メイの言葉に続けたディアーナの依頼に、どこからともなく女官がわらわらと出没する。 ・・・どの女官も嬉しそうなのは、気のせいだろうか・・・ 「あ、男性は退場!」 「できましたら、呼びますわ。外で待っててくださいな」 「はいはい。よろしくな」 少女二人に退場を命じられた青年はひらひらと手を振り、素直にその言葉に従った。後に残るのは、多数の女官にクライン王国・第二王女と異世界の少女、そして彼女達の生贄となったアンヘルの民。 部屋を退出した筆頭宮廷魔道士の耳に、彼の者の悲鳴が届いた・・・ ざわっ、と空気が動いたのが分かった。 会場の視線が一ヵ所に集まる。 「うーん、さすがは姫さんの女官達だ。シル、お前さん、会場の視線を独り占めしているぜ」 「・・・シオン様ぁ・・・本当に、するんですかぁ?」 自分に向けられる視線を避けるように青年の影に隠れ、おずおずと見上げる者は・・・これ以上はないというほどの美少女だった。 サラサラとした純金の髪は腰まで流れ、両サイドの髪を少し掬って軽く結っている。結った場所と耳元に小さく白く、可憐な生花を飾り、少女の可憐な印象を強めていた。 極上のエメラルドの瞳は不安げに揺れ、男の保護欲をそそる。 柳の肢体を包むのはふわりとした、幾重にも重ねられた新緑色の紗(うすぎぬ)。ドレスとなったそれは優雅なウェーブを描き、やはり、少女を魅力的に見せていた。 「ややこしいことは俺がするさ。シルは俺の側にいるだけでいい。それだけで煩わしいことは半分に減る」 どこか、自分達に向けられて「る視線を楽しんでいるような口調で話している青年もいつもの魔道士の服装ではなく、きちんとした正装である。 「・・・そうでしょうか・・・」 自分に向けられる視線を感じながら、シルフィスは疑わしそうに呟く。 「シルと張り合おうと思うほどの美形はそうそう、いないからな。それにシルは外見だけじゃなく、性格もいいんだ。まず、難癖つける輩は敗北するさ」 「・・・できれば、そんな事態にならないようにお願いします」 「もちろん♪」 どこまでも明るい青年に、少女の姿をしたシルフィスは深いため息をついたのだった。 時は2時間ほど前に遡る。 ディアーナの女官達に上から下まで体を磨き上げられ、親友二人が選んだドレスに着替えさせられ、完全美少女に変身させられたシルフィスは呆然と椅子に座っていた。 「まぁ、本当に似合っていますわ、シルフィス」 「うん、すんごく綺麗だよ。ディアーナの目は確かだね。そのドレス、よく映えている」 「あら、メイが選んだ口紅も素敵ですわ。メイが化粧品に詳しいだなんて、ちょっと、以外でしたけれど」 「別に詳しくなんてないよ。色を合わせただけだもん。ディアーナが選んだドレスはどう見たって、優雅系でしょ?だったら、口紅だって、ね」 「そうですわね」 親友の変身振りを満足そうに検分し、楽しそうに話している二人もしっかりドレスに着替えている。 「んじゃ、外の不良魔道士を呼ぶか」 的確な表現で筆頭宮廷魔道士を言い表したメイは扉を開け、すでに正装して待っていた青年を呼び入れた。 「シオン様!いい加減、これの説明をして下さい!!」 今回の諸悪の根源である青年の姿を認めたシルフィスが茫然自失から立ち直り、普段の温厚な態度をかなぐり捨てて原因へと詰め寄る。 「まぁ、落ち着け」 「これで落ち着いていられる人がいたら、お目にかかりたいです!」 ・・・実行犯は親友二人であるのだが、騎士道精神旺盛なシルフィスはか弱い女性(約一名はか弱いとは言えないが)には詰め寄らず、最大の原因であろう青年を締め上げるつもりらしい。手元に剣があれば、抜きかねない勢いである。 「あのな、ちっと協力して欲しいんだわ」 「・・・協力?」 「そ。俺の婚約者役としてな」 「・・・は?」 思ってもみない単語にシルフィスの怒気が薄まった。その隙に青年は畳み掛けるように今までのことを説明し始める。 「俺にその気はないっていうのに、いろいろと売り込んでくる輩がいてな。面倒なんで今まで放っておいたんだが今回、やたらとしつこいのが出てきて、どうしてもまとめるつもりらしい。自分の娘が気に入らないのなら、どこが気に入らないのかはっきりしろと言いやがった」 「・・・シオン様なら、気に入らない女性はいらっしゃらないでしょう?」 「そこが辛いところなんだよなぁ」 シルフィスの突っ込みに、青年は悪びれずにさらりと言ってのけた。宮廷で遊び人と言われるだけのことはある。 「そんな態度だから、こーゆーはめになるんじゃないの?」 「言えてますわね。どんな方でも気に入らないとは言わないからこそ、相手の方も強気に出ているんですわ」 青年に頼まれて親友を美少女に仕立て上げた二人であるが、それとこれとは別問題らしく、青年に対し割と手厳しい態度を取っている。 「はいはい。外野の突っ込みは置いといてだな、すでに俺には婚約者がいるということにしたい訳だ。で、シルフィスならその美貌だし、性格は二重丸だし、言うことはないだろう?」 「シルフィス、わたくしのダンスの授業に付き合って下さったでしょう?完璧なステップだとダンスの先生も太鼓判を押しましたし」 余談ではあるが、男性のステップも完璧に覚えているシルフィスである。 「突っ込まれない為にも偽名を名乗ってね。ま、ややこしいものじゃないから。シル、でいいでしょ?」 いいもなにも、すでにお膳は立てられているのである。シルフィスに拒否権はないも同じだった。 「・・・今回だけですよ」 海溝よりも深いため息をついて、シルフィスはそう言うしかなかった・・・ 考えるより先に、体が動いていた。 舞い散る、純金の糸 飛び散る、鮮赤の滴 千切れ飛ぶ、新緑の衣 散り落ちる、真白の花 「シル?」 突然の騒ぎの中、シルフィスに抱きしめられ、問いかけの声をかけたディアーナはしかし、すぐに悲鳴をあげる。 「シル!!しっかりして!!」 ディアーナを襲ったのは風の魔法。かまいたちとなったそれはクライン王国第二王女を襲ったのだが、側にいたシルフィスがいち早くそれに気づき、親友を庇ったのだ。 シルフィスがディアーナを守ったのと同時に、パーティー会場のあちこちから貴婦人達の悲鳴と紳士達の怒声が上がる。 「大丈夫です、姫。それより、動かないで下さい」 純金の髪が乱れ、優雅なドレスが裂け、華奢な肩から血が流れている少女は無意識に腰に手をやり、そこにあるはずのものが今はないことを思い出して顔をしかめた。 「大丈夫って、あなた、怪我をしていますのよ!?」 いくらお転婆でも、姫育ちのディアーナだ。大事な親友の怪我に動揺しないはずがない。 「怪我は慣れていますから。姫、今の攻撃はあなたを狙ったものですよ?お守りしますから、側を離れないでください」 「私はいいから、早く怪我を・・・」 「シル、伏せて!!」 もう一人の親友の、力に満ちた声にシルフィスはとっさにディアーナを抱えて従った。 「あまねく大気に存在し炎の精霊よ、わが手に集い、その怒りで敵を焼き払え!」 特大の炎の塊が音をたてて、会場の中を飛んで行く。炎に側を通られた貴婦人達が悲鳴を上げた。 「よっくも、ディアーナを狙い、シルに怪我をさせたわねぇ」 栗色の瞳を怒りで燃やしたメイは、風の魔法を使った男を見つけると炎の魔法を盛大にぶつける。メイの炎が音を立てて飛ぶと、会場内のあちこちからまた、悲鳴が上がった。 魔法力は精神力に左右される。精神力が強ければ強いほど、魔法の行使力が強まり、成功率も高くなる。今のメイは、大事な親友達を狙い、傷つけたことによる怒りでいつもよりも精神が高まり、結果、炎の魔法が特大版になっていた。・・・周囲の被害も甚大ではあるが。 「う、うわわわわわっ、水よ、怒りを納めし水よ、わが手に集い、対極にある炎の怒りを消せ!」 「メイ!少しは控えろ!火事になるだろうが!!」 会場の裏方として待機していたアイシュ、警護として待機していたキールが慌ててテーブルクロスや絨毯などに飛び火した炎を、呼び出した水で消火する。 「そんなの、知ったこっちゃないわよ!」 バリバリに怒り狂っているメイはまたもや、特大炎を手の内に宿したが。 「メイ、下がって。シオン様、姫を頼みます」 涼やかな声がメイの行動を止め、華奢な体がふわり、と体重を感じさせない動きで王女を狙った人物へと走った。 「シル!あなた、丸腰ですのよ!?危険すぎますわ!」 「大丈夫です」 クラインの王女を狙った男は華奢な美少女が自分に向かってくるのに驚き、それ故に次の行動を取るための判断が遅れることとなった。 「はっ」 短い掛け声と共に、少女が男の足を払う。だが、男は倒れることなく目立つ少女の純金の髪に手を伸ばした。 「っ、と、やぁっ」 伸ばしてきた男の手を受け流し、逆手に掴むと相手の勢いを利用して少女は大の男の体を投げ飛ばす。 ズッダーッン!! 華奢な美少女が暗殺者を見事なまでに、綺麗に投げ飛ばした光景に、周囲の人間は石化した。・・・まぁ、当然の反応かもしれない。 「シル!無茶なことを!」 駆け寄ってくる筆頭宮廷魔道士の文句に、シルフィスは困ったような顔で反論した。 「無茶のつもりはありませんでしたけど・・・だって、メイの魔法で集中力が途切れていましたし、この騒ぎで油断していたみたいだし」 「だからといって・・・丸腰で相手の前に飛び出すな!見ているこっちの寿命が縮まる!」 そう言いながらも青年は少女が押さえつけている暗殺者の体を拘束し、ついでに魔法も使えないように封印してしまう。そうして、暗殺者の始末を終え、衛兵に引き渡した後、青年の腕が少女へと伸びた。 「え?」 少女が驚いた声を上げるのも構わず、横抱きに抱き上げた青年は皇太子に向かって退出の旨を伝える。 「セイル、ちょっとこいつの治療をしてくる。ついでに俺達はもう、出てこないからな」 昔馴染みの青年の意思に、クライン王国の皇太子は穏やかに頷き、それを許可した。 「ああ、かまわないよ。ディアーナを守ってくれて、有り難う」 「あ、いえ。・・・じゃなくって、退出しなくても私は大丈夫ですってば。ほんのかすり傷なんですよ」 皇太子に礼を言われ、思わず素直に頭を下げたシルフィスはすぐに今の状況を思い出し、慌てて自分の無事を相手に訴える。 「お前がよくても、俺が嫌なの。あのな、傷はそうかもしれんが、肌の露出度が高くなってんだぜ?他の野郎共にシルの珠の肌を見せたくねーの、俺は」 青年に言われ、改めて自分の格好を見ると、ディアーナ達に着せられたドレスが風の魔法のお陰であちこち破けている。確かに、この格好ではここにはいられない。 「では、あの、下ろしてください。歩けますから」 「嫌だ」 少女の要求をあっさり一言で片付け、青年は少女を横抱きに抱いたまま、堂々と会場から退出して行った。 シオンがベタ惚れに惚れている少女がいると誰もが確信し、青年の愛情を奪おうと勢い込んでいた女性陣がハンカチを噛み締めて敗北を悟った出来事であった・・・。 柔らかな光が青年の手に宿り、華奢な肩にかざされる。深くもないが、浅くもない、すっぱりと切れた傷が柔らかな光を浴びて消えていく。 「・・・有り難うございます、シオン様」 窮屈なドレスを脱ぎ、動きやすい普段着に着替えたシルフィスは自分の負傷した肩に治癒魔法を施した青年に礼を言うと、はだけた襟を直した。 「・・・シオン、様?」 ふいに青年の胸の奥深くに抱き込まれ、シルフィスは困惑した表情で青年を見上げるが、青年の顔はシルフィスの純金の髪に埋められていて窺うことが出来ない。 「頼むから・・・もう、あんなことをしないでくれ」 深いため息と共に、青年が絞り出すような声で言った内容に、シルフィスはますます困惑した。 この行動も、態度も、声も、言った内容でさえ、いつも飄々としている青年らしくない。 「でも・・・私は・・・」 「ああ、分かってはいるさ。お前が、誰よりも騎士の心を持っているってことは」 抱きしめている腕に力が込められるが、シルフィスは抗うことなく青年の腕の中にいた。初めて知ったが・・・この腕の中はとても、心地良い。 「お前は、誰かを守ると決めれば全力でそれを実行する奴だ。しかも、それが大事な者ならば尚更に。だが・・・俺は、それを見ていられない。血に塗れるお前を見るだなんて、できはしない!」 「シオン様?」 ますます強まる抱擁に、シルフィスは僅かに顔をしかめる。抱きしめられる体は痛みに悲鳴を上げているが、それ以上に胸が痛くて・・・ 「お前を守りたいと思っても、お前は風のように軽やかに前へと走っていく。後ろなど気にせず、前だけを見て・・・」 自分を抱きしめている腕が、微かに震えていることに、シルフィスは気づいた。自分の髪に埋められている、青年の唇から零れる音の羅列が、体の中で震え、反響し、心をも震わせる。 「自分でも信じられないな、本当に。こんなに、誰かに心を奪われるなんて」 青年の、呟きのような言葉に、体が熱くなった。 「お前を守りたい。真白く純粋で、気高い心のお前を。シルフィスという、唯一無二の可憐な華を、俺だけの華にしておきたい・・・」 「シ、オン、様」 折れそうな程に抱きしめられ、息苦しい中でシルフィスはそっと自分の腕を青年の背中に回す。 「シル、フィス?」 はっとして腕の力を緩め、相手の顔を覗き込んだ青年は穏やかに微笑んだエメラルドの瞳を目にした。どこまでも透き通ったエメラルドの瞳に引きこまれるように、青年はその瞳に口付ける。 「愛している・・・」 自然に、一番簡単で一番真摯な言葉が口を突いて出た。それ故に、一番気持ちが篭っている言葉が。 「私も、です」 密やかに、しかしはっきりとした返事が青年の耳に届いた。嬉しそうに微笑む少女がしっかりと青年を見つめている。 「私が前を見て走れるのは、シオン様が後ろにいて下さるからです。後ろで私を守って下さって、そしてフォローをしてくださるからこそ、私は行動を起こせるんです」 自分を見つめる少女の純金の髪を、青年は愛おしげに撫で、その指に絡ませるとそっと口付けた。 「嘘吐きだし、いい加減だし、目的のためなら手段を選ばないシオン様ですけど・・・でも、その言葉だけは信じます」 「酷い言い様だが・・・ああ、信じていい。俺は、お前だけは裏切らない」 「きっと、ですよ?」 綺麗に微笑むシルフィスの頬に手を当て、青年は顔をゆっくりと傾けた。その仕草に合わせ、少女の瞳もそっと閉じられる。 暖かい沈黙が、部屋を支配した・・・ 俺を許し、微笑む純金の華 私を認め、守ってくれる蒼い風 『愛している』 その言葉一つ その呪文一つ ただそれだけで、幸せになる 『愛している』 何よりも信じられる、あなたの言葉 END |