純華


 薄紅の髪を揺らし、一人の少女が王宮のある一室を目指し、歩いていた。
 普段はおっとりとした、可愛らしい雰囲気を漂わせている少女であったが、今は極限までの緊張状態で表情も強ばっている。もっとも、傍から見ればそれはキリッとした大人びた顔に見え、そのことは少女が今から行おうとしている出来事には有利であった。
 目的の部屋に辿り着いた少女は後ろを振り返り、自分の背後に控えている青年に合図をする。
「・・・行きますわよ、アイシュ」
「はい、姫様」
 穏やかに頷く青年に力を得たように微笑んだ少女は手を上げると目の前の扉をノックした。

「こ・・・これはこれは・・・ディアーナ姫御自ら、このような場所へ一体、何用でいらっしゃたので・・・?」
 突然の訪問者に対し、最初は横柄な態度を取っていた部屋の主はその訪問者の名前を聞いた途端、今までの態度を一変させ、大仰なまでに薄紅の少女を迎え入れた。少女を迎え入れたのは50前後の尊大な態度の男。どこか、焦っているような態度も見受けられる。
「もちろん、貴方に用があってのことですわ、ビルドゥン卿」
 にっこりと可憐に微笑みながらしかし、薄紅の少女のその紫紺の瞳は笑っていない。いつもは無邪気なまでにキラキラと好奇心に輝いているその瞳が。
「・・・はて。私に、と?」
 静かな迫力をみせている少女とは対照的に、男の方は額にじっとりと汗をかいている。
「ええ。・・・ああ、おかまいなく。すぐに終わりますから、このままで結構ですわ」
 近くにいた侍従に飲み物を命じた男に対してあくまでも優雅に、薄紅の少女は断りの文句を口にした。
「わたくしを亡き者にしようとした者の部屋で食べ物を口にするほど、わたくしは無神経ではありませんわ」
 あくまでも優雅に、しかしその内容は物騒で。言われた男はギョッとして少女を見遣る。・・・果たして、その驚きは話の内容によるものか、外見とのギャップによるものか。それとも、両方?
「な、何をおっしゃる・・・」
「とぼけたいのなら、それでも結構。ですが、貴方の命運は尽きていましてよ」
 可憐に、優雅に・・・けれども鋭く少女は言葉を続ける。
「ずいぶんと焦ったものですわね。わたくしの婚約の噂を聞いて行動したのでしょうけど、調査不足でしてよ。確かに、わたくしは王家から出て降嫁します。けれども、貴方が予想したカイナス家ではありませんわ」
「カ、カイナス家では・・・ない?」
 掠れた声が男の口から零れた。それは、取りも直さず、薄紅の少女の暗殺計画をこの男が指示していた事を知らしめている。
「貴方がそう思っても仕方がありませんけど。ローゼンベルク家はお兄様の暗殺を企んでいた罪で一族はことごとく投獄、もしくは追放され、カイナス家以上の格の高い貴族はいない。わたくしが降嫁するのならば、そこ以外にはないと考えたのでしょう?」
 もし、薄紅の王女がカイナス家に降嫁したならば。双璧と言われたローゼンベルク家がいない今、カイナス家の権力は大幅に増大する。
「・・・そう、貴方は考えたのでしょうね」
 一貴族としては当然の思考。そして、それを阻止しようと行動するのもある意味、当然だが。
「だからと言って、わたくしは大人しく暗殺などされませんし、ましてや誤解で暗殺されるなどまっぴらですわ」
 真っ直ぐに男を見つめる薄紅の少女の視線は、王家の人間であるからこそ持ち得る高貴さと強さが宿っていた。

 それは、華だった。
 無邪気で純粋で、けれども、自分が何者であるかを自覚している純粋な華。

 紫紺の瞳が煌き、自分を暗殺しようとした男を臆することなく見つめる。
 小柄だというのに、真っ直ぐに背筋を伸ばした立ち姿が威圧感を伴い、そこにある。

 老獪な政治家である男を目の前にしていながら、少女はその視線を外そうとしなかった。
 自分の立場を、王家の人間としての責務をよく知り、そこから逃げまいとする心の強さが少女を輝かせ、自らを至高の華とさせていた。
 優雅に、可憐に、けれども内には高貴さと強さを秘めた至高の華。純粋なる華。それが、この少女だった。

 ふっと後ろを振り返った少女は、そこで穏やかにたたずんでいる青年を見る。薄紅の少女の視線を受け、分厚い眼鏡をかけた青年がのんびりとした−ひどく、緊張感に欠けた声で決定事項を男に告げた。
「え〜、ビルドゥン公爵。ディアーナ・エル・サークリッド王女殿下の暗殺を指示した容疑で身柄を拘束します。後ほど、その罪を詮議し、処分を言い渡しますので・・・」
 がっくりと項垂れた男を見遣り、薄紅の王女はくるりと踵を返す。
「残念ですわ、ビルドゥン卿。お兄様は貴方をかなり高く、買っていらしたのよ」
 今更、こんなことを言っても仕方がないけど。
「お兄様の妹として、この国の王女として、わたくしも残念ですわ」
 呆然としている男の目の前で、扉が閉まった。

「・・・はぁ〜、緊張しましたわぁ」
「お疲れ様です、姫様。ご立派でしたよ〜」
 今までの緊張感はどこへやら、というようなのんびりとした声で、青年は労いの言葉を極度の緊張が解けた反動でぐったりとしている薄紅の少女にかける。
「本当にそう思いますの、アイシュ?」
 上目遣いで青年を伺う少女に、青年はにっこりと笑って頷いた。
「はい〜、姫様は本当に頑張られましたよ〜。お陰で、往生際が悪いと言われているビルドゥン公爵はほとんど抵抗なさいませんでした〜」
 僕の出番がありませんでしたね〜と嘆いているのかいないのかよく分からない青年の言葉に、薄紅の少女はようやく微笑みを浮かべる。
「だって、わたくしの為にシルフィスもメイも頑張ってくれたのですもの。ここでわたくしが頑張らなければ、二人が頑張った意味がありませんし、アイシュのところへ行く資格もありませんでしょう?」
「姫様」
「皆がわたくしの為に頑張ってくれている。わたくしはそれに応えなくてはなりませんの」
 お転婆で、子供っぽいと言われ続けていた少女だったが、周囲の者達の気持ちを察し、感じ取り、それに応えようとする純粋さは持ち続けようとしても簡単にはできない、稀有な資質だ。素直な純粋さは周囲の人間を優しい気持ちにさせ、自然に少女の周りには優しい笑顔が集まる。それもまた、稀有な資質。
「・・・何よりもアイシュ、貴方と共にいるために、わたくしは頑張ったのですわ」
「・・・そうですね」
 ふんわりと微笑んだ青年はその場に跪くと少女の手を取り、その手の甲に口付けを送った。
「ア、アイシュ!?」
「姫様、貴女に永遠の忠誠を。そして」
 取った手を裏返し、今度は掌に口付けを送る。
「・・・永遠に、貴女と共に生きます」
「・・・アイシュ・・・」
 無邪気で純粋で優しい王女。家庭教師として接しているうちに、少女の内面に触れ、許されるはずもないと知りつつも次第に惹かれ・・・。
「アイシュ、わたくしも誓いますわ。ずっと、ずっと、貴方と生きることを。貴方を愛し続けることを」
「はい、姫様・・・ディアーナ」
 名前を呼ばれて幸せそうに笑った少女はもう、青年が教え導く生徒ではなかった。
 自分で考え、しっかりと地面に足をつけて歩くことを知っている強さを、また、闘うことも知っている華へと少女は成長し、その身に備わっていた華を開花させた。
 国のために咲く華ではなく、ただ青年のためだけに咲く華へと。純粋に・・・ただ、純粋に、青年だけを想う、想って咲く華へと。
「さぁ、そろそろ殿下のところへ行きましょう。首を長くして、報告を待っていますよ」
「シルフィスもメイも、心配でたまらないって顔をしていましたものね」
 するり、と青年の腕に自分の腕を絡ませた少女は親友達の顔を思い浮かべ、くすくすと笑った。

 至高にある高貴で無邪気な純粋なる華。それは、純粋さを持ち続ける少女のこと。


END