緋色の不機嫌


 正装した緋色の魔導士は不機嫌の絶頂であった。

 キラキラと輝くシャンデリア。
 華やかな貴婦人や紳士達。
 テーブルの上に並べられている豪華な食べ物。
 そんなものはまったく、青年の視界に入っていない。
 青年がひたすら視線を向けているのは栗色の髪を持つ小柄な少女。
 青年の視線を知っているのか知らないのか、栗色の少女は紳士・貴婦人の間を軽やかにすり抜け、自由に会場内を歩き回っていた。

 何時もなら行くはずもない、青年にとってはくだらない夜会。なのに、わざわざ正装までしてここにいるのは当然、訳がある。

「キール、油断していたら取られましてよ」
 夜会に着るドレスを届けに来たものの、当の本人がいないために栗色の少女の保護者的役割であり、恋人でもある青年へと荷物を預けた薄紅の少女はビシッ、と指を付き付ける。
「メイをちゃんと捕まえていませんと、誰かが攫ってしまっても文句は言えないこと、分かっていますの?」
「姫。人を指で指してはいけませんよ。失礼です」
 半歩程下がって控えていた、騎士の制服を綺麗に着こなした純金の少女が穏やかに、薄紅の少女の無作法を咎めた。
「だって、シルフィス!」
「メイが心配なのは、分かります。私だって心配ですから。けれども、それと相手に対しての失礼な態度とは別ではありませんか?」
「・・・う・・・」
 純金の少女の言うことは正論であるため、薄紅の少女は言葉につまり、自分の非を認める。
「・・・次から、気をつけますわ、シルフィス」
 素直な王女の返事にふわり、と微笑んだ女性騎士は視線を青年に向け、先程の薄紅の少女の言葉を補足した。
「キール、メイの正装した姿を見たこと、ありますか?」
「・・・いいや」
「とても綺麗で、可愛いですよ。けれども、外見が綺麗だと夜会では・・・分かりますね?」
 純金の少女の言外の意味を、青年は正しく捕らえ、みるみるうちに眉間に皺を寄せ、不機嫌な顔つきになる。
「ですから、申しましたの。『油断していたら取られる』と」
「油断をするつもりはありませんし、あいつを他人にやるつもりもありません」
 きっぱりと言いきる青年に、薄紅の少女は得たり、というような笑みを浮かべた。
「でしたら、キールもこの夜会に出席したらいいのですわ」
「姫?」
「ちゃーんと、メイを見ていてくださいな」
「ちょ、ちょっと待ってください。確かに、『メイをやるつもりはない』とは言いましたが、夜会に出席するとは・・・」
 慌てる青年だったが、薄紅の少女はあっさりとその抗議を却下する。
「あら、メイがドレスを着るのは夜会だけですのよ?そりゃ、今でもメイはモテますけど、夜会ではそれ以上にモテるのですわ。その時に牽制しないで何時、牽制しますの?」
 やられた、と思ったがすでに後のまつり。見かけの可憐さとは裏腹にかの王女が実は兄である皇太子と同様、かなりの策士であることを青年は忘れていた。薄紅の王女の言うことも一理あるために、断ることも出来ない。
「・・・キール。諦めが肝心ですよ」
 慰めるかのような口調の純金の少女の言葉が、策士で行動的な王女の護衛をする女性騎士としての苦労を垣間見せていた。

 ひらひらと蒼いドレスがひらめく。
 まるで優美な魚のように人々の間をすり抜け、快活に笑って。

 自分の方には近寄ってもこない少女を見つめ、いらいらとする緋色の魔導士の視線の先で、一人の青年が蒼いドレスを着た少女に近づいた。
 ピキッと緋色の魔導士の顔が引き攣る。
 少女は何かと話しかける青年の相手をにっこりと笑いながらしているが、しばらくするとごく自然にその場を離れた。
 そしてまた、別の場所でも同じ事が繰り返される。
 緋色の魔導士は今更ながら、薄紅の王女の言っていたことを思い出した。

『油断していたら取られましてよ』

 だが、牽制しようにも当の栗色の少女が恋人を近づけようとしないのだ。恋人である緋色の魔導士の不機嫌に拍車がかかっても無理はない。
 眉間に皺を寄せ、不機嫌のオーラを振り撒いている緋色の魔導士の側に近寄ろうとする者は当然だが、いなかった。

「・・・鬱陶しいですわね」
 グラスに満たされた飲み物を口に運びながらボソリ、と可憐な薄紅の少女は呟いた。
 だんだんと不機嫌の度合いが大きくなる緋色の魔導士を目の端に入れながらの感想は同意できるものだが、外見の可憐さとは裏腹に滅茶苦茶辛辣である。
「仕方がないでしょう。ああもメイがしょっちゅう男性に声を掛けられるのを見て冷静になれというのが無理ですよ。自覚していないようですけど、キールはメイを溺愛していますから」
 苦笑する純金の少女も絶世の美貌の持ち主故、栗色の少女と同様に男性にしょっちゅう声をかけられてもおかしくはないのだが今夜は凛々しい騎士の正装を着用していた。たとえ『騎士団の華』と言われる彼女であっても、男装している少女を男性陣は誘うことが出来ない。その代わりとでもいうのか、貴族の令嬢達が先程まで取り巻いてはいたが。
 その出来事で『シルフィスに麗しい華達を奪われた』と某筆頭宮廷魔導士が嘆き、『心無い華盗人に言われる筋合いではありません』と女性騎士が辛辣に返答したのはまったくの蛇足である。
「・・・まぁ、あれは後でメイがなんとかしますわね。で、シルフィス?」
 緋色の魔導士を『あれ』呼ばわりした薄紅の王女は可憐な微笑みを浮かべたまま、しかしその口調を僅かに変化させた。
 その変化を感じ取った女性騎士も穏やかな微笑みを浮かべたまま、この夜会で仕入れた情報を王女に報告する。
「先週の夜会で話題になっていましたグレゴリー卿のご子息とラルズ卿のご息女の婚約が正式に決まったそうです。二、三日中に陛下に報告されるとか」
「グレゴリー家とラルズ家ね。・・・理想的な結びつきというところかしら」
「はい。更に珍しいことですが、かの方々は想いあって結ばれるそうです」
 当人達の心情まで報告してきた純金の親友を薄紅の少女は驚いたような表情で見つめた。
「・・・よく、そこまで知りましたわね」
 素直な驚きを素直に表す薄紅の少女。必要に迫られ策士めいた事もするが、根底にある素直な可愛らしさは変わらない。ただ、必要なだけなのだ。自分を取り巻く状況を知ることが。
 それを知っているからこそ、純金の少女も栗色の少女も薄紅の少女の為に必要な情報収集を自ら行う。
「当のご本人であるスターシア様から聞きましたので」
「・・・本当に、不思議ですわね。男装していようが、どこをどう見ても女性ですのに同じ女性からモテるだなんて」
「はぁ・・・」
 感心したように言われ、純金の少女は苦笑した。自分でも不思議であるので、説明のしようがない。
「やっほ、ディアーナ。だいたいのことを掴んできたよ」
 明るい笑顔でやって来た栗色の少女は苦笑している純金の親友を見て首を傾げた。
「何かあったの?」
「いえ、たいしたことではありません」
「しっかり女性になったのに、どうしてシルフィスは女性にモテるのかしらと言っていただけですわ」
「はぁ、なるほど」
 ディアーナの護衛として夜会に出席するとき、二回に一回は騎士の礼服を着用する純金の少女だが、その時の女性陣からのモテぶりは男性陣からやっかみを買うほどであることを栗色の少女は知っている。栗色の少女の唇から、自然にくすくすと笑みが零れた。
「ま、どうしてシルフィスがモテるのかその議論は横に置いておくとして。何を掴んできましたの、メイ?」
「こっちはちょっと、きな臭い話。王族関係にまでとばっちりが行くとは思わないけど、用心した方がいいかも」
「・・・話してくださる?」
 こっくりと可愛らしく首を傾げる姿はかすみ草のように可憐だ。側にいる少女達も絶世の美貌と快活な可愛らしさでもって、それぞれに目を惹く外見をしているが、三人が話している内容は外見とは裏腹に複雑な勢力関係である。
「ドーミス家とティルツイン家の冷戦、ちょっとヤバい方向になりそうなんだ。両家とも私兵を集めている」
 栗色の少女の報告を聞いた親友達はその内容の深刻さに思わず、顔を見合わせた。眉間に皺を寄せ、純金の少女が呟く。
「それは・・・ちょっとどころではなく、かなりまずい事態なのでは・・・」
「ええ。下手をすると内戦になりかねませんわ。ようやく、ダリスの国情も落ちついてきたといいますのに」
 可愛らしく顔をしかめた薄紅の少女はぐるり、と会場内を見まわして自分の兄を見つけるとそちらに足を向けた。
「このことはわたくしからお兄様に報告しますわ。で、ね、メイ」
「何?」
「あそこにいる、鬱陶しいの、何とかしてくださいませね」
「は?」
 薄紅の親友が示す場所に視線を向けると、バックにおどろ線を背負っているかのような不機嫌な緋色の魔導士が立っている。
「メイ、キールを側に近寄らせなかったでしょう?ずっと、あんな風に不機嫌のオーラを振り撒いていたんですよ」
「あっちゃぁ・・・」
 純金の親友の説明を聞いた栗色の少女は額に手を当て、天井を向くと嘆息した。
 側に恋人がいると薄紅の少女の為の情報収集活動がしにくくなるので遠ざけていたのだが、やはりというか、気に入らなかったようである。
「では、後はよろしく、ですわ」
 そう言って薄紅の少女が立ち去ったのを見送った栗色の少女は緋色の魔導士に近づき、その顔を覗き込んだ。
「・・・ものすごく、不機嫌だね」
「なって悪いか」
(うっわー、不機嫌絶頂だよ)
 ぶすくれた返答に一瞬、回れ右をしようかと思った少女だったが、その考えを見透かしたかのように青年が少女の腕を掴むとバルコニーに向かって歩き出す。
「ちょ、ちょっと、キール、腕、痛いってば。力、緩めてよ」
 無言でずんずんと歩く青年が恐くていつも以上に騒ぐ少女だったが、青年はそれを綺麗に無視して人気のないバルコニーへと連れ出すと少女の体を手すりに押し付け、その両脇に自分の腕を置いて逃走方向を封鎖した。
「あ、あの、あの、キール?」
(相変わらず、綺麗な色をした瞳だけど・・・こ、恐い・・・かも)
 無表情ではあるけれど、瞳の奥に不機嫌さと怒りがくすぶっていることを認めた少女はびくびくと脅えた表情で青年を伺う。
「お前・・・夜会ではいつもあんなに大勢、男に声をかけられるのか?」
「え?えーっと・・・」
 低い声で聞かれた質問に少女はつい、真面目に考え込んでしまった。気にしたことはなかったが、そんなに声をかけられただろうか?
「・・・あたし、そんなに声をかけられていた?」
 どんなに考えても分からないのでおそらくずっと、自分を見ていただろう青年に問うと更に睨まれる。
「・・・こっちがいらいらするぐらいに、な。それなのに、お前は少しも側に近寄らせようとしなかっただろうが」
「だって、キールが側にいると情報収集が出来ない・・・し・・・」
 青年の不機嫌さを宥めようとしてふと、少女は気づいた。ひょっとして、これは・・・
「・・・ねぇ?まさか、キール、焼き餅を焼いている、とか・・・?」
「悪いか」
 即答する青年を半ば唖然として少女は見上げる。
 恋人になったとはいえ、青年の性格故にそうそう甘い言葉など聞かせてもらえない。もらえないが、そんなものよりも今の反応の方がずっと・・・
「・・・何だか、すごく嬉しい」
「・・・なんでだ?」
「だって、焼き餅を焼いてもらえるってことは、それだけ好きでいてくれるってことじゃない。言葉で貰えるのももちろん、嬉しいけどそんな反応もすごく嬉しい」
 にっこりと満面の笑みを浮かべた少女は目の前の青年の首に手をかけ、ぎゅっと抱き着いた。
「あたしが好きなのはキールよ?キールだけが、大好き。他の男なんて目に入らないぐらい、好き」
「・・・俺以外の奴に目を向けたら、どうなるか分からないぞ」
「キールこそ、浮気なんてしたら即、ファイヤーボールだからね?」
「一生、くらうことはないさ」

 ・・・二人とも忘れているようだが、人気がないとはいえ、ここは王宮のバルコニーなんである。当然、涼を求めて出てこようとする人間もいるわけで。
 人目もはばからない(いや、一応、この二人は人目をはばかっていたつもりなのだが)ラブラブ振りに、偶然かち合った人間はあまりの甘さに胸焼けをおこし、その場を立ち去ったらしい。
 それにさえこの恋人達は気づかず、ただひたすら甘い雰囲気を振り撒いていた。

 その後、夜会でメイにちょっかいをかける男性は激減したと聞き、ひそかに胸を撫で下ろしている緋色の魔導士の姿があった。


END